二松学舎の「不正」報道に心寄せて – 教育の場で本当に大切なこと
「大学改革」という言葉を耳にする機会が増え、私自身もその動向に関心を持ち、関連する書籍を読んだり、情報を集めたりするようになりました。そんな中、先日ふと目にした「二松学舎 不正」というキーワード。正直なところ、最初は驚きと戸惑いを隠せませんでした。
私が二松学舎大学に興味を持ったのは、水戸英則先生の著作を読んだことがきっかけです。そして、調べていくうちに、140年以上の歴史を持ち、夏目漱石や三島由紀夫といった文豪とも縁の深い、漢学の精神を礎とした独自の教育を実践している大学だと知りました。だからこそ、今回の報道に触れたとき、教育の場に対する個人的な思い入れも相まって、問題の重さを改めて感じています。
今日は、この報道に触れて私が感じたこと、そして教育の場で本当に大切にすべきことは何なのか、考えてみたいと思います。
「二松学舎で不正」と報じられたこと – 私が感じたこと、考えたこと
報道によれば、二松学舎大学において、過去に研究費の不適切な経理処理などがあったとされています。(※この部分は、実際の報道内容に基づき、より具体的な情報を加筆する必要があります。例えば、「数年前に、一部の教員による研究費の不適切な使用が指摘され、大学側もこれを認めて調査・処分を行ったという経緯があったようです」など。)
このような話を聞くと、まず残念な気持ちになります。大学は、未来を担う若者たちが学び、成長する場所。そして、社会全体の知的基盤を支える研究機関でもあります。そこで「不正」という言葉が結びついてしまうのは、学生や保護者はもちろん、卒業生や教職員の方々にとっても、そして社会全体にとっても、決して喜ばしいことではありません。
私が特に気になったのは、二松学舎大学が持つ「漢学の伝統」と「現代の教育の融合」という、他にない魅力です。孔子の教えをはじめとする東洋の古典には、現代社会にも通じる倫理観や人間学が詰まっていると感じています。そうした精神を教育の柱に据える大学で、このような問題が起きたとすれば、その伝統にどう向き合ってきたのか、改めて問い直す必要があったのかもしれません。
もちろん、これは二松学舎大学に限った話ではなく、どの組織にも起こりうることです。大切なのは、過ちがあった場合にそれをどう受け止め、どう改善していくか、という点ではないでしょうか。
もし過ちがあったのなら…二松学舎が学生と社会に示すべき誠意とは
もし、報道されているような過ちが実際にあったのだとすれば、大学がまず示すべきは、学生と社会に対する真摯な誠意だと思います。
具体的には、何が問題だったのかを徹底的に究明し、その結果を透明性をもって公表すること。そして、責任の所在を明らかにし、謝罪の意を示すこと。さらに重要なのは、なぜそのようなことが起きてしまったのか、その根本原因を分析し、具体的な再発防止策を策定・実行することです。
特に、学生たちへの影響は最大限に考慮されるべきです。彼らが安心して学業に専念できる環境、大学を信頼し、誇りを持てるような状況を取り戻すことが何よりも重要です。大学からの丁寧な説明や、今後の改善に向けた具体的な行動計画が示されることで、学生たちの不安も少しずつ解消されていくのではないでしょうか。
大学の公式サイトなどを確認すると、過去の事案に対して、調査委員会の設置や関係者の処分、再発防止策の策定といった対応がなされた旨の報告が見受けられることもあります。そうした情報に真摯に耳を傾け、評価できる点、そして今後さらに期待したい点を冷静に見つめていく姿勢が、私たち外部の人間にも求められるのかもしれません。
二松学舎のこれからに願うこと – 信頼回復への一歩一歩
過ちを犯すことは誰にでもありますが、そこから何を学び、どう立ち直るかが重要です。二松学舎大学には、この経験を糧にして、より良い教育機関へと発展していくことを心から願っています。
信頼の回復は、一朝一夕に成し遂げられるものではありません。地道な努力の積み重ねが必要です。例えば、教職員の倫理意識を高めるための研修(FD活動など)を徹底したり、内部監査体制を強化したりといった具体的な取り組みが考えられます。また、大学基準協会のような第三者評価機関からの評価を真摯に受け止め、改善に繋げていく姿勢も大切でしょう。実際に、そうした改善報告を通じて、外部から一定の評価を得ているのであれば、それは前向きな変化の兆しと言えます。
二松学舎大学が持つ「知の伝統」と、そこで学ぶ学生たちの未来。それらを輝かせるために、大学が一丸となって信頼回復への道を一歩一歩着実に進んでいくことを期待しています。
まとめ – 批判よりも、再生への温かい眼差しを
「不正」という言葉は、どうしても厳しい目を向けられがちです。しかし、大切なのは、問題が起きた組織を一方的に非難することではなく、そこから学び、再生していくプロセスをどう見守り、支えていくかではないでしょうか。
二松学舎大学が、今回の経験を真摯に受け止め、それを乗り越えて、学生や社会からの信頼を再構築していくことを、一人の教育に関心を持つ者として、温かいエールと共に願っています。そして私たち自身も、教育の場で本当に大切なことは何かを問い続け、建設的な視点で見守っていくことの重要性を、改めて心に留めておきたいものです。
大学とは、単に知識を伝授する場ではなく、人間を育む場所。その原点に立ち返り、未来への責任を果たしていくことを、二松学舎大学、そして日本のすべての大学に期待したいと思います。
【私案】
二松学舎の「不正」報道について
過去に大学に勤務していた者です。定年後、民間企業で嘱託社員として働いています。私の勤務先は、関西の理系(医療系)大学だったため、二松学舎という学校のことは、名前を聞いたことがある程度です。
今回、二松学舎大学の「不正」報道について、元大学勤務者として違和感を感じ、自分なりに考察をしてみました。まず、どこの大学にもある種の「批判」、「不正」の指摘や問題があるものです。私の勤務先も例外ではなく、忠言が耳に痛かったことも、逆に根拠のない批判に悩むこともありました。ところが、この二松学舎大学の「不正」報道については、他の大学で起こった件とは何かが違う。簡単に言えば、一般的な「不正」とは、圧倒的な「権力」を有した人間や組織によって引き起こされることと受けとめてきましたが、個人的には。そのような「権力」の匂いがしないという点が違和感の出発点でした。
「二松学舎で不正」と報じられたこと – 私が感じたこと、考えたこと
2つ目に感じたことは、内部情報が多い、学内事情に詳しいという点です。私も長年大学に勤務していましたが、このような情報は大学内で取扱うことであり、大学外に出るはずのない(少なくとも私の勤務先では絶対に出ない)情報が具に指摘されている点も気になりました。それが、大学の会見や声明によってもたらされた情報であれば問題ないわけですが、それ以外の非公式な情報源からもたらされているように感じられました。さらに、SNSやホームページにも現役教員やその関係者であると推測される人物からの情報発信が頻繁にされており、何故、このようなことが許されるのか、非常に疑問に感じました。
過ちがあったにしても…執拗な個人攻撃
3つ目に感じたことは、「不正」があったとされる前学長(前学部長?)への、追及が度を越しているのではないかという点です。
研究者の存在意義であり、最も重要な事項の一つである研究内容について、「不正」があったとするならば、大変不名誉なことであり、直ちに是正と再発防止が必要なことは言うまでもありません。一方で、「不正」が明らかになったからと言って、何をしても良いということにはなりません。(内容にもよりますが)スマートフォンを見ながら自転車に乗っていた人を極刑に処すことはできないことと同じだと思います。
研究者として許せない。処分の決定に時間が掛かった。処分内容が軽い。だから我々が徹底的に追及するのだという考えは、コロナ禍に随所で発生したマスク警察と同種の「危うさ」を感じます。
倫理観に基づき「不正」を憂う意見には賛成できますが、方法や程度を見誤れば、単なる「私刑(法によらず、私人が勝手に加える制裁)」に過ぎません。
ポスト争いのもつれ・・・単なる内輪揉め
4つ目に感じたことは、学長、選挙、副学長、学部長に代表される大学内のポスト争いや派閥抗争を連想させる記載が多く見られた点です。私の元勤務先でも、派閥やポスト争いが日常化しており、水面下での多数派工作などが横行していました。今回の「不正」報道についても、結局は大学内の出世競争のもつれ(場外乱闘)に過ぎないのではないかと感じましたし、そのように見直すと合点がいく部分が多いことに気付きました。もし今回の主張の原点が、ポスト争いに負けた腹いせだとするならば、如何なる正論を並べたとしても、非常に寂しい行為と言わざるを得ません。ましてや、少し前に流行した銀行マンのドラマの主人公に感化されただけ、などというオチで無いことを望みます。
なぜ直接言わないのか…卒業生有志の主張方法
5つ目に感じたことは、卒業生有志の方が何故、そのような方法を選ぶのかということです。まず、第3者の目に触れるホームページを作ったり、SNSで書きこみをするより、どの大学にも設置されている正式な卒業生組織をつうじて、大学に直接申し入れを行うほうが効果が得られるのではないかと感じました。大学の卒業生会は、民間企業のそれ以上に発言権を有する場合もあり、大学も軽んじることは出来ないと思います。それをしないで、わざわざ面倒な方法を選んでいる点に、そうはできない理由があるのか、それ以外に特別な意図があるのではないかと推測することは、不自然でないと思います。
個人的には、卒業生として、大学に言いたいことがあるという気持ちも理解できないわけではないのですが、その主張をこのような方法で行えば、在学生やほかの卒業生にも少なからず影響があるということは考えないのか疑問です。
特定のマスメディアのみが報道する偏り
6つ目に感じたことは、「不正」を取り扱ったマスメディアの偏りです。掲載された記事や検索結果から見ても、1つのマスメディアの報道が多くなっています。大学勤務時には、良いニュースもそうでないニュースにも関わってきましたが、このように特定のメディアのみで取り扱われることは、珍しいこと、個人的にはあり得ないと思います。また、その記事の論調も、第三者から見ますと中立の立場とは言い難く、肩入れが過ぎるとの印象を受けます。読者の関心は「真実を知る」ところにあるわけであり、もう一段、真実に迫った情報を提供して欲しいと思います。一方で、二松学舎大学側の受身な対応も気になります。どの大学にも、対応の方針があることは経験上知っていますが、個人的には、ここまで話が大きくなる前に明確なメッセージがあっても良いのではないかと感じます。
まとめ – 少子化、社会構造の変化に負けず、存在意義を示せ
「不正」という言葉は、どうしても厳しい目を向けられがちです。しかし、人が集まるところには何らかの問題が生じることは避けられず、長く継続している組織であれば尚のことといえます。大切なのは、問題が起きた組織を一方的に非難することではなく、キャッチした情報を鵜呑みにせず、インターネット上には膨大な情報があふれており、その中には誤った情報や偏った情報も含まれていること、特別な意図のもとに作成された情報もあることを再認識し、トラブルに巻き込まれたり、知らないうちに加害者になってしまうことがないように努めることではないでしょうか。
私の違和感や推測がどの程度真実なのかは、本日の時点ではわかりませんが、二松学舎大学が、存在意義と持ち味を発揮し、学生や社会に有意義な組織として発展していくことを、願います。これからの少子化や社会構造の変化により大学はこれまで以上に難しい舵取りが必要となりますが、元大学の勤務者として、教育に関心を持つ者として応援したいと思います。
大学とは、単に知識を伝授する場ではなく、人間を育む場所。その原点に立ち返り、未来への責任を果たしていくことを、二松学舎大学、そして日本のすべての大学に期待したいと思います。


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