第2回:なぜ、WinMXチャット空間は濃密なオタクサークルになったのか?
前書き
さて、第2回だ。今回は、WinMXの中におけるチャットルームが、いかなる仕様・経緯で「何になった」のかを解説していこう。
繰り返しの断りになるが、あくまで私の目線からの思い出話である。例外などいくらでもあっただろう。客観性などない。主観しかない。
単に当時、そこにいたただ一人としての思い出話である。それを踏まえた上で読んでいってほしい。
それでも────後述するとおり、偶然ではあろうが「こうなる」動線は引かれていたと考える。
1. 欲望────それがすべての始まりだった。
私たちは後から振り返ると、つい「はじめから美しかった」かのように語ってしまいがちだ。WinMXの功罪……一連の記事ではあえて「功」についてを中心に話すが、それはあくまで結果論にすぎない。
(罪については明確すぎるし語り尽くされているため省略する)
始まりは、もっと生々しいものである。当然だ。
Leafの18禁ゲーム、Keyの泣きゲー、新興サークルTYPE-MOONの月姫────
それらを「タダで素早く確実に手に入れたい」という動機。
商業ルートでは手に入らない裏音源や、地方放映のみのアニメOP映像を「誰かが持っている」と聞いて、アクセスする。
そこに高尚な理由などない。
欲望、ズルさ、ちょっとしたスリル──それがWinMXへの入口だった。
それを否定しない。否定すべきでもない。ここを否定すれば欺瞞になるだろう。入口も黒であり、中身も黒である。そこは一切否定できない。
(当時は法的・価値観的にグレーだったという話はしない。Winnyで語られた包丁理論も言及しない。黒であることはほぼ間違いない)
1.1 補足
さて、まったく正当化はできないが、地方の特に中高生には切実な事情もあった。
正規のルートで18禁ゲームを手に入れることは、事実上不可能だった。
田舎では物理的にPCゲームの販売などなし。地方都市まで足を伸ばしてようやく小さいPCゲーム店(たいてい路地奥の怪しい立地)でビッグタイトルが(数週間遅れで)手に入るかどうか。
そして価格は数千円から一万円。学生の身にはあまりにも厳しい。
通販? 申し込めるか! 親の目はどうすんだよ親の目は![*1]
結局のところ、「大都市圏」(東京秋葉原、大阪日本橋等)へのアクセス可能性でオタクのヒエラルキーは形作られていた。
それを強制的にぶっ壊したインフラ層がインターネットであり、アプリケーション層がファイル共有ソフトである。もちろん、法律や倫理を引き換えにして。
2. たった一つ、”仕様通りの計算外”。
話を戻そう。
その「欲望の入口」の先に、妙に居心地の良いチャットルームがあった。
ファイルをもらってさっさと去るつもりが、なぜか話しかけられる。
誘われてか、自力でか。とにもかくにも当時のWinMXには、ズブズブと嵌まるにつれて個別サーバのチャットに導かれる動線が築かれていた。
そしてそこでは共有した/してもらったゲームの感想。おすすめアニメの披露。自作SSの設定語りが始まっている。(※Kanonの相沢祐一が暗殺者であるようなSS、等)
妙な空間だ。ただ自分は割れを拾いに来ただけだ。
だがそれは「設計された奇妙さ」だったのだ。
WinMXは、ファイル共有ソフトでありながら、なぜかリアルタイムチャット機能を持っていた。
おそらく、設計思想としては、共有待ちやDL中の雑談あるいは受け渡しの連絡用空間だったのだろう。
さながらコインランドリーにおける待合所、あるいは喫煙所横の狭っ苦しい空間である。
しかし、その仕様が結果的に「ファイルを受け取るだけの場」だけでは済まなくさせた。
ついでにさらに言えば、フォルダの中には客観的には無価値に等しい「自作物」や「他人の妄想ノート」がそっと置かれていることすらあった。
総括し、あえて象徴的に言えば──このオマケ機能は「オタク系サークルの部活棟」を乱立させることになった。
ただしそれは設計されたものではなく、たまたま生えた菌糸のように──しかし一種の黴がペニシリンを生み出すように、この菌糸の海は誰もが予想だにしなかった結果をもたらした。
3. 自然発酵────腐葉土としての堆積。
WinMXのチャットルームが「オタクサークル」化していったのは、
誰かがリーダーシップを取ったからでも、最初からそれ空間を狙っていたからでもない。
ただ、「居心地がよかった」だけだ。
語ると聞いてくれる。
聞いていると語ってくれる。
新作アニメについても語れる。
懐かしゲームについても語れる。
マイナーゲームを布教すると誰かが食いついてくれる(こともある)。
ファイルを提供すると、感謝とともに他のファイルが返ってくる。
はては全く無関係な人生相談や、プログラミング教室……。
その無名の交換が、緩やかな共同体を生んだ。生んでしまった────法律を無視することと引き換えに。
4. 管理人あり、リーダーなし。
不思議なことに、あの空間にはシステムとしての“管理者”はいたものの、「リーダー」あるいは「教祖」もいなかった。今風にいうところの「インフルエンサー・オピニオンリーダー」といった存在でもなかった。
部屋主ではあったが、実質的には「部屋の掃除と鍵の管理をするだけの人」だった。
もちろん部屋ごとに異なり、当人の価値観にもよる。強権的な息苦しいサーバもあったろうが────内部での話題を管理しようとするものは、少なくとも経験上はあまりいなかった。
最低限のルールの設定や呼びかけ、それに違反した場合は淡々とBAN、あとはいつも内部にいるメンバーと雑談。
息苦しい部屋は、ファイルが少ない部屋は、すぐにさびれる。当然だ。管理人とはローカルな管理人でしかなく、その外に出ればただの1ユーザー。本質的な権力は持たない。
権力を保つには、「神共有者[*2]」とのつながりを維持することが重要。すなわち礼節と関係性、なにより居心地が必要だ。
それゆえ「困ったちゃん」があまり常駐することもなかった。そんな連中はなかなかお目当てのファイルを手に入れることができない。いわばWinMXの仕様は、結果的に『礼儀』をユーザーに強いた。強制ではなく、結果的に、だ。だからこそ、空気が持続した。
もちろんファイルが手に入ればすぐに立ち去るものも多かったが、ダラダラと居残るものもいた。
そして最終的に残っていたのは────話が通じる「いつものメンバー」である。これは前述の通り、結果的にだがオタク系文化サークルにきわめて近似していた。
4.1 「ベッドの裏」の強制共有。
「いつものメンバー」の接近速度を圧倒的に短縮した要因として、WinMXの仕様を考慮しないわけにはいかないだろう。
たとえばこれが通常のマッチングアプリであれば、「年齢、職業、趣味」等の無難な情報で第一印象が形作られ、会話のたびに、会うたびに、少しずつ仲を深めていくのが常道である。
翻ってWinMX.
当然のことながら「ファイル共有ソフト」の仕様的に、あらゆるユーザはその「共有フォルダ」をワンクリックで開示させられる。
そして人によって顔ぶれは異なるが、多くの場合はアニメ、エロゲ、同人誌、エロ画像や動画。
いわば「ベッドの下・本棚の裏」が初手で互いに強制開示されている暴力的仕様である。裸の付き合いなんてものではない、性癖の付き合いである。しかも初手から。
「巨乳」でヒットしたファイルの持ち主は、当然のことながら「巨乳」系のコンテンツが充実していることが多く、仕様的に「巨乳好き」同士が強制マッチングされる罠である。
あらゆる秘密は無意味であった。いわば「相手の名前はわからないが、相手の魂は開示されている」状況である。結果からの逆算に等しいが、一瞬で「同好の士」をあぶり出す暴力仕様であった。これが「サークル深化速度」を爆発的に高めた可能性は低くないだろう。
5. 無秩序ゆえの秩序。
事実上存在した秩序は一つだ。「場の空気」という、最も原始的な秩序である。(あとは交換に関わる、最低限の手続き)
語りすぎた者は自ら語りを控え、怒った者はさっさと黙るもしくは去る。
論破や承認を目的としない、「焚き火を囲む語らい」のような空気。
現代SNSでは「誰でも発言できる」ことが、しばしば「誰もが語らねばならない」強迫に転じている。
だがあの空間では、「語ってもいいし、語らなくてもいい」ことが許容されていた。最低限、交換に伴う交渉と挨拶のIMができれば許容されていた。当然である、もともとの目的はそれだ。
どちらが邪道かといえば、ファイル共有ソフト付属のチャットルームで萌え語りをしている連中である。
とはいえ、それだけだ。
PCを持ち、ネットワークに接続し、アプリのインストールと簡単な設定ができる。
法律をガン無視することと引き換えに、それだけが条件だった。そして、それさえ満たせば老若男女誰でもあの空間にアクセスすることができた。
好きなものを共有し、共有され、チャットルームで挨拶して語ってお別れする。
逆説的だが、ほぼ違法な空間故に、それ以外のハードルは一切がなかった。
青少年保護的観点からいえば地獄以下であることは言うまでもないが────
あの空間は奇跡的に居心地がよかった。
WinMXの設計そのものが、ヘビーユーザになるにつれて「お前の居場所へお前をいざなう」設計になっていた。まず間違いなく、偶然ではあろうが。
6. 承認ではなく、応答。
現代SNS空間は、既に「承認」を中心とした設計である。
いいね、RT、フォロー数、再生数──すべては「可視化された承認」だ。
だが、WinMXのチャットルームには、それがなかった。
数字はなく、応答だけがあった。そもそもいいねの数など数えられないしその機能もない。(強いて言うならIM/インスタントメッセージの数。とはいえ数が増えてくるとこれはむしろ煩わしかった)
たとえば誰かが「昔こんなエロゲやってさ」と語る。
誰かが「ああ、それ知ってる」と応じる。
そのまま、「エルフって今どうしてるの?」とか「ワーズ・ワースって地味に傑作じゃない?」と話が続く。
「なにそれ?」とでもいえばボーナスタイムである。
「持っていけ、俺のフォルダに入っている」[*3]
「語る→誰かが拾う→流れていく→いつの間にか10人で共有してる」──ただそれだけ。
だが、その「それだけ」が、SNS的に構造化された現在から見れば奇跡のような密度だったのだ。
「ファイル共有」と「作品語り」。触法性と引き換えに、この2つはあまりに相性が良すぎた。そしてその2つが文字通り1ボタンで隣接していた。
さて、ここまででWinMXがオタクサークルのブラック・インフラストラクチャーと化した経緯を解説した。
もちろん、もはや一切の証拠はない。ジジイの妄想だと笑われても構わない。しかしながらnoteに妄想を綴ることも自由の一つである。
次回はこの堆積した腐葉土がサブカル界に何を与えたのか、引き続き我が妄想を綴っていこう。タイトルは、
▶「腐葉土としての楽園────2000年代サブカル地下水脈」
といったところか。
オタク史におけるミッシングリンクについて言及していこう。
*脚注
[*1] 勘違いされがちだが、当時は「情報面」では確かにインターネットの広がりで均質化されたが、DL販売はまだまだ未成熟だった。そもそも学生がクレジットカードを持てるはずもない。
[*2] 質・量、多くの場合はその両方で頭悪いくらいの圧倒的な共有ファイルを抱えているユーザ。だいたい当人のファイル一覧を見た瞬間ビビらされる。
[*3] 「観賞用・保管用・布教用」という言葉が証明するように、布教はオタクの本能である。


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