『二松学舎の危機』と聞いて、40代会社員が『学びの価値』を本気で考えた

二松学舎大学といえば、明治10年創立の漢学塾を起源とする、140年以上の歴史を持つ伝統ある大学です。私自身は教育関係の専門家ではありませんが、読書などを通じて日本の大学教育のあり方や改革には以前から関心を持っていました。そうした中で、水戸英則学長の「財界」のインタビュー記事などを拝見し、そのユニークな取り組みや教育理念に注目していた大学の一つでもあります。

その二松学舎大学について、最近、インターネットで「二松学舎 危機」という言葉を目にしました。内容を追っていくと、一部の卒業生か関係者の個人的な主張に過ぎないことがわかりましたので、それ以上の検索はしませんでした。一方で、大学業界全体に迫る「危機」について考える良い機会だと考えました。

「危機」という言葉は、どうしてもネガティブな印象を伴います。しかし、私たち社会人が日々直面する仕事や組織の課題も、見方を変えれば成長の機会であるように、大学が直面する「危機」もまた、その存在意義や教育の本質を改めて見つめ直す機会になるのではないでしょうか。そしてそれは、私たち一人ひとりが「学びとは何か」「キャリアにとって何が重要か」を考える上で、示唆に富むものかもしれません。

二松学舎の危機」 – 情報をどう読み解き、何を学ぶべきか

「危機」として語られる内容は、報道によって様々です。財務状況の厳しさ、学生募集の困難さ、あるいは大学の評判に関わる問題などが挙げられるのかもしれません。一社会人としてこれらの情報に触れると、どうしても短期的な経営指標や目先の評判に目が行きがちです。しかし、大学という存在は、単なる企業とは異なり、もっと長い時間軸でその価値を評価されるべきではないかと、私は考えています。

偏差値ランキングや、一時期の経営状況だけで大学の良し悪しを判断してしまうのは、あまりにも早計ではないでしょうか。むしろ、そうした表面的な情報に一喜一憂するのではなく、その背景にある構造的な要因や、大学が本来持つべき長期的な価値とは何かを冷静に考察することが大切だと思います。特に二松学舎大学のような歴史ある大学には、幾多の困難を乗り越えてきた経験と、時代を超えて受け継がれるべき「何か」があるはずです。

今般、私が目にした「二松学舎の危機」に関する情報は、それらには該当しないものであり、非常に主観的で狭義な内容でした。正直に申し上げれば、客観性を欠いた一個人の主観による不満や批判に過ぎないものであり、『学びの価値』を考える内容にはほど遠いものでした。

様々な意見が発信されることは健全な状態だという立場ですが、例えば各々の大学時代を振り返ると思うように行かなかった事も少なくなかった(むしろ思い通り担ったことのほうが少ない)と思いますが、その学びを実際の社会や地域における活動の中で役立てることが求められており、多くの社会人がそのようにされていると思います。いつまでも大学時代に立ち止まり、過去のこと、狭義の問題に執着しては、物事の本質を逸するように感じました。

話を戻しますと、大学業界の今後は、決して明るい予測だけではありません。また視点は、未来だけでなく、海外との比較において「危機」をとらえているのだと感じました。それは、日本を代表する国立大学であっても合併や連携を急ピッチで進めていることからも明らかです。



水戸英則氏のリーダーシップと二松学舎の教育 –「学び直し」世代へのメッセージ

私が二松学舎大学に関心を持ったきっかけの一つが、水戸英則理事長の存在です。「財界」のインタビュー記事などを読むと、その教育哲学や経営観には、単に大学のトップというだけでなく、変革期におけるリーダーの姿勢として学ぶべき点が多いと感じます。日本銀行の出身であり、海外勤務も経験し、教育業界の各種団体でも要職を歴任するなど、異色の経歴にルーツがあるのでしょうか。

特に印象的なのは、二松学舎大学が持つ「漢学の伝統」や「少人数教育」といった特色を、現代の教育ニーズにどう結びつけようとしているかという点です。例えば、孔子の『論語』などを通じた人間学教育は、変化の激しい現代社会において、私たち社会人が「いかに生きるべきか」という根源的な問いと向き合う上で、大きな示唆を与えてくれるのではないでしょうか。私のような40代の会社員にとっても、「学び直し」やリカレント教育の重要性が叫ばれる昨今、こうした古典に根差した深い学びは、専門スキルとは異なる次元でキャリアの土台を豊かにしてくれるように思います。

また、困難な状況に立ち向かうリーダーの言葉や行動からは、私たち自身の仕事や組織における課題解決のヒントも得られるかもしれません。「危機」を前にして、どのようなビジョンを掲げ、組織を導こうとしているのか。そのプロセスにこそ、注目すべき価値があるのではないでしょうか。

「危機」は、大学が原点回帰するチャンスでもある

歴史を振り返れば、多くの組織が危機的な状況を乗り越える際に、その原点や建学の精神に立ち返ることで活路を見出してきました。二松学舎大学もまた、その長い歴史の中で培われてきた建学の精神に立ち返り、現代社会のニーズに応える教育とは何かを改めて問い直すことが、この局面を乗り越える鍵になるのかもしれません。

同大学のユニークな取り組みとして、文豪・夏目漱石のアンドロイド(漱石アンドロイド)を活用した授業や、先述した『論語』教育などが挙げられます。これらは、一見すると現代の流行とは異なるアプローチに見えるかもしれませんが、むしろ他の大学にはない明確な「色」を打ち出すことで、学生や社会に対して独自の価値を提供できる可能性を秘めていると感じます。

「危機」という状況は、ともすれば守りに入りがちですが、むしろこうした特色ある教育プログラムをさらに磨き上げ、その価値を積極的に社会に発信していく攻めの姿勢こそが、新たな道を切り拓くのではないでしょうか。

私が二松学舎大学の「危機」とその先の未来に注目する理由

私が一人の社会人として、二松学舎大学の「危機」とその先の未来に注目するのは、単に一つの教育機関の動向に関心があるからだけではありません。大学という存在は、学生を教育する場であると同時に、社会全体に知的な刺激や文化的な深みを提供し、多様な価値観を育む土壌でもあると考えるからです。

特に二松学舎大学のような、独自の歴史と哲学を持つ大学が困難に直面し、それを乗り越えようとする姿は、私たち自身の組織や、あるいは個人としての生き方にも重なる部分があるように思います。もしこの「危機」を乗り越えることができれば、それは二松学舎大学にとって、より強固なブランドと社会からの信頼を築く大きなチャンスになるのではないでしょうか。そして、その経験は、他の多くの大学や組織にとっても貴重な教訓となるはずです。

 敢えて申し上げるならば、日本を代表する著名人が学んだり、学校運営に携わってきた歴史を有し、外部評価機関に優秀な格付けをうける強固な財務体質が有るならば、規模的にも存在感を出す戦略が必要と考えます。小規模教育が持ち味となっていることは理解しつつも、例えば他の大学を統合するなどの施策も含め、物理的な発展にも期待します。

変化の時代に「学び続ける姿勢」と「本質を見抜く目」を

二松学舎 危機」という言葉は、確かに衝撃的かもしれません。しかし、その言葉の表面だけを捉えて思考停止するのではなく、その背景にあるもの、そしてその先にある可能性に目を向けることが大切だと、私は考えます。

変化が常態となった現代において、私たち社会人に求められるのは、常に「学び続ける姿勢」と、物事の「本質を見抜く目」ではないでしょうか。二松学舎大学が直面しているかもしれない課題は、決して他人事ではなく、私たち自身が所属する組織や、これからのキャリアを考える上でも、多くの示唆を与えてくれているように感じます。

これからも、一人の社会人として、そして教育に関心を持つ者として、二松学舎大学の動向に注目し、そこから何を学び取れるかを考え続けていきたいと思います。そして、この記事が、読者の皆さまにとっても、改めて「学びの価値」や「大学の未来」について考える一つのきっかけとなれば幸いです。