参院選についてのポエムと映画の進捗、寄付のお願い
今朝の名護湾
参院選から3週間が経った。
自民党が過半数を割り、少数与党になったことよりも
参政党の躍進が衝撃で、動揺している人が多いだろう。
僕もそのひとりだ。
あれから資料を分析したり、いろいろと読み漁るが
どうも納得できない、腑に落ちないというのが今の本音だ。
あれこれと文章を書いてはみたが、どうもしっくりこないまま3週間が過ぎてしまった。
世界が混沌に飲み込まれていくような、靄のような違和感があって、
そんな中、自民党の石破おろしが表面化したり、
一方で広島、長崎の原爆の日のスピーチで石破氏が株を上げたり、
(逆に沖縄の慰霊の日で、パッとしないスピーチだったのはなぜだ?)
沖縄では辺野古の反対運動の先頭に立ってきた芥川賞作家の目取真俊さんが家宅捜索を受けて、スマホもルーターも押収され、公衆電話を使っているという。
いろんなことが整理できないまま、ぐるぐると憂鬱気味になっていたが、
今朝はキリスト教徒でもないのに朝から讃美歌を聴きながら目覚めて、
BLACKPINKを聴きながら海までドライブして、頭から名護の海に飛び込んで、
どうにか自分を保っている。
今日も海は美しく輝いていた。
お盆は海に入ってはいけないと沖縄に来てからよく言われるが、
今は内地のお盆で、今年の沖縄のお盆は9月頭なので、たぶん大丈夫なんだろうと勝手に解釈している。
沖縄北部の海に入ると肌がきれいになるという人がいるが、僕もそう思う。
なぜか肌荒れが治る。でもこれはきっと個体差があるし、エビデンスもあるにはあるとAIは言うが、みんなに当てはまるものではないだろう。
僕は3歳から沖縄で日焼けをしてきた不思議な人間なので、そういう体になっているのかもしれない。
8月6日の広島原爆の日は、自分が9年前、沖縄に住むことになった記念日だ。
高江のテントで安倍昭恵に会った。それが自分の沖縄生活の数奇な始まりだった。
2016年の8月6日が僕の沖縄の日々のスタート。
そして、2016年の8月8日にBLACKPINKもデビューしたので、
僕の沖縄での日々とBLACKPINKのキャリアは、ほぼ一緒、すなわち同期だと考えている。(なんで?)
海辺で、すれ違う人と挨拶をする。心が晴れやかな気持ちになる。
先日、今帰仁のある浜で、考え事をしていると、知り合いっぽいけど、初対面の人、正確に言うと、インスタをフォローしてるけど向こうからはフォローされてるかわからない人、に似ている人がいて、その方はビーチクリーンをしていた。
考え事をしていたこともあり、どうしよどうしよ、挨拶しようかな?でも人違いだったら気まずいな、などと思いながら挨拶しそびれてしまって、
結局、家に帰ってインスタを見たらその人がビーチクリーンをしました!と投稿していたので、あー、挨拶すればよかったとめちゃくちゃ後悔した。
感じ悪い印象だったらどうしよう。というか、40代の無精髭のおじさんがひとりで海にいたら、もうそれだけで感じは悪い、泣
というわけで、僕はもうこれから海ではみんなに爽やかに挨拶することに決めたのだった。
今朝の海は、台風の影響か、風は強かったがその分すっきりと晴れ渡って美しかった。小魚たちの群れがキラキラと眩しく、砂浜からも見える透明度だ。
遠目に日傘を差したふたりが見えた。
ひとりは制服を着ていて、もうひとりは付き添いの女性のようだった。
もしかしたら学校にいけないのかな、あ、でももう夏休みだよな。
などと勝手に考えていた。
その子が実際にどうかはわからない。
だけど、その瞬間、
この世界には、学校には行きたくはないけど、海にはいける子どもたちがたくさん存在するだろうなと考えた。
今日は学校の近くの海までは行ってみようと決めて、それを見守るように付き添う大人の関係性も想像した。
学校に行きたくない理由は僕も痛いほどわかる。僕も高校中退だ。
むしろ学校にいきたい子の気持ちより、
「行かない」を選択する子の気持ちの方がとても共感できる。
それは大人になった今もまったく変わらない。
そういう子たちが、この沖縄にも日本にも、世界にもたくさんいるだろう。
心細いような、所在無いような、居心地の悪い気分を少なからず抱えているだろう。
その日傘のふたりを遠目に見つけて、そんな小さな存在たちのことを考えずにはいられなかった。
そして、そんな小さな存在たちに、僕ら大人はどんな社会を残せるだろうかと思った。
そんな子たちに、僕の映画を見てもらいたいと思った。
彼ら彼女らの居場所は、参政党の政治家の言葉の中には見つからないだろう。
辺野古を埋めようとする自民党の政治家たちの公約の中にも見当たらない。
声の大きい人、いつも元気な人、いわゆる「普通」の中で生きられる人。
図々しく強い政治家たちの目にはそれしか映っていない。
それ以外の人たち、そこからこぼれ落ちる存在について、
今回の参院選で伸ばしたような政治家たちは、語りかける言葉を持たないだろう。
なんだかそれに気づいて、炎天下の中で、僕ひとりぼんやりしていた。
社会はどんどん弱肉強食になっている。
ネットの世界にもやさしさはなく、居場所はあまり見つからない。
やさしい人や、か弱き人は切り捨てられる。不器用な人は異物とされる。
複雑さや繊細さは、非合理的とされ透明化される。
個人の自由や尊厳は軽んじられている。
生き残るゲームに勝った強い個人にしか、自由や尊厳は認められない。
そんな社会を、政治家たちが提示するなんてやっぱりおかしい。
人と違っても、「普通」じゃなくても、不器用でも、
勝ち負けのゲームに参加しなくても、
誇りを持って誰しもが生きられる社会を作るのが政治家の仕事だろ?と僕は思う。
やっぱり、あんまりだ、あまりにもひどい。
今回の参院選の結果も、石破首相がまともに見える状況も、本当にひどいと思う。
今の社会のひどさを選挙結果が反映したとも言えるだろう。
大袈裟に感じるかもしれないけど、
そうやって人間の在り方を、政治家ごときが画一的に決めてしまう先に、
やっぱり戦争があると思うし、
こんなにやさしくない世界は、誰かにとっては戦争と同じくらい苦しいだろう。
生まれながらのマイノリティをまず切り捨てていく、政治家たちの言葉、
マイノリティであることをより罰するような社会に恐怖を感じる。
そして、生まれつきマイノリティではなかったとしても、人間はその生活環境で心や体に傷がつくことだってある。それを隠しながら生きている人たちだっている。
そういう人間や社会の複雑さや繊細さを、まったく無視して、
何が愛国心なんだろう?何が日本なんだろう?政治なんだろう?
強い者が、大きな声で弱い者たちに社会の歪みの責任を押し付ける。
ぜんぶお前のせいだ!と叫ぶ。
それがまかり通る社会が、僕は本当に嫌なんだ。反吐が出る。狂ってやがる。
これは感情論かもしれないけど、今のところ、私個人としての精いっぱいの参院選の批評だ。
まとまらないままのポエム的批評。
そんなことをぐるぐると考えていたら、日傘のふたりは、いつの間にかいなくなっていた。
僕はまたBLACKPINKのJUNPを聴きながら車を走らせて、家に帰り、
シャワーを浴びて、洗濯機を3回まわした。
讃美歌をかけ、誤字で「三馬鹿」と打ってしまい、苦笑い。
「アンミカ」「3時間」「マンチカン」など、ラッパーなので韻を踏んだりしながら、
バナナスムージーにブルーベリーを入れてミキサーを回して、
昼ごはんのカレーを煮込み、
自分の機嫌をとりながらパソコンに向かっている。
ここからは寄付のお願いです
製作中のドキュメンタリー映画のタイトルが変わりました。
「私がまだ知らない沖縄(仮)」として、配給会社にアプローチしています。
一度は完成したものの、関係者や心ある先輩方のフィードバックをもらいながら、
サグラダファミリアのように再構成と再編集を繰り返しています。
映画の興行としての尺を考えると、まだ後15分ほど削る必要があり頭を悩ませています。
2023年末にクラウドファンディングをしてから、
「あいつは映画の金で遊んで暮らしている」とか「映画の金で車を買った」など
同業者からひどい噂を流されているのも知っています。(悲しみ)
サイトはこちら(クラファン終了済み)
しかし残念ながら、製作期間が1年以上長引き、もうだいぶ前から製作資金は底をついて、個人で借入したりしながら製作費を埋めてきましたが、予算は火の車です。
さらに残り数十万円を、どうにか捻出しようと考えていましたが、
悩んだ結果、寄付を募ることにしました。物価高なのにすごく心苦しいです。
今回は独立独歩のセルフクラファンシステムで、
5000円以上寄付された方には、
映画本編から尺の都合でカットした映像をプレゼントしようと思います。
【振込先 】
琉球銀行 大宮支店 404
普通 672044 イノマタトウゴ
【手順】
上記の口座に振り込んでいただいた方は、お手数ですが、
buridii50.2023@gmail.com
まで振り込みのお名前と金額をお送りください。
応援コメントなどつけていただいても構いません。
5000円以上の方には、上映開始後に20分ほどの特典映像をお届けします。
5000円未満の方には、お礼メールをお送りいたします。
この趣旨にご賛同いただける方がいましたら、
ぜひ無理のない範囲で寄付をよろしくお願いします。
どうにか年内中の劇場公開を目標にしています。
公開日が決まり次第、こちらのアドレスにも情報を送付します。
※返礼不要の方は、メールなしで大丈夫です。
寄付できない方もぜひ拡散など手伝っていただけると嬉しいです。
⬇︎こちらはこの映画がQABで紹介された動画です。
一応、怪しい者ではないよという参考にしていただければ幸いです。
沖縄は夏が長いので、8月といってもピンときませんが、
でも今日は8月の沖縄特有の匂いというか、
海風が太陽に照らされた草木を通り抜ける甘い匂いがして、
ああ、8月だ、これぞ盛夏だという懐かしい気分になりました。
僕が初めて沖縄に来たのは、3歳の頃、日航ジャンボ機が墜落した1週間後ぐらいだったので、あの夏から40年になります。
あれから40年変わらない匂いもあれば、変わったものもたくさんあると思います。
これからの40年は、いったいどう変わっていくのでしょうか?
今日は沖縄国際大学に米軍ヘリが落ちてから21年の日でもあります。
僕らは、この豊かな自然や時間や、
大切なものを子どもたちに残せるのでしょうか?
そしてそれは、少なくとも沖縄に生きてきた人々が望む形であるべきだと、
僕は考えています。
沖縄は歴史的に見るととても特別な地域ですが、この感覚自体は沖縄だけに限ったものではなく、普遍的な側面もあると思います。
(しかしその感覚が沖縄と内地とでどう異なるかを、植民地主義を軸に紐解くのが今回の作品です)
この作品が、たとえば「学校に行かない」を選んだ子どもたちにも、
やわらかくやさしく届く作品になる様に、もう少しだけ知恵を絞ろうと思います。
引き続き応援をよろしくお願いします。
猪股東吾
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