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 広島、阪急(現オリックス)で強打者として活躍し、中日、阪神などでコーチを務めた水谷実雄(みずたに・じつお)さんが10日午後2時56分、心不全のため兵庫県西宮市の病院で死去した。77歳だった。選手としては首位打者、打点王を獲得。指導者としても卓越した打撃論で江藤智、前田智徳、中村紀洋、福留孝介らを強打者に育て上げた。葬儀は近親者で行う。

 赤ヘル黄金期を支えたバットマンが天国へと旅立った。水谷さんは13年オフに阪神の1軍チーフ打撃コーチを退任後は西宮市内で飲食店を経営しており、球界と直接的な接点は持たなかったが、少年野球の指導に手を貸すなど、球界の発展に尽力していた。

 投手として入団1年目のキャンプは腎臓病のため不参加。これがきっかけで愛称「ジンちゃん」と呼ばれるようになった。66年オフに野手転向。守備難で三塁手から外野手に回るなど苦労を重ねたが、広島が初のリーグ優勝を果たした75年は規定打席不足ながら、レギュラーではチーム2位となる打率・285で貢献。78年には打率・348で首位打者に輝いた。82年オフに阪急へ移籍するまでは山本浩二、衣笠祥雄とともにクリーンアップの一角を担った。

 移籍初年度の83年に114打点で打点王を獲得。84年の開幕戦で頭部に死球を受け以降は頭痛などの後遺症に苦しんだ。85年オフに現役引退後は阪急、広島、近鉄、ダイエー(現ソフトバンク)、中日、阪神で打撃コーチなどを歴任。振らせることを重視し「教え子には嫌われてます。でも嫌われるのもパワーがいります」と話していた。昭和の香りを漂わせる名伯楽だった。

 水谷 実雄(みずたに・じつお)1947年(昭22)11月19日生まれ。宮崎県出身。宮崎商から65年のドラフト4位で広島に投手として入団も、新人の66年に腎臓病を患い、オフに野手転向。70年から1軍に定着し、75年の初優勝などチームの黄金期を支えた。78年首位打者。82年オフにトレードで阪急に移籍し、83年に打点王。85年の現役引退後は解説者を経て阪急、広島、中日、阪神などで打撃コーチを歴任した。1メートル80、86キロ(現役時)。右投げ右打ち。