新証言・新映像「燃えている状況は今でも脳裏にはしっかりと」自衛隊パイロットが初証言 日航機墜落事故40年 墜落事故直後に現場に入った自衛隊の活動記録映像を入手
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主なヤフコメは?
- 事故の報道や対応に問題があり、真実がねじ曲げられたと感じています
- 事故から得た教訓を重視し、今後の安全対策に活かすべきだという意見もあります
関連ワードは?
- 自衛隊
- 墜落事故
- 報道
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当時私は某新聞の奨学生として働きながら予備校に通ってました その日の朝刊1面は大きな文字で日航機墜落事故 私は少しでも早く記事を読んでもらえるよういつも以上に早く配達をしました この時代は今のようなネット環境など全くなかったので新聞が一番大事な情報源でした 夕刊では生存者4名の記事が 全員亡くなられたと思ってたのでこの記事に嬉しくて涙しながら配達したのを覚えてます 改めまして亡くなられた皆様の御冥福を心よりお祈りいたします
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新証言とか映像とか書かれてるのですが、ネットメディアでは少数ではあるもののずっと前から取り上げ、特に当時携わった自衛隊の方々が話されてきた事です。 逆を言えば、ここに至るまで、報道として立場ある放送局・新聞社が真実をねじ曲げ、報道しなかった姿勢が問題あるのではないでしょうか?
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事故当時、私は小学5年生でした。 毎年母の実家である神戸市北区で過ごしていました。 夜テレビ番組中に急にニュースに切替わり墜落した事をやっていたと思います。 あれは、夏のある朝、近くの公園にラジオ体操に向かって歩いていると朝から葬儀用の花が玄関に並んでいました。しかも、公園までの道なりの両側の家々で同時期に葬儀の準備が行われておりました。 なんとも異様な光景が今でも忘れられません。 それから、数年後私も自衛官になり北海道の奥尻地震や遊ラップ山救難隊ヘリ墜落やRF4戦闘機墜落などに場外救難活動に出動しました。 事故に遭われた被災者のご冥福をお祈りしています。 最後に悲惨な事故が無くなる事をご祈念申し上げます。
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百里からスクランブル発進した2機のF4ファントムの搭乗員のコメントに安堵感を覚えたのは私だけでしょうか。123便はF4に撃墜された等々の滅茶苦茶な陰謀論を唱えている方々がいますので。ところで「上空およそ9000メートルからの捜索は困難を極めました」は9000フィートの間違いでは?って思いました。何であれ多くの人達が必死に123便を救おうとした、これは事実ですね。犠牲者、ご遺族の方々の無念、心痛は察するに余りがあります。空の安全を心から願ってます。
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当時のテレビは各局 深夜には放送を終了し、砂嵐のような画面になるのが常でした しかしこの日は 一晩中、画面にカタカナの搭乗者名簿が繰り返し流れ、淡々とそれを読み上げるアナウンサーの無機質な声が、居間を非日常で異質なものにしていました 子どもだった私にも 事態の深刻さが理解できたのです 両親は なかなか就寝せず、私が起きていても 何も言いませんでした ただ沈黙してテレビを眺めていましたが、それは 画面に映る一つ一つの名前の 命の重みに対して、どうしたらいいのか判らなかったのかもしれないと、今となっては思います
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犠牲者の方々のご冥福を祈ります。 真相を明らかにすることこそがせめてもの償いではないでしょうか。 統治行為論を常用する最高裁すら開けることができなかった箱があります。 現に存在している交信記録をすべて明らかにすればかなりの部分があっさり明らかになるのではないかと思います。 また、近時相模湾で発見された残骸について、その後の報道は一切なしですか。先程、A日新聞さんの、中身がない「ファクトチェック」を拝見しました。ここでまた、太鼓持ちですか。80年後も、40年後も変わらないですね。40年後の我々には自分の力でファクトチェックするツールがそろっています。つじつまの合わないことは止めた方がいいと思います。 中曽根さん、墓場の穴からでいいので、見せてくださいよ。
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当時、墜落した後のテレビの報道では、墜落現場が特定できないと言うような感じで、また情報がかなり錯綜しており、実際はこれだけ早く墜落場所が自衛隊によって特定されていたと言うことに驚きでした。 ただ、墜落場所が特定されていても、あれだけの急な山深い尾根で、また真っ暗な夜間でやったことも災いして救助活動には至らなかったのでしょう。 本当に残念だと思います。生存者の話では、墜落語しばらくはかなりの人がまだ生存していたとの情報もあります。結構うめき声や、助けを求める声などが聞こえてきたとの事でした。 改めて亡くなった520名の方のご冥福を心よりお祈りいたします。
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事故を風化させないこと以上に事故からどのような教訓を得たのかが大事です 事故の原因は、ボーイング社が同一機体のしりもち事故後に適切な修理をしていなかったことが後に明らかになっていますが、当時のマスコミと警察は日航の点検不備を主要な原因として、当時の良好な日米関係に配慮しボーイング社への追求もろくにを行わず、日航は日航で訴追さえ行わず、遺族への賠償金支払いで幕引きを図ったことは記憶されてしかるべきことかと思います。 いまなお多くのメディアで事故原因は必ずしも明確でないという報道さえあるのは驚きです。
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私は当時、八ヶ岳の赤岳の麓の山小屋に泊まっていて、この墜落のニュースをラジオで聞きました。墜落を報じていながら、墜落地点がなかなか判明せず、我々の地点から遠くないんじゃないかな?等と他の登山者と話していました。落ちたのセスナじゃなくジャンボだろ。絶対ヘリから見れば分かるだろうって皆で不思議に思ったの昨日の事のように覚えています。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
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この事故で当時20代女性の親戚を亡くしたのですが、当時私は小学4年生でしたが、父や祖父がニュースで流れる搭乗者名簿に釘付けになり、慌てて対応していたのを今でも心に残っています。 今は仕事柄、年に100回近く搭乗するのですが、この時期になると航空機に乗るのも少し躊躇します。 事故で亡くなった本人の無念は勿論のこと、そのご家族も大変な思いをしているの知っています。 安心と安全も含めて航空券を買っていると思いますので、今後も安全運行頂きたいと思います。
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