
2011/11/13
高松藩の菩提(ぼだい)寺・法然寺(高松市仏生山町)で3日、初代藩主・松平頼重公の悲願だった五重塔の完成を祝う落慶法要が営まれた。頼重公が没して300余年。松平家第14代当主として、教育の普及や文化の継承などに力を注ぐ松平頼武氏に、幼少期の思い出や古里の発展にかける思いなどを聞いた。
◇
終戦直後、小学2年までの約2年間を香川で過ごした。披雲閣の中の「波の間」に家族で住んでいて、友だちの家に寄ってみんなで学校に行ったり、帰りもお堀で魚を捕ったりしていたのが思い出。そのころの友だちとは今でも会っている。香川が古里。先祖代々の土地でもあり、ほかに古里はない。
大学時代は友人とドライブやスキーに行ったり、乗馬に打ち込んだ。東芝に入社後は工場に配属となり、職人の方たちと一緒に仕事をする中で、いろいろなことを教わった。本社では物流管理の部門にも携わった。
父が亡くなり、すぐ本郷学園(東京)理事長になり学校に飛び込み、香川県育英会など、ある時一瞬に背負うことになった。
幼いころから、家の歴史などについては自然に教育を受けてきた。さまざまなことを自由にさせてくれたと思うが、影響を受けたのは、父が熱心だったボーイスカウトから受けた教育。団体訓練でもあるし、多くの子どもたちに教育を受けてもらいたいと思っている。香川では、13年に全国大会を開く予定だ。
香川の教育を高い地位に持っていくこと、文化の継承、そして環境問題。この3本柱で、公益会も動かしていく。次の時代の人材は子どもたちであり、教育は「百年の計」。子どもたちにしっかりと教えること。それが文化の発展、ひいては県の発展にもつながるはずだ。
多くの方にお世話になり、生かされてきた。その方たちにきちんと恩返しすることが、これからの生き方だろうなと思う。