【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話

広島・東京間で紡がれていった新スタジアム像 【8月集中連載】広島“街なかスタジアム”誕生秘話(11)

宇都宮徹壱

広島のスタジアムおたくと東京のゼネコン社員によるコラボ

オールフォーヒロシマによる新スタジアムのビジュアルイメージは、KOPとまたろが広島・東京間でアイデアを出し合いながら構築していった 【提供:ALL FOR HIROSHIMA】

「波田くんにしても石橋くんにしても、街なかに新スタジアムを作りたいという熱意はあるんだけど、具体的なアイデアやイメージを『建築の詳細』として詰めることはできない。そこで基本構想の部分はKOPくんにお願いして、僕が構造設計とか敷地要件とか、そういった裏付けを補強していったという感じになりましたね」

 東京在住のまたろにとって、広島での動きは、時に掴みどころのないものに感じられたことであろう。コロナ禍を経た今の時代であれば、リモートワークはすっかり定着しているが、2008年当時はようやくSkypeが日本でも拡がり始めたばかり。東京と広島での共同作業は、今よりもずっと心理的な距離感があったはずだ。

 そんな中、波田と石橋は、スタジアムに関する幅広い知識とプレゼン能力に長けたKOPの才能に注目。とりわけ、SketchUp(スケッチアップ)という3Dモデリングツールや、アニメーションモデリングソフトのShade(シェード)を駆使したパースは、とても趣味の延長線上とは思えないくらいの完成度を誇っていた。

「もともとスタジアムには興味があったので、リリースされて間もないGoogle Earthを使って、市民球場跡地にユアテックスタジアムを置いてみたらどうなるか、みたいなこともやっていました」とは当人の弁。そこでKOP&またろのコンビによる、新スタジアムのビジュアルイメージを構築させるプランが浮上する。

 かくして、広島・東京間で何度もイメージのすり合わせが行われ、結実したのが「旧市民球場から始める広島〜プロジェクト9〜」。数字の「9」は旧市民球場の「旧」にかけている。この企画書は、市議会や商工会議所へのプレゼン用に用いられ、のちにブラッシュアップされて2011年、市長プレゼンで披露されることとなった。

 結果、どうなったか? その顛末を語る前に、いったんオールフォーヒロシマから離れて、時計の針を1998年まで戻すことにしたい。なぜ、1998年なのか? 実はこの年、サンフレッチェ広島は、クラブ史上最初の転換期を迎えていたからだ。

<翌日につづく>

※文中敬称略

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『異端のチェアマン 村井満、Jリーグ再建の真実』(集英社インターナショナル)。宇都宮徹壱ブックライター塾(徹壱塾)塾長。

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