第3話 新生活

【美しすぎる鳥籠】

 俺の第二の人生は天神姉妹という二人の女神(アクマ)への甘美な隷属から始まった。

 その夜玲奈は「明日から私もここに住むのだから」と言い残し莉愛と共に帰っていった。

 ガラス張りの豪邸に一人取り残される。街の灯りが宝石のように瞬く夜景も今の俺にはただの虚構にしか見えなかった。

 ここは俺の城なんかじゃない。美しすぎる鳥籠だ。


 ポケットのスマホが現実との唯一の繋がりだった。

 震える指でゲリラ配信を起動する。画面に映るのは豪邸のリビングを背景に疲れ切った顔の俺。

 コメントが滝のように流れ始めた。


『K! 生きてたか!』

『マジで天神姉妹といたのかよ!?』

『同棲ってマジ? 嫉妬で狂いそう』


 狂喜、嫉妬、憶測。その熱量に俺は少しだけ自分が神谷圭佑であることを思い出せた。

「……腹減ったな。夜飯どうしよ」

 独り言のように呟くとコメントが即座に反応する。言われるがままにシステムキッチンへ向かい巨大な冷蔵庫を開ける。中は高級そうなミネラルウォーターとなぜか無数の冷凍食品で埋め尽くされていた。玲奈の歪んだ優しさか。電子レンジで温めたナポリタンを無心で掻き込む。味はしない。


『他の部屋も見せて!』

 コメントに促されリビングの奥にあるドアノブに手をかけたがびくともしない。

「……開かねえ」

 俺は王様なんかじゃない。飼われているペットだ。

 逃げるように配信を止め俺はバスルームへ向かった。足の裏に触れる大理石のひんやりとした感触。壁一面の巨大な鏡に映っていたのはヨレヨレのTシャツと色褪せたジーンズを穿いた場違いな男の姿だった。

 ガラス製の脱衣籠には完璧に畳まれたシルクのパジャマ。

「……準備がよすぎるだろ」

 ぞくりと背筋に悪寒が走った。俺がこの城に囚われることは初めから計画されていたのだ。

 キングサイズのベッドに横たわり眠れないまま夜を明かそうとしていた。

 俺は、天神姉妹のアカウントのリプライ欄を見ていた。

『天神姉妹も同類』

『金で男を買ったのか』という、言葉の刃。自分のアカウントにも、もちろん同じような刃が突き刺さっている。

(俺のせいで、あいつらまで…)

 巻き込んじまった。俺の責任だ。あいつら、ちゃんと眠れてるかな…?


【甘すぎる共犯者たち】

 翌朝俺の目に飛び込んできたのは高く美しい木目が見える傾斜のついた天井だった。

「おはよう神谷さん。よく眠れたかしら」

 ラフなTシャツにショートパンツという姿の玲奈が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。その手には完璧な焼き加減のトーストと香り高いコーヒーが乗ったトレー。

「おはよう…。いやあんまり。……これは夢か?」

「ふふっ。ここはあなたの新しい『城』よ」


 朝日が差し込むダイニングテーブルにはまるでホテルのような完璧な朝食が並んでいた。俺が席に着くと入れ替わるように制服姿の莉愛が勢いよくリビングに現れた。

「お姉ちゃん! Kくん! おっはよー!」

 彼女は元気いっぱいに挨拶するとそのまま俺の隣に座りスマホの画面を見せてきた。

「見て見て! 私も昨日Kくんとゲーセンいたってだけでアン- チにめっちゃ叩かれて炎上しちゃった! でも圭佑くんのガチ恋だって証明できたみたいで逆に嬉しかったりして!」

 強がるように笑う彼女の目の下には隠しきれない隈が浮かんでいた。

(やっぱ、莉愛、眠れてないんだな…)

 莉愛は俺の心中を察したのか、慌てて話題を変えるように朝食のソーセージをフォークで刺した。

「ほら、圭佑くん、あーん!」

「え、あ、ああ…」

 俺が戸惑いながら口を開けると、彼女は楽しそうに笑った。

「美味しい?」

「…美味い」


 食事の後俺たちは三人でキッチンに立った。譲り合っているうちに自然と仲良く洗い物を始める。

 莉愛が泡だらけの手で俺の頬を撫でようとし玲奈がそれを冷静に諌める。そんなごく普通の家族のような温かい光景に俺の凍りついた心が少しだけ溶けていくのを感じた。


 洗い物を終え俺はふと思い出したように切り出した。

「そういえば昨日開かない部屋があったんだけど」

 俺の言葉に玲奈が「あっ」と声を上げた。

「ごめんなさい。渡すのを忘れていたわ」

 彼女がテーブルの上に置いたのはシルバーを基調とした理知的なデザインのカードキーだった。

「これはこの家のマスターキー。そして私との『恋人契約』の証。私はあなたの全てを管理し成功へと導く。その代わりあなたはこのカードで私の全てを『使用』する権利を得るの」

「待ってお姉ちゃんだけずるい!」

 会話を聞いていた莉愛が今度はピンクゴールドのカードキーを俺の手に握らせてきた。

「Kくんこっちも受け取って! これはKくんのプライベートエリアに私だけが入れる『特別許可証』! そして私との『恋- 人契約』の証! あなたの心は私が独占する! その代わりあなたは私を『所有』していいからねっ!」

 性質の異なる二枚の「恋人カード」を手に俺の理性は完全に焼き切れた。


 直後莉愛が「そうだ! 記念すべき初仕事、始めよっか!」とタブレットを取り出す。リビングのソファで俺を間に挟み姉妹は「圭佑くんの最強装備」を実に楽しそうに次々とカートに放り込んでいく。

「こっちのゲーミングパソコンのほうが絶対カッコいい!」

「いいえ、神谷さんにはこちらの方が…」と、仲良く喧嘩しながら。

「おい、お前ら学校の時間、大丈夫なのか?」

「大丈夫! いつもより早く来たし、爺に送ってもらうから!」

 決済ボタンを押した莉愛がにっこりと笑った。「お急ぎ便にしたから明日には全部届くって!」


【王の覚悟】

 やがて二人は大学と高校へ行く時間になった。俺は玄関ホールまで二人を見送る。

「Kくん学校終わったらすぐ帰ってくるからね! 炎上なんかに負けないんだから!」

 莉愛は最後まで強気にそう言うと先に玄関を出て行った。

 一人残った玲奈は一瞬だけ真剣な顔で俺に告げた。

「神谷さん。あの子ああ見えて相当参っています。炎上のことも本当は怖くて仕方ないはず。…私もよ。私たちは覚悟を持ってあなたの前に現れた。そのことだけは忘れないで」

 そう言い残し彼女もまた戦場へと向かう女神のように玄関を出て行った。

 一人になった俺は閉まったドアを見つめ静かに呟いた。

「……女の子を泣かせちまったな」

 彼女たちの覚悟を突きつけられ俺の中で何かが固まった。もう逃げることは許されない。


 俺はカードキーを手に昨日開かなかったドアの前に立つ。シルバーのカードキーをかざすと重厚な扉が静かに開いた。

 中は完璧な防音設備が施されたプロ仕様のスタジオだった。

「ここを俺の配信部屋にするか…」

 俺はスマホを取り出しゲリラ配信を開始した。

「ようお前ら。見ての通り新しい配信部屋だ。明日には機材も届く」

『神スタジオ!』『いくらかかったんだよw』とコメントが沸く。

 俺はヤケクソ気味にそして不敵に笑って宣言した。

「それから…俺アイドルプロデュースを始めることにした。俺の『ガチ恋』限定でメンバーを募集する。我こそはって奴は覚悟して待ってろ」

 コメント欄は『マジかよ!』『俺も応募していい?(男)』という狂喜で爆発した。


【反撃の狼煙】

 その夜玲奈と二人きりの城で反撃の狼煙が上がった。

 配信直前俺は玲奈に昼間の発表を報告した。

「ええ見ていましたわ」玲奈は微笑みながらもその瞳は笑っていなかった。「…随分と楽しそうね。可愛い女の子たちに囲まれるんでしょ?」

 その嫉妬の色を帯びた言葉に俺は何も言えなかった。

 そして予告なしのコラボ配信が始まった。画面には俺と隣に微笑む天神玲奈。

 同接数は見たこともない速度で跳ね上がる。コメント欄が狂喜と嫉妬で埋め- 尽くされる中玲奈が全世界に向けてはっきりと宣言した。

「私は神谷圭佑さんの『最初の恋人』、天神玲奈です」

 昼間の嫉妬があったからこそその言葉は他の誰にも渡さない、という強烈な意志の表明に聞こえた。

 そして配信中のカメラの前で俺の唇にそっとキスをした。

 滝のように流れていたコメントが一瞬完全に止まった。

 直後、『裏切り者!』『NTRじゃねえか!』『でも、お似合いで悔しい…!』という嫉妬のコメントの嵐が、画面を埋め尽くした。


 新たな城で最強すぎる共犯者と共に。

 俺の世界をひっくり返すための最高に甘くて最高に過激な反撃が今始まった。

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