197.第6章「平成の東映」
第8節 東映アニメの国際展開 今田智憲編
2. 1970年代後半東映動画海外営業開始、東映国際部海外駐在所サポート
東映動画版権営業部は、1977年4月、カンヌ国際テレビ映画見本市(MIP-TV)に出展、ヨーロッパ向け販売を本格的に開始します。
まずは始めに、1975年から77年にかけて日本で大ヒットした『UFOロボ グレンダイザー』が『Atlas Ufo Robot(アトラスUFOロボット)』というタイトルにて、1978年4月からイタリア国営放送第二テレビ局(Rai Rete 2 / ライ・レーテ・ドゥーエ)で放映がスタートし大ヒット、1980年1月まで続きました。
続いて同作品はフランスで『Goldorak(ゴルドラック)』と改題され、1978年7月からフランス公共放送「アンテンヌ2(Antenne 2)」にてテレビ放映が始まります。
当初夏休みだけの予定が、子供たちの心を捉え平均70%の高い視聴率を獲得したことで1979年1月まで延長。キャラクターグッズも飛ぶように売れ、主題歌はフランス国内で記録的ヒットとなりました。
この大ヒットを受け『マジンガーZ』『グレートマジンガー』なども続けてフランスに輸出され、同じく『Goldorak』というタイトルで1980年10月まで放映、人気を集めます。
『UFOロボ グレンダイザー』は、イタリア、フランスのみならず1979年からシリア、ヨルダン、エジプト、クウェートなどのアラブ諸国、そしてイラクでも大人気となりました。
©ダイナミック企画・東映アニメーション
1977年には『SHOGUN WARRIORS(ショーグン・ウォリアーズ)』として『大鉄人17』、『超電磁ロボ コン・バトラーV』、『闘将ダイモス』、『惑星ロボ ダンガードA 』『大空魔竜ガイキング』、『UFOロボ グレンダイザー』、『グレートマジンガー』、『スパイダーマン レオパルドン』、『勇者ライディーン』、『超電磁マシーン ボルテスV』、『ゲッターロボ』、『ゲッターロボG』などのポピー製超合金やポピニカなどロボット人形がアメリカの玩具会社マテル社から発売されます。
合わせてマーベルが『ショーグン・ウォリアーズ』のコミックスを発行し、マテルとポピーの契約が終了する1980年まで子供たちの人気を集めました。
ちなみにジェームズ・クラベルの小説『将軍』(Shōgun)は1975年に出版され、1980年9月に三船敏郎、島田陽子が出演したテレビドラマ『SHŌGUN』(ジェリー・ロンドン監督)がNBCで全米放映されヒットしています。
1975年以降、『SHŌGUN』と日本はアメリカで注目を浴びていました。
また、1976年10月から1979年2月にかけて日本で放映され国民的ヒット作品となった『キャンディ・キャンディ』も、1978年9月から『Candy』というタイトルでフランス「アンテンヌ2(Antenne 2)」にて放映が始まり、大人気を獲得します。
その後1980年代にメキシコ、ベネズエラなど中南米諸国、イタリア、スペイン、カナダなどでも放映され各国の少女たちを虜にし大ヒットしました。
3. 東映動画海外営業本格化
1979年3月、アメリカで劇場用映画『マジンガーZ対デビルマン』(勝間田具治監督)が配給公開されます。
東映動画は5月、ロスアンゼルスに海外初の事務所を開設し、アメリカで本格的に東映動画作品の営業を開始しました。
① 東映動画米国テレビアニメ合作の再開
東映動画ロサンゼルス事務所は、アメリカのアニメ製作会社に売り込みをかけ、1960年代に行っていたテレビアニメの合作の再開に取り組みます。
1970年代後半からアメリカでは、マテルやハズブロなど大手玩具会社がスポンサーとなった子供向けテレビアニメの放映が盛んになっていました。
日本の玩具メーカーとアメリカの玩具メーカーの連携も進み、この波に乗って、1979年、東映動画はテレビ作品の合作を再開します。
そして1980年代、日本の玩具メーカーの後押しもありアメリカの製作会社とのアニメ作品の合作が拡大しました。
〇 ムラカミ・ウルフ&スウェンソンフィルム:『ストロベリー・ショートケーキの世界』、『ニンジャ・タートル』
1979年9月、東映動画はアメリカのムラカミ・ウルフ&スウェンソンフィルムと『ストロベリー・ショートケーキの世界』の合作契約を締結し、制作を開始します。
この作品は、ロメオ・ミュラー脚本、チャールズ・スウェンソン監督による1980年のテレビアニメスペシャルで、ロメオ・ミュラー、ルッシ・テイラー、ジュリー・マクウィルター、ジョーン・ガーバーが声の出演をしました。
アメリカン・グリーティングスのキャラクター、ストロベリー・ショートケーキをフィーチャーした初の特番として、ケナー玩具会社が製作とスポンサーを務め、アメリカの90以上の都市で放映されます。
1987年11月には大ヒットする『ニンジャ・タートル』計5話を受注しました。
〇 マーベル・プロダクション:『G・Iジョー』、『ダンジョン&ドラゴン』、『トランスフォーマー』、『マペット・ベービー』他
1977年11月、東映取締役テレビ事業部長の渡邊亮徳はマーベル・コミックス・グループ社長James Galton(ジェームズ・ゴートン)と3年間にわたるキャラクターライセンス使用契約を締結します。
この契約に基づき、翌1978年5月から東京12チャンネルの水曜19時30分枠で東映版『スパイダーマン』(1978/5/17~1979/3/14)の放映が始まりました。
1981年7月には東映動画が、マーベルグループのマーベル・プロダクションが製作しアメリカで放映されたアニメ版『スパイダーマン』第18話の制作を下請けの制作会社から請け負います。
そして9月、マーベル・プロダクションと直接契約を結び短編アニメ『ピンクパンサー』の制作を行いました。
以後、東映動画はマーベル・プロダクションと数多くの作品で合作を進めます。
1983年8月に始まる『G・Iジョー』は3シリーズ計95話と劇場版1作、1984年2月に制作を開始した『ダンジョン&ドラゴン』は3シリーズ26話続きました。
1984年7月からはアメリカの大手玩具会社ハズプロがスポンサーでタカラの「ミクロマン」「ダイアクロン」を元にした『トランスフォーマー』の合作が始まります。
この作品の第1、第2シリーズは、翌1985年7月から日本テレビ系でも放映され、合作は1987年まで4シリーズ計68話と劇場版1作続きました。
その他、1984年12月の『マペット・ベービー』は1987年の第4シリーズまで計59話、それ以外にも『マイ・リトルポニー』など1988年2月の『ジェム2』まで数多くのマーベルシリーズ作品を合作します。
〇 ディック・エンタープライゼズ:『警部ガジェット』、『アーチーズ』、『ハロー・キティ』、『わんぱくデニス』、『ゴーストバスターズ』
東映動画は、1983年12月、ディック・エンタープライゼズより『警部ガジェット』計5話の合作を受注しました。
その後、1987年11月、『アーチーズ』計13話、『ハロー・キティ』計13話、1988年3月、『わんぱくデニス』計13話、11月『ゴーストバスターズ』計8話などのアニメ合作を手がけます。
〇 ルビー&スピアーズ・エンタープライゼズ:『ロボ・フォース』、『スーパーマン』
1984年11月には、ルビー&スピアーズ・エンタープライゼズと『ロボ・フォース』計3話を合作。
1988年11月に『スーパーマン』のアニメを計13話制作しました。
〇 ハンナ-バーバラ・プロダクション:『ジェットソンズ』『スカイコマンダー』『フリントストーン・キッズ』『スマーフ』他
東映動画ロサンゼルス事務所は、マーベル・プロダクションと並ぶ大手アニメ制作会社のハンナ-バーバラ・プロダクションと1987年6月『ジェットソンズ』計9話、8月『スカイコマンダー』計13話、8月『フリントストーン・キッズ』計2話、10月『スマーフ』計8話などの合作も受注します。
1979年から始まった東映動画とアメリカのアニメ制作プロダクションとの合作は、1980年代にアメリカを代表するキャラクターのアニメ作品を数多く生み出しました。
しかし、円高が急速に進んだこともあり1988年を持ってアメリカとの合作は休止します。
② 東映動画テレビアニメ作品の海外販売拡大
1980年4月16日、東映動画は版権営業部の海外販売部門を拡大し国際部を新設しました。
翌4月17日には、前年に日本で公開され大ヒットした劇場版『銀河鉄道999』(りんたろう監督)が、ロジャー・コーマン設立のニューワールドにより、『Galaxy Express』という題名にてアメリカで劇場公開されました。
〇 『SHOGUN WARRIORS』のヒットから誕生した『Force Five』
東映動画ロサンゼルス事務所は、マテル社の『SHOGUN WARRIORS』がヒットしていたことから、東映動画制作の巨大ロボットアニメ作品をアメリカのアニメ製作会社に売り込みます。
その結果、Jim Terry Productionsが編集制作し、月曜『惑星ロボ ダンガードA』、火曜『ゲッターロボG』、水曜『SF西遊記 スタージンガー』、木曜『UFOロボ グレンダイザー』、金曜『大空魔竜ガイキング』と5作品のヒーローが日替わりで侵略者と戦う番組『Force Five』が、アメリカ各地の放送局で1980年9月から翌1981年12月まで放映されました。
1982年にはフランスのテレビ作品見本市・VIDCOMに初出展し、販売網をイギリス、スペイン、スカンジナビア半島に拡大しました。
〇 『VOLTRON』全米で大ヒット
1984年9月、アメリカのワールド・イベント・プロダクションズ(WEP)は、東映本社テレビ部が製作しテレビ東京系で放映されたた『百獣王ゴライオン』(東京動画制作)全52話と『機甲艦隊ダイラガーXV(フィフティーン)』(東映動画制作)9話分を再編集した『Voltron: Defender of the Universe』(「シーズン1」1984/9/10~11/27 全61話)を全米で放映します。
©World Events Productions
『Voltron』は、玩具と合わせて社会現象となるほど大ヒットしました。
12月からは『ダイラガーXV』(「Vehicle Team Voltron」)の残りの話を『Voltron: Defender of the Universe』(「シーズン2」1984/12/14~3/5 全43話)として放映します。
1985年、「シーズン1」の「Lion Force Voltron」の人気が高かったため、WEPは東映に『ゴライオン』を主にした新たなエピソードの制作を依頼、10月から「Lion Force Voltron Part2」『Voltron: Defender of the Universe』(「シーズン3」1985年/10/21~11/18 全20話)として放映しました。
1986年9月10日には続けてTVスペシャルとして東映が田口勝彦が総監督として制作した46分の『Voltron:Fleet of Doom』が放映されます。
この後、WEPは東映から離れ、1998年『Voltron: The Third Dimension』(1998/9/12~2000/2/19)、2011年『Voltron Force』(2011/6/16~2012/4/25)を独自で製作しました。
東映が製作した巨大ロボットアニメ『百獣王ゴライオン』は『ボルトロン』として長きにわたり全米の子供たちに愛されます。
2016年6月、Netflixはドリームワークス・アニメーション制作で『Voltron: Legendary Defender』を北米で一斉配信。2017年7月から日本でも表記を替え『ヴォルトロン』として配信されました。
〇 『メイプルタウン物語』世界で展開
東映動画国際部は、1986年1月からアメリカの映画見本市NATPEに出展します。
1986年10月、アメリカの玩具会社トンカ社が東映動画とバンダイから『メイプルタウン物語』の権利を取得。米国でのライセンシーとなり、翌1987年初頭に玩具シリーズと広告キャンペーンを開始しました。
英語吹き替え版がサバン・エンターテインメントとマルタ・カンパニーズによって制作され、1987年2月から『メイプルタウン物語』は『Maple Town』として最初の10話が米国のテレビで試験的に放映され、さらにニコロデオンで1989年9月1日まで続きます。
その後、CBNファミリーチャンネルで1989年9月4日から1990年9月13日まで放送されました。
ヨーロッパの放送局もそれぞれの母国語で『Maple Town』を放送します。
スペインでは、Televisión Española(TVE)が1987年から『La aldea del arce』のタイトルで放映を開始。
フランスでは、International Droits et Divers Holding(IDDH)によって配信され、1987年5月3日からFR3の『Amuse 3』内で『Les Petits Malins』のタイトルで放映されました。
オランダではRTL 4 (Radio Télévision Luxembourg 4) で『Avonturen in Maple Town』、フィンランドでは『Seikailumetsä』、スウェーデンは『Äventyrsskogen』、ハンガリーのRTL Klubチャンネルでは『Juharfalvi történetek』として放映されます。
イタリアでは、メディアセット傘下のイタリア1が『メイプルタウン物語』と『パームタウン編』(『Maple Town: Un nido di simpatia』および『Evviva Palm Town』)を放映しました。
ポーランドのNasza TVでは、『Opowiesci z Klonowego Miasteczka』および『Opowiesci z Palmowego Miasteczka』というタイトルで、香港では、1991年にATVネットワークで『Maple Town』が放映されます。
アラビア語圏でも放送され、最初のシリーズは أرنوبة ودبدوب (Arnoba Wa Dabdoob、アルノバ アンド ダブドゥード) 、2 番目のシリーズは مدينة النخيل (マディナ アル ナキール、パームズ タウン) として放映されました。
〇 『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』フランス他ヨーロッパで大ヒット
1986年日本でヒットした『ドラゴンボール』をフランスのABプロダクションがライセンスを獲得し、1988年3月2日からTélévision française 1(TF1)の番組「Club Dorothée(クラブ・ドロテ)」で放送、大ヒットします。
フランスはヨーロッパで最初にこの人気アニメを放送した国であり、日本以外では香港やタイと並んで最初に放送した国の一つでした。
ABプロダクションはその後、スペインやイタリアなどの他のヨーロッパ諸国にも輸出し、それぞれの国で人気を集めます。
スペインでは、1989年3月2日からCanal Surで、イタリアでも1989年にJunior TVで放送が開始されました。
ベルギーでは1995年からClub RTLで放送されます。
シリーズの成功により、「ドラゴンボールシリーズ」はそれぞれの国の多くのチャンネルで再放送されました。
続いて1988年4月6日から『聖闘士星矢』が、同じくABプロダクションによってTF1「Club Dorothée(クラブ・ドロテ)」で『Les Chevaliers du Zodiaque』というタイトルで放映が始まり、フランス人の心を捉え大ヒット。1997年まで放映されます。
1991年3月のクラブドロテの人気投票で第1位が『ドラゴンボール』、第2位が『聖闘士星矢』が選出されました。
〇 中国本土『一休さん』『花の子ルンルン』大ヒット
国際部は、欧米のみならずアジア市場にも積極的に乗り出し、東映動画作品の販路を広げます。
1983年には日本で大人気の『一休さん』第1話から52話が、遼寧児童芸術劇場の翻訳で『聪明的一休』として中国本土の遼寧テレビにて始まります。
やがて中国全土40以上の省、市のテレビ局で放映され大人気を博し、1988年に52話から104話、1997年に声優を大幅に替えて105話から156話まで翻訳制作されました。
『一休さん』は、香港、台湾、タイでも国民的大ヒットとなり、東アジア地域で大きな足跡を残しました。
2014年4月、『聪明的一休』を中国でリメイクした劇場版『聪明的一休之反斗公主』(雷建成、吴建中監督)が公開されます。
日本からは美術指導として袴田祐二、作画指導として石黒育が参加しました。
『聪明的一休』の後『花の子ルンルン』が広東テレビで中国本土に紹介され、台湾電影電視公司で吹き替えられたアニメ『花仙子』が、1984年12月12日19時50分から江蘇テレビで初放送されます。
この作品は中国で一大センセーションを巻き起こし、数え切れないほどの少女たちを魅了しました。
『聪明的一休』同様に『花仙子』は今もなお語り継がれており、2023年8月、東映アニメーションは中国の動画配信サービスTencent Videoとの共同製作による新作アニメ『花仙子-之魔法香対論』の制作を発表、ファーストビジュアルを公開しました。
その後、2024年10月には先行PVと新キービジュアルが公開されています。
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今田智憲社長が進めた東映動画自体による海外営業は世界中で大ヒット作を生み出しました。
1993年4月、今田は取締役会長に、新たに泊懋〈とまりつとむ)が代表取締役社長に就任します。
ここから東映動画の更なる海外進出が始まりました。
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