1945年1月、日本は戦争に負けていたか? 勝っていたか?と聞かれたら、どう答える? 「負けていた」と思うでしょう。しかし、現実は違う。「勝っていた」のだ!
小磯國昭内閣が1945年4月頭に総辞職して鈴木貫太郎内閣になったワケを書く。小磯が辞めたのは繆斌(みょうひん)和平の失敗だった!
まずな、日本は東西二正面作戦で戦争をしていた。
全力でアメリカと戦っていたわけではない。
陸軍は総力をあげて中国大陸で戦い、
海軍は総力をあげて太平洋で戦っていた。
日本海軍は戦争に弱く、アメリカにズタボロに負けた。
陸軍も海軍に協力していたが、陸軍にはフネが無い。
だからどうしても、兵力輸送と補給を海軍に頼る前提の作戦となり、
海軍が負ければ自動的に輸送船を沈められたわけだ。
しかし、中国大陸は違う。兵力輸送や補給に海軍は関与しない。
そこで始まったのが大陸打通作戦だ。
日本陸軍が創設されてから最大規模の作戦であり、
総力を上げて中国・アメリカ連合軍と戦ったわけだ。
結果は日本の大勝利!
中国アメリカ連合はなす術もなくボコボコにやられて、
75万人が戦死か戦闘不能になり、アメリカの空軍戦力は全滅した。
これでもう中国大陸から爆撃機を日本に飛ばすこともできなくなった。
そして、1945年3月、中華民国南京政府閣僚の繆斌という男が東京に来た。
当時は、アメリカ側に付いた中華民国重慶政府と、
日本側に付いた中華民国南京政府があったわけだな。
繆斌は「蒋介石が和平を望んでいるから交渉に来た」といい、
「私が東京に滞在しているあいだは絶対に東京は攻撃されません」と宣言した。
そして、実際に空襲は無かった。
日本政府は慎重に吟味し、小磯國昭総理は和平案を承諾する方向で動いた。
しかし、陸海軍と外務大臣は反対。
「なんで日本が勝っているのに蒋介石と和平しなきゃいけない!」
小磯國昭は和平案失敗の責任を取り総辞職した。
教科書には「沖縄戦の失敗から総辞職」とかデマが書いてあるが、
沖縄戦が始まってまだ3日で勝ち負けなどわからない状態で責任など無い。
当時の日本国民も「太平洋側では負けているが、中国大陸では勝っている」という認識だった。
その証拠に、1945年3月には、鹿児島県で「衆議院議員再選挙」がされ、
不正が裁判で認定され、選挙のやり直しになった。
ここでも戦争賛成派が全員当選したわけだ。
実際、広島に原爆が投下されると、
今の私たちは「もうダメだ」と思いそうだが、株式は買われた。
鉄鋼やセルロイドなど復興に必要な会社が買われた。
2022年に考案された、1878年から1951年の株価を研究した「三和・岡本日本株価指数」では、やっぱり原爆投下は「買い」だった。
神州不滅を信じる理由があったのだ!
満洲! 資源が沢山ある!
ソ連とは中立条約を締結して仲良し!
ナチスとソ連が戦争をしたときは、ナチスからの猛抗議をフルシカトして、
アメリカからソ連に武器弾薬を輸送する艦隊を日本領海通過(宗谷海峡)させ、
ウラジオストック港に無事届けさせた日本海軍!
日独伊三国間条約より、優先するべきは日ソ中立条約!
これが大日本帝国の戦争観だった。
だから、8月9日にソ連が参戦してきたとき、目ん玉ひんむいて絶望したと思う。
「条約は守られるもの」とか子どもみたいに信じていたわけだから。
首脳が。
マッカーサーが、占領中に「日本人は12才の子ども」といったが、
無邪気に信じてはいけないものを信じる姿から言ったものではないかな。
そして、日本は負けた。
中国大陸で日本軍は大勝利をし、中国軍をボコボコにしたから、
戦後の蒋介石は戦力がなくて、共産党の毛沢東に内戦で負け、
いまの台湾に蒋介石が逃げて今にいたる。
歴史にイフはないが、
当時の大日本帝国首脳が定型発達で、
お勉強だけできてほかがダメな官僚型の軍人を排除していれば、
さっさと中華民国重慶政府と単独講和して、全戦力を移動させていれば、
アメリカもそれに対応する戦力が必要になるからな。
戦後の地図は今と変わっていただろう。
戦争末期、日本は中国に勝ち、ソ連を信頼し、アメリカに負けていた。
得るべき歴史的教訓は、「条約を信じることは馬鹿だ」ということ。
相手に守らせる事情がなければ、守られない。
これ、今も日本人は盲目的にある条約を信じてないか?
戦争が起きてもどこかの国が絶対守ってくれる、、とか。
歴史に学べ!生き残るために!
私の新刊『新大東亜戦争肯定論』(¥1870)は真実を提供します!
amzn.to/3TuNoSJ