弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

在職中の競業避止義務-医師が退職にあたり新たな勤務先を伝えることは、非違行為にあたるのか?

1.在職中の競業避止義務

 在職中、労働者は使用者に対して競業避止義務を負っていると理解されています。

 これは就業規則や雇用契約書に記載がなくても変わりません。

 代表的な労働法の概説書である、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第3版、令5〕987頁にも、

「労働契約の存続中については,就業規則や労働契約上の特約の存否にかかわらず,信義則に基づいて労働者は競業避止義務を負うものと解されている」

と記述されています。

 しかし、ここで一つ問題があります。

 この在職中の競業避止義務は、絶対的なものなのかという問題です。

 雇用契約のもとで働いている労働者の中には、専門的・属人的な仕事についている人もいます。医師や歯科医師、弁護士などの専門職がその典型です。患者や依頼者には「その医師/歯科医師だから受診した。」「その弁護士だから依頼した」という方も少なくありません。こうした人を対象に、退職する医師らが新たな勤務先を教示することは許されないのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、この問題を考えるうえで参考になる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令7.1.30労働判例ジャーナル160-42 学校法人昭和大学事件です。

2.学校法人昭和大学事件

 本件で被告になったのは、大学等のほか、昭和大学C病院、昭和大学病院等を開設する学校法人です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、令和3年3月31日に定年退職するまでの間、20年以上にわたり、整形外科の医師として口唇口蓋裂等の患者の診療を担当してきた方です。

 令和3年4月1日に定年後再雇用契約を結んだ後、出勤停止1週間の懲戒処分を受け、定年後再雇用契約の更新を拒絶されるに至ったことを受け、

出勤停止処分が無効であることを前提として出勤停止期間分の未払い賃金や、

雇止めの無効を理由として他大学(G大学病院・G病院)に転職するまでの賃金

等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 冒頭に掲げたテーマとの関係で注目したいのは、被告の主張した懲戒事由の扱いです。

 被告は複数の懲戒事由を主張しましたが、その中の一つに次の事由がありました。

(被告の主張)

「被告から提供された患者の個人情報を利用し,又は患者の個人情報を不正に入手して、患者に対し、被告の病院での治療の継続が可能であることやG病院では言語聴覚士の治療を受けられないことを示さずにG病院への転院を勧めたり、被告の病院以外の病院で診断書を作成してもらうよう指示したりし、これにより、患者と被告の信頼関係を損ね、患者を他の病院に転院させる結果を招いた」(非違行為〔2〕)

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、これが非違行為にあたることを否定しました。

(裁判所の判断)

「前記認定事実によれば、原告は、予約患者リストや被告の病院の電子カルテの情報を利用して、担当していた患者に連絡し、JクリニックやG病院等への転院を勧め、それを受けて、少なくとも78名の患者が被告に転院の意向を示した・・・と認められる。」

「そもそも、患者には病院及び医師を選択する権利があり、被告もこれを尊重していること・・・、被告において、退職する医師が担当していた患者に転職先を伝えることが禁止されていた形跡はないことからすれば、医師が、被告の病院を退職する場合、そのことを患者に伝えることはもちろん、新たな勤務先を患者に知らせることや、仮に患者が当該医師の診療を継続することを希望した場合は転院が可能であることを伝えることも、被告において許容されていたと解される。したがって、原告が担当していた患者に対し、被告以外の病院への転院を勧めること自体は、被告の規則又は規程に違反するものとはいえない。

「被告は、原告が、被告での治療継続の選択肢を示さず、患者に対しG病院への転院を勧めた旨主張するが、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、患者に転院を勧めた際、併せて被告での診療を継続することができることも説明していたと認められるから、被告の主張は採用することができない。」

「また、被告は、原告がG病院では言語聴覚士の治療を受けられないことを患者に示さずにG病院への転院を勧めた旨主張するが、証拠・・・によれば、患者の家族が、被告の言語聴覚士に対し、G病院における言語聴覚士の治療について不安を述べていることが認められるものの、これをもってG病院において言語聴覚士の治療を受けられないことが裏付けられているとはいえず、他にG病院で言語聴覚士の治療が受けられないことを認めるに足りる証拠はない。被告の上記主張も採用することができない。」

「さらに、被告は、原告が予約患者リストに記載された患者の連絡先を利用して連絡したことは目的外の情報の利用であるとか、不正な手段によって電子カルテから患者の連絡先を取得した旨主張するが、被告が予約患者リストを原告に交付したのは、診療予約をした患者に予約のキャンセルの連絡を入れる・・・ためであったと認められ、予約患者リストに記載された患者の連絡先を利用して連絡したことをもって、目的外の情報の利用であるとはいえないし、また、前記・・・で説示したとおり、原告が、F副センター長から転帰リストの作成を指示され、E副センター長からも転院する患者のリストの作成を指示されていたのであり、患者の意向を確認する前提として電子カルテを閲覧することは、被告の医療情報システム運用管理内規に反するものではないから、これをもって、不正な手段によって電子カルテから患者の連絡先を取得したともいえない。」

「加えて、被告は、原告が患者に対し被告の病院以外で診断書を作成してもらうよう指示し、被告と患者の信頼関係を損ねた旨主張するが、証拠・・・によれば、原告において特定の患者にそのような指示をした事実が認められるものの、原告は、診断書を作成してもらうよう指示した病院はその患者のかかりつけ医であったと主張しているのであり、原告の上記指示により直ちに被告と患者との信頼関係が損なわれたとはいえないから、被告の上記主張も採用することができない。」

「以上より、前記・・・で認定した原告の行為は、契約職員就業規則53条5号及び6号に該当するとはいえない。」

※ 契約職員就業規則53条5号、6号

 故意に上司の命令に違反して本学の秩序を乱したこと(5号)、これに準ずるもの(6号)

3.患者の病院又は医師を選択する権利

 病院としては、それほど患者を引き連れて他院に移られることに抵抗があるのであれば、雇止めになどせず相応の処遇をしていればよいのであり、退職した医師に辛く当たるのは適切ではないように思います。

 裁判所も、患者には病院及び医師を選択する権利があるとして、禁止されていた形跡がないことも踏まえ、退職にあたり新たな勤務先を伝えることは問題ないと判示しました。

 明示的に患者の他院への紹介が禁止されていた事案ではないにせよ、患者の権利という観点から、医師の行為を非違事由にあたらないとしたことは特徴的で興味深く思われます。本件は、専門職の労働事件を扱ってゆくにあたり、実務上参考になります。