第1回520人が犠牲になった修理ミス 墜落機内で残した言葉と事故原因

増山祐史 玉那覇長輝 グラフィック・小林省太
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 1985年8月12日、日本航空のジャンボ機123便が群馬県上野村御巣鷹の尾根に墜落し、520人が犠牲となった。機体後部の圧力隔壁の修理ミスが、単独機の死者数としては今も世界最悪である事故につながった。

 あれから40年。事故を知らない世代が増える中、航空史上、未曽有の大事故を国の調査報告書や、犠牲者が機内で残した「最期の言葉」からたどる。

・事故機の飛行経路と交信記録

・墜落事故の原因

・隔壁破裂までの流れ

・操縦不能の流れ

・乗員・乗客の年代構成

・遺品

航空機関士

福田博(46)

機長

高浜雅己(49)

副操縦士

佐々木祐(39)

ACC

東京管制区管制所

敬称略

事故機の飛行経路と交信記録

離陸から12分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

長野県

東京都

山梨県

羽田空港

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

伊豆半島

大島

18:24

30000 ft

23900 ft

20000 ft

高度

10000 ft

標高

0

18:10

18:30

18:56

(ドーンというような音)

18:24:35

機長

なんか爆発したぞ

スコーク77 (緊急信号)

18:24:42

副操縦士

ギアドア

18:24:43

ギアみて ギア

18:24:43

航空機関士

えっ

18:24:44

エンジン?

18:24:46

オールエンジン…

18:24:48

なんか爆発したよ

18:24:59

機内に響いた「爆発音」

 午後6時24分ごろ、爆発音とともに機体は大きく揺れ、操縦が利かなくなった。客室では天井から酸素マスクが落下し、機体は乱高下しながら飛行を続ける。

 この爆発音は、尾部にある「圧力隔壁」が破断した音だった。隔壁が壊れたことで、客室の空気が2~3平方メートルの穴から一気に吹き出し、内側から爆風のような力が働いた。その衝撃で、垂直尾翼や操縦に必要な油圧配管が同時に破壊された。

圧力隔壁に疲労亀裂が入り、2〜3平方メートルの穴から空気が一気に吹き出す

1

2

3

胴体尾部の一部が破損・脱落

尾部の内圧が急激に上昇、方向舵(ほうこうだ)を含む垂直尾翼の相当部分が破損・脱落

開口部から、客室内の空気が圧力隔壁の後方に流出

尾部にはすべての油圧配管が集中していたため、1カ所の破壊で全系統を失い、操縦不能に陥った。

尾部

1

2

3

4

なぜ圧力隔壁が損傷したのか

 事故の原因となったのが、7年前の「しりもち事故」で損傷した圧力隔壁だった。修理時には米ボーイング社が正式な補強方法を示していたが、現場では指示と異なる手順で施工されていた。

圧力隔壁とは

客室と機体後部を隔てる壁で、空気が漏れるのを防ぎ、客室の気圧を保つ。高度1万メートル付近では外気圧が低く、加圧しないと乗客が呼吸できないため、密閉構造に不可欠な部位である

外気圧

客室圧力

既存部分

交換部品

接続部の寸法が異なり接ぎ板が必要に

 交換部品と既存部分を重ね合わせる部分の寸法が異なり、接合部に差異が生じた。補強のための接ぎ板(プレート)を挟む必要があったが、処置が不完全だったため、隔壁の強度は設計時の約70%にまで低下していた。

ボーイング社の指示

上半分と下半分の隔壁の間に接ぎ板となるプレートを1枚挟み、3列のリベット(留め具)を打ち込んで固定する方法

実際に行われた修理

指示された1枚のプレートの代わりに、2枚に分かれたプレートを使用。本来なら2列のリベットで留めるべき部分が、1列のリベットのみで留められて強度が不足した。

操縦不能となった機体は、その後どこへ向かったのか

 操縦不能となった機体は、その後どこへ向かったのか。記録された44分間の飛行経路と、最後まで続いた32分間の音声記録が残されている。

離陸から14分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

長野県

東京都

山梨県

羽田空港

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

伊豆半島

大島

18:26

30000 ft

24400 ft

20000 ft

高度

10000 ft

0

18:10

18:30

18:56

機長

バンク(傾き)とんなそんなに

18:25:53

副操縦士

はい

18:25:54

バンクそんなにとんなってんのに

18:25:55

航空機関士

ハイドロプレッシャ(油圧)が

おっこちています。ハイドロが

18:26:00

バンクそんなにとるな。マニュアルだから

18:26:03

副操縦士

はい

18:26:05

戻せ

18:26:11

戻らない

18:26:12

ハイドロ全部だめ?

18:26:27

航空機関士

はい

18:26:28

ディセント(降下)

18:26:31

副操縦士

はい

18:26:32

航空機関士

ディセンドしたほうが

いいかもしれないですね

18:26:33

副操縦士

ディセンド

18:26:35

なんでこいつ…

18:26:41

離陸から16分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

長野県

東京都

山梨県

羽田空港

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

伊豆半島

18:28

大島

30000 ft

22100ft

20000 ft

高度

10000 ft

0

18:10

18:30

18:56

ACC

JAPAN AIR 124,

fly heading 090 radar vector to OSHIMA

124便(正しくは123便)、大島へレーダー誘導します。方位90度で飛行して下さい

18:28:31

機長

But now uncontrol

操縦不能

18:28:35

Uncontrol ,roger understand

操縦不能、了解しました

18:28:39

離陸から19分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

長野県

東京都

山梨県

羽田空港

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

18:31

伊豆半島

大島

30000 ft

24900ft

20000 ft

高度

10000 ft

0

18:10

18:30

18:56

ACC

JAPAN AIR 123 ah,

can you descend?

123便、降下可能ですか

18:31:02

機長

Ah,roger now descending.

了解、現在降下中

18:31:07

Right,your position 72 miles to NAGOYA,yah,can you land to NAGOYA?

現在位置は名古屋空港から72海里の地点、名古屋に着陸できますか

18:31:14

Ah, negative…

request back to HANEDA

羽田へ帰ることを要求します

18:31:21

ALL right, ah これから日本語で

話していただいて結構ですから

18:31:26

はいはい

18:31:31

航空機関士

あのですね。荷物いれてある

荷物のですね

いちばんうしろですね

荷物の収納スペースのところが

おっこってますね。

これは降りたほうがいいと思いますう

18:32:11

離陸から26分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

長野県

東京都

山梨県

羽田空港

18:38

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

伊豆半島

大島

30000 ft

22400 ft

20000 ft

高度

10000 ft

0

18:10

18:30

18:56

機長

あたま下げろよ

18:38:04

副操縦士

はい

18:38:05

両手でやれ。両手で

18:38:29

はい

18:38:30

航空機関士

ギャダウンしたらどうですか?ギヤダウン

18:38:32

ギアダウンでしょうか?

18:38:34

出せない。ギヤ降りない

18:38:45

あたま下げろ

18:38:54

はい

18:38:55

離陸から35分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

長野県

18:47

東京都

山梨県

羽田空港

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

伊豆半島

大島

30000 ft

20000 ft

高度

10000 ft

9000 ft

0

18:10

18:30

18:56

副操縦士

えー相模湖まできてます

18:46:06

ACC

JAPAN AIR 123

羽田にコンタクトしますか?

18:46:09

機長

このままでお願いします

18:46:16

コンタクトしますか?

18:46:20

こ、このままでお願いします

18:46:21

はい。了解しました。

スタンバイお待ちください

18:46:27

これはだめかもわからんね

18:46:33

現在コントロールできますか?

18:47:17

アンコントローラブルです

18:47:19

了解

18:47:20

客室乗務員

赤ちゃんづれの方。背に頭を。

座席の背に頭をささえて…

にしてください。

赤ちゃんはしっかり抱いてください

ベルトはしてますか?

テーブルはもどしてありますか?

確認してください

18:47:38

おい山だぞ

18:47:39

ターンライト

18:47:41

山だ

18:47:43

副操縦士

はい

18:47:43

コントロールとれみぎ。

ライトターン

18:47:44

ライトターンですね?

18:47:52

山にぶつかるぞ

18:47:53

はい

18:47:53

ライトターン

18:47:55

離陸から38分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

18:50

長野県

東京都

山梨県

羽田空港

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

伊豆半島

大島

30000 ft

20000 ft

高度

10000 ft

0

18:10

18:30

18:56

副操縦士

スピードがでてます。スピードが

18:50:06

機長

どーんといこうや

18:50:09

がんばれ

18:50:27

はい

18:50:27

がんばれがんばれ

18:50:31

いまコントロールいっぱいです

18:50:32

航空機関士

マックパワー

18:50:33

スピードがへってます。スピードが

18:50:36

離陸から43分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

18:55

長野県

東京都

山梨県

羽田空港

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

伊豆半島

大島

30000 ft

20000 ft

高度

11300 ft

10000 ft

0

18:10

18:30

18:56

機長

フラップおりるね?

18:55:01

副操縦士

はいフラップじゅう

18:55:03

あたま上げろ

18:55:15

航空機関士

はい了解しました

18:55:16

あたま上げろ

18:55:17

パワー。フラップ。

みんなでくっついちゃだめだ

18:55:47

フラップアップ

フラップアップ

フラップアップ

フラップアップ

18:55:49

フラップアップ

18:55:51

離陸から44分後

御巣鷹の尾根

群馬県

埼玉県

18:56

長野県

東京都

東京都

山梨県

羽田空港

千葉県

神奈川県

富士山

相模湾

静岡県

伊豆半島

大島

30000 ft

20000 ft

高度

8400 ft

10000 ft

0

18:10

18:30

18:56

機長

あたま上げろ

18:56:04

あたま上げろ

18:56:07

パワー

18:56:10

衝撃音

18:56:23

乗員・乗客の年代構成

 520人が犠牲となったジャンボ機内には、生後3カ月の乳児から80代の高齢者まで、幅広い世代の乗客が搭乗していた。お盆の帰省や夏休みの旅行で家族連れも多く、空席は31席と、ほぼ満席状態で、生存者4人はいずれも後部に座っていた。

乗員乗客の年齢構成

1986年に群馬県総務部が作製した「日航123便墜落事故対策の記録」や取材による

2F

42

55

53

41

10歳未満

49人

55

37

52

43

10代

43

58

53

61

53

66

45

20代

106

7

21

8

28

59

55

55

9

29

38

30代

109

45

53

46

54

37

41

54

50

40代

124

48

60

41

49

35

34

56

55

50代

78

33

26

35

27

54

84

31

38

60代

13

70代

1

48

42

40

26

38

23

1

80代

20

42

44

53

12

38

52

25

45

50

9

24

26

59

51

22

34

38

55

30

9

35

8

37

27

38

23

23

29

28

23

28

34

1

21

27

31

42

50

45

14

35

52

33

3

25

41

47

39

26

50

28

24

45

56

46

32

48

54

2

19

40

48

51

23

43

56

5

35

53

65

43

42

32

59

41

37

72

26

32

47

58

22

27

21

54

56

50

44

11

日航123便 座席表

乗務員を除く。数字は年齢

51

36

44

47

47

20

28

25

35

54

52

46

49

29

26

50

38

32

21

29

24

29

61

39

15

36

45

56

42

58

15

19

19

52

49

16

28

51

50

44

14

24

42

36

47

35

0

23

28

38

35

65

64

58

7

9

37

45

28

29

30

10

36

36

45

8

5

47

47

51

26

21

48

40

34

5

23

45

20

69

60

52

49

22

54

1

33

49

29

8

6

5

43

35

45

2

37

29

36

32

58

26

49

52

44

55

24

45

41

27

47

41

19

12

14

45

3

48

4

20

39

12

10

17

14

16

26

61

34

43

59

50

35

3

56

6

60

27

42

44

63

49

33

32

40

37

33

52

24

24

54

52

41

12

38

25

26

21

27

44

41

31

29

43

30

4

37

48

23

37

47

42

28

30

52

41

35

40

39

53

50

32

40

41

44

32

22

47

25

28

58

54

24

23

7

51

34

32

27

20

33

46

33

34

26

27

47

19

19

19

56

18

4

53

36

36

7

45

35

53

11

43

2

12

16

42

13

13

43

36

49

24

26

51

19

18

31

34

7

33

31

33

36

7

39

34

45

8

6

30

36

29

50

13

47

23

26

23

52

生存者情報(4人)

43

45

17

41

66

40

43

36

年齢は当時

45

36

46

40

58

9

6

32

49

29

43

6

12

54

43

37

36

52

43

女性(34)、長女(8)

夫(37)、長男(9)、次女(6)の一家5人で搭乗していた。

1

41

38

38

40

38

12

27

47

26

29

52

54

38

10

12

15

25

21

22

3

47

40

33

43

12

40

37

31

37

9

34

8

22

3

34

6

43

37

女性(26)

日本航空のアシスタントパーサーで、事故当時は乗客として搭乗していた。

42

45

46

20

23

34

42

16

13

22

23

19

8

26

40

41

41

23

44

23

38

52

43

58

3

45

41

22

33

7

45

0

33

45

50

4

12

41

7

39

中学1年の女性(12)

父親(41)、母親(39)、妹(7)の一家4人で最後列に搭乗。北海道旅行の帰りだった。

 ジャンボ機が墜落した御巣鷹の尾根からは、カバンや財布、時計、子どもの物と思われる人形など、数千点にも上る遺留品が見つかった。いまもまだ、2千点以上が持ち主不明のまま保管されている。

 その中には、座席の紙袋や手帳に記された「遺書」もあった。機体に異常が起き、わずか30分余りの間、揺れる機内で残した最期の言葉は、事故の悲惨さや「空の安全」の大切さを私たちに投げかけている。

 回収された遺留品から、そこに書かれた言葉などとその座席位置を紹介する。520人に、それぞれの人生があった。

日本航空安全啓発センター

日本航空安全啓発センター

白井まり子さんが時刻表に残した遺書

白井まり子さんが時刻表に残した走り書き。「恐い、恐い、恐い」などの文字がある。

墜落現場から見つかった時計

墜落した午後6時56分ごろを指したまま止まった遺品の時計。

小川領一さん提供

小川哲さんが機内から撮影した写真

羽田空港を離陸した直後とみられる写真。夕日に染まり始めた雲や、東京湾らしき海が写る。

谷口正勝さんが機内で残した遺書

まち子 大阪 みのお

子供よろしく

谷口正勝 6時30分

村上良平さんが家族に残した遺書

封筒の裏にも「酸素が少ない 気分が悪るい 機内でがんばろうの声がする 機体がどうなったのかわからない」と書かれている。

河口博次さんが機内で手帳に記した遺書

強い筆圧で「本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」とつづられている。

美谷島健ちゃんの靴

事故当時9歳だった美谷島健ちゃんが履いていた靴。事故現場から見つかった。

能仁千延子さんの大学当時の写真

大学を卒業し、東京のアパレル会社に就職したばかりだった。

 あの日から40年。事故を知る世代は減り、日本航空の現役社員でも、事故時に入社していたのは全体のわずか0.1%の17人にとどまる。

 一方で、世界各地で航空事故は絶えず、国内でも昨年1月に羽田空港に着陸した直後の日航機が海上保安庁の航空機と衝突する惨事が起き、パイロットの不適切な飲酒事案のほか大事故につながりかねないインシデント事案が続く。

 40年という節目を迎え、犠牲者を悼むとともに、そこから何を学び、教訓をどう生かすかが、いま問われている。

 遺族らで作る「8・12連絡会」代表の美谷島邦子さんは、こう訴え続けている。

 「安全対策に終わりはない。安全は、過去の事故の被害者や家族の思いの積み重ねの上に成り立っている。その思いを無駄にしないでほしい」

A-stories「日航ジャンボ墜落事故 御巣鷹40年」

1985年8月12日、日本航空のジャンボ機123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が犠牲となりました。単独機としては今も世界最悪の事故から40年。遺族や元日航社員らの歩みをたどります。

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この記事を書いた人
増山祐史
東京社会部|国土交通省担当
専門・関心分野
運輸行政、事件事故、独占禁止法、スポーツ