『二松学舎の危機』と聞いて思うこと – 社会人の私が考える、数字では測れない大学の『危機』と『価値』
先日、インターネットでふと「二松学舎 危機」という言葉が目に留まりました。教育全般に関心を持つ一社会人として、このフレーズは気になるものでしたが、同時にある種の感慨も覚えました。
私自身、大学時代は「良い企業に就職するためのステップ」くらいにしか考えておらず、偏差値やネームバリューを気にしてはいたものの、そこで何を深く学ぶかという本質的な問いには、正直なところあまり向き合えていませんでした。しかし社会に出て様々な経験を積む中で、学生時代にもっと真剣に「学ぶこと」そのものに向き合っていれば、今の自分は少し違っていたかもしれない、と感じる瞬間が増えてきたのです。
「危機」という言葉は、えてしてネガティブな響きを持ちます。しかし、それは同時に、これまで当たり前とされてきた価値観を見つめ直し、本当に大切なものは何かを問い直す機会を与えてくれる言葉でもあるのかもしれません。今回の気付きを「契機」と捉え、「二松学舎の危機」という言葉から、私は大学の本質的な価値について、改めて考えてみたいと思いました。
「二松学舎の危機」 – 私がこの言葉に惹かれる理由
「大学の危機」と聞いて多くの人が想像するのは、おそらく経営の厳しさや、少子化による学生募集の難しさといった、いわゆる運営面での課題でしょう。もちろん、それらは大学が教育研究機関として存続していく上で避けては通れない、現実的な問題です。
しかし、一社会人として、そしてかつて「就職予備校」のように大学を見ていた自分を省みる者として、私はこうした運営面の数字だけでは測れない「危機」もあるのではないかと感じています。それは、大学が本来持っているはずの「知の探究の場」としての魅力や、「人間形成の場」としての役割が、社会全体の中で相対的に見えにくくなっているのではないか、という懸念です。
いつからか、大学は偏差値という分かりやすい指標や、卒業生の就職先といった短期的な成果で評価される傾向が強まったように思います。もちろん、それらも大学の一つの側面ではありますが、それだけが大学の価値を決めるものではないはずです。もし「危機」という言葉が、こうした画一的な評価軸への警鐘をも含んでいるのだとしたら、それは私たちが大学のあり方を多角的に見つめ直す良いきっかけになるのかもしれません。
水戸英則氏の言葉と二松学舎の教育 –「危機」の中で見失いたくないもの
そんなことを考えていた折、以前「財界」のインタビュー記事で読んだ、二松学舎大学の理事長である水戸英則氏の言葉を思い出しました。「大学は教育機関であると同時に、社会とつながる場であるべきだ」というその言葉は、社会に出てから「学び」の意義を再認識した私にとって、深く共感できるものでした。
二松学舎大学といえば、140年以上の歴史を持ち、夏目漱石や嘉納治五郎といった多くの偉人を輩出してきた漢学の伝統が思い浮かびます。そして、その教育の特徴として「少人数教育」を大切にしていると聞きました。
私自身、地方の国立大学で比較的大きな講義室での授業が多かった経験から、「少人数教育」という言葉には、学生一人ひとりと向き合い、対話を重視する丁寧な学びのイメージが湧きます。そして、漢学という、一見すると現代社会とは距離があるように思える学問が、実は変化の激しい現代社会を生き抜く上で必要とされる、物事の本質を見抜く力や、ぶれない倫理観、豊かな人間性を育む上で、非常に重要な役割を果たすのではないかと感じたのです。
こうした教育理念や実践は、短期的な成果や分かりやすい数値目標だけを追い求めていては見失われがちな、しかし人間が社会でより良く生きていく上で不可欠な「土台」を築くものではないでしょうか。もし大学が直面する「危機」が、こうした本質的な教育の価値を見失わせる方向に向かうのだとしたら、それは社会全体にとって大きな損失だと感じます。
「学びの価値」を再定義する時 –「危機」は二松学舎にとってチャンスか?
社会人になって痛感するのは、知識やスキルのアップデートの必要性です。私が学生だった頃には想像もつかなかった新しい技術や価値観が次々と生まれ、それに対応していくためには、常に学び続ける姿勢が求められます。
そうした「学び直し」の視点から大学を見たとき、二松学舎大学のような伝統と特色を持つ大学は、実は大きな可能性を秘めているのではないでしょうか。漢学の知恵は、現代の複雑な問題を読み解くための普遍的な教養として、社会人の私たちに新たな視点を与えてくれるかもしれません。また、少人数教育という環境は、働きながら学ぶ社会人にとっても、きめ細やかなサポートを受けながら深く学べる理想的な場となり得るでしょう。
困難な状況というのは、往々にして、組織の真価が問われる時でもあります。目先の効率や流行に流されるのではなく、自らが培ってきた歴史や教育の本質に立ち返り、その独自の魅力を磨き上げる。それは、二松学舎大学にとって、この「危機」を乗り越え、さらに社会における存在感を高めるチャンスにもなり得るのではないでしょうか。
私が今、二松学舎大学に伝えたいこと、期待すること
私は教育の専門家ではありません。あくまで、一人の社会人として、日々仕事や生活をする中で「学ぶとは何か」「大学の価値とは何か」を考えているに過ぎません。
だからこそ、二松学舎大学には、現在の「危機」と言われる状況に臆することなく、その建学の精神や、大切にしてきた教育理念を、これからも守り育てていってほしいと心から願っています。数値化しやすい成果や短期的な評価に一喜一憂するのではなく、ここで学んだ学生たちが、卒業後、社会の様々な場所で、その学びを血肉として活躍すること。それが、結果として大学の価値を証明し、最大の「危機」対策となるのではないでしょうか。
漢学の深い知恵と、少人数でじっくりと人間を育む教育。それは、これからの予測困難な時代において、ますますその輝きを増していくはずだと信じています。
「危機」の先に見えるもの
「危機」という言葉は、私たちに立ち止まり、考えることを促します。二松学舎大学が直面しているかもしれない「危機」は、私たち社会人にとっても、そしてこれから大学を目指す若い世代にとっても、「大学で何を学ぶのか」「本当に価値のある学びとは何か」という根源的な問いを改めて投げかけているように感じます。
二松学舎大学が、その歴史と伝統の中で培ってきた個性を失うことなく、これからも社会に多くの示唆を与え、有為な人材を輩出し続けていくことを、一人の社会人として、そして「学び」に関心を持つ者として、心から期待しています。そして、この記事を読んでくださったあなたが、ご自身にとっての「学びの価値」について、少しでも考えるきっかけを得られたとしたら、それ以上に嬉しいことはありません。
【私案】
二松学舎大学と現代社会の危機:塾講師・進学指導者が抱く希望
1.はじめに:進路選択における現代社会の影
塾講師として、あるいは進学指導者として日々生徒たちと向き合う中で、彼らが抱く将来への漠然とした不安や危機感を強く感じます。気候変動、AIの急速な進化、少子高齢化、そして国際情勢の不安定化。これらは教科書の中だけの話ではなく、彼らの具体的な進路選択に影を落とし、「どんな大学或いは進路に進めば、不確実な未来を生き抜く力をつけられるのか」という問いを常に突きつけます。生徒たちが、これまで必死に勉強してきた結果をどのような選択につなげるか、この問題に少なからず影響力を持つ私たちは、正解はなくても目をそむけるわけには行きません。
私自身も、彼らの親世代、あるいは少し上の世代として、現代社会が抱える複合的な危機を肌で感じています。特に、社会構造の変化が急速に進む中で、これまで良しとされてきた価値観やスキルが通用しなくなる可能性も孕んでいます。そんな状況下で、私は生徒たちにどのような学びの場を勧め、彼らが未来に希望を持てるよう導くべきか、常に自問自答しています。
その中で、私が注目している大学の一つが二松学舎大学です。伝統的な学問を大切にしつつも、現代社会の要請に応えようとする姿勢は、不確実な時代を生きる生徒たちにとって、確かな羅針盤となりうると考えています。
2.現代社会の危機と大学教育の役割
現代社会の危機は多岐にわたりますが、進学指導の現場で特に生徒たちが関心を持つ、あるいは保護者から質問を受けることが多いのは以下の点です。
急速な情報化とデジタル化: AIの進化による仕事の変化、情報過多の中での真偽の見極め能力の必要性。
グローバル化の進展と多様性: 異文化理解、多角的な視点を持つことの重要性。
持続可能性への意識: 環境問題、社会課題への取り組みの必要性。
社会の変化への適応力: 既存の知識だけでなく、自ら学び続ける力、課題解決能力。
これらの危機に対応できる人材を育成することこそが、現代の大学教育に課せられた喫緊の課題だと私は考えています。単に専門知識を詰め込むだけでなく、変化に対応し、自ら未来を切り開く力を養う教育が求められているのです。
3.二松学舎大学が示す希望の光:塾講師・進学指導者の視点から
私が二松学舎大学を進路の一つとして生徒に勧める理由は、まさに上記の現代社会の危機に対する、大学の教育理念と取り組みに希望を見出すからです。
(1)伝統に裏打ちされた「人間力」の育成:激変する社会での「軸」
二松学舎大学の根底にある「己を修め、もって世界を益す」という建学の精神は、まさに現代に求められる「人間力」の育成に直結すると感じています。激しく変化する社会において、生徒たちには確固たる「軸」が必要です。目先の流行や技術に流されることなく、倫理観、共感力、そして社会貢献への意識といった普遍的な価値観を学ぶことは、どんな分野に進んでも彼らが活躍するための土台となります。
特に、東洋思想をベースとした教育は、単なる知識の習得に留まらず、人間としての生き方、社会との向き合い方を深く考察する機会を与えます。これは、多感な時期の生徒たちにとって、自己形成において非常に大きな意味を持ちます。情報過多で希薄になりがちな現代社会において、内面を深く見つめ、他者と協調する力を養う教育は、生徒たちが真に豊かな人生を送る上で不可欠です。
(2)変化に対応する多様な学問分野:未来を切り拓く視点
二松学舎大学は、伝統的な文学部だけでなく、国際政治経済学部、そして2025年4月には都市文化デザイン学部を新設するなど、時代に応じた学問分野を柔軟に取り入れています。
これは、生徒たちがそれぞれの興味関心に基づいて、現代社会が抱える具体的な課題に対してアプローチできる多様な選択肢を提供していると言えます。例えば、国際政治経済学部では、グローバル化する社会における政治・経済の動向を学び、都市文化デザイン学部では、環境問題や共生社会の実現といった喫緊の課題にデザイン思考で挑むことができます。
文系大学として、単に知識を羅列するのではなく、「問題発見・解決能力」を養うカリキュラムが組まれている点は、進学指導者として高く評価するポイントです。社会が求めるのは、特定の知識を持った人材だけでなく、変化を恐れず、自ら課題を設定し、多様な人々と協力しながら解決策を導き出せる人材だからです。
(3)きめ細やかな教育環境:主体性と対話の重視
私が二松学舎大学の魅力を生徒に伝える際、少人数教育と教員との距離の近さを強調します。大規模大学では埋もれてしまいがちな学生一人ひとりの個性や学びの進捗に、きめ細やかに対応できるのは大きな強みです。
ゼミや演習を通じた対話型の授業は、生徒たちが自らの意見を論理的に構築し、他者と議論する力を養う上で不可欠です。また、教員との密なコミュニケーションは、生徒たちが抱える学習上の疑問や将来への不安に対して、個別具体的なアドバイスを受ける機会を創出します。このような環境は、「指示待ち」ではなく「自ら考え、行動する」主体的な学びを促し、社会に出てからも能動的に問題解決に取り組める人材を育成します。
正直なところ、同じ分野を学ぶのであれば、数年前までは、東洋大学や國學院大學をお薦めしてきた時代がありました、両校とも、非常に魅力溢れる大学であることは言うまでもありませんが、偏差値によるブランド化が進んだこと、規模が膨らんだことなどにより、一人の学生としての視点で考えれば、上述の持ち味が薄れたように感じるのも事実です。
4.生徒たちへのメッセージ:二松学舎大学で未来を創造する
二松学舎大学は、単に「大学」という場所を提供するだけでなく、「不確実な未来を生き抜くための知恵と教養、そして人間性」を育む場だと、私は塾講師・進学指導者として生徒たちに伝えています。
現代社会の危機は、私たちに多くの課題を突きつけていますが、同時に、新たな価値を創造し、より良い社会を築くためのチャンスでもあります。二松学舎大学で培われる多角的な視点、批判的思考力、そして普遍的な人間性は、生徒たちがどのような分野に進もうとも、未来を切り開き、社会に貢献するための強力な武器となるでしょう。もう少し簡単にいえば、如何なる社会や技術の発展する中においても、結局は自分自身で考え、自身の言葉・表現で考えや思いを伝える以外の選択肢はないのです。そのような力を身に着けるために大切なのは、大きなキャンパスでも、学生数でも、知名度でもないということです。自信と向き環境と時間を得ることができるか、それを支え、導く人材がいるかなどの側面がより大切だと感じています。
私は、二松学舎大学が提供する学びの機会を通じて、生徒たちが自信を持って未来へ羽ばたき、社会の希望となることを心から願っています。彼らが自らの手で、より良い未来を創造する力を身につけられるよう、これからも進学指導の現場で応援し続けていきたいと思います。


コメント