【戦後80年】妻と息子に届いた手紙…捕鯨船の乗組員が戦地へ 家庭に眠る戦争記録
戦後80年となる今年、日本テレビでは「いまを、戦前にさせない」をテーマに特集をお伝えしています。戦争の記録や証言を募集したところ、みなさんからたくさんの情報を寄せていただきました。
今回は、その中から、太平洋戦争で亡くなった祖父からの手紙を、大切に保管している家族を取材しました。戦地から、妻と幼い子どもに届いた手紙に込められた思いとは。
◇
情報を寄せてくれたのは、都内に住む白石美花さん。そして義理の父・邦夫さん(85)です。
白石さん一家が大切に保管しているもの。それは邦夫さんの父・安五郎さんの記録です。
安五郎さんは、邦夫さんが3歳のとき、太平洋戦争で戦死。35歳でした。写真を見ると…。
──周りは軍人の制服を着ていますが、お父さんは背広なんですね。
父の記録を保管 白石邦夫さん
「軍属ですから。兵隊ではないので」
軍属とは、軍のために働く人のことで、兵士ではありません。なぜ戦死に至ったのでしょうか。
◇
安五郎さんは昭和7年、23歳で民間会社が所有する捕鯨船の乗組員になりました。
父の記録を保管 白石邦夫さん
「船の操機長をやっていたらしい」
操機長とは、エンジンを担当する乗組員のこと。安五郎さんが捕鯨船で撮影したとみられる写真が残っていました。
遠くに見える氷山や、あざらしのような動物の姿も。のどかな雰囲気が伝わってきます。
ところが昭和16年、安五郎さんが33歳のとき、乗っていた第八京丸とともに旧日本海軍に徴用されたのです。
当時、日本ではアメリカとの戦争に備え、民間の船や人が軍の指揮下に組み込まれていったのです。
軍属となったとき、妻・みつ江さんとの間に生まれた邦夫さんは、まだ1歳でした。
間もなく戦争が始まり、第八京丸は日本本土から2000キロ以上離れたサイパン島周辺で、敵の警戒などにあたることになりました。
白石美花さん
「こちらが祖父の手紙」
安五郎さんが、妻・みつ江さんに送った手紙です。そこにつづられていたのは…。