「人間がやることではない」日本軍が東南アジアで行った“華僑粛清”その実態
戦後80年。経験者の多くが鬼籍に入り、私たちが直接話を聞く機会も減ってきています。戦争の記憶が遠のくなかで、現代を生きる私たちは、どう向き合っていくべきか。 【画像】「人間がやることではない」日本軍が東南アジアで行った“華僑粛清”その実態 戦争の“証言”と“記録”を伝えます。11日のテーマは『日本軍が占領地で行った加害』です。 東南アジア・マレー半島の南に位置するシンガポール。 この国の中心部に、1本の塔があります。その名は『血債の塔』。戦時中、日本軍によって命を奪われた多くの人の遺骨が眠っています。 かつて、この地で起きた悲劇の歴史。 その実相を、幼き日の記憶として語り継ぐ沈素菲さん(89)。 沈素菲さん 「具体的な月日はもう覚えていないが、(日本軍が)シンガポールに入ってきて、3日目の日だけは覚えている。日本軍がシンガポールの人を殺しに来た」 父と映る唯一の家族写真を見せてくれました。 沈素菲さん 「父は、銀行で働いていた。とても奥ゆかしく知識のある人だった。家で父の帰りを待ち続けたが、父は、再び家に帰ることはなかった」 1941年12月8日、真珠湾攻撃。アメリカとの全面戦争へと踏み切った日本。 その直前、日本が奇襲を仕掛けていたのが、東南アジア・マレー半島です。狙いは、石油やゴムなどの資源が豊富なこの地をおさえ、戦争継続への足掛かりにすること。 日本軍は、わずか2カ月という驚異的な早さでマレー半島を攻略し、東南アジアの貿易拠点・シンガポールを陥落させました。
『陣中日誌』と書かれた日本軍の記録。のちに“マレーの虎”と呼ばれる司令官・山下奉文は、ある人々の存在を警戒していました。それが、この地に多く暮らしていた中国大陸から移住してきた“華僑”と呼ばれる人々です。 第25軍司令官 山下奉文中将(当時) 「作戦地住民の過半は、華僑にして、特に経済的実権はほとんどその手中にあり。而して敵性を有するものは断固膺懲す(懲らしめる)」 中国とも敵対関係にあった日本。 戦況が泥沼化するなか、中国本土を支援しているとみられていたのが、華僑でした。 沈さんの家族も、シンガポールで暮らす華僑でした。 沈素菲さん 「(私の周りの)華僑が花を売り始め、あちらこちらで、一輪一輪、売って歩いていた。(次第に)たくさんの人が協力して、花を売るようになった。義援金を募って、中国を援助した。それで日本軍は、シンガポール人(華僑)を恨むようになった」