伊東潤@人間発電所
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伊東潤@人間発電所
@jun_ito_info
作家を生業としています。2023年6/3(土)から「#偉人・敗北からの教訓」というBS11の歴史番組で、レギュラー・コメンテイターを務めています。放送日は毎週土曜で変わりませんが、2024年の4月から放送開始が21時に変わります。新たなコーナーも始まり、これまで以上にパワーアップしていきますので、ご期待下さい。
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私は20年間近く外資系企業にいましたが、Sexyという用語はビジネスの場で使ってはいけないと、米国人から教わりました。とくにこの場合、CoolはありでもSexyは全くイメージがわかないので、意味不明になっています。こんなに早く化けの皮が剥がれてくるとは思いませんでした。
某版元の担当によると、現在67%の書店さんが閉店しているとのこと。ウイルス騒動が収まっても、全店が開店するかどうか分からない。突然襲ってきた売り上げ激減に、版元も取次も啞然としているそうだ。できれば新刊はオンライン書店「e-hon」で買ってほしい。登録簡単だから。
皆さん、大河ドラマがなぜ戦国時代の中央政局ばかりやるのか知らないようですね。その理由は単純です。確かにNHK制作局は視聴率に囚われていないので、好きな題材を選べます。だがフリーランスの脚本家は外したくないのです。大河ドラマで視聴率が取れるかどうかは、脚本家の今後を左右するからです。
昨日の13:50頃、半蔵門線永田町駅で、スマホを見ながら乗り込もうとした若い女性が足を踏み外し、電車とホームの間に足を挟みました。駅員さんがすぐに電車から離しましたが、ホームに横たわった女性は激痛に声を上げて泣き、足は醜く曲がっていました。複雑骨折です。歩きスマホだけはやめましょう。
作家志望者は一日も早くデビューした方がよい。各社の編集と話しているが、扉が閉まりつつあるのを実感する。新人がデビューできなくなるのではなく、市場が縮小しているのだ。2022年に1万部売れた本を2025年に出すと約7千部、5年後の2027年だったら約半減。それだけ市場の縮小は加速している。
人生一発逆転で小説家を目指すというのは、やめた方がよい。成功している小説家の99%は、それまでの仕事でも成功者という事実がある。「では、どうしろっていうんだ!」とい気持ちも分かるが、それに対する答は自分で見つけるしかない。とにかく心や生活に余裕がないと、小説家の仕事は続けられない。
小説家は「書きたい」人たちであり、一日何枚書いたかで達成感を得ている。だからこそ書かないことも大切。書かないでじっくり資料(史料を含む)を読む。するとある瞬間、脳内で化学反応が起こり、せせらぎが奔流になるように言葉がほとばしる。弓の弦を引き絞らなければ、矢は遠くに飛ばない。
大河ドラマに関して「史実云々」論争に辟易している。だいたい一次史料だけでドラマを作れるわけがないんだから、ある程度の解釈や推論によって作るくらいは構わないだろう。それが妥当性や説得力を持つかどうかで評価すればよい。まだ一回だが、『麒麟がくる』は慎重に考えられている気がする。
出版業界に15年いて気づいたのは、何の前振りもなしに企画提案しても90%以上の確率で拒否される。編集と語り合い、「それで行きましょう」となって編集長に提案しても、渋い顔でノーと言うのが普通。つまり人は自分のアイデアには乗り気になるが、他人のアイデアを押し付けられるのは嫌だということ。
この仕事を15年続けて分かったけど、本格歴史小説は知識量で勝負が決まる。知識量と面白さは正比例する。知っていれば知っているだけ新解釈が生まれ、それが物語を生き生きとさせ、登場人物も光彩を放ってくる。この好循環を生むには勉強しかない。「書く前に史料や研究本を徹底的に読め」ということ。
歴史小説における使用する言語の可否については、『考証要集』(大森洋平著 文春文庫)を使用しています。これ一冊で70%くらいの用語が確認できます。小説家志望者にお伝えいただければ幸いです。
「いだてん」を持ち上げるために過去の大河をdisったり、「戦国や幕末ばかりが大河じゃない」と言うのは大きなお世話だと思うよ。「(大衆には分からないが)自分にはよさが分かる」調のツイはとくに逆効果。「いだてん」の視聴率を上げたければ、作品そのもののよい点を素直にアピールすればよいだけ。
重度のアナフィラキシーショックで病院に行ってきた。庭の草木かハウスダストが原因でアレルギーを起こした模様。点滴で今は復活したので仕事再開。目が十分に明かない状態だが何とかPCは見れるのでよかった。それでも仕事するのがプロ。まあ、締め切りの問題ね。いたわりの言葉はイイネで代用下さい。
昨夜のサッカーの試合は、西野監督が「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」(「朝倉宗滴話記」)を踏襲しただけ。「義を守りての滅亡と、義を捨てての栄華とは天地格別にて候」(北条氏綱『書置』)で本当に滅亡してしまっては、「愚かな采配」と世界のマスコミから嘲笑されただろう。
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お城ファンが増えることは歓迎すべきことだと思っていたが、既存のファンが「馬鹿は城に来るな」といったツイをしているのを見て悲しくなった。どうやら遺構破壊のことで怒っているらしいが、ベテランなら門戸を狭めるのではなく、マナーのツイをするなどして、門戸を広げる努力をすべきだろう。
ある雑誌の連載の後任で、担当から「誰がいいですか」と問われたので某氏を推薦。「ただし私とは仲が悪いから、私の名は出さないように」と言ったら、「どうして嫌いな人を推薦するのですか」と問われたので、「自分の好き嫌いではなく、このコーナーには適任だと思ったから」と回答。感激してくれた。
作家は作家本人にファンが付くか、作品中のキャラにファンが付くかで全く違ったキャリアになる。前者の場合、何を出してもそこそこ売れる。後者の場合、そのシリーズは爆発的に売れるが、その他の作品はさほど売れない。私は前者で行くと決めたので、シリーズは書かないでキャリアを全うすると決めた。
編集の某氏によると、「紙の値段と運搬費が高騰しており、これから出版費(原価)はかさむので、新人のデビューは狭き門になるだろう」とのこと。むろん既存のプロも諸物価高騰の煽りを受ける。本を出せても刷数は大幅に削減され、定価も上がるという悪循環に陥る。紙本は、さらに窮地に立たされていく。
怒らないで聞いてほしいのですが、安部さんが政権を取ってから拉致問題について、さしたる進展はなかったように思います。真剣に取り組んでいるかどうかは、結果が全てだと思います。
歴史小説を書く上で当時使われていなかった言葉を使うのは、絶対的な御法度ではないとはいえ、できるだけ避けたい。だがそれは会話文でのことで地の文で使用するのは全く問題なし。それが分かっていないレビュアーが多すぎる。地の文で現代語で説明しなければ、読者は辞書を引かねばならなくなるのに。
大河ドラマのDVDを買って片っ端から見ている。どうすれば視聴率が取れるかも分かってきた。一言で言えば、視聴者はホームドラマが見たいのではなく、ぎりぎりの人間ドラマが見たいということ。騙されたと思ってNHKは俺に一回だけやらせてくんないかな。こってり脂っこいの作って視聴率20%確保したる。
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そうした状況から解放されている三谷幸喜さんなどは、自由に題材を選べます。しかし若くてこれからという脚本家にとって、不人気大河を担当したという実績は、自分の将来に影を落とすことになります。それゆえメジャーな題材で勝負したいのです。何度もチャンスが回ってくるわけではないですからね。
僕は政治的発言がいけないと言ってるのではなく、やるなら肚据えて掛かれと言いたいのです。ふだんは政治について全く発言しない作家も、ネットの潮目を見て「俺も反対」「私も反対」とやっている軽佻浮薄さに呆れたからです。政治的発言をするなら継続して下さい。それなら一目置きます。
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複雑骨折すると足は元の機能を取り戻しません。私の友人にもいましたが、かなりの長期間走ることもできないし、足を引きずることになります。めんどうな病院通い、断続的に続く激痛、不便この上ない生活。それが一瞬でやってきます。昨日の女性が気の毒でなりません。絶対に歩きスマホはやめましょう。
3月中旬に大学の卒業旅行で海外に行こうとしていた息子と4人の友人たちは、前々日にキャンセルした。その時は可哀想だと思ったが、今は君たちを誇りに思っている。君たちの英断は生涯の勲章になる。親バカと言われようが構わない。私は胸を張って「息子たちは日本国民に迷惑を掛けなかった」と言える。
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もちろんこの構造は、私の思い込みではありません。しっかりした筋から得た情報です。では、視聴率を取りにくい平安時代や江戸時代をなぜやるのかと言うと、やはり時代も分散しようという意図が勝ったケースで、制作局主導の匂いがします。つまり個々のケースごとに題材決定プロセスは異なるのです。
新連載の第一回を編集さんに送ったところ、絶賛されたので素直にうれしい。他社の編集から「厳しい人」「褒めない人」と聞いていたので覚悟はしていたが、まさか絶賛されるとは思わなかった。20歳近く年下の編集に褒められて、私だって素直にうれしいんだから、みんなも部下や子供は褒めて育てよう。
10年ほど前までは「一般の人は歴史の深いところまでは知りたくない」というのが出版業界の常識だったが、もはや底が抜けてきた感がある。「知ってどうする」というSo What?な発想は古いものとなり、「知りたいから知りたい」という素朴な欲求を満たすことが当たり前になりつつある。
日本史は教訓の宝庫。ストーリーを楽しみながら、気づいたら知識も教訓も身に付けることのできる歴史小説の需要は、もっとあっていいと思う。完全な史実が知りたければ、参考文献を読めばよい。だけど「史実云々」と言っている奴ほど研究本を読まないのを、私は知っている(笑)。
岸田奈美さんへのインタビュー。ネットでの誹謗中傷への分析が鋭い。
「(誹謗中傷の)背景にあるのは、自分がないがしろにされていることへの怒りや、思い通りに生きられない世の中への憤り。自分を保つために、他人を批判せざるを得ない事情を抱えているのだと知りました」
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こうした写真を見ると、どういうわけか「二度と戦争をやってはいけない」という言葉に飛躍する大人たちが不思議でした。誰がやったのかという観点が抜けています。それが今、米国の側から「反省」の言葉が出始めています。
昨今の大河ドラマの視聴率が振るわない理由は明らかです。最近の作品は「伏線や布石を打って回収する」ということをあまりしないので、エピソード個々の独立性が高まり、「次も見よう」という気にさせないのです。連続ドラマには「継続性」を担保する布石が必要です。それがないと視聴率は低迷します。
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また書店数の激減により、特定の人気作家の作品は微減だが、新人やブレイクしていない中堅の作品は、さらに売れなくなる(私もその中)。版元や書評家のプッシュも有名新人賞を取った者だけに限られてくる。連載媒体も減る。平山瑞穂氏の『エンタメ小説家の失敗学』を読むと、そうした実態がよく分かる。
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つい一般の方と同じ立場になってしまうのは分かりますが、いみじくも作家を名乗る者が、ネットの潮目を見て安易に同調するのはどうかと思います。あなたの本の売り上げには、出版社さん、取次さん、書店さん等がかかわっていることを忘れないで下さい。みんなステークホルダーなんです。
【特報】私が司会(レギュラー・ナビゲイター)を務める歴史番組が始まります。
番組名は「偉人・敗北からの教訓」!
常の歴史番組が「歴史を伝えること」に主眼を置いているのと異なり、この番組では、「歴史から得られる教訓」を伝えていくことをテーマとしています。
ビルや駅のトイレなどで清掃していただいているご婦人方に、いつも「ありがとうございます」とか「ご苦労様です」と声を掛けることにしている。それだけで気分がよくなるし、運気もよくなる気がする。でも残念なことに、それをやっている人を見たことがない。だからみんなでやってみよう。
某新聞主催の公募新人賞の一人選考委員をやっているのだけれど、やたらと病気と不倫の話が多い。「その二つは禁じ手」っていろんな新人賞で選考委員が言っているのに、読んでいないのかな。アヴァンギャルドな一発をお見舞いしてくれたら、「それで決定」としてもいいのに、ぶっ飛んだ奴はいない。
SNSの普及した世界では、以前よりも「感情の支配者になること」が重要だと痛感した。これは簡単なようで難しい。番組で榎木孝明氏とご一緒した時に「感情の赴くままに言葉を口にしてはいけない。悪い言葉は運を奪い取る」と仰せだった。その逆に感情を抑制できる人には、幸運が押し寄せるとのこと。
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若手で専業になった人は、必ず逃げ道を用意しておくこと。例えば文章力を生かしたライター仕事。版元にコネもあるので仕事をもらいやすいし、そうした仕事を続けていくうちに、敗者復活戦を挑ませてくれるかもしれない。何事もコンテンジェンシー・プランは必要。
ラーメンを食べ慣れていない私は、うまいという評判の店に行っても「?」なのだが、その謎が分かった。ラーメン通には、これまで積み上げてきた味の蓄積があり、それに乗って「うまい」と言えるのだ。小説も同じで、小さい頃からの読書経験がないと、大人になってから読んでも、十分に楽しめないのだ。
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皆さん、厳しいご意見ですが、私はその若くて美しい女性(多分OL)を目の当たりにしたので、とても厳しいことは言えません。ただただ可哀想でなりません。彼女の怪我が早く癒えることを祈るばかりです。
大河ドラマ見てないけど、7月の時点で瀬名が生きているということは、大坂の陣まで行かないね。行っても関ヶ原で一回、大坂の陣で一回。大河ドラマ恒例の後半倍速、終盤五倍速。全体の設計図ができていないとこうなる。
某歴史番組を毎回録画で見ているんだけど、非専門家が自信をもって何かを決めつけたり、旧説を堂々と論じたりするのを、専門家の先生が不機嫌そうな顔で見ているという構図を何度見せられるのだろう(苦笑)。ゲストに呼ばれて出演OKしたら、「寝ないで勉強してこいや!」と言いたくなる今日この頃。
大切なのは「これが真実だ!」と言っているかどうか。今回の件で歴史小説の価値が著しく毀損されてきており、とても悲しい。歴史小説は完全にフィクションとまでは言わないけれど、史実の流れに沿った物語であり、「こんなことがあっても、おかしくないかもね」程度の一つの解釈だと思ってほしい。
誰かから屈辱的な扱いを受けて、「今に見ていろ」と思って努力することはいいことだ。だが功成り名を遂げた時、「ざまあみやがれ」と思ったら負け。必ず運は逃げていく。何者かになった時、口惜しかった過去は忘れる。それが人生の基本。
先日、編集さんと飲んだ時に、70歳代で生き残っている小説家が20人ほどだと分かり愕然とした。生き残りの定義を「1年に2作以上の新作をコンスタントに出していること」として名前を挙げていったのだが、「新刊が1万以上は確実に売れる」という定義を入れると10人以下まで減る。情け容赦ない競争社会。
皆さんの周りで「仕事を失った」「一人住まい」「うつ病などの既往歴がある」という方がいらしたら、メールでも構わないので「どうしてる?」と呼び掛けてみて下さい。人は落ち込むと衝動的に自殺することもあります。それを防ぐのが友人の配慮です。電話一本、メール一通が命を救うことになるのです。
「特攻は無駄死にだった」と言うのは容易だ。だがそういう人ほど、特攻のことを知らないし、深く考えようとしない。彼らがどのような思いで旅立っていったかを真剣に考えれば、「特攻は無駄死にだった」などとは言えないはずだ。今日一日でもいい。英霊たちに思いを馳せたい。
またしても「歴史小説はフィクション」だとか言っている輩がSNSに徘徊しているが、「歴史小説は一次資料と権威ある定説を元にして、独自の歴史解釈を施したもの」というのが、私の定義である。「そうだとは証明できないが、そうでないとも証明できない」ぎりぎりの線を狙うのが歴史小説。
最近、コンビニでもジムでも若い女性たちの愛想がやけによいので、「俺もモテ期に入ったか」とにんまりしていたが、鏡を見て分かった。知らぬ間に怪しげな中年オヤジから安全パイの老人になっていたんだ。
最近の傾向なのか小説家になりたての人に何かアドバイスすると、「分かってます」とか「もう編集さんから聞きました」という答えが多い。それだけで何かをアドバイスする気が萎える。自分の知っていることでも「それマジっすか!」という反応をすることで、どれだけ多くの話が引き出せるか分からない。
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この方はプロのライターらしいですが、母衣について知らなかったようですね。しかも星一つ。多分、司馬さんの原作も読んでいないので、何も分からなかったのでしょうね。「登場人物が多すぎて」と仰せですが、関ケ原合戦ですよ。そんなの前提じゃないですか。
よく勘違いしているお年寄りがいるんだけど、年を取っていることは価値じゃない。自分では素晴らしい人間だと思っていても、他人はそれを知らない。名前が知れわたっている方は別だけど、そうでない場合は謙虚に慎重に接するのが基本。悲しいけれどこれが現実。私も業界外では徹底的にそうしている。
ありがとうございます。かなり前に私が直木賞候補になってだめだった時、百田さんが「今回は伊東さんだと思っていた」と仰せだったと某編集から聞き、いつかお会いしたいと思っていました。私は百田さんの作品のファンなので、文芸の将来について百田さんと語り合いたいです。機会を模索してみます。
戦国時代の小説だけ書いていたら余裕で二~三カ月に一作は出せる。しかも年収は今の1.5倍は行く。大河ドラマが決まってから「信長か光秀を書きませんか」というオファーが複数あった。でも自分の劣化コピーはやらない。年を取ったら金じゃない。やりたいことをやる。それで本が出せなくなっても本望。
「なんとかなるさ」と言う人を信用してはならない。そう言うのはたいてい高齢者だが、彼らは高度成長時代を生きてきたから、「なんとかなるさ」で何とかなってきたのだ。市場が縮小する時代を生きるわれわれは、常に最悪の事態を想定し、フェイルセイフを考えた人生設計を心掛けねばならない。