教育に重点投資を行わなければ、日本が弱小国家に陥るのは必然だ

竹中平蔵の分析

「橋本行革」への高い評価

平成を振り返る本が多く出されているが、小泉純一郎政権の改革路線を遂行する上できわめて重要な役割を果たした竹中平蔵氏の考察は実に興味深い。竹中氏は、改革の原点は、橋本行革だったと考える。

〈政権が衆知を集めてまとめた、間違っているとも思えない報告書が、なぜバブル崩壊から数年たっても、具体化されないのか。

そこで、構造改革が進まないのは、日本政府を率いる首相のリーダーシップが足りないからだろう、という認識が広がっていった。

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「政治のリーダーシップ」が重要というが、必要なのは各分野の官僚と一体化した「族議員のリーダーシップ」ではない。議院内閣制のもと議会の最大勢力によって国会議員から選ばれ、内閣を率いて大臣を任免し、その大臣によって官僚たちを指揮する「内閣総理大臣の強いリーダーシップ」こそが求められた。

だから、首相官邸に権力を集中させて、首相の力と内閣の機能を強化し、同時に行政改革を進めて「中央省庁の再編」を目指そう、という流れが生まれた。

これが96(平成8)年1月から98(平成10)年7月まで続いた橋本龍太郎内閣による行政改革、いわゆる「橋本行革」である。

橋本行革が日本の政治に果たした役割はきわめて大きかった、と私は高く評価している〉。

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橋本政権下の1998年に中央省庁等改革基本法が成立した。この基本法に基づき、森喜朗政権下、2001年1月に政府機関は1府21省庁から1府12省庁になった。太平洋戦争後、初めての本格的な省庁再編で、政治主導の政策決定を掲げ、縦割り行政を排して行政組織をスリム化した。

首相の権限を強化し、総理府や経済企画庁を統合した内閣府を新設した。また内閣官房が政府内調整に加え、独自に基本方針を企画立案できるようになった。

その象徴的役割を果たしたのが経済財政諮問会議で、首相がトップダウンで政策を動かせる体制が作られた。竹中氏は、経済財政諮問会議を最大限に活用して、小泉改革を進めた。

役所に真の専門家がいない

竹中氏は、このような行政改革が行われた背景には、東西冷戦の終結があると考える。

〈考えてみれば、89年にベルリンの壁が崩壊して東西冷戦が終結し、91年のソ連解体で社会主義の息の根が止められる以前は、国際社会にも日本国内にも大きなイデオロギーの対立があった。日本国内のイデオロギー対立を象徴するのが、「自民党対社会党」という構図、いわゆる55年体制である。

この構図のもとで政治家たちが繰り広げたのは、資本主義を守るか、社会主義の要素を入れて資本主義をどう修正するか、というイデオロギーを担った政策論争だった。

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共産党や左派社会党は、資本主義を打倒し社会主義にすると主張したが、自民党を監視して暴走を止める意義を認める人は大勢いても、本気で社会主義化すべきと信じた人は少ない。

イデオロギーを担った政策論争の背後で、政策実務のほとんどは官僚にまかされていた。政治家が細かいことに口をはさまず、官僚に丸投げしたことで、政策実務はむしろスムーズにおこなわれていた、とすらいえよう。

しかし、社会主義が崩壊してイデオロギー対立が無意味となり、しかも日本経済がバブル崩壊後の停滞や衰退からいっこうに抜け出せないことがはっきりすると、多くの人びとは官僚への政策の丸投げこそが問題だったと気づく。だから総理主導、官邸主導の政策が必要だ、と叫びはじめたわけだ〉。

評者もこの見方に賛成だ。橋本氏や小泉氏が首相にならなかったとしても、別の人の手によって、似たような行政改革が行われたと思う。

問題は、行政改革は行われたが、日本の政治、経済、社会のいずれもが、時代の変化に対応できなかったことだ。竹中氏は、行政官の質の低下を指摘する。

〈問題の一つは、役所に真の専門家がいないことである。

日銀の専門性については触れたが、金融庁の幹部にも金融マーケットで取引した経験のある人はいない。官僚や日銀マンをエリート視する傾向は依然として強いが、同じ組織に長年いるだけでは、真の専門家は生まれない。

サイバーセキュリティの問題を議論する国際会議があるが、各国からの出席者は博士号(Ph. D)を持つ人か有名なハッカー連中など。日本からの出席者は外務省の役人だから、議論についていけないという。こういうことを、私たちは改めなければいけない〉。

日本の官僚は、国際基準では低学歴だ。それは出世が原則として入省年次に従って行われるからだ。

最近になって、修士課程を修了してから国家公務員になる人も増えてきたが、博士課程を修了した人はほとんどいない。修士課程は2年、博士課程は3年(もっとも3年で博士号を取れない人も多いので、実際は4~6年かかる)なので、博士号を取得してから役所に入ると、学部卒と比較して年次が最低でも5年遅れることになる。

現在の人事評価システムで5年の遅れを取り戻すことは不可能だ。従って、官僚志望者は大学院に進まない。

さらに、日本では高校1~2年生で文科系と理科系に分かれる。そのため文科系出身者は数学、理科系出身者は歴史の知識が欠如しているのが通例だ。さらに日本の大学教育で英語を学んでも、実務で使えるレベルには到達しない。

このような環境で、いくら地頭のよい若者が官僚になっても、国際水準での専門的議論についていくことはできない。

平成の時代に日本が世界から取り残されてしまった最大の理由は、教育力が低下してしまったためであることが本書を読むとよくわかる。

次世代の若者を育成するために、政府は教育に重点的投資を行う必要がある。さもないと日本は、中堅以下の弱小国家になってしまう。

『週刊現代』2019年3月30日号より

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