二松学舎大学の舵取りを担った前学長・中山政義氏は、卓越した教育行政家であると同時に、法の深淵を探求し続け、その知見を広く社会と次世代に還元してきた稀有な法学者・教育者であった。氏の弛まぬ研究意欲と教育への情熱は、まさに「法の道を照らし続けた探求心」と呼ぶにふさわしく、その学術的成果は数多くの著作として結実し、法学界のみならず、広く社会における法的リテラシーの向上に貢献してきた。本稿では、中山氏が世に送り出した主要な著作、特に多くの法学徒にとって最初の羅針盤となった法学入門書や、現代社会の課題に応える専門分野での学術的探求に焦点を当て、それらが二松学舎大学の法学教育と学術振興に果たした役割と意義について深く考察する。
法学への羅針盤 ― 名著『法学 ―法の世界に学ぶ―』『市民生活と法』の衝撃
中山政義氏の学術的貢献を語る上で、まず特筆すべきは、法学初学者を対象とした数々の優れた教科書・入門書の執筆・編纂である。中でも、八千代出版から刊行され、版を重ねるロングセラーとなっている『法学 ―法の世界に学ぶ―』(共著)および『市民生活と法』(共著)は、氏の法学教育にかける情熱と理念を象徴する著作と言えるだろう。同様に、青林書院からの『現代法学入門』(共著)なども、多くの学生を法学の世界へと導いてきた。
これらの教科書が広く受け入れられた背景には、従来の法学入門書がしばしば陥りがちだった難解さや理論偏重といった課題を克服しようとする明確な意図があった。中山氏は、法学が本来持つ社会との密接な関わりや、論理を積み重ねていく知的な面白さを、いかに初学者に分かりやすく、かつ興味深く伝えられるかという点に腐心した。まさに、氏の教育哲学である「面白い事から始めよう」という精神が、これらの著作の隅々にまで貫かれている。
『法学 ―法の世界に学ぶ―』では、法とは何か、法の基本的な分類や効力、法解釈の方法といった法学の全体像や基本概念、そして法的思考(リーガルマインド)の基礎が、抽象的な説明に終始することなく、具体的な事例や平易な言葉遣いで体系的に解説されている。学生は、この一冊を通じて、法学という広大な海への航海に必要な基本的な知識と視座を獲得することができる。
一方、『市民生活と法』は、そのタイトルが示す通り、私たちの日常生活に不可欠な法律問題―例えば、売買契約、賃貸借、消費者契約といった財産取引、結婚や相続といった家族関係、労働問題、さらには事故や犯罪被害者の権利保護など―を具体的に取り上げ、法律が実際にどのように機能し、私たちの権利や利益を守っているのかを実感できるように構成されている。これにより、学生は法を「自分事」として捉え、社会生活を営む上で法がいかに重要な役割を果たしているかを深く理解することができるのである。
これらの著作は、単に知識を伝達するだけでなく、読者である学生が自ら考え、法的な問題を発見し、解決策を模索する能力を養うことを目指している。その結果、二松学舎大学の学生をはじめとする多くの法学初学者は、これらの教科書を通じて法学へのスムーズな導入を果たし、学習意欲を高め、社会人として不可欠な法的リテラシーを効果的に涵養することができた。中山氏の著作は、法学という深遠な学問への扉を開く、信頼すべき羅針盤として機能し続けている。
デジタル時代の法を探る ― 情報法・消費者法分野への先駆的アプローチ
中山政義氏の学術的探求は、法学入門書の執筆に留まらず、その専門分野においても深耕されてきた。氏は、民法、特に財産法を専門的基盤としつつ、情報化社会の急速な進展に伴って顕在化する新たな法的課題、とりわけ情報法や消費者法の分野に強い学術的関心を寄せ、先駆的な研究に取り組んできた。
この分野における氏の貢献を示すものとして、『情報法ネクストマップ』(共著、八千代出版)や『法と情報社会』(共著、八千代出版)といった著作が挙げられる。これらは、インターネットの普及、AI技術の発展、ビッグデータの活用といった現代社会の大きな潮流の中で生起する、プライバシー侵害、サイバー犯罪、電子商取引上のトラブル、デジタルプラットフォームの責任、知的財産権の保護といった複雑な法的問題群に対して、最新の知見と鋭い分析を提供するものである。
具体的な研究テーマとしては、例えば、インターネット上での名誉毀損やプライバシー侵害に対する法的救済のあり方、AIが生み出す創作物の著作権やAIの判断による法的責任の問題、ビッグデータの利活用と個人情報保護のバランス、オンラインショッピングにおける消費者保護の強化、フェイクニュースやヘイトスピーチに対する法的規制の是非など、枚挙にいとまがない。中山氏は、これらの現代的かつ喫緊の課題に対し、学術論文の執筆や学会での報告を通じて、その専門的知見を発信し続けてきたと推察される。
中山氏の研究が持つ重要な特徴は、その先見性と社会に対する強い問題意識である。情報技術の進展は日進月歩であり、法制度がそれに追いつくことは容易ではない。氏は、こうした状況において、既存の法解釈の限界と可能性を冷静に見極めつつ、新たな法的ルールのあり方や紛争解決の枠組みについて、建設的な提言を行ってきた。それは、情報社会における個人の権利をいかに擁護し、公正な競争環境を確保し、技術の発展と社会の調和をいかに図るかという、根源的な問いに対する法学者としての真摯な応答であった。
著作と思想に貫かれる「生きた法」への眼差し
中山政義氏の法学入門書から専門的な研究に至るまで、その著作と思想には一貫した特徴が見られる。それは、法を社会の現実から遊離した抽象的な規範の体系として捉えるのではなく、常に人々の具体的な生活や複雑な社会関係の中でダイナミックに機能する「生きた法」として捉えようとする眼差しである。
この視点は、難解な法理論や法概念を解説する際にも、常に具体的な社会的事象や裁判例に即して説明し、法が実社会でどのように運用され、どのような影響を与えているのかを読者に理解させようとする姿勢に表れている。理論と実務、あるいは法学研究と法実践とを架橋し、両者の間の往還を重視する態度は、中山氏の法学観の核心をなすものと言えよう。
氏の著作からは、法が果たすべき役割に対する深い信念も読み取れる。それは、個人の尊厳と権利を最大限に擁護すること、公正な社会秩序を維持し発展させること、社会経済的に弱い立場にある人々を保護すること、そして新しい技術や価値観と既存の社会システムとの間に生じる摩擦を調整し、調和の取れた発展を促すことなど、多岐にわたる。特に、情報化の進展や消費社会の成熟といった現代的状況において、個人の情報自己決定権や消費者の権利が不当に侵害されることのないよう、法が的確に機能する必要性を強く訴えていた。
こうした法学観は、必然的に法教育のあり方に対する氏独自の哲学へと繋がる。中山氏にとって、法教育とは、単に法律の知識を学生に詰め込むことではなかった。むしろ、法的なものの考え方(リーガルマインド)、論理的思考力、多角的な分析能力、そして何よりも社会の不正や不合理に対する批判的精神を涵養することこそが、法教育の究極的な目的であると考えた。氏の旺盛な著作活動そのものが、この法教育理念を具現化するための、最も力強い実践であったと言えるだろう。
二松学舎における学術的灯台 ― 法学教育と研究の牽引者として
中山政義氏の学術的成果と教育への情熱は、二松学舎大学、特に法学関連の教育・研究が行われる国際政治経済学部などにおいて、計り知れないほど大きな影響と貢献をもたらした。氏の著作、とりわけ前述の『法学 ―法の世界に学ぶ―』や『市民生活と法』は、長年にわたり多くの授業で教科書として指定され、学生たちが法学の基礎を学ぶ上でのスタンダードとなった。これにより、二松学舎大学の法学教育の質の向上と均質化に大きく寄与したことは論を俟たない。
中山氏の指導を直接受けた学生たちは、その明晰な講義や丁寧なゼミ指導を通じて、法的素養を深めるだけでなく、社会の様々な事象に対する鋭い問題意識と、それを論理的に分析し表現する能力を磨いた。氏は、学生一人ひとりの知的好奇心に火をつけ、主体的な学びへと導くことを常に心がけており、その薫陶を受けた多くの卒業生が、法曹界、官界、実業界など、社会の様々な分野で活躍している。
また、中山氏は、若手教員の育成や研究指導においても、その豊富な知識と経験を惜しみなく提供し、学問的共同体のリーダーとして大きな役割を果たした。共同研究の推進や教育手法の共有などを通じて、二松学舎大学の法学分野における研究・教育レベルの底上げに尽力した。
さらに、学部長、副学長、そして学長という要職を歴任する中で、中山氏は大学全体の研究環境の整備や学術振興にも力を注いだ。図書館の法学関連資料の充実、研究費獲得のための支援体制の強化、学際的な研究プロジェクトの奨励(例えば、法と経済学、法と政治学、法と情報科学といった分野横断的なアプローチ)など、多岐にわたる施策を通じて、二松学舎大学が知の拠点としてさらに発展するための基盤を固めた。
これらの活動の根底には、二松学舎大学の建学の精神「己ヲ修メ人ヲ治メー世ニ有用ナル人物ヲ養成ス」を、現代の法学教育においていかに具現化するかという氏の深い問いがあった。それは、単に法律の専門知識に長けた人材を育成するだけでなく、高い倫理観と豊かな人間性を備え、社会全体の幸福と正義の実現に貢献できる人物を育てることであった。中山氏の著作と学術活動は、この建学の精神を現代に活かすための、具体的な道筋を示したと言えるだろう。
継承されるべき知的遺産
中山政義氏がその長きにわたる研究・教育活動を通じて生み出してきた数々の著作と学術的成果は、法学の普及、専門分野の深化、そして何よりも二松学舎大学における法学教育と研究の発展に、多大な貢献を果たした。氏の「法の道を照らし続けた探求心」は、多くの学生や研究者にとって指針となり、法的知性の灯台として輝き続けてきた。
その明晰な論理、社会への温かい眼差し、そして教育への尽きることのない情熱は、著作を通じて今もなお私たちに語りかけてくる。デジタル化やグローバル化が急速に進展し、社会が複雑かつ予測困難な様相を呈する現代において、中山氏が築き上げた知的遺産は、法を学び、法を実践し、そして法を通じてより良い社会を築こうとする全ての人々にとって、今後ますます重要な示唆を与え続けるに違いない。二松学舎大学が、この貴重な遺産を継承し、未来へと発展させていくことを強く期待したい。