(社説)週刊新潮コラム 再び「名前」を奪うのか

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 在日コリアンの作家らを名指しして、「日本名を使うな」と差別をあおるコラムが伝統ある文芸出版社の看板雑誌に掲載された。個人の存在や尊厳と深く結びつく「名前」を差別の手段とし、人権を踏みにじる行いを許してはならない。

 新潮社の「週刊新潮」は7月31日号に、元産経新聞記者、高山正之氏の連載コラムを掲載した。「創氏改名2・0」と題し、朝鮮半島にルーツを持つ作家の深沢潮さんらに、日本を批判するなら「外人名で語れ」などと攻撃する内容だ。深沢さんのルーツが伏せられていたとする事実誤認もあった。深沢さんは会見で同社へ抗議を表明。作家や学者らから多数の抗議文が寄せられている。

 名前をめぐる差別は根深い。かつて日本は植民地支配した人々に日本式の氏名を名乗らせ、心の内側まで統制しようとした。一方、日本人と区別するために氏の選択に制限も加えた。戦後80年を経ても、名前と結び付けた在日外国人差別がはびこる。その差別から逃れるための「通名」使用に対する攻撃も続く。

 そんな中で「創氏改名」をあえてタイトルに掲げた上で、個人に名前を変えろと迫るのは明確な人権侵害だ。

 新潮社は創業129年、精度の高い校閲にも定評がある。筆者の責任は言わずもがなだが、組織として掲載を決めた責任は重い。

 会見を受けて同社はホームページに「お詫(わ)び」を載せた。だが、掲載の経緯の説明もなく、排外主義にどう対峙(たいじ)するのかの表明も不十分だ。今後は執筆を依頼する筆者らに「世論の変化や社会の要請を伝える」とあるが、仮に誰かが望んでも人権侵害は決して認められない。

 同社は7年前、月刊誌「新潮45」に同性カップルを念頭に「生産性がない」などと記した自民党杉田水脈衆院議員(当時)の寄稿を掲載。十分な説明もなく休刊した。その反省はないのか。今回こそ自らの考えを表明すべきだ。

 7月の参院選では、将来への不安や生活の苦しさの原因を、外国人に帰するような主張が噴き出した。

 「はざまのわたし」などの深沢さんの著書からは、日本と朝鮮半島の「はざま」で生きる苦しさとともに、多文化で育まれた豊かさが伝わる。

 課題に直面したとき「日本人と外国人」「親日と反日」といった単純な構図に当てはめて排外主義を加速させるのではなく、複雑で多様な価値観を生かして解決策を探ることこそ、一人ひとりが大切にされる豊かな社会をつくる。

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