第7話 悪魔の掌の上で

【静:神託と、作戦会議】

 喧騒が嘘のように静まり返った、桐島弁護士のガラス張りのオフィス。

 その高級そうな革張りのソファに、俺と今宮は並んで座っていた。俺は昨日玲奈に選んでもらった黒のセットアップ、今宮は相変わらずの派手な柄シャツだ。テーブルの上には、『田中雄大』に関する調査資料が広げられている。


「…市役所への爆破予告犯が、製氷工場時代の先輩だったとはな」

 俺が吐き捨てるように言うと、桐島が、寸分の狂いもなく着こなしたスリーピースのスーツの襟を正しながら、冷静に分析を加える。

「書き込みは海外サーバーを経由していましたが、我が社が誇るAI【Muse】の力で、数時間で特定に至りました」


「Muse…?」俺が聞き返すと、桐島はデスクの上に置かれたクリスタルのオブジェのような端末に、静かに語りかけた。

「Muse。状況を説明しなさい」


 すると、オブジェが淡い光を放ち、気高く、そしてどこか憂いを帯びた、美しい女性の声が、スピーカーから響き渡った。同時に、オブジェの上には、白を基調とした、女神のようなスカートドレスをまとった、美しい女性のアバターがホログラムで投影された。腰まで届く、緩やかにウェーブのかかった、美しい銀髪が、光の粒子をまとって静かに揺れている。

 はい、桐島様。爆破予告犯『田中雄大』の特定は、すでに完了しています》

 その滑らかな声と、神々しい姿に、俺と今宮は息を呑んだ。これが、Muse…。


 だが、Museは、俺たちが求めている以上の「答え」を、静かに続けた。

 ですが、マスター。真に警戒すべきは、実行犯の田中ではありません》

 彼の背後で、全ての糸を引いている存在…》

 ――コードネーム『魔女』。佐々木美月。彼女こそが、今回の事件の、真の黒幕です》


「「「なっ…!?」」」

 俺と今宮、そして桐島までもが、驚愕に目を見開いた。

 俺たちが、まだ「田中」という駒に囚われている間に、このAIは、すでにはるか先の、盤上を支配する「プレイヤー」の正体までを、完全に見抜いていたのだ。


 彼女は、現在、マスター・K(あなた)に、意図的に接近を試みています。最大限の警戒を推奨します》


 オブジェの光が、静かに消える。

 後には、衝撃の事実に言葉を失い、ただ呆然とする、俺たちだけが残されていた。

 どうやって、この粘着質な男(田中)を、世間の目に触れさせずに引きずり出すか。

 俺の思考に、桐島が、ごほん、と一つ大きな咳払いをして割り込んできた。

 参照。ターゲット:田中雄大の趣味嗜好データより、アイドルグループ『ルナティック・ノヴァ』に関するニュースを抽出しました》

 再び起動したMuseが、テーブルのホログラムにニュース映像を映し出す。


「…実は、私も『ルナティック・ノヴァ』のファンでしてね」

「「ええっ!?」」俺と今宮の声がハモった。

「もしよろしければ、私がファンコミュニティのコネを…」

「ちなみに、桐島さんは誰推しなんすか?」今宮が、ニヤニヤしながら尋ねる。

「…つ、月島ひまり、という子です」

 桐島が恥ずかしそうに咳払いするのを、今宮は扇子をパタパタさせながら楽しそうに見ている。「渋い! 古株の不人気メン推しとは、さすがっすね!」


 その的確すぎるオタク的発想に、俺は一つのアイデアを思いついた。

「…桐島さん、その必要はないです。俺のチームに、最高の『女優』がいますから」

 俺は、スマホを取り出し、星川キララに電話をかけた。「キララ、頼みがある。作戦会議だ。〇〇カラオケボックスに来てくれ」

『おっけー! アイドル活動始まるまで暇だから、いいよー!』


【動:偽りの狂宴と、水面下の罠】

 カラオケボックス店前で合流したキララは、少しだけ背伸びした大人びたワンピース姿だった。俺の顔を見るなり「神谷さん、会いたかったよー!」と腕に抱きついてくる。今宮が口笛を吹き、「モテる男は辛いっすねえ」と茶化した。


 カラオケボックスの一室で、俺はテーブルに置かれた一枚の書類を、キララの方へ滑らせた。

「…これ、見てくれ」

 それは、田中のプロフィールと、彼がYORUの熱狂的なファンであることを示す資料だった。

「…何、これ?」

「こいつは、俺の人生を滅茶苦茶にした、共犯者の一人だ。そいつを、誘い出してほしい」

 俺は、桐島弁護士から借りてきた、Muse本体が搭載されたアタッシュケースを、テーブルの上に置き、静かに開いた。

「ひゃっ!?」キララが、光り輝くケースの中を見て、驚きの声を上げる。「なにこれ!?」


 マスターKの指示に基づき、対象人物:YORUの音声データ、及び、3Dモデルデータをスキャン。変声機並びに、3Dフェイスマスクの生成を開始します》

 ケースの中から直接Museの声が響くと同時に、ナノマシンが稼働するような微かな音と共に、完璧な変装グッズが生成されていく。

 キララは、目の前で起きているSF映画のような光景に、完全に目を輝かせていた。


「私が…YORUさんに…?」

 YORU。それは、彼女がずっと追いかけてきた、雲の上の存在。

「い、いやいやいや! 無理だよ! 私なんかが、あの伝説のYORUさんになんて、なれるわけないもん!」

 彼女は、ブンブンと、ちぎれんばかりに首を横に振った。だが、その瞳の奥は、明らかに「やりたい」と、輝いていた。


 俺は、そんな彼女の気持ちを見透かすように、静かに、しかし力強く告げた。

「お前なら、できる。いや、お前にしか、できない」

「…え…」

「YORUへのリスペクトが誰よりも強くて、そのパフォーマンスを誰よりも研究しているお前だからこそ、彼女の魂を、その身に降ろすことができるんだ。…そうだろ?」

 俺の、プロデューサーとしての、絶対的な信頼を込めた言葉。

 それは、彼女の最後の躊躇いを打ち破るのに、十分すぎるほどの力を持っていた。

「………うんっ!!」

 キララは、満面の、太陽のような笑顔で、力強く頷いた。

「わかった! やる! やってみせるよ、プロデューサー! 私が、YORUさんになる!」


「せっかくYORUさんになりきったんですから、記念に自撮りと歌動画、撮ってSNSに投稿したらどうです? もしかしたら、ご本人が引用リツイートしてくれるかもですよ?」

 今宮の悪魔の囁きに、キララは目を輝かせた。「それ、天才!」

 彼女は「#YORU様降臨」のハッシュタグと共に、完璧な歌唱動画を投稿した。その投稿は瞬く間に拡散され、本物のYORUのアカウントが『すごい! 上手! 私も頑張らなきゃ』と引用リツイートしたことで、ネットは爆発的なお祭り騒ぎになった。

 本人からの反応に上機嫌になったキララが、カラオケでYORUのソロ曲を完璧に歌い上げる。その様子を、俺は「…ほどほどにしとけよ」と呆れながら見つめ、今宮はカラオケ機器の影に、ピンマイク型の隠しカメラをセットして、二人で部屋を後にした。


 ――シーンカット


【場所】タワマンのエントランスロビー


 その頃、学校帰りの制服姿の莉愛の前に、地味なスーツ姿の佐々木美月が現れた。彼女は、今にも泣き出しそうな、悲痛な表情で、ハンカチで目頭を押さえている。

 莉愛は彼女の豹変を目の当たりにしている。一瞥すると、完全に無視して通り過ぎようとした。

「待って、莉愛さん!」佐々木が、その腕を掴む。

「離して。あなたと話すことなんてないわ」莉愛は、氷のように冷たい声で言い放った。


「…ええ、そうよね。当然だわ」

 佐々木は、崩れ落ちるようにその場に膝をつくと、衝撃的な事実を告げた。

「…神宮寺は、恐ろしい計画を進めているわ。世界中のあらゆる情報を吸収し、決して誰もアクセスできない、彼だけの『機密データバンク』を、ネットワークの海に創り出そうとしているの」

「…!」

「私は、彼に利用されていただけ…。お願い、信じて。私は、圭佑くんを救いたい。せめてもの、罪滅ぼしのために…」


 莉愛は、その情報の重要性を瞬時に理解し、ゴクリと息をのんだ。危険な罠かもしれない。でも、もし本当なら…。

「…信じるわ。あなたの言葉」


「ありがとう、莉愛さん」佐々木は、安堵の表情を浮かべると、続けた。「でも、こんな場所じゃ、これ以上は話せない。 私が仕事で使っているホテルの部屋があるの。そこへ行きましょう? そこで、この計画の詳細と、私たちの取るべき対策を話したいの」


 莉愛は、一瞬だけ躊躇した。だが、圭佑を救うための、またとないチャンス。

「…わかったわ」


 彼女は、まんまと佐々木の口車に乗せられ、自ら、悪魔が待つ罠の中へと、足を踏み入れてしまったのだ。

 莉愛は、まだ知らない。その部屋に用意されているオレンジジュースが、彼女の意識を奪う、眠りの毒であることを。


 ――シーンは、再び、田中が現れるカラオケボックスに戻る。


【静:王の尋問と、悪魔の掌】

 ネットの騒ぎを知った田中は、完全に舞い上がり、ウキウキで現れた。YORU(に変装したキララ)とのデュエットを恍惚の表情で楽しむ。

 曲が終わると、カラオケ機器の採点画面に『95点』という高得点が表示された。「やったー! すごいじゃないですか、YORU様!」田中は、自分のことのように大喜びしている。

 しかし、キララは、自分が潜入捜査中であることを完全に忘れ、採点画面を指差しながら、ぷくーっと頬を膨らませた。「えーっ! なんで満点じゃないのー!? 昨日、ちゃんと練習したのにー!」

「…え?」田中は、突然素のリアクションを見せた彼女に、きょとんとした顔で固まった。「あ、いや、でも! 95点でも、めちゃくちゃ凄いですよ!」

 その純粋なオタクぶりに、キララはさらに調子に乗り、キラキラした瞳で尋ねてしまった。「ねえ、ねえ! どうだった!? 私、ちゃんと、YORUさんになりきれてたかな!?」

「あっ…!」キララは、自分の致命的なミスに気づき、顔を真っ赤にして慌てて取り繕う。「い、いや! 今のはその…今日の私、ちゃんと『YORU』として、あなたを楽しませることができたかなって…!」

 別室で、インカムを通してそのやり取りを聞いていた俺と今宮は、同時に頭を抱えた。「「…(アホの子だ…)」」

 田中は、「え…?」

(なりきるって…? でも、本物のYORU様が俺なんかのために、こんな風に気さくに話してくれてる…! 夢か…!?)と、混乱しながらも、ポジティブに、オタクとして幸せな勘違いを深めていた。

 キララは、「じゃ、じゃあ、ちょっとドリンクバー行ってくるね!」と、そそくさと部屋を出て行った。


 入れ替わりで部屋に入ってきたのは、俺、神谷圭佑、ただ一人だった。

「よう、田中。楽しかったか?」

「け、圭佑!? なんでお前が…! まさか、さっきのは…!?」

 狼狽する田中に、俺は冷たく言い放つ。

「お前が俺にしたこと、全部わかってる。市役所への爆破予告、俺のPCへのハッキング…全部、佐々木に命令されたんだろ?」

 俺は、Museと今宮が集めた情報を元に、田中を完璧に追い詰めていく。


 観念した田中が、全てを白状しようとした、その瞬間だった。

 部屋の大型モニターが、突然ノイズを発して起動。そこに映し出されたのは、ホテルのベッドでぐったりと眠る莉愛と、その髪を優しく撫でている、佐々木美月の姿だった。

 莉愛の傍らのサイドテーブルには、色とりどりのお菓子と、飲みかけのオレンジジュースのグラスが、わざとらしく置かれている。


 モニターの向こうで、佐々木は、狼狽する田中に向かって、嘲笑うように告げた。

「田中くん。あなたの役目は、もう終わり」

「さ、佐々木さん…!? 約束が、違うじゃねえか…! ふざけるな!」逆上した田中は、懐からナイフを取り出し、俺に襲いかかる。

 その刹那、俺は咄嗟にテーブルの上に置かれていた、分厚いカラオケのタッチパネル端末を掴み、盾にした。ガキン、と硬い音を立てて、ナイフの切っ先が端末の液晶を砕く。

 その衝撃で、部屋のドアが勢いよく開いた。「お客様! どうされましたか!」

 室内の隠しカメラの映像を見て、異変に気づいた店員が駆け込んできたのだ。


 その時、店員の一人が、モニターに映る莉愛の顔を見て、目を見開いた。「り、莉愛様…!?」

 どうやら、このカラオケ店も天神グループの系列だったらしい。

 俺は、店員に向かって静かに、しかし有無を言わさぬ迫力で告げた。「…こいつのことは、俺に任せろ。下がってろ」

 店員たちは、俺の気迫と、莉愛の映像に、ただ頷いて部屋を後にするしかなかった。


 部屋に二人きりになると、佐々木は、恍惚とした表情で、モニターの向こうから拍手をした。

「成長したわね、圭佑。それでこそ、私が育てた最高の作品よ」

 彼女は楽しそうに、例の「究極の選択」を、俺に突きつけた。


【動:真実の騎士と、反撃の狼煙】

 俺が絶望に打ちひしがれた、その時だった。

 別室で待機していた今宮が、部屋に飛び込んできた。彼の顔からは、いつもの軽薄な笑みは消え、そこには、昏い怒りの炎が宿っていた。彼は、モニターの向こうの佐々木に、宣戦布告を叩きつける。

「おい、佐々木。てめえ、誰に手ぇ出してんのか、わかってんのか? その子は俺の『兄貴』の、大事な姫なんだよ! 勘違いすんなよ、アニキ。これは、あんたを一度は裏切った、俺なりの罪滅ぼしだ」

 今宮は、テーブルに自らのノートPCを叩きつけるように置き、凄まじい速度でキーボードを叩き始めた。


 絶望に沈む俺の肩を、変装を解いたキララが、力強く握った。

「プロデューサー…! 私たちのリーダーでしょ! しっかりして!」

 そうだ、俺は一人ではない。

 佐々木が「…幸運を祈るわ」と言い残し、モニターがブラックアウトする。

 だが、もう遅い。今宮のPCには、佐々木が潜むホテルの位置情報が、明確に表示されていた。


 俺は、震える手でスマホを取り出し、桐島に電話をかけた。

「…桐島さん、俺だ。最悪の事態になった。莉愛が佐々木に捕らわれた。だが、打つ手はある。今宮が、佐々木の現在地を特定した。特定でき次第、警察と連携し、現場に突入できる準備を! Museの力も借りるぞ!」

『莉愛様が…!? 分かりました。直ちに手配します!』

 俺は、キララ、そして今宮と共に、部屋を飛び出した。

「行くぞ! 姫を、助け出す!」


 俺たちの、本当の戦いが、今、始まる。

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