弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

業務命令の内容が非現実的であることが、懲戒事由該当性を否定する理由になるとされた例

1.無茶な業務命令

 労働契約法15条は、

「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」

と規定しています。

 業務命令違反を理由とする懲戒処分に、客観的合理的理由、社会通念上の相当性が認められるのか否かは、

「①業務命令そのものの有効性(当該命令が契約上の根拠に基づき権利濫用にあたらないことなど),②業務命令違反の懲戒事由該当性(実際に企業秩序が乱されたまたは乱されるおそれがあったこと),③懲戒処分の濫用性(命令違反の程度と処分の重さのバランス)などの点が法的に審査される」

と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第3版、令5〕612-613頁参照)。

 ここで一つ問題があります。

 物理的に到底こなせる量ではないなど、無茶な業務命令、非現実的な業務命令に違反したことが理由となっている場合、それが理論的にどのように位置づけられるのかです。

 業務命令そのものの効力を否定できれば、それに越したことはありません。

 しかし、業務命令の効力そのものを明確に否定できなかった場合、争い方はどのようになるのでしょうか? 業務命令が有効であったとしても、懲戒事由には該当しないという争い方は可能なのでしょうか? それとも、業務命令が有効である場合、処分の重さとのバランスを主張するしか争う道はなくなってしまうのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介している、東京地判令7.1.30労働判例ジャーナル160-42 学校法人昭和大学事件です。

2.学校法人昭和大学事件

 本件で被告になったのは、大学等のほか、昭和大学C病院、昭和大学病院等を開設する学校法人です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、令和3年3月31日に定年退職するまでの間、20年以上にわたり、整形外科の医師として口唇口蓋裂等の患者の診療を担当してきた方です。

 令和3年4月1日に定年後再雇用契約を結んだ後、出勤停止1週間の懲戒処分を受け、定年後再雇用契約の更新を拒絶されるに至ったことを受け、

出勤停止処分が無効であることを前提として出勤停止期間分の未払い賃金や、

雇止めの無効を理由として他大学(G大学病院・G病院)に転職するまでの賃金

等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 冒頭に掲げたテーマとの関係で注目したいのは、被告の主張した懲戒事由の扱いです。

 被告は複数の懲戒事由を主張しましたが、その中の一つに次の事由がありました。

(被告の主張)

「Dセンター長らからの再三の指示に反し、G病院に転院する患者のリストの提出や紹介状の作成等の必要な手続をしなかった」(非違行為〔1〕-3)。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、これが非違行為(懲戒事由)に該当することを否定しました。

(裁判所の判断)

「前記認定事実によれば、F副センター長が、令和3年3月下旬以降、原告に対し、転帰リストの作成を複数回指示し、E副センター長も、同年5月25日、転院する患者のリストの作成を指示したが、原告は、これらのリストを作成しなかったこと・・・が認められる。」

「この点、原告は、F副センター長は令和3年3月の時点から、E副センター長は同年4月1日以降、原告に対する指示命令権限を有していない旨主張するが、両人は、口唇口蓋裂センターの副センター長の立場において、同センターに所属していた原告に対し、同センターの業務に必要な事項に関する指示命令権限を有しており、同日に原告が同センターの所属でなくなった後も、同センターの業務をする必要がある限り、その業務に関する指示命令権限を有していたと解される。そして、F副センター長及びE副センター長の上記指示は、口唇口蓋裂センターから転院する患者を把握し、同センターの運営に支障が生じないようにするためのものであり、同センターの業務に必要な事項に関する指示命令であるといえるから、原告に対する指示命令権限に基づくものであったと認められる。

しかしながら、もともと、転帰リストは、矯正歯科の医師が退職する際に作られていたリストであり、原告を含めた形成外科の医師にとっては馴染みの薄いものである・・・。しかも、転帰リストは、退職する医師が担当していた患者を、医師の転職先の病院で診療を受ける者、被告の病院で引き続き診療を受ける者、それ以外の病院で診療を受ける者に分類するリストを想定するものである・・・ところ、原告は、600名から800名程度の患者数を抱えており、中には、年に1回の受診のみを行っている患者もいた・・・というのである。そうすると、原告が一人で、全ての患者に対し、C病院での診療の継続を望むのか、原告の転職先において原告の診療を希望するのかの意向を確認することはおよそ現実的ではないというべきであり、原告が転帰リストを作成しなかったことをもって、契約職員就業規則53条5号又は6号に該当するとはいえない。

「他方で、E副センター長が作成を指示したリストは、転院する患者に絞ったリストであり、事前にF副センター長から転帰リストの作成を求められていた状況からすれば、原告が転院する患者のリストを作成することは可能であったとも考えられる。しかしながら、E副センター長が上記リストの作成を指示するに当たって期限を定めていた事実はうかがわれず、被告の職員が患者に連絡した上で転院の意向の有無を調査した・・・後、被告は、原告に対し上記リストの提出を求めていないこと・・・からすると、原告が転院する患者のリストを作成しなかったことをもって、契約職員就業規則53条5号の『故意に・・・上司の命令に違反し』たものとは認められない。」

「さらに、被告は、原告がG病院へ転院する患者について紹介状の作成等の必要な手続をしなかった旨主張し、具体的には、原告が転院する患者を被告の病院の担当医に引き継ぎ、担当医において診療情報提供書を作成する手はずを整えなかった点を非難するようである。しかしながら、診療情報提供書は、患者が転院先での治療に必要であるとしてその取得を希望する場合に、その患者の申出を受けて被告が作成し、提供すれば足りるものと解されるから、原告において被告が主張する手はずを整えなくても、転院する患者に特段の支障はないというべきであり、被告の上記主張は採用することができない。」

「以上より、前記・・・で認定した原告の行為は、契約職員就業規則53条5号及び6号に該当するとはいえない。」

3.懲戒事由該当性の否定

 冒頭に述べたとおり、業務命令自体が無効とはいえない場合、あとは処分との均衡だけが問題になるという考え方も有り得ます。

 しかし、裁判所は、そうした考え方はとっていないように思います。本件の裁判所は、業務命令自体が違法であるとは明言しないまま、懲戒処分該当性を否定しました。

 労働者側から見ると、懲戒処分の効力を否定するうえで争えるポイントは、多ければ多いに越したことはありません。本事案は、業務命令自体が有効な事案であったとしても、いきなり③の濫用性審査にとびつくことなく、②の懲戒事由該当性を検討する必要性を示唆するものとして、実務上参考になります。