ジャンボ機墜落の”凄惨な現場”で遺体と寝た夜 「職業を間違えた」ーー陸自元幕僚長が語るストレス障害との闘い 日航機墜落40年
遺体の隣で仮眠「辛かった」
その後の岡部さんの任務は墜落現場となった尾根にヘリポートを作ることだった。人や物資の往来を円滑に進めることは自衛隊にとっても急務。ヘリポートは現場の拠点となったため、現場で見つかった遺体は次々と岡部さんがいる場所に運ばれてきたのだ。 次々と並べられていく遺体…。この夜、岡部さんはやむなく遺体の隣で仮眠をとることになったという。横になることも難しかったそうで、岡部さんは「臭いがすごくて遺体の真横で寝るのは辛かった」と厳しい表情をしながら話してくれた。8月の盆の時期。日中の暑さで遺体の腐敗が進んでいたのだろう。
「”幽霊”が窓に…」苦しんだフラッシュバック
岡部さんは事故発生から3日後の15日の朝に現場を離れたが、それまでずっと仮眠は遺体の横が定位置だったという。岡部さんは御巣鷹山での任務を振り返る。 「現場に入った直後はショックが大きかったものの、翌日には『大丈夫だ。俺はやっていける』などといった”慣れ”を感じている自分がいました」 当時は感染症の概念も薄かったのか、遺体を素手で触ることにも抵抗はなかったという。しかし任務を終えて、帰宅してから3日ほど経った時、岡部さんの体にある異変が起き始めた。夜になると、御巣鷹山の現場で見たり触ったりした遺体が幽霊のようになって窓の外に並ぶようになった。日中や深夜の訓練では問題ないのに、帰宅して部屋に一人でいると症状が出る。 「とにかく暗い場所が嫌で、トイレ、風呂、台所など全ての部屋の電気を付けていました」 さらに臭いも敏感になっていて、肉も食べられない。一人で寝ようとするとフラッシュバックが起きるため、毎晩のようにウイスキーを飲んで、無理やり寝ていたという。
弱音吐けず「おばけ見た」とごまかす
しかし岡部さんは当時、こうした異変を周囲に明かせなかった。空挺団の小隊長として、部下の前で弱音を吐くなんてとんでもないことだったからだ。「精神が病んでいる」などと話をしようものなら「病院に行くために空挺団を離れないといけないかもしれない」と考えていて、周囲に対しては「おばけを見た」程度に話すなど、症状をごまかしていた。 一方で、部下のなかには「自宅のアパートでは寝られないので、営内で寝泊まりする」などと、似たような症状を訴える人がいた。しかし、岡部さんは「情けないやつだ」なんて言って笑うだけだった。岡部さんによると、自身のこうした症状は1か月程度で治まった。その後はいつも通りの生活に戻った。