マンガやアニメ作品に対する批判で「説教臭い」というのをよく目にする
そういうのを見るたび、自分は「ええ、こういうのを説教臭い?」と思うこと、しばしば
インターネットで評判の良かったある作品のアニメをいま観ているのだけど、これはなんだか説教臭いと感じた
というか作者の、若輩者に尊敬されたい願望が透けて見えるようで、共感羞恥をとても強く刺激される
でも、その作品について説教臭いという評価は聞いたことがない
ふと思った
説教には、する側とされる側がある
つまり、説教臭い作品を痛快と思う時は読者はする側の気分になり、不快に思う時はされる側の気分になるのではなかろうかと
そして説教する側の気分で、しかし説教の中身が未熟であるとき、いたたまれない気分になるのだ
同様のことが、政治を含む内容の作品に対する批判についても言える気がする
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