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淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

この歳になってもまだ「ZAZEN BOYS」のニューアルバム「らんど」を聴くことの意味って何なんだろう? 破壊願望が止まらないっ。197

2024年01月27日 | Weblog
 何年も前、今では何の曲かは忘れてしまったけれど、確かテレビに「ZAZEN BOYS」が出ていて歌っていたのを観たことがあった。NHKだったろうか。その今ではすっかり忘れてしまった曲と歌詞に対して激しい衝撃を受け、それから「ZAZEN BOYS」という日本のロックバンドは自分の中でずっと気になり常に意識し続けてきたバンドの一つだった。
 ただ、このバンドの産み出す曲には猛毒が含まれている。鋭利な刃物で心が切り刻まれるような激しい痛みもある。だから「ZAZEN BOYS」を聴くにはそれなりの覚悟と勇気もまた必要になる。
 たとえば、小説でいったら、太宰治や坂口安吾や西村賢太を読む時と似ているかもしれない。無性に読みたくなる時があったかと思うと、まったく彼らの小説を受け付けない時との両方があるからだ。



 そんな「ZAZEN BOYS」が新しいアルバムを発表した。タイトルは「らんど」。12年ぶりのアルバムだという。
 最新号の「ミュージックマガジン」でも大きく特集記事が組まれていて、フロントマンの向井秀徳によるロング・インタヴュー「〜この世は嘘だらけですよ。それも含めて人間でしょう ってことをはっきりさせたかった」も掲載されている。
 そのインタビュー記事が本当に面白い。
 向井秀徳はいう。都内を何の当てもなく練り歩くのが趣味なんだと。働きに出てゆくサラリーマンたちを見ながら朝からワンカップを飲んでいて、その寂しさを埋めるためにバンドをやっているんだとも・・・。



 今回のニューアルバム「らんど」には、頻繁に「夕暮れ」や「夕暮れ時」というフレーズが出てくる。向井秀徳は「おれは寂しいんだー、分ってくれよー」とインタビューでも言っていた。東京の街を彷徨いながら、向井秀徳は夕暮れ時という時間帯が自分の中で一番マッチするらしい。

 「ZAZEN BOYS」のニューアルバム「らんど」全13曲。
 朝起きて、窓を開け放すと明るい太陽と青空が一面に広がっていて、思い切り朝の清々しい大気を吸い込み、「らんど」を大音響で流しながら溌溂とした気分で仕事へと出掛ける・・・。
 あるいはまた、春の陽光を身体いっぱいに浴び、凪いでいる穏やかな海沿いを軽やかにランニングしながらウオークマンで「らんど」を聴いて走る・・・。
 そんなの絶対無理だ。そういう時に聴く音楽じゃない。
 それにしてもこんないい歳をした人間が、まだ居直ることすら出来なくて破壊願望をも捨て切れず、こういう過激で魂を掻きむしるような楽曲が詰まったアルバムを真剣に聴いているって、いったいなんなんだろう?
 自分で自分がよく分からなくなる。
 





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「石原慎太郎氏の死、西村賢太氏の死、そして生きている者たちの人生もまた、こうして静かに続いてゆく」

2022年02月08日 | Weblog
 石原慎太郎が亡くなった。89歳だった。
 彼の小説を初めて読んだのは10代の頃だった。「太陽の季節」を読み、彼と三島由紀夫との対談集も貪るようにして読んだ。

 今でも記憶の片隅に残っているのは、石原慎太郎が、三島由紀夫のボディビルで鍛えた肉体を、「それは虚構の肉体だ」と面と向かって批判していたことだった。
 ボディビルなんて、ただの筋肉改造じゃないか、確かそういう趣旨の発言をしていたように思う。
 スポーツ競技で相手と戦うことでのみ、肉体と精神は鍛えられる・・・もう対談集自体手元にないので、具体的な批判内容は忘れてしまったけれど、そんなことを対談集で言っていたのを読んだ覚えがある。

 個人的に、石原慎太郎の政治的発言には違和感を覚える部分もあるにはある。
 一見、傲慢そうにもプライドの塊みたいにも見えなくはない。
 しかし、考え方は多少違っていても、彼の政治に対する対峙の仕方や覚悟だけはずっと素晴らしいと思っていた。
 確かに「行動する作家」だった。

 すべての石原作品を読んだわけじゃないけれど、大好きな小説を挙げろと言われたら真っ先に「行為と死」を挙げたい。この小説は素晴らしい。
 一度、10代の時に読んで影響を受け、その後、また読み返した。是非、3度目も読んでみたいと思っている。というか、こういう小説を書いてみたい。書けないだろうけど。

 そんな石原慎太郎を敬愛していた作家、西村賢太氏もまた亡くなってしまった。先日もここで書いたけれど、彼の私小説もまたすこぶる面白い。全部、一気読みしてきた。
 よくもまあ、ここまで自分の「恥部」を曝け出してもなお、自らを書き連ねることが出来るものだ。心底、感心する。相手側から訴えられても文句は言えないだろう。それほど凄まじい告白の数々なのだ。

 2人は、どちらかと言えば内向的で頭でっかちの作家たちが跋扈している文壇というなかで、いつも異彩を放ち、常に行動力を持ちながら走り続けていた。

 こうしてまた、日本文学界に君臨するトップランナーがいなくなってしまった・・・。









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作家の西村賢太氏が亡くなった。そんななか、キネマ旬報ベスト・テン外国映画部門第1位に「ノマドランド」が選ばれた。西村賢太もこの映画にも放浪という2文字が浮かび上がる。

2022年02月06日 | Weblog
 作家の西村賢太氏が亡くなった。
 タクシーに乗っていて突然意識を失い、病院に搬送されたもののそのまま帰らぬ人となってしまったらしい。54歳だった。
 実は、こっちのブログの「西村賢太」について書かれた回のアクセス数が昨日異常に高くなっていて、「かなり前のものなのに、なんなんだろう?」と不思議に思っていた。理由が分かった。西村賢太本人の死亡がニュース等で出回っていたからだった。

 初めて彼の小説を読んだのは、芥川賞を受賞した「苦役列車」で、そのあまりにも凄過ぎる「私小説」に出くわし、読み終えて大きな衝撃を受けた。
 そこから、次々に彼の作品を読み漁った。ここまで赤裸々に自分を語れるものなのかと、半ば呆れもしたけれど、喜劇的にさえ感じるほどの悲惨な日常を描き切るその筆力に、いつも圧倒された。
 ただ、読み続けてゆくと、そこにワンパターン化はどうしても否めず、同じような展開に飽きが生じたのもまた事実ではある。
 それでも西村賢太は最後の無頼派だった。魂の放浪者だった。

 合掌。

 そんなニュースの中、2021年「キネマ旬報」の年間ベスト・テン外国映画部門第1位に、クロエ・ジャオ監督の「ノマドランド」が選ばれた。
 「ノマド」、「遊牧民」、つまりこの映画は、アメリカ国内をキャンピング・カーで放浪する車上生活高齢者たちを描いた物語だった。

 ベネチア国際映画祭で金獅子賞、トロント国際映画祭で観客賞、アカデミー賞では計6部門ノミネート、作品、監督、主演女優賞の3部門を受賞した映画である。
 映画「スリー・ビルボード」でもオスカーを獲ったフランシス・マクドーマンドが、この作品でも素晴らしい演技をみせていた。

 様々な理由から、住んでいた家を捨て、故郷を捨て、しがらみを捨て、あてどのない放浪の旅に出る。
 もちろん、亡くなった西村賢太氏は別に放浪者ではなかったけれど、家族も持たず、安定とはまったく無縁の生活を送り、無頼に生きた作家だった。

 ノマド・・・それは絶対的な孤独の中に生きている人のことをいうのだろう。意志の強い、どこまでも孤高の人。独りを深く愛せる人。そういう精神の高みで生きている人のことをいうのである。

 だから自分には絶対無理だ。
 第一、意気地がない。心が狭い。孤独に耐えられる強靭な強さもない。

 でもそういう生き方にはひたすら憧れる。腹は括れないけど・・・。
 ずーっと彷徨い歩き続けていたい。
 あてのない放浪をし続け、その果てに見知らぬ土地でひっそりと朽ち果てたい。

 心の底からそう思う。












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山下敦弘監督「もらとりあむタマ子」、鈴木雅之「オールタイム・ベスト」、黄金の16日間その2日目。

2015年04月26日 | Weblog
 別に毎日が楽しいわけじゃない。
 心はいつもブルーだし、何をしても心から満足できない自分がいる。
 他人に言われるのは常にこうだ、「なんか毎日充実していて楽しそうだね」。

 んなわけ、ねえだろ。
 人生に不満たらたらで、毎日毎日、心の中で凄まじい葛藤が渦巻いているからこそ、人生の短さやいつかやってくる死というものを意識しているからこそ、いまこの瞬間をなんとか生きてやろうと必死こいてるんじゃねーか。

 なんてことを考えているうちに、今日は4月26日日曜日。
 今日も朝から晴れ渡っている。

 昨日の夜は、西村賢太の芥川賞受賞作「苦役列車」を映画化した山下敦弘監督と前田敦子が再びタッグを組んだ「もらとりあむタマ子」を観る。
 大学を卒業したのに、就職をせずに甲府の実家で電気屋を営んでいる父親の元に転がり込み、毎日をダラダラと目的も無く暮らしている23歳女性の日常を描いている。

 山下敦弘独特のゆったりとした流れが映画全体を包んでいて、前田敦子が、自堕落な日々を過ごしながらも心に焦りを抱く23歳の女性を上手に演じている。
 上映時間も1時間10数分とかなり短い。
 ミュージシャンの鈴木慶一がいい味を出していて、名前は知らないけれど近所の写真屋の息子役を演じている男の子の演技が抜群に巧い!

 日曜日も、朝から映画館で見逃していた映画や撮り溜めしていたTVドラマを立て続けに観まくる。
 高畑勲監督によるスタジオジブリ制作のアニメ映画「かぐや姫の物語」、漫画は全巻読んだけれど映画はまだだった「寄生獣」、全米ドラマ「エクスタント」第4話、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」(吉田松陰がいよいよ江戸幕府に引き渡されるという佳境に突入)を続けて観る。

 お昼は「冷やしそうめん」。
 食べ終えて、外を走ることに。
 「ウォークマン」を装着してスイッチを入れたのだが、まったくウンともスンとも言わないではないか。

 またかよ、ソニー!
 これでウォークマン、5台ダメになったじゃん! 
 あまりにも壊れ過ぎ!

 仕方がないので、ウォークマンで音楽を聴きながら走るのを諦め、天気のいい外に出て、「合浦公園」までの往復約10キロをランニングすることに。

 海に出たら、大型豪華客船「クリスタルシンフォニー」が青森港に停泊していた。
 その巨船を横に眺めながら海沿いを合浦公園に向かってひたすら走る。
 西からの風が強い。
 湾岸道路沿いに咲いている桜がすっかり葉桜に変わっている。

 合浦公園の西口から園内へと入る。
 多くの花見客がシートを敷いて宴会を繰り広げていた。大音響でカラオケが流れ、缶ビールを飲みながら大声で笑いあっている。
 それでも、ここも既に桜の花は散り始めていて、メインストリート沿いの桜の大半はもう葉桜だ。

 東門でUターンして、また海沿いに出る。
 浅虫温泉の辺り、真っ白い帆をあげたヨットが何艘も海原を滑っていて、空を見上げたら青い空が一面どこまでも広がっていた。

 走り終えて家に帰ったら午後の3時半過ぎ。
 シャワーを浴びて着替え、冷たい水を飲んで、音楽を聴く。

 鈴木雅之の「オールタイム・ベスト~Martini Dictionary~」。
 4枚組の大作である。
 「シャネルズ」から「ラッツ&スター」、それから鈴木雅之ソロ名義のそれぞれヒット曲を、アルバムとしてまとめたものだ。

 このアルバムの超目玉は、なんと言ってもDisc4「レアトラック・未発表ライブトラックス」だろう。
 「シャネルズwith大瀧詠一」による「クリスマス音頭」と、同じく「シャネルズwith大瀧詠一」による「Who Put The Bomp “In The Bomp Bomp Bomp”」は、かなり貴重なレアトラックだ。
 大瀧詠一との絡み音源は、すこぶる貴重なストックとなる。

 この大変貴重なDisc4が入っているのは、「オールタイム・ベスト~Martini Dictionary~」初回限定盤だけ。
 なので、買うなら是非「オールタイム・ベスト~Martini Dictionary~」初回限定盤を!









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西村賢太の最新短編小説集、「無銭横町」を読む。確かに一気に読めちゃう面白さはあるけれど・・・。

2015年03月28日 | Weblog
 無頼派、破滅派の作家、西村賢太の最新短編小説集が出た。
 当然、買うことに。

 西村賢太の私小説は、とにかくすべて読んできた。
 何冊か出ている随筆というかエッセイ集だけは、まだ読んでいない本も何冊かあるけれど・・・。

 最初に読んだ小説は、映画にもなった「苦役列車」だった。
 芥川賞受賞作品だったからだ。
 ここからハマった、西村賢太。とにかく読み漁った。

 「どうで死ぬ身の一踊り」、「暗渠の宿」、「二度はゆけぬ町の地図」、「小銭をかぞえる」、「瘡瘢旅行」、「人もいない春」、「寒灯」、「棺に跨がる」、「歪んだ忌日」、そして今作の「無銭横町」・・・。
 出版されるたびに読み続けてきた。

 とにかく面白かった。
 というか、私小説である以上、自らの裸体を大衆の面前に晒しているわけで、書き手にしても相当の覚悟がいるはずだ。

 あらゆる自分自身を、恥も外聞もなく、全部曝け出さなくてはならないのである。
 これは腹を括って小説を書かなければならない。まあ、別に私小説作家じゃなくたって、プロの作家たるもの、絶えず覚悟と矜持をもって常々書き続けてはいるんでしょうけど・・・。

 西村賢太の小説を読んだことがある人間は多いと思う。
 なので、あえて彼の詳細なプロフィールまではここで書かないけれど、凄まじい人生を送ってきたといっていい。
 筆舌に尽くし難い波乱の人生だったと思う。

 西村賢太は、それを書く。
 これまで生きてきた、その断片を、短編というかたちで書き綴る。
 金で女を買うこと、風俗に入り浸ること、自慰にふけること、癇癪もちであること、ええ格好しいであること、プライドが異常に高いこと、貧困生活のこと、借金を踏み倒し続けてきたこと・・・。

 西村賢太は、形振り構わず恥を書き綴る。自らの人生を書き綴る。
 ここが凄い。潔い。

 ただ、ちょっとここに来て、西村賢太、マンネリ気味だ。
 そりゃあ、私小説というその限界もあるだろう。エピソードだって、それほど潤沢にストックがあるわけじゃないだろうし。
 仕方ないのかな、とも思っている。

 最新作である「無銭横町」は、6編の短編で成立している。
 「菰を被りて夏を待つ」、「邪煙の充ちゆく」、「朧夜」、「酒と酒の合間に」、「貫多、激怒す――または『或る中年男の独言』」、そして最後が表題にもなっている「無銭横町」。

 この中で一番面白く読んだのは、「邪煙の充ちゆく」である。
 これまでも発表してきた、あの秋恵シリーズだ。

 秋恵シリーズというのは、西村賢太(小説の中では北町貫多)と数年間に亘って同棲生活を送った女性のことである。
 この女性との同棲生活を綴った短編小説が、西村賢太には数多くあって、これが突出して面白い(面白いという表現は、修羅場にいた2人に対して大変失礼かもしれない。しれないけれど、この表現しか思い浮かばない)。

 今までの秋恵シリーズを読んでゆくと、いずれ秋恵には別の男性が出来て、西村賢太(小説の中では北町貫多)は凄まじい裏切りに遭遇することが分かって来る。
 なので、こちらとしては、その別離に至る、第三の男が絡む辺りを丹念に綴った小説が読みたいのだけれど、中々その時期のものが少ない。
 そこが不満で仕方ない。

 「邪煙の充ちゆく」は、ヘビー・スモーカーの西村賢太(小説の中では北町貫多)と同棲相手の秋恵とのちょっとした諍いから、秋恵の過去の男性の存在を意識するという内容なのだけれど、最初から最後まで一気に読ませる。

 やっぱり秋恵シリーズって、他の短編と比べて一味違う面白さがある。











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西村賢太の最新小説「歪んだ忌日」を読んだ。ここから彼の壮絶な私小説は新展開を迎えるのか?

2013年07月24日 | Weblog
 西村賢太は、ずっと追いかけていきたい小説家の一人である。

 最近は少し西村賢太の小説自体がマンネリ気味で(ネタ切れ?)、同じような展開を何度も繰り返しているので、早く、芥川賞受賞後の生活だとか、同棲相手であった秋恵との破局後の顛末とかを読みたかった。

 そういう意味では読者もまたかなりいい加減なもので、「他人の不幸は自分の幸せ」とまでは行かなくても、怖いもの見たさ、他人の私生活の覗き見たさ、みたいな部分が隠しきれず、次なる展開(西村賢太の波乱万丈なる私生活)を知りたい気持ちが強くなってしまう。
 困ったものだ。

 そんな時、いきなり西村賢太の最新作が本屋さんの店頭に並んでいたので、嬉しい驚きと期待を持って直ぐに買い求め、ちょうど出張だったこともあって、東京行きの新幹線の行き帰りで一気に読んでしまった。

 ほんと、西村賢太の小説って、すらすら読めてしまうから不思議だ。
 西村賢太の文体ってすごく硬いし、難しい漢字を小説の中でかなり多用しているので読みにくいはずなのに、何故かすらすらと最後まで一気に読めるのである。
 まあ、面白いからなんでしょうが。

 西村賢太は東京都江戸川区生れで中卒、「暗渠の宿」で野間文芸新人賞を受賞し、2011年にあの「苦役列車」で芥川賞を受賞した。
 彼の小説は全部読んだ。
 すべてが私小説である。本当に身の周りで起こったことを書いている。
 とにかく面白い(こういう言い方は失礼かもしれないが仕方ない)。滅法面白い。

 「どうで死ぬ身の一踊り」、「二度はゆけぬ町の地図」、「小銭をかぞえる」、「廃疾かかえて」も面白かったし、「人もいない春」、「寒灯」、そして最近出版された「棺に跨がる」も読んだ。
 「西村賢太対話集」、「随筆集 一日」、「一私小説書きの日乗」などのエッセイや対談集もあるが、「西村賢太対話集」だけはまだ読んでいない。
 ということは、この対談集以外はすべて読破したということになる。

 とにかく、無様(ぶざま)なのだ。
 無残で、陰険で、気が弱く、そうかというと最愛の女性(同棲していた「秋恵」というひと)に対して、あまりにも酷い罵倒を浴びせ、その果てに殴る蹴るの暴力をふるう。
 そして、飽くなき性への渇望。風俗通いが止まらず、ソープ嬢に金を巻き上げられたこともあった。
 そういう凄まじい人生を送っている。
 
 今作の「歪んだ忌日」は、ついに、それまでまったくの没交渉だった母親からの手紙に心揺らされる貫多(西村賢太=貫多)が登場するし、43歳で芥川賞を受賞した後の、それでも様々な悩ましい出来事に遭遇する主人公の、苛立ちと憤怒が綴られてゆく。
 そんな私小説が六篇、「歪んだ忌日」には収められているのだ。
 新展開である。

 いやあ、今回も西村賢太は凄まじい。

 古本市に出回った、師と仰ぐ大正期の作家藤澤清造の肉筆原稿を入札しようと奔走する、芥川賞受賞後の生活を描いた一篇。
 それから、秋恵との同棲シリーズもある。
 ベンチを購入してマンションのベランダに置き、2人それに座って幸せを噛み締めていたのだが、ふと干してあった洗濯物の秋恵のショーツに付着している黄色いしみを見つけ、それが原因で大喧嘩となり、殴る蹴るの暴力へと発展する一篇と、マンションから出て行った秋恵への想いが絶ち切れず、買淫し、その女の股の臭さにドン引きして不能に陥るという一篇だ。

 苦笑いしてしまうような、泣きたくなるような、切なくなるような、胸が苦しくなるような、そんな短編小説で「歪んだ忌日」は占められている。
 そして、秋恵と別れたのちの話と、芥川賞受賞後に起こった話が、今作における新機軸ということになるのだろうか。
 これを個人的には待っていた。

 中でも、芥川賞を受賞してから、突然それまでまったく音信不通となっていた母親から手紙と写真が届くという一篇と、芥川賞受賞後に行った、師と没後弟子を自称する貫多とを繋ぐ「清造忌」にまつわる一篇が、秀抜である。
 
 ところが、アマゾン内「歪んだ忌日」での読者書評が、すこぶる不評なのだ。
 これまでの狂気や異様な迫力が無くなってしまったと嘆く者、作家として終わったと酷評する者など、「歪んだ忌日」を批判する読者で続出していた。
 これは少し意外だった。

 確かに、尻切れトンボに終わった一篇とか、いきなりバサッと終了してしまう中途半端な一篇もあるけれど、この怨念と怒りと滑稽さは今の日本文学にとって貴重だと思う。

 ワンパターンな一面もないではないけれど・・・。








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広末涼子「スターマン~この星の恋~」江角マキコ「ショムニ2013」、ブラームスとシベリウス。

2013年07月14日 | Weblog
 土曜日、夕方4時50分台の東京駅発新青森駅着東北新幹線に乗り込む。

 シートに凭(もた)れて、西村賢太の新刊「歪んだ忌日」を読み、それを読み終えるとパソコンでストーンズの「シャイン・ア・ライト」を観る。
 その合間、車窓の外に広がる、夕暮れの街や田圃や山並みをぼんやりと眺めていた。

 夜の8時過ぎ、新青森駅に降り立ったら、気持ちいい夜風が吹き抜ける。
 まるで、天然の清々しいクーラーみたいだ。東京のくすんだ空気とはまるで違っている。暑くもなく、かといって涼しいというわけでもない。ちょうどいい自然の温度調節。
 今の季節だけは、青森の勝ちっ。

 現青森駅に降りて、家まで帰る。
 お腹が空いていたので、家に帰って「ピザハット」でピザを注文した。
 「特うまプルコギ」と厚切りイベリコ豚をトッピングした「夏の贅沢グルメ4」と茄子と特性ベーコンのガーリックトマトパスタ。
 冷えた地ビール「奥入瀬ビール」を冷蔵庫から出して、それを飲みながらピザを頬張った。

 今日も「楽天」が勝ったので、気分がいい。
 なんと、首位キープである。いつまで持つんだろうか。

 広末涼子主演のドラマ「スターマン~この星の恋~」を観て、江角マキコ主演の「ショムニ2013」を観る。
 「スターマン~この星の恋~」は、話題の「あまちゃん」から福士蒼汰が出ているし、ドラマの背景はいつも富士山だし、少し強引な展開ではあるものの滑り出しとしては好調だと思う。

 江角マキコ主演の「ショムニ2013」は、まあこんなもんでしょ。
 って、別に批判しているわけじゃなくて、前作のテイストを上手に引き継いでいる。前作のメンバーたちもカメオしゅ出演しているし。
 笑わせながらも、企業・組織の悪しき風土を批判している所がこのドラマの魅力でもある。

 日曜日は朝から曇っている。
 窓を開けると、涼しい風が入ってきて、東京とは天国と地獄の感がする。

 アマゾンから届いた、UKソウル・シンガー、D・C・リーの「シングス・ウィル・ビー・スウィーター」を聴きながらパソコンに向かう。
 D・C・リーは、「スタイル・カウンシル」のポール・ウェラーの奥様だった人でスタカンにも途中から加入しており、ソロでもオーソドックスなUKソウルを聴かせてくれる。
 これも実にいいアルバムだ。

 午後からは授業。
 今日は日曜日なので「まちなかラボ」が休み。先生と協議して、中心市街地の某カフェの一角を使って、2コマの「フィールド・リサーチ特論」の講義を受けることに。
 今日と明日、連続しての講義なので、完全に3連休は潰れてしまった。仕方がない。

 来週末も集中講義、8月も土日を含めて一日数コマ連続しての講義が待っている。前期のレポート提出も迫っているし、宿題もかなり残っている。修士論文も秋までには完璧に仕上げなければならない。そのための読むべき文献がたくさんあってまだほとんど読んでいない。12月は小説の締め切りだし、先週は、10月に開催される「弘前あっぷるマラソン」フルマラソンの申し込みを終え、11月には東京「世田谷マラソン」のハーフもあるし。

 でも、すべてを差し置いてでも最優先すべきは、小説である。
 なんとしてもここから脱出すべく、そのためには書くしかない。仕上げるしかない。作品として完成させるしかない。世に出すしかない。

 3時間の講義が終わって、何処にも寄らずに帰宅する。
 「『小澤征爾さんと、音楽について話をする』で聴いたクラシック」を聴きながら、パソコンと睨めっこ。
 今日はCDの二枚目を聴く。
 「カーネギー・ホールのブラームス」と「カラヤンのシベリウス」。それから「バーンスタインの火の鳥」と「小澤征爾の≪カルミナ・ブラーナ」」。

 朝、屋上に干しておいたベッドの敷布団を部屋へと取り込み、ゴミ袋に燃えるゴミを入れて一階の玄関先に並べ(明日の朝はゴミ出しの日で今夜9時過ぎには集積場所の鍵が開くのだ)、机を雑巾がけし、散らかった本を綺麗に並び替え、缶ビールを袋に入れ、掃除機をかけて、部屋の整理整頓をする。
 叶うなら、何日掛かっても、要らなくなったもの、不必要なものは全部この際思い切って捨ててしまいたいけれど・・・。

 それにしても、シベリウスはいい。
 交響曲第5番変ホ長調、作品82から第3楽章。

 まだまだいっぱいあるな。未だに知らない、そして知り得ないこと。
 あとどれくらい新しい何かをこの先発見出来るんだろ、おれ。









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GW③ 10キロラン、西村賢太「棺に跨る」、工藤千夏「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」

2013年04月28日 | Weblog
 2013年4月28日日曜日、晴れ。ゴールデン・ウイーク2日目。

 やっと昨日の夜で村上春樹の新作小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み終える。
 喪失の物語、そして再生の物語である。

 日曜日は午前8時に起床。
 パンと果物がたっぷり入れたヨーグルト、それにベーコンと目玉焼き、珈琲。

 終わって、ランニング。
 5月12日の「八戸うみねこマラソン」にエントリーしているので、練習を兼ねて10キロ走る。

 風が冷たい。
 西風が強くて、行きはよかったのだが帰りは逆風で辛かった。
 Uターンする「合浦公園」の桜はまだ蕾状態。出店はそれなりに人出があったけれど、桜の下で宴会を楽しむ人は疎らだった。
 午前中ということもあったかも。

 約10キロ走って、シャワーを浴びて、北野たけし監督の「アウトレイジ ビヨンド」をDVDで観る。
 映画館で見逃していたものだ。
 やはり面白い。
 でも前作の方が上か。

 寝転がって、西村賢太の新作小説「棺に跨る」を読む。
 主人公である貫多シリーズ、その同棲相手『秋恵』が絡んだシリーズである。この「秋江」シリーズが彼の私小説の中で一番面白い。

 夕方からは工藤千夏演出による「ひろさきのあゆみ~一人芝居版」を観るために、いつも走っているコース上にある「シアター」まで自転車を漕ぐ。

 寒い。
 風が冷たく、片手をジーパンに突っ込んで、肩をすぼめて何とか辿り着いた。
 夕方4時からの最終回。
 ひとりの女性の一生を、独り芝居の形で綴ってゆくものなのだが、予定調和で平坦過ぎなくもない。もうひと押し欲しかった。

 夕暮れまじかの日曜日の街を、自転車に乗って帰る。
 明日は29日。ゴールデン・ウイーク前半戦が終了する。








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西村賢太「棺に跨る」

2013年04月08日 | Weblog
 西村賢太の最新私小説集、「棺に跨る」を読み始める。

 彼の同棲相手との顛末を綴った、いわゆる「秋恵」シリーズの最新作である。
 この私小説連作集が一番面白い・・・って、人の修羅場を読んで楽しんでもしょうがないのだけれど・・・。








 

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私小説作家、西村賢太の随筆集「一日(いちじつ)」を読む。

2012年08月30日 | Weblog
 西村賢太の私小説を初めて読んだのは、芥川賞を受賞した「苦役列車」だった。

 その小説「苦役列車」は映画化され、公開された。
 監督が、「マイ・バック・ページ」の山下敦弘。主演が「モテキ」の森山未來、そして高良健吾と「AKB48」の前田敦子。

 ネットやマスコミでは、映画「苦役列車」が大コケしたことを連日取り上げられ、「AKB48」の前田敦子が出演するテレビと映画のそのいずれもが、低い観客動員数と視聴率低迷に陥ったことを盛んに煽っていた。

 確かに、前田敦子が主演した「花ざかりの君たちへ~イケメン☆パラダイス~2011」(フジテレビ)も低視聴率だったし、ベストセラーを映画化した「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」も惨敗だった。
 そして、西村賢太の私小説を映画化した今回の「苦役列車」もまた苦戦を強いられた。
 でも、今回の映画がコケたことで、前田敦子に責任はないと思う。これは少しバッシングのし過ぎだろう。

 それよりも、今回の映画化にあたってまず吃驚(びっくり)したのは、原作者である西村賢太自身が、なんと自作の「苦役列車」を大批判していることである。
 それが原因で、初日の舞台あいさつで、作家の西村賢太と監督の山下敦弘の2人がほとんど互いの目を合わせなかったと書いた記事さえあった。

 そういう僕は、これまで書かれた西村賢太の私小説のほとんどを読み漁って来たといっていい。
 「苦役列車」を取っ掛かりとして、その前に発表されていた文庫も含め、ほとんど全部読んで来た。
 それほど、この凄まじい生き方をしてきた私小説家にハマってしまったのである。

 西村賢太の父親は、彼が小説の中でも書いているように、零細企業を営んでいた時期に性犯罪を引き起こして警察に捕まっている。
 その事件が原因で両親は離婚し、彼と姉は母親と一緒に様々な場所を流転することとなり、結局、西村賢太は中学を出たあと高校へは進学せずに自活を余儀なくされ、三畳一間のアパート生活を送りながら日雇いの仕事を転々としてゆくのである。

 私小説の中にも詳しく書かれてあるが、家賃を何度も踏み倒し、風俗通いに明け暮れ、友人からも金を借り続け、酔っぱらった末に2度の暴力事件を起こして警察に捕まってしまう。彼はかなりの酒を飲むようだ。

 これらの荒れた生活の模様と、素人女性と恋に落ち、彼女と同棲生活を始める顛末を彼は克明に、そして詳細に私小説として綴ってゆく。
 これがすこぶる面白いのだ。他人の不幸話で本当に申し訳ないのだけれど。

 赤裸々に描かれてゆく私生活の様子が凄い。
 今は別れてしまったという(小説の中でもそう書いてある)彼女から、抗議とか、名誉棄損で訴えられたりしないのだろうか。それが心配になる。
 余りにも生々しいのである。
 ただし、書いている本人は、微妙に女性の年齢や容姿を変えて表現することで、そういう問題を出来る限り回避しているようではあるけれど・・・。
 
 そんな、無頼派というか破滅派というか(今やそんな言葉は死語化しておりますが)、凄まじい人生を送ってきた西村賢太が、「笑っていいとも!」や「ネプリーグ」とかのテレビのバラエティ番組に頻繁に出るようになったのには驚いた。

 西村賢太は芸能プロの「ワタナベプロダクション」に所属したらしい。
 まあ、スケジュール管理から日々の日程調整まで、1人でこなすのは大変だろうとは思うけれど、それにしても芸能プロとは・・・。
 どうりで最近テレビに顔を出す筈である。やっと理解できた。

 その西村賢太による第二作目となるエッセー、随筆集「一日(いちじつ)」が出たので早速読んでみた。
 ここでは、芥川賞を獲る前後からその後に到るまでの、彼の周りで起こった出来事とか文学に関連する事など、文芸雑誌や新聞等に発表した雑文を様々綴っている。

 そしてここに、確固として揺るぎ無い「西村賢太」がいる。
 粗暴で、嫉妬心と猜疑心の塊で、小心者で、女好きで、大正時代の作家である藤澤清造を心から慕っている一人の男がいる。
 因みに、藤澤清造は貧困の果てに厳冬の公園で狂凍死している。

 やっぱり面白いのだ、西村賢太は。
 「一日」の後半部分に書かれている「色慾譚」なんて凄過ぎる。
 ここまで赤裸々に書いていいのか、あんたは!

 作家が、頻繁にテレビに出ようがほかで何をしようが、そんなことは表面的な事でしかないし、素晴らしい傑作を書いてくれさえしたら読者としてこれ以上の幸福はない。

 とにかく早く読みたいのだ、同棲生活破綻後のリアルな人生模様を。
 心を掻き毟られるくらいに鋭利な刃で、読む側の人間をずたずたにして欲しい。ただ、それだけだ。





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なんか、ちょっとワンパターンになってきた気もするなあ。西村賢太の最新小説集「寒灯」。

2011年07月26日 | Weblog
 まず、新刊の帯を読んで、思わず笑ってしまった。
【「その了見が慊いよ。大きに、慊いよ」貫多の忿懣爆発する、芥川賞受賞後第一作品集】と書いてあったからだ。

 西村賢太は小説の中で、この「慊い(あきたらない)」という言葉を頻繁に使うので、別に深い意味はないのだけれど、思わず笑みが零れてしまったのだ。
 慊い・あきたらないとは、満足できない、飽き足りないという意味だ。
 わざわざ、こういう難しい漢字に置き換えて表現するところが、何となく微笑ましいのである。

 西村賢太の最新小説集「寒灯」は、少し前にこのブログで紹介した雑誌「新潮」に掲載された短編小説「寒灯」を含む、連作小説集である。
 つまり、彼が約一年間に渡って同棲していた「秋恵」という女性との赤裸々な生活を綴ったシリーズ最新作ということになる。

表題作の「寒灯」は、つい先日もこのブログで書いたのでここでは省略する。
続く「肩先に花の香りを残す人」も、「腐泥の果実」も、とにかく同棲相手である秋恵との、凄まじいまでの喧嘩が滑稽かつ哀しげに描かれている。

 その点に関しては、これまでの「秋恵」シリーズと同じパターンを踏襲しているといえるだろう。
 誰かが、水戸黄門の印籠と同じだと評論していたけれど、余りにも壮絶な口喧嘩(殴る、蹴るの暴力もあるのだが)の果てに、いつものように仲直りをして、2人がまた普段の生活に戻ってゆくという起承転結の繰り返しなので、読んでいて少し飽きてしまう。

 ただし、最後の短編、「腐泥の果実」だけは次への飛躍が期待出来そうで、無性に次作が読みたくなってしまった。
 なんだかんだ言っても、この小説家には強く惹きつけられてしまう大きな魅力が備わっている。

 「腐泥の果実」では、同棲相手の秋恵が、アルバイト先の男性と主人公の目を忍んで恋愛関係に陥る事実を、さり気なく示唆する。
 もちろん、これまでも、西村賢太はその小説の中で、ちらっとそういうニュアンスの事を漏らしていたのである程度は知ってはいたのだが、今回のラストでは破局へと繋がる匂いを十二分に撒き散らしていて、次ではその真相が詳しく語られるのではないかと、胸が膨らむのだ。

 某新聞のインタビューで、「ここまでプライバシーを執拗に曝け出して、秋恵さん(もちろん仮名でしょう)から、抗議はこないんでしょうか」という問い掛けに、西村賢太は「一度も抗議は来ていない」と答えていたけれど、もしそれが本当なら、この秋恵という女性、よく出来たひとだと感心する。

 だって、ここまで赤裸々に私生活を書かれるのだ、普通なら訴えてもおかしくないのではないか。
 性生活から、痴話喧嘩、彼女の両親とその家族、ありとあらゆる部分を克明に書き連ねているのだ、怒って当然ではないだろうか。

 何度も言うが、はっきり言って西村賢太の最新小説集「寒灯」はワンパターンの蟻地獄に陥っている。
 ただし、光明も見えている。
 それは、秋恵との辛い別れと、それに並行するように生まれる(はずの)西村賢太の激しいまでの憎悪と無念と嫉妬と悲しみを、一読者としては読みたいという事だ。
 「腐泥の果実」にはその兆しが見える。

 読者って非情だよね・・・。
 他人の不幸は蜜の味・・・。






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「西村賢太」の芥川賞受賞後の第一作、「寒灯」を読んだ。

2011年05月28日 | Weblog
 とにかく、西村賢太のこれまで書かれて来た私小説については、本屋さんで見つけてせっせと買い求め、ほとんどの作品をその日のうちに読み通してきた。

 私小説というくらいなので、書かれているその内容はほぼ事実なのだろう。
 悲惨極まりない。
 恥ずかしくなって、赤面してしまうことさえある。

 では何故、赤面してしまうのか? 何故、西村賢太の小説を読んで恥ずかしいと感じるのか?
 それは、そこに自分自身を投影するからだ。

 それは別に、西村賢太がぐでんぐでんに酔っぱらい、見知らぬ人間と路上で大喧嘩をして、翌日気がついたら真っ裸にされ公園の隅っこで倒れていたのを警察に保護されたことからではない。
 あるいはまた、西村賢太が風俗に勤める女性にのぼせ上り、頻繁に通い詰め、高級ブランド品を贈りまくり、せっせと肉体労働で稼いだ金をすべて風俗嬢に使い果たし、何百万円も騙し取られて、結局振られてしまったことでもない。

 それから、母親や姉に借金しまくり、三畳間のアパートを転々と移り、ほとんどの家賃を踏み倒したからでも、アルバイト仲間の一人が首都圏近郊の郵便局に勤めた事を知った西村賢太が、突然その郵便局に出向いて彼を呼び出し、一万円をむしり取ったからでもない。

 その無礼極まる行為、滑稽で間抜けで救い難いまでの行状、人生に対する無念や怨念や諦めや、他人に抱くコンプレックスや嫉妬や憎しみや卑下や、女への凄まじいまでの愛憎や性への執着や依存が、程度の差こそあれ、読んでいるこちら側にまでひしひしと痛いくらいに突き刺さってくるからなのだ。

 誰だって、舌を噛み切りたくなるほどの屈辱や恥ずかしさ、笑ってしまうほどの耐えがたい過去の鈍痛を背負って生きている。
 ただし、そんなことは親しい人間にさえ明かせず、自分の中で封印してしまう事を自らに課している、ただそれだけのことなのである。

 西村賢太は、自分の恥部をおおやけに晒すことで、辛うじて自分自身を保っている。
 そういう気持ちの100分の1ぐらいは、馬鹿な自分にもよく分かる。

 今回の、西村賢太芥川賞受賞後の第一作、「寒灯」もまた、これまで何度も書かれて来た「秋恵」と「貫多」の悲惨で滑稽な同棲生活を綴ってゆく。
 この一連の同棲シリーズが、とにかく滅茶苦茶面白い(他人の不幸を笑っているようで申し訳ないけれど)。

 今回は、年の瀬の2人に纏わるちょっとしたエピソードである。
 やっと手に入れた恋人、秋恵との同棲生活。
 夕食の合間に、秋恵から「年末年始に独りで実家に帰りたい」との提案を受けた貫多が、離れたくないとの思いから「実家に帰るのは認めない」と怒り出し、いつもの壮絶な喧嘩が繰り広げられてゆくという短編私小説である。

 西村賢太は、よく食べ物の描写をその小説の中に導入する。
 これがまた巧い。
 今回の「寒灯」には、カレーとお蕎麦が出てくる。
 そして、この二つが小説そのもののいい隠し味になっている。

 2人の喧嘩の掛け合いが今作もまた凄まじく、何とも言えない複雑な気分に陥ってしまう・・・。
 しかしながら、最近の西村賢太の小説、ちょっとワンパターン化してきたようにも思うので、秋恵と貫多の破局前後のエピソードを早く読ませてもらいたいものだ。

 別の小説の中で、西村賢太は、秋恵との度重なる喧嘩で暴力沙汰を起こし、やがて秋恵に別の男性が現れることを予感させていた。
 別れ話のエピソードはこれまでも読んだけれど、その後を描いた小説はまだないのではないか。

 その辺りの顛末を是非読みたいのである。
 ・・・って、こういうリクエストも、ちょっとなんなんですが・・・。





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「週刊プロレス」鈴木みのる発言、「ねぶたの家ワ・ラッセ」10万人突破、西村賢太「小銭をかぞえる」。

2011年05月15日 | Weblog
 日曜日。
 今日も仕事が待っている。
 朝は曇り空だったけれど、昼近くから晴れ間も広がりいい天気。

 スーツに着替えて、仕事に向かう。
 太陽が降り注ぐ穏やかな街中を白いワイシャツにネクタイ姿の男が独り歩く姿は、完全に周りと浮き上がっていた。

 青森駅周辺は、かなり賑わっている。
 キャリーバッグを持った旅行客も見受けられた。
 青森駅、「ねぶたの家ワ・ラッセ」、「A-ファクトリー」、「メモリアル・シップ八甲田丸」、「青森県観光物産館アスパム」、そして海沿いの散策路、天気がいいこともあるのか、中高年や若いカップル、それから子ども連れ、遠方から来たらしい高校生らの団体がそれぞれウォーターフロント周辺を回遊している。

 「ねぶたの家ワ・ラッセ」も多くの人々で混雑していた。
 今日、このままの来場者数で推移すると、午後には10万人を超えるらしいということで、10万人目の栄えある観客をカウントしようとスタッフたちとずっと待ち構える。
 各局のテレビ・クルーたちもその場を映そうと、早くから待機している。
 10万人目のカップルで来場したお客様を確認して、記念品の贈呈、そしてTVインタビュー。
 
 それが終わって、次の打ち合わせ場所である、某複合施設へと向かった。
 でも約束の時間まであと約30分ある。
 なので、ぶらりとすぐ目の前の海を歩いた。
 
 青森港の最先端。
 360度、パノラマ状態。
 空気が澄んでいる。
 向かって右前方の下北半島、左前方の津軽半島、そこから180度回ると山頂に少しだけ雪を被った八甲田連峰、そして身体をまた右手にずらすと、遠くに今度は津軽富士の岩木山。
 風景が、くっきりと、しかも鮮やかな色彩を伴って浮かび上がっている。
 
 その景色を糧に、辛い打ち合わせ場所へと向かった。
 約1時間の打ち合わせ。重くて、辛くて、気の滅入るような打ち合わせ・・・。
 気落ちしながら外に出ると、まだ青空はそこにあった。
 何もなかったかのように、悠然と、美しく、そこに青空は広がっていた。

 本屋さんに入る。
 「週刊プロレス」を捲った。
 「プロレスリング・ノア」の「東京・有明コロシアム」で行われた「GREAT VOYAGE 2011 in TOKYO vol.2」での「GHCヘビー級選手権」王者である杉浦貴と、挑戦者である鈴木みのるとの試合が載っていた。

 敗者の鈴木みのるのコメントが、またまた泣かせる。
 震災被災地での出来事を、乱暴で無愛想ではあるけれど、深くて愛に満ちた言葉で語ってゆく。前もそうだった。
 また泣きそうになってしまった(グッと堪えて泣かなかったけど)。

 外に出た。
 日曜の午後の憂鬱が襲って来た。
 まだ陽は出ているけれど、家に帰って、「レディオ・ヘッド」の「KID A」をパソコンで聴きながらキーボードを打った。

 それを終えて、昨日、駅前の本屋さんで買い求めた西村賢太の文春文庫「小銭をかぞえる」を読む。
 二編の短編、表題の「小銭をかぞえる」と「焼却炉行き赤ん坊」を一気に読み終えた。
 巻末で作家の町田康が『激烈に面白い』と書いていたけれど、ワンパターンではあるものの、確かに激烈な面白さ。

 「小銭をかぞえる」の文庫本の帯がまた凄い。
 『この【最低】の男を見よ!』

 この男は、誤解を恐れずに言い切れば、「あなた」であり「わたし」である。
 今作もまた、同棲相手である女性との、壮絶で、暴力的で、余りにも哀しいエピソードが綴られてゆく・・・。

 町田康はこうも書く。
 「疼痛のような、小便を我慢しているような悲しみを感じさせる」と。

 人間なんてどうしようもない生き物なのだ。





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西村賢太の新刊「廃疾(はいしつ)かかえて」を読む。確かに偉大なワンパターンではあるけれど・・・。

2011年05月10日 | Weblog
 西村賢太の私小説は、どれもみな一応に面白いけれど、特に「秋恵もの」がダントツで群を抜いている。
 圧倒的に面白い。

 とにかくリアルで、とても悲惨な話ではあるのだが、どこか滑稽でユーモアがあり、最後まで一気に読んでしまうのである。
 まあ、ぶっちゃけ、同棲相手との痴話げんか、他愛のない口論、犬も食わない言い合いなのだが、読んでいるうちに妙に哀しくなり、自分自身を振り返ってしまうのだ。

 ここには、誰にでもある、誰もが経験済みな、見覚えのある光景が描写されている。もちろん、ひとそれぞれだから程度問題もあるだろう。
 でも、人間誰もが抱えている、ひとには言えない恥ずかしくも愚かな秘密・・・それらを西村賢太は引っ剥がし、白日のもとに晒してゆく。
 「みんな似たり寄ったりの愚か者じゃねえか!」そう叫んでいるようにも見える。

 「秋恵もの」とは(別にそういう特定したジャンル分けがあるのではなくて、勝手に私がそう呼んでいるだけですが)、西村賢太が一時期同棲していた女性が「秋恵」という名前で語られていて、私小説の中でその一部始終が克明に綴られてゆくのである。

 私小説に登場する秋恵(さん)は、一重瞼で、さして美人とも呼べず、少々ドン臭く描かれている。実際の彼女はよく分かりませんが・・・。
 スーパーのレジ打ちをしながら西村賢太(小説の中では「貫多」という名の主人公。たまに一人称で書かれることもある)の自堕落な生活を支える、とても一途で健気な女性でもある。

 彼女は西村賢太の私小説の中で、東北の大学を卒業していて、大学の同級生との恋愛から、就職が横浜だった男性を追って上京し、その彼と一時同棲生活を送っていたとも描かれている。
 そのことから、西村賢太、いわゆる「貫多」は異様なまでの嫉妬と妄想に囚われ、中卒だとのコンプレックスもあって、彼女に対しても間逆の行動を取ってしまう。

 そしてそこに、彼の異常な暴力行為、セックスへのねちっこいほどの確執、プライド、執着などが絡まって、彼女に対する執拗な責めと罵倒が生まれてゆく・・・。

 今回の新潮文庫から出された小説集「廃疾(はいしつ)かかえて」は、大学時代の女ともだちに多額の金を貸していた同棲相手の秋恵と、それにまつわる主人公との諍(いさか)いを描いた一編と、大正期の無頼派作家で、冬の東京で狂死した藤澤清造の弟子を辞任している貫多が、彼に関する貴重な雑誌を買い求めるために、地方へと向う際に同行を渋る秋恵との顛末を描いた「瘡瘢旅行」などで構成されている。

 いずれも短編小説で、あっという間に読み終えることが出来る。
 ちなみに廃疾(はいしつ)とは、治ることのない、生涯に渡って付き合うことになる不治の病のことである。

 西村賢太の持つ、癇癪(かんしゃく)、突然の暴力、異常なセックス欲、嫉妬と妄想、卑屈とコンプレックス、自己愛、プライドと偏見、藤澤清造への固執・・・これらが、彼の生い立ちとリンクして、二倍にも三倍にも大きく膨れ上がってゆく。

 それにしても、実物の秋恵(さん)って、今どこで何をしているのだろう?
 西村賢太が芥川賞を受賞して、一躍時代の寵児にまで登り詰め、これまでの極貧生活から印税で多くの財をなし(そこは単なる想像ですが)、マスコミに持てはやされ、何冊もの小説を出版し続けていることに対して、いったいどのような感情を抱いているのだろうか?

 どうでもいいことではあるだろうが、興味が湧いてしまうのである。
 考えてみたら、自分の恥部というか、過去の忘れ去りたい記憶の数々でもあるわけで・・・。
 単に、同棲相手との凄まじい喧嘩や生活がありのまま描写されているだけなら、匿名ということなのであれば何とか耐え忍んでいけるかもしれないけれど、ここまで来ると、完全に自分の裸を曝け出しているのと同じことではないのだろうか?

 小説って難しい。
 読者は私小説じゃなくても、たとえその小説が完全なるフィクションで書かれたとしても、その奥に作者自身を投影してしまうからだ。
 僕も、新聞に掲載された僕の短編小説を読んだ方から、「奥様いらして、事故で亡くなったんですね」とか、また別の小説を本で読んだ読者の方から「子どもさん、亡くなられたんですか」と真面目に言われたことがある。

 作家って、嘘吐きで虚言癖で見栄っ張りの大馬鹿野郎でしかないのだから、信用だけは絶対しないほうがいい。
 でも、 西村賢太の書く、骨身を削った自分を曝け出す「私」小説ってどうなんだろう?






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黄金の10日間、その3日目は雨の一日。浅野いにお「おやすみプンプン」、幸村誠「プラネテス」。

2011年05月01日 | Weblog
 一旦8時に目が覚めたのだけれど、また目を瞑って、次に起きたら時計は10時を回っていた。
 ちょっとびっくり。寝過してしまったようだ。

 今日から5月。
 ゴールデンウイークの前半が今日で終わる。
 早いものだ。もう1/3が過ぎてしまった。
 それにしても毎日ちょくちょく仕事があるから、休日という感じが全然しない。まあ、当たり前といえば当たり前のことだけど・・・。

 外は雨が降っている。
 遅めの朝食を済ませ、珈琲を一杯飲み、午前中に一度車を出す。
 メールが数件入っていて、やりとりしているうちに、今度は電話で長い会話。運転中には当然話せないので、中心市街地にあるホテルJ近くの車道脇に車を停め、長電話。

 フロントガラスを雨が叩く。
 キャリーバッグを引き摺った旅行客が幾人も目の前を横切ってゆく。新幹線効果が出ているのだろう。

 午後になっても雨は止まない。
 しとしとと灰色の街を濡らしている。

 家でお昼を摂って、今度は徒歩で街へと飛び出した。
 傘は持ちたくないので、濡れるのも構わずそのまま出掛ける。
 青森県庁横の桜は、ほぼ満開状態。
 薄桃色の綺麗な花が小雨に揺れている。歩道のコブシの木が白い花を咲かせている。
 
 駅前の某複合施設へ向かう。
 今日は雨ということもあるのか、行楽地に行けない分だけ、かなりの人で賑わっている。
 事務所で仕事の書類を眺め、若干の遣り取りを終えてまた外へと出た。

 本屋を少し眺めただけで、雨降る繁華街を抜け、家へと戻った。
 あとはひたすら、漫画と小説を交互で読み耽る。
 西村賢太の最新小説(新潮文庫)「廃疾(はいしつ)かかえて」、漫画、浅野いにお「おやすみプンプン」と幸村誠「プラネテス」。それから「ワンピース」も。

 西村賢太の文庫「廃疾(はいしつ)かかえて」は、また一気に読み終えた。
 珈琲を淹れながら、今度は「おやすみプンプン」。
 それにしてもこの漫画は凄い。
 しばらく前に途中までコミック本を読んでいたのだが、今回はもう一度最初から最新刊まで読んでみた。

 この表現法は斬新で、画期的で、新たなものだ。
 本の帯で謳っている「前代未聞の面白さ」、「比類なき衝撃のシュール×リアリズム」も、読み進むうちに間違いではないことが解ってくる。
 傑作である。

 そして幸村誠の漫画「プラネテス」。
 未来の宇宙開発ものと言ったらいいのだろうか。
 最高に面白いからと勧められて読んだんだけれど、個人的にはそれほどでもなかった。

 漫画と小説を読んでいるうちにで、5月1日も終わってしまったけど・・・。

 夜は6時から「江(ごう)」を観る。
 別にこれはこれでとても面白いドラマなのだが、それにしても、秀吉が江にわざわざ会いに出掛け、群雄割拠の動乱時代を乗り来るべく知恵を借りるなんてことがあるんだろうか?
 ドラマだから仕方がないのかもしれないが、ここ数年の大河ドラマの中では群を抜いて天上天下唯我独尊的(こういう表現があるかどうは別ですが)表現に終始している気がしないでもない。

 テレビが終わって、また突然、夜の日曜日のドライブに出掛けたくなって、車を車庫から出して雨の降る夜の街へ。
 ピックアップしたアルバムは、リンキンパーク「Minutes To Midnight」、ゴリラズ「Demon Days」、レディオ・ヘッド「Pablo Honey」の3枚。

 リンキンパークのストレートな疾走感溢れるナンバーが、濡れた夜の舗道を切り裂いてゆく・・・。







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