第1回:「禁忌の楽園」は実在した──WinMXという文化的奇縁
前書きの前書き
以降に記される文章はすべておっさんの戯言であり、思い出話であり、昔語りであり、自分語りだ。証拠はなく、裏打ちもなく、記憶がすべてである。何一つ正しい保証はなく、いやむしろ間違っている可能性の方が高い。記憶の美化は人の本能である。だが、美化された記憶ですら、語られなければ失われる。語られることでしか残らない文化が、確かにあった。
前書き
長野オリンピックが終わり、空から恐怖の大王は降りてこず、世はまさに世紀末&新世紀。日本のネットにはまだSNSもなく、YouTubeもニコニコ動画もTwitterも生まれていなかった。その静かすぎる黎明期に、一つの狂った楽園があった。
その名は、WinMX(ウィンエムエックス)。
表向きは「Windows Music Exchange」――音楽ファイルをP2Pで交換するだけのツールだった。だがそのソフトが、日本のオタク文化と出会ったとき、何かが爆発した。
既存の記事をしてみても、WinMXについて基本的に「Winny」あるいは「Winny事件」の前日譚といった扱いがほとんどだ。今後一連の記事においては、ファイル共有の是非や、技術や、事件性とは別に……文化としてのWinMXについて、記憶を辿り文を遺していく。なお画面も仕様も細かいところはうろ覚えであるため、ちょくちょくミスが入るであろうことは前置きしていく。正直もはや2.xを使用していたのか3.xを使用していたのかもうろ覚えだ。だが……”起きていたこと”については、体験談ベースで正直に書いていく。
1. WinMXとは何だったのか?
WinMXは、2001年にFrontcode Technologiesによって開発されたらしい(※誰が作ったかなんてまったく気にしていなかった)ファイル共有ソフトである。Napsterの流れを汲むP2P型でありながら、特徴的だったのはチャットルームとファイル共有が融合していた点らしい(※そんなこと気にしていなかった)。
ファイル共有とチャットがセットで動いていた、当時としては画期的な構造だった。これが重要である。これがすべての原因だった。
しかも、匿名・改名・出入り自由。アクセス履歴は基本的に残らず、発言や行動に一切の実名性が要求されなかった。つまり、ネットにおける真の自由があった最後の時代の産物だった。
2. WinMXチャットルームの構造:前SNS時代の”自由の密林”
WinMXは単なるファイル共有ではなかった。繰り返しになるが、そこに付属していたチャット機能がすべてを変えた。これがなければ、日本のサブカル史が変わっていたかもしれないほどに。
誰もが「部屋(チャットルーム)」を立て、他人の部屋を訪れ、ファイルを閲覧し、おかしな先住人に挨拶し、語り合うことで参加者として認知された。コマンドや礼儀にはローカルルールがあり、だがそれらもまた場によって異なった。
3. ファイル交換ではなく、人格交換だった
音楽? それは最初だけだ。
すぐに交換され始めたのは以下のようなイカれたコンテンツ群だった:
最新アニメ、旧作アニメ、マイナーアニメ、とにかくエンコーディングされたありとあらゆるアニメ、映画、ドラマ。映像作品。今となってはほとんど見なくなったaviやmpegがお約束。コーデック有無で再生できないのはざらである。
洋画。ただしマイナー作品の場合は日本語字幕を探すのがまた困難。(存在しないことも多し)
もせ[*1]つまりmp3。Napstarの流れをくむ由緒正しい共有ファイルだが、容赦なくアルバムごとzipにされることも多々。時々「俺のお気に入り」をまとめたものも散見された。
Winampがお友達。スキンを変えてはお気に入りの曲を流しながら、CGIゲーム「バトル・ロワイアル」をプレイした。
アプリケーション。Photoshop6はインフラストラクチャー。これを使って同人デビュー・CGデビューしたものも……おそらく少なくあるまい。
エロ動画。ああエロ動画、エロ動画。具体的な内容には踏み込まないが、海外産の”かなりヤバいもの”も容赦なく未成年者のフォルダに流れ込んでいった。
HCG。要するにエロ画像である。既存のエロゲから抽出したものもあるが、多くは個人サイトの18禁絵を誰かがシコシコとDLしてパックにしたものだった。
同人誌。同人ゲーム。当時は入手方法といえば、枚数に限りがある上にコミケ等で直接購入、虎の穴やメッセサンオーでの購入等が主だった同人作品が、割られることで事実上無限の在庫になり、日本の端まで一気に届くようになった。もちろん法的には擁護不能。既知街という超問題作。
勘違いされがちだが、確かに当時インターネットは広がったものの、DL販売というのはレアだった。あくまで”情報共有・通販”への道がひらけたというだけだ。そして−−−−学生がフルプライスの18禁ゲームを通販で購入するのはあらゆる意味で無理がある。
エミュ。NES、SNESあたりが割と軽くて
おすすめである。小学生の時にお小遣いの限界でプレイできなかったゲームをやりまくれ。エミュなら七英雄も楽勝である。MADアニメ。MADという言葉すら今は聞かなくなった。定義しがたいが、”既存のゲームやアニメを切り貼りし、他の音楽と組み合わせた俺式PV”といったところか。当然”素材”も多くがWinMX産である。アウトでアウトを作るアウトの二乗三乗。
BM98. 正直いまだにどこまでセーフでどこまでアウトなのかがわかっていない。
妄想ノート、個人SS、作りかけのゲーム(99%エタる)。とにかく創作物以上製品未満の”なにか”。これについては別項で言及しよう。
これら、自身のお宝(あるいは秘密)ファイルという性癖の根源をさらけ出す仕様になっていた。なぜなら、あらゆるユーザは共有フォルダが見える仕様であったからだ。それゆえに、「共有していない者(DOM[*2]またはbeck厨[*3])はキック」などが暗黙のマナーになっていた。
「お前のフォルダ、気になるな」
「このフォルダの中身が最高すぎて泣いた」
(圧倒的なファイル数を見て)「なんなんだよこいつ」
といった言葉が日常語だった。つまりこれは、価値観の強制的な可視化と、匿名同士の人格確認の場だったのだ。
4. そして「禁忌の楽園」が生まれた
あえて厨くさい名前をつけよう。どうせ今後の記事で厨二度はブーストしていく。
気がつけば、WinMXの中には異様な空気を持ったチャットルーム群が育っていた。表向きにはアニメ、ゲーム、オタク文化の共有を標榜しながら、そこには時に社会的には許容しがたいが、内的には(割と)誠実な対話や受容があった。
ここには法律も教育もなかった。だが、沈黙と受容の倫理が存在していた。
それは、法律の代替ではなかった。教育でも保護でもない。倫理なき受容が、逆説的に倫理として機能していた。「そこにいる存在を認める」空気だった。
多くの少年少女が、そして兄ちゃん、おっさんが、どれだけエグい性癖を共有フォルダでひけらかしても、それを「否定も賞賛もされず、ただ受け入れられる」空気に包まれていた。……少なくとも、一部の部屋では。
ここには法律も教育もなかった。だが、奇妙な秩序が存在していた。
(※殺伐としていたIMや部屋もいくらでもあったことは語るまでもない。しかし個人的な体験談ベースの話となるため、それらは省略する)
5. そしてこの空間は、今や歴史にすら残っていない
WinMXは、取締の本格化と、Winnyというよりファイル共有に特化した後輩にその役目を譲り、気づかぬうちに歴史の影に消えた。だが、その数年間に交わされたやり取りは、サブカル文化の地中深くに浸透していた。
そして当時の名無し文化、非合法性、そもそもの技術的限界故に、今やそのログはどこにもない。
今後、WinnyについてはWinMXとの関係性や比較においては言及することもあるが、主題にはならない。これについては先行研究がいくらでもある上に、Winnyの仕様的に「コミュニケーション」がほとんど発生しないからだ。
誰も記録していないが、あの場で見た「二次創作の無法配布」「オタク的実験精神」は、のちのPixivの原初モデルであり、ニコ動のMAD精神であり、YouTubeの感情過多コンテンツの先駆けだったのかもしれない。
「WinMXは人を育てたか?」
答えはイエスでもノーでもない。
ただ、そこにいた者たちはみな、自分の人格の一部を共有フォルダに置いていた。
▶次回:「なぜ、WinMXチャット空間は濃密なオタクサークルになったのか?」(2025年6月中で公開予定)
コメント欄などで思い出や記憶の共有があればぜひ。
今後予定しているテーマ:
「灰色の大人たち」「サブカルの腐葉土・地下水脈」「月姫」「妄想ノート」「当時の学生にして、いまの中年が、この文章を遺す理由」
*[1] なぜ「もせ」か? キーボードでmpを見てみろ。
*[2] DOM:「Download Only Member」の略。共有せずDLするだけのユーザーを指す言葉。要するに交換しない持ち逃げ屋。当然のことながら嫌われたが、手持ちがない人間は必然的にここからわらしべ長者を目指すことになる。
*[3] beck厨:Windows標準の音楽フォルダにデフォルトで入っていたアーティスト“Beck”のみを共有していたことに由来。「にわか」であることが目に見えているためある意味DOMより蔑まれがちだった。


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