【翻訳と私】
高校生の頃は、まだ漠然と「将来は英語を活かした仕事がしたい」と考えていただけで、具体的に何になりたいとかまで明確にはなっていませんでした。そのため、選択の幅を広げるために、通訳になるための勉強や訓練も書籍を参考にして取り組んで見たり、翻訳にも一応の関心は持っていました。最終的に、教職課程をとり、高校の英語教員になりましたが、学生時代は、「教員としての総合的資質」を高めるため、発音やリスニングなどの訓練を目的として週末にはオールナイトの洋画を観に出かけたりもしました。当時は、レンタルDVDやインターネットもなかったため、英語の音声に触れるには映画の活用が主な手段でした。
事前に教授の研究室に置かれていた「スクリーン・イングリッシュ(アルク出版・現在は廃刊)」に収録されていた、「話題作のシナリオの抜粋」で予習して、その作品を観にいきました。夕方に映画館に入り、朝まで3~5回、同じ作品を繰り返し見たものです。
1回目は字幕も見て内容をしっかり把握し、2回目は字幕から意識的に目をそらして画面に集中し、リスニングを鍛えました。英語音声学を学んでいて、抜粋ながらシナリオも読んでおり、1回目の視聴でストーリーをつかんでいたので、思いのほか聴き取りができました。3回目からはメモを取り出し、「字幕翻訳のうまい箇所」、「明日にも使えそうな英語表現」、その他気づいた点を控えました。1つの作品ごとに持参したメモ帳一冊びっしりとメモをしたものです。
その後、機会があれば同じ作品の吹替版も見たのですが、「シナリオ対訳」、「字幕翻訳」、「吹替翻訳」では、色々違っていることに気づきました。当時は、あくまでも英語教員を目指していたので翻訳の仕事を目的にしていたわけではありません。今思えば、あの頃の映画館通いが、その後フィリピンで字幕翻訳のトライアルに無経験で合格する力をつけてくれたと感じています。
父の交通事故をきっかけに教員を退職し、自営業を営みましたが、ホームページの記述が出版社の目に留まり、何冊かの著述の仕事をしました。その著書の執筆完了後、印刷完了までのタイムラグを使って「翻訳もしてくれないか?」との依頼があり、最初の書籍翻訳の仕事となりました。たまたまそれがよく売れたため継続的に翻訳の仕事をつづけましたが、私はあまり本名を出すことが好きではなかったため、途中から執筆、翻訳ともペンネームを用いたものに変更されました。どの作品をペンネームで書いたのかを明かしてしまうとペンネームを使った意味がなくなるため、ご容赦いただきますが、それなりの冊数を手掛けてきました。
フィリピン移住後、英語コールセンターを歴任しつつ、通訳の仕事が入り出し、オンデマンドの企業通訳もするようになりました。国際会議での同時または逐次の通訳を担当しましたが、様々な文書翻訳の依頼もありました。通訳も翻訳も、どんなジャンルの仕事が飛び込んでくるかは予測もつかず、未経験の分野の場合は事前に2か月以上の勉強をして望む必要があることもありました。
さらに字幕翻訳の仕事が増え、そちらをメインにするようになりました。時に吹替翻訳の依頼の場合もありましたが、学生時代の経験が幸いして、書籍、文書、字幕、吹替、さらに短いキャッチフレーズなどあらゆるスタイルの翻訳ごとに異なる要領、コツ、ポイントがあることを心得ていたのが幸いしました。
そういう「自分が実際に手掛けてきた経験」をベースに、拙著「英語総合技能訓練法」を執筆しました。発音、リスニング、技能別訓練法、通訳基礎理論、翻訳基礎理論、さらに語源知識を活用した語彙力増強法を網羅した「総合技能」の獲得を目指す内容です。現在は、特に英語指導者の育成に主眼を置いてオンライン講座を続けています。
こと書籍翻訳の場合、「単なる言葉の置き換え」で成せるものではなく、文化的背景や特定分野特有の用語、定訳なども沢山あります。原作を読みつつ、手を尽くして資料を整えます。今回、「教皇選挙」の翻訳のご指名を頂戴しましたが、バチカンの地図、建造物とそれらの用途、カトリックの階級、服装や装備品、役職名や呼びかけ方など言葉の統一を図るため多くの時間を事前調査と資料作成に費やしました。私の考えとして、翻訳は単なる「英文和訳」とは根本的に異なるスタンスで臨むもので、原作を読み、資料から背景を理解し、「著者が自分に憑依」するまで煮詰めていきます。最初、自分自身も読者ですが、翻訳に入るときには、「日本人になった著者」へと変貌させていくわけです。
最初の数冊以降は、ずっとペンネームを用いてきましたが、今回は、思うところあって久々に本名のままでの翻訳となりました。
登場人物の相関図を用意し、地位などの上下関係、それぞれのキャラクタに応じた言葉遣いを用いることとし、会話の文、お祈りの文、ラテン語からの翻訳など文体も適宜工夫する必要がありました。書籍を通じての用語集も作成しました。さらに重責を感じたのは、映像作品を見た人が「感動の余韻」を味わうために翻訳を読むというケースも多いため、そういう読者層の期待を裏切らないものとしなければなりませんし、映画を見ずに翻訳から先に読む人が映画も見たくなるよう、はたまた、英語の勉強として原書と並べて翻訳を比較する人も中にはいます。
ほとんどの人にとって訳者の名前を見ても「誰だこいつ?」でしょう。大ヒット映画の原作をこんなやつに?といぶかしく思う人がいることも理解できます。
ただ、日本人(に限らないかな?)は、「何が書かれているか」より「誰が書いたか」で、その価値を判断する傾向があります。人を判断するにも出身大学や取得資格を目安にすることが多くあります。そういうものも1つの目安にはなるでしょうが、私はそういうことを完全非公開にしています。「誰が書いた」ではなく「何が書かれているか」だけを見ていただきたいからです。
「教皇選挙」は賞も取った大ヒット映画でもあり、作品に強い思い入れを抱いている方も多いことでしょう。だから大手出版社や有名翻訳者を望む気持ちも分かりますが、あくまでも「もの」を見てからその価値を判断していただければと思います。
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