第24話 私の中の怪物
【導入:錆び付いた心のサイレントヒル】
そこは、虚無が飽和した心の牢獄だった。
アンティーク調で可愛らしい内装のはずのメイドカフェは、錆と腐敗に満ちた悪夢の廃墟へと変貌していた。壁紙は剥がれ落ち、その下からは血管のように蠢く、錆び付いた配管が覗いている。天井のシャンデリアは明滅を繰り返し、床には粘つく黒い液体が溜まっていた。空気中には、灰色の粒子と、テレビの砂嵐のようなデジタルノイズが常に舞っている。
甘ったるい腐敗したクリームの匂いと、鉄錆の匂い、そして消毒液のような無機質な匂いが混じり合い、吐き気を催させた。
店内に設置されたスピーカーからは、途切れ途切れに、そしてノイズ混じりに店内放送が流れ続けている。可愛らしいはずの萌え系アニソンが、まるでレコードの回転数を間違えたかのように、低く、引き伸ばされた不気味なメロディと化していた。時折、「萌え萌え…きゅん…」という、雨宮しずく自身の、か細く、絶望に満ちた声が、壊れたレコードのようにリフレインする。
その中央で、彼女は汚れたメイド服を着たまま、床に散らばった割れた皿の破片を、ただひたすら拾い集めていた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…私が、お店をめちゃくちゃにしちゃったから…」
涙で濡れた頬を拭うこともせず、彼女は小さな声で、無限に謝罪を繰り返す。
壁中に設置された古いブラウン管モニターが、砂嵐の奥に、過去のしずくを映し出す。客にドジを叱られている映像、同僚のメイドたちが陰で彼女の悪口を言っている映像が、繰り返し、繰り返し、再生されていた。「あの子、トロいよね」「見ててイライラする」その音声が、店内に不気味に響き渡る。
この「衆人環視の地獄」の音量が最大になった時、それが引き金となり、カウンターの奥から、**“錆喰いのメイドオートマタ” 聖奈(セイナ)**が、関節を軋ませながら、しずくを「罰する」ために動き出す。
完璧に仕立てられた黒いロングのメイド服は、裾や袖口が赤黒く錆び付き、ボロボロになっている。その顔は、ひび割れた白い陶器の仮面で覆われ、その亀裂の奥から、感情のない赤い光が漏れていた。その動きは、人間的な滑らかさを一切欠き、首や関節が、カクカクと不気味な音を立てて動く、壊れた自動人形そのものだった。
「――無駄よ、雨宮さん」
氷のように冷たい声が、しずくの背中に突き刺さる。
「いくらお掃除しても、もう誰もここへは来ない。だって、あなたの萌え萌えきゅんは、誰も幸せにできなかったんだから」
聖奈の影の言葉は、この精神世界の絶対的な法則。しずくの魂を、永遠にこの牢獄へと縛り付ける、呪いの言葉だった。
【承:女王の揺り籠と、王の葛藤】
K-PARKの戦場は、混沌を極めていた。
既に美徳に覚醒していたK-MAXのメンバーたちは、それぞれの魂を具現化した覚醒衣装と覚醒武器を手に、『虚ろな玉座に座すもの』と死闘を繰り広げていた。漆黒のゴスロリ甲冑【リベリオン・メイル】を纏い、棘付きの戦斧へと変形させたギター【ソウルイーター】を振り回すアゲハ。純白の聖歌隊のような【アフェクション・ローブ】をはためかせ、癒やしの光を放つマイクスタンド【セレスティアル・スタッフ】を掲げるキララ。スレンダーな【アルケミスト・ベスト】姿で、銀のシェイカー【サンクチュアリ・グレイル】から支援効果のある光のカクテルを生成する詩織。気高き黒鳥のような【ノワール・イノセンス】を翻し、指先から伸びる漆黒の光の糸【フォーカス・ストリングス】で敵を捕らえるみちる。献身的な【ブランシュ・カリタス】のドレスアーマーに身を包み、巨大なハートの盾【アミティエ・ガーディアン】を構えるまりあ。そして、戦場のカメラマンとして真実を写す【ヴェリタス・フレーム】を構える夜瑠。覚醒した彼女たちの力をもってしても、敵はあまりにも強大だった。
「クソがッ! 効かねえ…! なんだよコイツ、不死身かよ!?」
アゲハが叩きつけたシャウトの衝撃波を、『虚ろな玉座に座すもの』は、まるで極上のディナーを味わうかのように、その身に纏う茨のローブで吸収していく。空間の音が真空に吸われるような、絶対的な無音が支配し、喉の奥に鉄錆の味が広がった。
怪物の精神攻撃は、耳で聞く音ではない。魂の鼓膜を直接震わせ、脳の奥でガラスを爪で引っ掻くような不快な残響を無限にリフレインさせる。それだけじゃない。そのノイズに触れた者は、喉の奥に鉄錆の味を感じ、視界の端に存在しないはずの無数の蟲が蠢く幻覚を見るのだ。
そして、その最も悪質な矛先は、一人の少女に集中していた。
「――姫宮あんじゅ! お前の笑顔は嘘だ!」
「――ガワを剥いだら、誰もオマエのことなんて見やしない!」
「――承認欲求の化け物が!」
「きゃあああああああっ!」
姫宮あんじゅは、両手で耳を塞ぎ、その場にうずくまった。アバターが、バチチと激しいノイズを発して明滅する。
「私のせいだ…! 私がステージに立ってるから、みんなが…!」
過去のトラウマが、怪物の力によって、現実の刃となって突き刺さる。彼女はパニックに陥り、完全に戦意を喪失してしまった。
その時、タワマンの司令室で、戦況をモニターしていた莉愛の指が、コンソールの上で凍りついた。
「な…に…? この信号パターンは…しずくちゃん!? 生きてたの!? でも、発信源が特定できない…!」
莉愛は、しずくから発信される微弱なSOS信号の周波数を見て、さらに目を見開いた。「この周波数…! 敵の精神攻撃と、完全に一致している…!」
報告を受けた俺は、激しい消耗で悲鳴を上げる『紅い魔眼』を酷使し、全ての魂が放つ固有の周波数を視た。
(…なんだ…? あんじゅの魂の周波数が、他の奴らと違う…。彼女の魂は、『嘘』と『本音』という二つの側面が、常にせめぎ合っている。その不安定な境界線が、まるで異物を隠すための最高の『ノイズ』になっている…。まさか、あいつのエリアは…!)
俺の『紅い魔眼』が、K-PARKの構造を透過し、その一角にある光景を幻視する。
――パステルカラーで彩られた、可愛らしい部屋。その中央に立つアンティークの姿見。その鏡の影から、ぬるり、と黒曜石のような触手が一本、音もなく這い出て、床のレースのラグを確かめるように撫でている。――
(…なんだ、今のは…!? まるで、何かが…あそこを『揺り籠』にして、目覚めの時を待っているような…!)
(あんじゅの魂が放つ『嘘と本音の狭間で揺れる周波数』と、しずくの魂が発する『偽りの自分(聖奈)と本当の自分の間で苦しむ周波数』が、奇跡的なレベルでシンクロしている…! 他の誰でもない、あんじゅだけが、この地獄への扉を開けられるんだ…!)
仲間たちが傷ついていく光景を前に、俺は自らの無力さに奥歯を噛み締める。
(クソ…! 俺のせいだ…! 俺の記憶がねえから、あいつらをこんな目に…! だが、それでも…俺にできることは、あいつらを信じることだけだ…! 行け、あんじゅ…! 俺たちの希望を、お前に託す…!)
俺は、司令室にいるであろう莉愛に向かって、戦術通信回線を開き、魂の底から絶叫した。
「莉愛! 聞こえるか! あんじゅの魂をしずくの精神世界に強制ダイブさせろ! 周波数は同期している! チャンネルをこじ開けられるのは、お前のハッキングだけだ! 今すぐやれッ!」
インカムの向こうで、莉愛が息を呑む気配がした。無茶な要求だ。だが、彼女ならやれる。
俺は通信を切ると、今度は、すぐ側でノイズに身を苛まれ、うずくまっているあんじゅの肩を掴んだ。その華奢な体が、恐怖で小刻みに震えている。
「あんじゅ!」
俺は、彼女の瞳を真っ直ぐに見据えた。恐怖に濡れたその瞳に、俺自身の覚悟を映し込むように。
「聞こえるか! 怖がるな! 俺が、お前を信じてる。 お前にしか、しずくは救えねえんだ!」
俺の、プロデューサーとしての、王としての、絶対的な信頼を込めた言葉。
その声に導かれ、あんじゅは恐怖に震えながらも、ゆっくりと瞳を閉じた。
仲間たちの「あんじゅちゃん!?」という悲鳴が遠のいていく。
瞬間、彼女の意識はK-PARKの喧騒から切り離され、魂ごと光の粒子へと分解されて――あの“ご主人様”のいないメイドカフェへと、強制的にダイブさせられた。
そして、あんじゅという司令塔の一角を失ったK-MAXの戦場は、一瞬にして地獄へと変わった。
リーダー代理の詩織が叫ぶ。「あんじゅさんが帰還するまで、この場は私たちが死守します!」
だが、その決意を嘲笑うかのように、『虚ろな玉座に座すもの』の思念が、俺たちの脳に直接響き渡った。「――好機」
奴は、茨のローブを大きく広げた。すると、その影から、かつて俺たちが倒したはずの『悪徳』嫉妬の一つ目ウサギと、強欲の茨の心臓の、禍々しい幻影(ファントム)が生まれ出た。
「なっ…! あいつら、まだ生きてやがったのか!?」アゲハの絶叫が木霊する。
詩織が号令をかける。「王の帰還を信じて…! 全員、最後の力を振り絞りなさい!」
アゲハのシャウト、夜瑠のフラッシュ、みちるのストリングスが『虚ろな玉座に座すもの』に叩きつけられる。しかし、その全ては、茨のローブに吸い込まれ、全く歯が立たない。この「全力を尽くした上での完全な敗北」が、メンバーたちの心をさらに折っていく。
その時だった。『虚ろな玉座に座すもの』が、初めて苦しげな思念を発した。「――飢えた…もっと、もっとだ…!」
奴は、その白磁の仮面を、ふと『ドリーム・クローゼット』の方向へ向けた。まるで、そこから漂う極上のご馳走の匂いに気づいたかのように。
王は、茨の腕をK-PARKの大地に突き刺す。すると、地面が悲鳴を上げ、亀裂から、別の場所で封印されていた『悪徳』暴食の核を、無理やり引きずり出した。そして、躊躇なく、その核を自らの白磁の仮面の口元へと運び、バリバリと咀嚼するように喰らい尽くす。
王の体が、骨が軋み、肉が引き裂かれる冒涜的な音を立てて膨張・変貌していく。枯れた茨のローブが内側から弾け飛び、その皮膚を突き破って、濡れたように黒光りする筋骨隆々の鎧が形成されていく。ひび割れた仮面の亀裂がさらに広がり、その闇の奥から、昆虫のような無数の複眼が、ぎょろり、と一斉にこちらを見据えた。両腕は変形しながら伸び、全てを断ち切る巨大な大顎の刃へと姿を変える。その存在そのものがK-PARKの物理法則を歪ませ、周囲の空気が鉛のように重く、冷たくなっていく。
その姿は、もはや「王」ではない。『終末の捕食者、虚ろな玉座』の誕生だった。
誰もが、終わりを覚悟した、その瞬間だった。
【転:偽りの夜明け】
あんじゅが降り立ったのは、割れた皿を拾い続けるしずくと、彼女を嘲笑う聖奈の影が対峙する、絶望のステージだった。
「あら、新しいおもちゃが来た。ちょうどいいわ」
聖奈の影は、あんじゅへとその意識を向ける。その視線は、あんじゅが心の奥底に隠していた、最も見られたくない弱さ、「本当の自分を隠している」という罪悪感を、的確に暴き立てた。
「あなたのその嘘で塗り固められた魂も、一緒に掃除して差し上げますわ」
カシャン! という甲高い音が響くと、聖奈が投げ捨てた銀食器は粘つく黒曜石のような泥に包まれ、その形を禍々しく歪ませていく。
一体は、全身の鱗がナイフの刃そのもので出来ている、おぞましい蜥蜴、『断罪のナイフリザード』へと姿を変えた。ルビーのように赤く輝く瞳であんじゅを捉え、床を削りながら高速で這い寄り、その口から放たれる言葉の刃は、あんじゅの魂の表面を浅く切り裂く幻の痛みとなって襲いかかる。
もう一体は、壁や天井を自在に駆け巡る、四足の獣。その背中からはフォークの歯が無数に突き出し、まるで鋼鉄のハリネズミのようだ。『戒律のフォークビースト』。金属が擦れ合う甲高い音を立てながら、あんじゅの思考そのものを縫い付けられるような息苦しさを伴う「ルール」の棘を、全方位から撃ち放ってくる!
「やめて…! 私は…嘘つきだから…!」
あんじゅは、無限に湧き出るクリーチャーを前に、その場にうずくまる。もう、ダメだ。私なんかが、誰かを救えるわけがない。
だが、その時だった。
それまで、ただ絶望に打ちひしがれていたはずの、本物のしずくが、魂の底から叫んだ。
「――違う! あんじゅちゃんは、嘘つきなんかじゃない!」
その声は、弱々しかったが、どんな罵声よりも、どんな応援よりも、あんじゅの心に、深く、深く突き刺さった。
「あなたの笑顔は、私を、たくさんのお客さんを、本当に幸せにしてくれた! それが…! それが嘘なわけないじゃない!」
聖女の、魂からの肯定。
それは、あんじゅがずっと心の底で求めていた、たった一つの「本当」だった。
「…しずくっち…」
あんじゅの心に、温かい光が灯る。涙が、頬を伝った。
「そうだよ…私の嘘は、誰かを笑顔にするための…私の…私の、真心なんだから…!」
彼女の美徳、【真心】が、ついに覚醒の産声を上げた。
あんじゅのアバターが、まばゆい光の奔流に包まれる。彼女が纏っていたパーカーとミニスカートは、その光を吸収し、再構築されていく。現れたのは、無数の応援コメントと「いいね」の光で編まれた、純白とピンクゴールドのサイバーゴシック・アイドルドレス。その周囲には、半透明のサウンドミキサーUIが浮遊し、手には光のスタイラスペンが握られていた。魂の象徴たる覚醒武器、『全肯定配信システム』の顕現だった。
そして、その光は、奇跡の連鎖を引き起こす。
あんじゅの覚醒の光を浴びたしずくの魂もまた、呼応するように輝き始めた。
「私も…もう逃げない…!」
彼女は、自らを縛り付けていたトラウマの鎖を、自らの意志の力で引きちぎる。
そして、彼女は振り返った。壁のモニターの中、まだ囚われたままの、メイド服を着る前の、臆病だった頃の自分の姿を。
聖奈の影が、そのモニターを指差し、嘲笑う。「無駄よ。お前は、永遠にその弱い自分から逃れられない」
「――いいえ」
しずくは、床に落ちていた聖奈の銀盆を拾い上げた。
「この子も、私だから!」
彼女は、その銀盆を、盾ではなく、武器として振りかぶり、自らの手で、モニターを叩き割った。
ガシャン! という轟音と共に、モニターが砕け散る。ガラスの破片の中から溢れ出した光が、しずくのアバターへと吸い込まれ、二つの魂は、ついに一つになった。
「聖奈さんも、ずっと、苦しかったんですね」
その言葉と共に、彼女のアバターがまばゆい光に包まれる。
汚れたメイド服は光の粒子となって霧散し、その内側から、全く新しい姿が顕現していく。
穢れを知らない雪のような白さを基調としながらも、裾や袖口に生命樹の若葉を思わせる淡いミントグリーンのグラデーションが施された、純白のシルクのロングドレス。胸元には、かつてのエプロンを彷彿とさせる、夜明けの空のような淡い水色の聖衣が重ねられ、そこには銀糸で世界樹の紋様が緻密に刺繍されている。頭にはメイドカチューシャではなく、白樺の枝を編んだかのような繊細な銀のサークレットが輝き、額の涙滴型の宝石が穏やかな光を灯す。
そして、その背中から、純粋な【慈愛】のエネルギーが凝縮して生まれた、六枚の半透明の光翼が、金色の粒子を振りまきながら広がった。
彼女の手には、白樺の木でできた美しい錫杖――『生命樹の錫杖』が出現していた。
しずくの美徳、【慈愛】の、完全なる覚醒。それは、奉仕するメイドから、救済する聖女への変身。覚醒衣装【慈愛の熾天使】の誕生だった。
内なる地獄で、覚醒した二人の聖女が、手を取り合った。
あんじゅの叫びに呼応し、彼女の周囲に浮遊していたサウンドミキサーUIが、黄金色の光を放ちながら高速で回転を始める。彼女が光のスタイラスペンを振るうと、それは絶対的な肯定のコマンドを空間に描き出した。
command_execute("ALL_AFFIRMATION");
彼女の口から放たれた【真心】の歌は、聖なる音響プログラムとなって空間を満たす。その歌声に触れた『断罪のナイフリザード』と『戒律のフォークビースト』は、まるでバグを起こしたかのように動きを止め、その禍々しい体が内側から光のデータとなって崩壊していく。
しずくが掲げた生命樹の錫杖の先端から、春の陽だまりのような温かい【慈愛】の光が、津波のように溢れ出す。その光は、聖奈の影の凍てついた心を溶かすだけではない。あんじゅの歌声と共鳴し、戦いの余波で傷ついていたカフェの空間そのものを修復し、錆び付いた配管にはデジタルの蔦が絡み、床の黒い液体は清らかな泉へと変わっていく。二人の聖女の覚醒は、地獄を楽園へと作り変える、創世の奇跡だった。
「…なぜ…なぜ、お前たちはそんなに強い…? 私は、完璧でなければ、誰にも愛されないと…ずっと思っていたのに…!」
聖奈の影が、初めて感情を露わにする。
しずくは、自らを虐げたその影に、優しく手を差し伸べた。
「…私が、あなたの“ご主人様”になります。だから、もう、一人で頑張らなくていいんですよ」
その究極の【慈愛】が、聖奈の影を浄化し、安らかな光へと還していった。
【結:女王降臨、そして王権簒奪】
あんじゅの意識はK-PARKの戦場へと帰還した。
仲間たちは、進化を遂げた『終末の捕食者、虚ろな玉座』を前に、満身創痍で倒れている。
「みんな!」
あんじゅが駆け寄ろうとした、その瞬間だった。
聖奈の影が浄化され、安らかな光の粒子となって天に昇っていく。だが、その光はK-PARKの空に吸収されることなく、一点へと集束し、やがて空間そのものを引き裂く黒い亀裂へと変貌した。まるで、光の浄化によって生まれた「魂の空席」に、待っていたかのように何かが降臨するかのようだ。
そして、その亀裂は、あんじゅの不在によって主を失った『ドリーム・クローゼット』の姿見へと繋がっていた。
鏡面が、内側からの力で激しく震え、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。その亀裂から、黒い光とデジタルノイズが奔流のように溢れ出し、無数の暗黒の触手が、ガラスを突き破って現実空間へと殺到する!
満身創痍のK-MAXが、『終末の捕食者、虚ろな玉座』にとどめを刺そうと、最後の力を振り絞った、まさにその瞬間。
突如、『終末の捕食者、虚ろな玉座』の動きが完全に停止した。
その漆黒の鎧の全身から、先ほど『ドリーム・クローゼット』から溢れ出した、無数の黒い影の触手が、まるで内側から突き破るように迸り出る。
「ギ…シ…マ…セ…ン……ワ…タ…シ…ノ…ニ…ワ……デ…」
『終末の捕食者、虚ろな玉座』が、初めて苦悶と恐怖に満ちた、壊れた音声を発した。その声は、一体化した三つの悪徳のものではない。第四の人格――『莉子の影』に乗っ取られ、その支配に抵抗している悲鳴だった。
黒い影の触手は、捕食者の体を養分とするかのように喰らい尽くし、一点へと収束していく。
そして、その中心から、ゆっくりと、一人の少女の姿が形作られていく。
ベースは、聖奈の黒いメイド服。しかし、その背中からは、『暴食』の巨大な大顎の翼が生え、両腕は、全てを切り裂く漆黒の刃へと変貌している。顔は莉子のものだが、その瞳は憎悪に赤く輝き、メイド服の胸元には、茨の心臓が、不気味に脈動していた。
そこに現れたのは、しずくによく似ているが、もっと大人びていて、その瞳に、底なしの孤独と、世界への憎しみを宿した、見知らぬ少女の『影』だった。
あんじゅは、その少女の姿に、なぜか見覚えがあった。そうだ、俺の失われた記憶の中にいた、あの――
少女の影は、満身創痍のK-MAXを見下ろし、氷のように冷たい声で、こう告げた。
「――おままごとは、終わりよ」
「出来損ないの人形たちが、私の庭で、これ以上騒ぐのは許さない」
それは、ネットワークの最深部『深層情報アビス』に眠る、『本物の橘莉子』の魂が放った、憎悪の影(シャドウ)だった。しずくの覚醒によって灯ったビーコンの光を逆流し、悪徳の残骸を喰らい、このK-PARKに降臨したのだ。
『莉子の影』は、指を一つ鳴らす。
それだけで、K-MAXのメンバー全員のアバターが、見えない重力に押しつぶされるかのように、地面に叩きつけられた。だが、それは物理的な圧力ではなかった。魂を直接握り潰すような、絶対的な『孤独』の波動。キララが、すぐ隣で呻く親友に手を伸ばそうとするが、その指先は虚しく空を切った。届かない。アバターが動かないのではない。魂の繋がりそのものが、断ち切られているのだ。K-MAXの力の源である「絆」が、莉子の、俺とのあまりに強すぎる「絆」の前では、児戯に等しいとでも言うように、完全に無効化されていた。
『莉子の影』は、俺――圭佑の前に、ゆっくりと歩み寄る。
俺は、後方で膝をついたまま、その圧倒的な存在感を前に、金縛りにあったかのように動けなかった。
彼女は、俺の目の前でしゃがみ込むと、その冷たい指先で、俺の顎をくいと持ち上げた。
その指が触れた瞬間、俺の脳裏に、灼けるような痛みが走る。
――夕暮れのひまわり畑。泣きじゃくる少女。俺の手に握られた、冷たくて、硬い、何か。
そして、彼女は、逃れられない絶望を宣告するかのように、哀しげに、そしてどこか懐かしそうに、微笑んだ。
「――久しぶり、圭ちゃん」
「約束、覚えてる?」
「君が、私を殺してくれるっていう、あの約束を」
彼女の言葉を最後に、K-MAX全員の意識が、強制的にシャットダウンされた。
【エピローグ:現実への侵食】
現実世界。タワマンのダイブチャンバーが、けたたましいアラート音を鳴り響かせる。ダイブしていたメンバー全員が、意識を失い、危険なバイタルサインを示していた。
病院のベッドで、雨宮しずくが、血の涙を流しながら、絶叫する。
「いやあああああああああっ!!」
そして、タワマンの司令室。全てのモニターがブラックアウトし、中央に、たった一言だけ、メッセージが表示されていた。
『――The Queen has returned.(女王が帰還した)』
成り上がり~炎上配信者だった俺が、最強の女神たちと世界をひっくり返す話~ 浜川裕平 @syamu3132
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