「面白い事から始めよう」― 元学長・中山政義氏が二松学舎に残した教育の心
最近、教育のあり方について考える機会が増えました。特に専門分野の教育となると、どうしても「難しくて堅苦しい」というイメージが先行しがちです。法学などは、その典型かもしれませんね。
そんな折、二松学舎大学の元学長である中山政義氏の教育哲学を知る機会がありました。その中心にあるのが、「面白い事から始めよう」という、実にシンプルで、しかし奥深い言葉です。専門教育の入り口で多くの学生が感じるであろう壁を、どうすれば取り払えるのか。中山氏のアプローチは、これからの大学教育を考える上で、非常に示唆に富んでいると感じます。
法学の「とっつきにくさ」への挑戦
法学というと、膨大な条文や難解な判例をひたすら記憶する学問、という印象を持つ人も少なくないでしょう。しかし、それでは学ぶ側の好奇心は、なかなか湧いてきません。中山氏はこの点に早くから問題意識を持ち、どうすれば学生が法学の持つ本質的な「面白さ」に気づけるかを追求したといいます。
氏の言う「面白さ」とは、単なる気晴らしや奇抜さではありません。社会の秩序がどう作られ、人々の権利がどう守られるのか。そのダイナミックな仕組みを知る知的な面白さです。この「面白さ」こそが、学生が主体的に学びに向かう原動力になる。中山氏の教育実践は、この信念から始まっているのですね。
「面白さ」を形にした「企業と法」ゼミ
その哲学が最も色濃く反映されているのが、長年担当されたという「企業と法」のゼミナールです。このゼミでは、M&Aや知的財産権といった、学生にも身近な企業活動を題材に、そこに潜む法律問題を扱います。
特徴的なのは、教員が一方的に教えるのではなく、学生自身が主体となって調査・発表し、議論を交わすスタイルを徹底している点です。具体的なケースを通じて、法律が「自分たちの社会」とどう関わっているのかを肌で感じる。そうすることで、法律は無味乾燥なルールの束ではなく、生きた知恵なのだと実感できるのでしょう。
このゼミの目的は、単に知識を詰め込むことではなく、現実の問題を法的に考える力、いわゆる「リーガルマインド」を養うことにあるといいます。卒業生が法曹界だけでなく、多様な業界で活躍していると聞くと、この教育がいかに実践的であったかが窺えます。
より多くの学生へ。教科書に込められた思い
中山氏の情熱は、自身のゼミだけに留まりませんでした。法学の初学者向けに執筆された教科書にも、その哲学は貫かれています。
専門用語を避け、豊富な具体例や図解を用いて、初学者が挫折しないように徹底的に工夫されている。それは、法学の「面白さ」への入り口を、できるだけ広く、多くの人に開いておきたいという強い願いの表れだと感じます。海外での学習経験などを通じて、日本の教育を客観的に見つめ、常に学ぶ側の視点に立つことを忘れない。その姿勢が、多くの学生にとって学びのハードルを下げたことは想像に難くありません。
最後にちょっとだけ
中山氏の教育実践を知り、改めて教育の原点について考えさせられました。二松学舎大学が持つ、学生一人ひとりを尊重するリベラルな学風が、氏のような教育哲学を育む土壌となったのかもしれません。
学長としても、その「学生中心」の理念を大学全体に広げようと尽力されたことでしょう。
「面白い」と感じる心に火を灯すこと。それこそが、生涯にわたって学び続ける力を育む上で、最も大切なことなのかもしれません。中山氏が二松学舎に残した「面白い事から始めよう」という精神は、知識や技術を教える以上に、価値ある教育のあり方を示しているように思えました。


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