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【戦後80年】妻と息子に届いた手紙…捕鯨船の乗組員が戦地へ 家庭に眠る戦争記録

2025年8月13日 7:15
【戦後80年】妻と息子に届いた手紙…捕鯨船の乗組員が戦地へ 家庭に眠る戦争記録

戦後80年となる今年、日本テレビでは「いまを、戦前にさせない」をテーマに特集をお伝えしています。戦争の記録や証言を募集したところ、みなさんからたくさんの情報を寄せていただきました。

今回は、その中から、太平洋戦争で亡くなった祖父からの手紙を、大切に保管している家族を取材しました。戦地から、妻と幼い子どもに届いた手紙に込められた思いとは。

   ◇

情報を寄せてくれたのは、都内に住む白石美花さん。そして義理の父・邦夫さん(85)です。

白石さん一家が大切に保管しているもの。それは邦夫さんの父・安五郎さんの記録です。

安五郎さんは、邦夫さんが3歳のとき、太平洋戦争で戦死。35歳でした。写真を見ると…。

──周りは軍人の制服を着ていますが、お父さんは背広なんですね。

父の記録を保管 白石邦夫さん
「軍属ですから。兵隊ではないので」

軍属とは、軍のために働く人のことで、兵士ではありません。なぜ戦死に至ったのでしょうか。

   ◇

安五郎さんは昭和7年、23歳で民間会社が所有する捕鯨船の乗組員になりました。

父の記録を保管 白石邦夫さん
「船の操機長をやっていたらしい」

操機長とは、エンジンを担当する乗組員のこと。安五郎さんが捕鯨船で撮影したとみられる写真が残っていました。

遠くに見える氷山や、あざらしのような動物の姿も。のどかな雰囲気が伝わってきます。

ところが昭和16年、安五郎さんが33歳のとき、乗っていた第八京丸とともに旧日本海軍に徴用されたのです。

当時、日本ではアメリカとの戦争に備え、民間の船や人が軍の指揮下に組み込まれていったのです。

軍属となったとき、妻・みつ江さんとの間に生まれた邦夫さんは、まだ1歳でした。

間もなく戦争が始まり、第八京丸は日本本土から2000キロ以上離れたサイパン島周辺で、敵の警戒などにあたることになりました。

白石美花さん
「こちらが祖父の手紙」

安五郎さんが、妻・みつ江さんに送った手紙です。そこにつづられていたのは…。

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