【簡易版】東アジアにおける資本主義経済ギャップ【要約版】
■日本に置ける状況とアメリカとの違い
日本人は、アブラハム・マズローの欲求段階説と、経済学の父であるアダム・スミスの『見えざる手』、自由市場原理などを後ろ盾として、民主主義と相性の良い資本主義経済を採用しました。
その二つを組み合わせた結果、「衣食住などの生理的欲求と安全を確保さえすれば、国民は勝手に経済成長に役に立つ行動をとる。ただ自己実現さえ目指させればよいのである」という結論に至り、日本人はそれを実行しました。
その時に出た問題をまとめました。
例えば、日本人の子供の将来の夢は、『漫画家とYoutuberと医者』です。一方でアメリカの子供たちの夢は割と現実的な職業が多めです。
なぜこのような違いが産まれるのか文化的背景を元に考察しました。
まあネタバレしますと「キリスト教国という文化的背景を無視して、キリスト教抜きの西洋社会をやると古代ギリシャや古代ローマや中国史みたいに滅ぶよ。歴史も証明しているからやめないとヤバいよ☆」という内容です。たぶんその詳しい話は「プロテスタント経済論」などに詳しい経済学の人の方がうまく説明してくれそうです。
(※本稿は、以下の記事があまりにも長すぎたので要点を要約したものです。内容は全く異なると言っていいほど別物ですが読みにくいのでお勧めしません)
ーアダム・スミスの『見えざる手』の違いー
アダム・スミスはスコットランド寄りのイギリス人の経済学者で、経済学の父と呼ばれています。『国富論』や『道徳感情論』などを書いた人として有名です。
見えざる手とは、自由な経済活動によって自由市場原理が働き、自然に適正な値段が定まるという説として説明されています。
昔、日本の学校ではよくこの『見えざる手』は『神の見えざる手』と説明されることが多かったのですが、その著作には「神の」とは直接は書いていないと言う人もいた為、最近は「見えざる手」と翻訳する日本人が増えているようですね。
■不正を正す『見えざる手』の不在
しかし日本ではこれは見えないところで不正を犯すことに働きがちで、水素水(詐欺商品)やら売春やらで生計を立てようとする人が多かったりします。
まあ平たく言うと、「『偽りの分銅(隠れた不正)を憎む』性質のある天の父を神とするキリスト教徒が『偶像崇拝と売春を禁止』してくれている時は神の見えざる手が働いていたのでしょうが、それが特にない日本では人間の見えざる手が大暴走したよ☆」というお話です。
こうして詐欺師が儲かり、真面目に働いている人は疲弊して、悪貨が良貨を駆逐してしまい、物価は上昇します。
価値のない結果にお金だけが動いてしまう…
つまり、国内だけの理屈で海外からの輸入を考えなければですが、
インフレが起こることになるのです。
デフレが起こることもありますが、これは外国の安い労働力に頼るケースです。日本の人材が生み出す価値に対して、あまりにも給料が高すぎることで失業します。これは古代ローマで奴隷が安い穀物を生産した時に似ています。これは、一般的にローマ帝国の弱体化の原因とも言われます。
そして、なぜ奴隷を求めるのか…といいますと、
やっぱり「絵を描いたり歌を歌ったりエンタメの仕事しかしたくないから3Kの嫌な仕事を誰か経済的に立場が弱い差別階級や外国人に任せたい」と考えるからだったりするんですね。これは古代ギリシャによく似た状況です。
聖書が入る以前の紀元前ぐらいの古代ギリシャやローマの歴史を見れば、「これはヤバいなあ」と思ってくれるでしょうから、私に説明させるよりご自分の目で確かめた方がいいのかも知れません。
ーこの説に対して、予測しうる反論に対する回答ー
■西洋でも偶像崇拝と売春はあるが何か?
「いや、ちょっとまった、西洋でも偶像崇拝も売春も撤廃できていないじゃないか」
という批判はあることでしょうが、それでも建前というものがあります。
(※もしかしたらできていない人ができている人を搾取する形になっており、癌と健康な細胞みたいな関係で、余計苦しみが長く続くと言えなくもないのかも知れませんが、しかし、確かにそこのどこかには良い働きがあったことは、私はその手の歴史や文学から知っています。最悪が乗っ取られることなのですが、その悲劇のお陰で私の説明がややこしくなっています)
やはり建前であっても「その掟が正しい」という文化的背景や律法は強い。
癌細胞も普段健康な時は分解されて普通の免疫細胞が貪食を試みます。
正常な若い肉体でも癌細胞は発生しますが、発生しても退治されるのです。問題は、癌細胞が増えすぎて対処できなくなったり、白血病になったりすることです。要は聖書がないことで、それらが退治されない確率が上昇するのです。都市で言えば警察や自衛官がいない町のようなものです。そしてそれが一定数を超えると、切除せざるを得なくなったり、共倒れになってしまったりして、体全体が死んだり、都市が滅んでしまいます。
西洋の状況とは、善悪が何か想定された上で悪事がなされますが、一方で日本は何が正しいのかわかっておらず自分が苦しんでいる理由も可視化されないような滅茶苦茶な状態といえます。
自分の国(※本当は他の国にも大いに迷惑をかけていますが)を亡ぼす原因が何か理解して戦った方が良いのです。
余談ですが、2年くらい前の韓国を見ると少し古めの日本のバブル期の太眉のボディコンのジュリアナみたいな女性のファッションをしている人がいます。日本全体がああだったわけではないのですが、たぶん日本中がああいう意識の高い女性ばかりだと韓国では勘違いされていたのだろうなという気がします。…日本も、アメリカがちょうど全員紳士的なスーツをパリッと着て歩いてた時にアメリカに学んだので、日本人は今も全員スーツを着ていますが、本家のアメリカではさほどそうではなくなっているのと似ているかも知れません。多分ごく一部のアメリカの都市部だけだったのではないでしょうか。韓国はもしかしたら田舎のないパリのようだったかもしれません。だとしたら気の毒です。そして最近中国が日本が猟奇殺人事件を起こしていたころの事件を起こしているので本当に東アジアの皆さんには申し訳ない気持ちです。「なんでそこを真似するのだ」と思うかもしれませんが、日本人はたぶんアメリカ全体としては一部のデスメタルにハマっていた気がしないでもありません。(※異論は認めます)
関係ないですが、自分がファッションで始めた不良道を後輩が引き継いでしまい、自分は途中で就職の時に髪の毛を黒く染めなおしてサラリーマンをし始めたのに、「せんぱあい!自分尊敬してるっす!戦後の復興はマジに伝説っすからね!」といって過度に突き詰めてしまい、後輩は卒業後も暴走族のヘッドをやっていたみたいな気分です。
■娯楽業は関係ないだろ?
いいえ、たとえば、可視化されていることで言えば、やはり都市に専属の娯楽業者がいることで、若者や若い女性が吸収されていることで出る問題があります。この批判はすでに誰かもっと私より賢い学者がしていたような気がします。(AIで調べたところジェイン・ジェイコブズという方が研究しているようですね)
厄介なのは一時的に都市の人口は増加し経済効果もそこそこあることですが、結局生活コストが上がり過ぎて似たような少子化の流れをたどり、疲弊するそうです。アフリカや中東ではその傾向にあるようですね。
首都圏に出て楽な仕事だから家族サービスができるエンタメ職の人は繁殖し、搾取され、見下された田舎は人がいなくなり、大量に美人を都会に連れ去られて何故か自殺したり子供を産まず風俗や枕営業をしてボロボロになって都会に憧れ田舎をあしざまに罵りながら帰って、少子化もします。田舎の小規模な企業や小売業は行政が助けない限りこのあたりで潰れてしまいます。学校で定期的に写真やスポーツ用具や文具を買ってもらえる事業主だけが生き残りますが、こうして徐々に地域性に欠け、経済的多様性を失い、一律化していきます。
丁度お爺ちゃんが倒れたころに田畑などの農林水産業を担う者や有力な子会社がなくなり、国内で生産する食料に関しては徐々に物価が上昇、あるいは「ステルス値上げ」と言われるように、同じ価格で徐々に内容量が減っていったりします。インフラを整備する人も高齢化します。「自分はともかくこんな仕事を息子にはさせたくない」と思うのかも知れませんね。文学を引用すればバルザックの『ゴリオ爺さん』のような状態かも知れません。
この状況に気が付いた時には、もう田舎は疲弊しており、土地もノウハウも持っていないエンタメ業の親を持つ子供たちが、親と同じ仕事をしようとしますので、外国人を雇うか、…歴史的には、例えば古代ギリシャでは「我々はヘレネーの子孫だがお前らは違う」などと話して差別階級を捻出して奴隷を作り市民権があるものとそうでない者を差別していますね。彼らは時間や体力に余裕があるので恋や子育てをする時間がありますから子供を産み、経済的余裕があるので高学歴になることが多いのです。
そしてこの後大体どの方針をとっても、「人材不足」に陥ります。人材そのものはいるのですが、「低賃金で働いてくれる人材」の確保が難しいのです。歴史的にはこの後には略奪か植民地政策か戦争か差別が起こりがちで、そしてそれらは新たな紛争の原因になります。
日本では何故かデカい大仏やデカいガンダムを作った後は飢饉になるジンクスがあるようですね。
すべきことをせずに腹の足しにならないものを作っていれば当然ですが、ガンダムは知りませんが、大仏の場合は鋳造に大量の木材を使い酸性雨の原因になる製造工程を経ますので、ただでさえ飢饉なのにも関わらず、更に追い打ちをかけたことだと思います。
森林伐採もあって、洪水もたぶん起こりやすいですね。偶然かも知れませんが、インフラも雑になるのか最近日本でも水害が発生しました。
因みに古代ギリシャではやたら女神の裸の多い神殿を制作したい市民が多かったので、政治家はそれらの神殿をつくらせてあげない限りは、陶片追放されてしまいます(実質死刑に等しいそうです)。それだけではなく喜劇作家にバカにされたり大量の女神や美女人材を抱えている人から悪妻をプレゼントされ、何か軍事にも手を入れようとすると「スパルタ人かよ。お前が前線に行けよ」と言われるそうなので、物凄く日本のそれと既視感がありました。他にはとても有名な哲学者が冤罪で死にます。
もう反論というかなんというか、過去散々私より遥かに賢く実行力のある善人たちが正論を言って死んできた話ですので、もう、なにをいっても無駄なのかもしれません。
しかし、よく見ると、聖書には祭りや休みの規定もあるんですね。だからエンタメそのものは問題ではないのかも知れません。むしろ祭りの規定を守っていないからこその暴発である可能性が高い。祭りと戦争の類似点を指摘する『ロジェ・カイヨワ』という学者もいます。
これは貧富の差だけを解決してもダメだという事なのかもしれません。
『いくらお金だけあっても働き詰めで、精神の余裕がなく自己表現の場所がない』これが若者のやる気をそいでいるのではないでしょうか。
いわば、これは富の独占ではなく、休みと祭りの独占ともいえるのかも知れません。
現状の日本の娯楽職は、ある種の女性と自己表現と休みや余裕みたいなものを独占をしており、人々にその機会を分けていない…という言い方もできるかも知れませんね。神の見えざる手は、ただ戒めるだけではなく、楽しむように、休むように、集まって交わる機会があるように…とも促す働きもあるのです。
そうしないと休めない不器用な人もいます。出会えない人も話せない人も肩を押されるのです。「ここにおいで楽しいから。試練はあるが、貴方が喜ぶようにこの世界をつくった」。日本で言えば地域社会の欠如の問題とも言えますが、聖書ではそこに強制力があります。実は一定数の不器用な人や真面目な人は、国の補助や誘導がなければ、案外自分の欲することを自分から行いません。
恐らく「休め」と「今日は羽目を外して喜べ」とを命じない限りは、真面目で親切で人が他人にやってほしいことを率先して行う人から疲弊してしまい、甘え上手で楽な道を進み直ぐに美しい女性に手を出す短慮なものばかりが増加してしまうのでしょう。
それが自然の摂理であり、聖書を学んだ者たちによって動かされる神の手はその自然による破滅を妨害するのです。
たぶんそうしないと社会が滅ぶからでしょうね。
中国史も権力闘争に忙しく『杞憂』という言葉があるように、重すぎるリスクヘッジは度外視せざるを得ませんでした。それは隕石の衝突を推測しなかった恐竜のように予測不能な事柄で滅んでしまうのです。例えば多民族の侵略などがそれに該当します。自然、つまりは進化論の行く先は「恐竜と寄生虫」の世界であり、人類が産まれるには世界が一度何らかの理由で冷え切らねばなりませんでした。
考える者は恐らくは神と不自然によって生まれるのでしょう。科学が発展した地域はキリスト教圏ですし、イスラム国は知識を蓄えたおかげで西洋はルネッサンスの時期にそれを逆輸入でき、ユダヤ人のノーベル賞科学者が多く、「聖書は第一の書物、宇宙は第二の書物(ガリレオ・ガリレイ)」「神の秩序を宇宙から探る」という理由で自然科学や天文学や数学に予算が払われました。これに関しては後半で詳しく説明しますが、それらはやはり神の見えざる手なしには自然には発生する暇がなかったのではないでしょうか。
ーマズローの提唱した『自己実現』の内容の違いー
アメリカのように英雄的行動をとっているとでしゃばっていると言われる日本では、まあ平たく言えば「他人に迷惑をかけてはいけないが正義感を発揮させるといい子ぶりやがってと言われるので勉強していい大学を出るところくらいまでしかやらなくていいという文化」ですので、
子供が目指すところは『漫画家とYoutuberと医者』になったようです。
日本では、アルバイトなどやりがいを感じない職場では「お前が真面目にやると俺たちもやることになる!」という批判を受けるそうです。ただ少しお客に親切にしただけでも出る杭は打たれる社会です。
■自己実現の欲求を果たす前の段階である社会的欲求の所属先が米国と異なる
アブラハム・マズローはアメリカの人ですが、
所属欲求や社会的欲求をした時の社会の所属先が当然日本と異なります。
今は文化的クリスチャンと呼ばれる…さほど神を信じていない欧米諸国の人間も多いようですが、それでも少なくとも韓非子系の封建組織と実質誰も騙しあいを止められなかった世界の価値観に比べれば、「正直者で貢献心が強く積極的で気が利く親切な利他心のある理解者がどこかにはいる」傾向にはあると思います。
確かに治安は日本の方が良いという人もいるのですが、以下の引用先のリンクによれば、積極性のある人助けは少ないとも言われます。
イギリスのチャリティー機関「チャリティーズ・エイド・ファンデーション(以下、CAF)が、8月に発表した報告書「World Giving Index(世界人助け指数)2024」を見てみよう。」
(中略)
この報告書によると、日本の人助け指数は20で、ランキングはビリから2番目の141位。相変わらず、G7の中では最下位で、アジア諸国の中でも最下位だ。
(中略)
台湾(59位)、韓国(88位)、中国(95位)(注1※中国は他の資料では49位だったので誤植だと思います)となっている。
リンク元にも書いていますが寄付率の低さも昔から指摘されてきました。
(注1※よく見ると別の資料では中国が49位に入っていたのでたぶんこちらが正しいようです→■)
他のnoteにも何度かその理由を細かく書いていますが、やはり聖書の影響が強いようには思います。(ポルトガルやラトビアは下位なのですが、人助け指数は50%を超しています。日本は24%です。40%を切っているのは38%フランスのようです)東アジアや東南アジアの植民地になった国の人助け指数が高いようです。
しかし、日韓のランキングが低めなのは面白い現象です。
同じく箸を使う地域で上座仏教国であるタイは12位と上位、ベトナムも47位で東アジアのナショナルカラーがレッドでお箸を使う大陸国の中では高い方です。隣の国のカンボジアがビリなのに。ラオスは低めです。
上位のインドネシアはムスリムが多いようですが、こちらも植民地になったことのある国ですね。ベトナムも植民地になったからか、国民が信仰している宗教の割合では一位は仏教ですが、次に多い宗教はカトリックのようです。そういえば、私が足を怪我をした時に入院した病院の外国人の介護士の人は、ベトナム人とフィリピン人でした。確かに親切でした。フィリピンの人はクリスチャンだったようで、私が聖書を読んでいたら、話しかけてくれました。ベトナムの人に日常であまり使わなそうな方言の植物の日本語を聞かれましたが、メモを取っており、とても謙虚に日本語を勉強しようとしていました。
■騙しあいが前提の社会だと最悪人類が滅ぶという見解
個人的には日韓のスコアが低い原因としては、『孫子の兵法をビジネス利用しよう』という発想…つまり実質陽動や社会扇動や騙しあいが自由という実態があるからではないかと思います。(※これの何がタチが悪いかはこちらのnoteをご覧ください→■。哲学者曰く、信頼関係が欠如している場合は、最悪は理論上は人類が滅ぶそうです)
この土地に自然な善意のようなものが育っても、せっかく人を信頼しても裏切られてしまうので、善人なら死にますし、中途半端なら相手を恨んで復讐し、もし責任感がある人が完璧に自分の仲間を守るとしたら、先に騙し討ちをかけて天下統一をもくろむでしょう。
日韓は、実質の人治国家的で人情や忖度によって物事が動きやすく、法治国家としての意識が薄いこともあるのかも知れません。
なお、韓国が詐欺大国だというお話に関してはこちらの引用をご覧ください
22年に実施された国際調査で「ほとんどの人は信用できる」と回答した韓国人は世界平均の30%を下回る23%だった。自国民より日本人を信用するという韓国人は多く、日本人を装った詐欺師や詐欺を働く日本人もいる。韓国人相手に気を張っている日本人が日本人に会うと気を許して騙されやすいという人もある。そう話す人も詐欺師まがいのケースがあるが、かくいう筆者も詐欺師に遭ったことがある。
数年前に書籍を出版した際、出版話を持ち込んできた在日3世を名乗る自称エージェントが詐欺師だった。筆者が知らない間に出版契約を結んで印税の半分近くを着服した。警察は韓国の法律上、横領になると話したが複数の韓国人から訴えられていたようだ。日本に逃亡した可能性が濃厚になり捜査が見送られた。
佐々木和義
広告プランナー兼コピーライター。京都の商業写真・映像制作会社を経て広告会社に転職し、住宅・不動産広告や三陸津波防災PR等に従事した。韓国に進出する食品会社の立上げを請け負い駐在員として2009年に渡韓。日本企業のアイデンティティや日本文化を正しく伝える必要性を感じ、2012年、広告制作会社PLUXを設立し、現在に至る。日系企業の韓国ビジネスをサポートする傍ら日本人の視点でソウル市に改善提案を行っている。韓国ソウル市在住。
このように所属先の文化が異なりすぎて、日本での資本主義は『職業選択の自由』によって崩壊するか、自分だけ遊び惚けて移民や海外の安い人材に他の仕事を任せる情けない国になってしまいました。
ーなんで東アジアは「こう」なのかー
■騙して当然の社会が背負うコスト
日中韓には非常に強力な戦術がまとめられている『孫子の兵法』があります。戦わずにして勝つという点で平和的だという人やビジネスにも応用しようという東アジア人もおり、書籍が書店に販売されています。
しかし戦わずして勝つというよりは、奇襲や社会扇動を行うというものです。他のnoteでも書きましたが、例えばカントの著作の『永遠平和のために』の第六条項に違反します。哲学者の意見では、「信頼関係を築けない場合そもそも条約締結が形骸化する為、もしこの第六条項を違反するのであれば、理論上は殲滅戦、人類の巨大な墓標の上に永遠平和が樹立する」と非常に危険視しております。
ところが日本では「戦争以上に悪いことは存在しない」という感覚であり、社会扇動や暗殺や毒殺などは、最小限の被害で済むので、騙し討ちの方が良いと考える大人もいます。特に仕事が奇襲になるので、自衛官の中ですら、自分の仕事が楽で主導権を握れるという点で、もっと使うべきだと考えている人さえいます。彼の言い分では、彼が卑怯な真似で一般人を害した時にした言い訳は「俺よりもっと酷い奴がいるだろう。戦争をする奴とか!」とおっしゃっておりました。彼は強姦と社会的名誉棄損で自分たちに都合の悪い思想を持つ女性を自殺させていました。…あるいは、彼は自衛官を名乗ってはいましたが、実際は韓国のカルト宗教の一員かもしれません。
この暗殺や毒殺や社会扇動、そして陽動による一般人への自殺強要に関する欠点とは、「実行者が間違っている時でさえ、誰もその実行者に反論ができない」ということです。全て秘密裏に行われるので、何故被害を受けているかわからないまま、責任の所在も何がしたかったかもわからず、冤罪で殺された人に関しても保証も賠償もありません。これでは権力者だけが恣意的に無責任に凶悪な力を行使できることになってしまいます。一度使えば手放せなくなる指輪物語に出てくるフロドがもっていた透明になる指輪のようです。
最悪が複数の人がこの力を使って大混乱になることです。日韓の人は独裁者が疑心暗鬼になるのが悪いという言説を話すのが好きですが、疑心暗鬼にさせた側に問題がないと思ってそうです。
一方、戦争は公に何をするか発表し賠償責任があります。責任の所在がある点が異なります。これなら公に立っている人が不義を成したら裁判で裁くことができ、戦争責任を追及し賠償を払わせることも可能です。
■宗教と信頼コストと封建的社会
…信頼コストというものは軽視されやすいのですが、信頼には多大なコストを必要とします。例えば、結婚や人質などの絶対に裏切らないという担保、封建的な社会や何らかの理由で忠実な人員たち、あるいは非常に強力な兵器や堅牢な倉庫や軍事力や生産力や土地…何か、権力者が欲しいものを提供する能力や、その約束です。少し想像しただけで国家予算規模の予算がかかりそうな事柄ばかりですよね。
日本は民主主義的な社会であり、法の下平等であって、封建社会ではないはずですが、本当に裏切らせたくない人物に関しては美味しい餌や分不相応なレベルに美しく地位の高い異性との結婚や、もしくは不倫相手や前科やスキャンダルなどの醜聞で脅して裏切らないように支配します。残念ながら明確な証拠はないのですが、日本の芸能界の性的スキャンダル(ジャニーズの未成年に対する性被害、VIPに売春を斡旋する松本人志等)から察してください。
戦時中の日本なら、パイロットや技師は特に危険視されていたので、娯楽業などの美人が集まる場所や詩文などの
出版をする企業からスパイをスカウトし、危険な能力を持つ人間に接待させ、情報を握らせ、分不相応なほどに理想的な最愛の妻子という祖国を裏切らない理由を作り、また危険な能力や思想や影響力を持つ人を社会的に貶めて出世を阻んだりしました。
これはアメリカのパクリ…というよりも古代ローマや古代ギリシャから伝わる女神と名誉を餌にした組織維持の模倣と言えます。
これに韓非子系の組織運営が混じったような形です。中国にも結婚や家畜のように特定の役職に特化して相互依存する人材を生産する方法もあったので、中国ももっと以前から古代ローマや古代ギリシャの手法を模倣していた可能性が高いように思っています。(※手法もそうですが、神話としても祝融と女媧とヘーラー(ジュノ)の子供たちの存在に関連性があると思われます)
現代では半分税金で支えられている健康保険料で物品を購入する権限を持つ医者が接待されています。あまりにも美女が殺到するので、モテることを求めて医療に興味が無いのに医者になりたがる男性が増える程です。もちろん忠実に親に従う息子に医者や弁護士や裁判官や政治家になってほしいのですが、世襲が過ぎると目立つ時代です。性的で頭が悪く扱いやすい外様の人材も必要です。忠実な人物に任せればいいのですが、日本では、正義感が強くて忠実そうな人間はあまり信用されません。理由はわかりませんが、日本の大手の子会社では「俺は俺と一緒に風俗に行かない奴は信用しない」という人もいます。
■余談:信じてもらえない善意、求められないボランティア
これは余談ですが、おかげでそんなこと(※上司と風俗に行くなど)をしたくない正義感の強い男はあまり出世できず、結婚もしないで子孫を残さずに死んでいくことが多いです。
どれだけ努力しての実力をあげても何か意見する人であれば「要領が悪い何物にも成れない口ばかりの童貞」と揶揄され続け、自害する程の精神的肉体的な屈辱を受ける人も多い。見下されて醜く黙って仕事をする者か、よく言えば要領がよく悪く言えば卑怯で性的な男性が出世します。
顔が普通以上で虐めにくく正義感が強い人は実力に関わらず左遷されます。醜くて大人しくてプライドが低いとそれを理由に見下せるので生き残ることもあります。(※中国ではそういう人が反逆した歴史もあるので、もしかしたらこのような人も事前に激しく意味もなく虐待されている可能性はかなり高いですが証拠はありません。本人も醜いから虐められていると信じている可能性が高く、そのようなことをされたら社会を愛せませんから、何らかの暴力をふるって彼の方が悪役になっている可能性も高いのです。例えば京都アニメーション放火殺人事件などはその可能性もあります。この国では和のために正義が丸く折られて醜聞により逆らえないようにすることで組織維持をもくろんでいるように思います。中国史からくる経験則なのでしょう)
個人的には、「この様な組織運営による社会形成は、長い目で見た経済的な損失や少子化における問題がでる」為、それを阻止したくて書いている側面もあるのですが、それ以上に私自身が「この紀元前前から続く人権思想に反する時代遅れの軍事的な組織維持方法が風習が感情的に物凄く嫌だ。これをしないと皆働かないのはわかるが、ちょっと待ってほしい、我々が、聖書に書いているような自主的な貢献心を出せば防止できるのではないか。全体が無理だとしてもそういう場所で働きたい人だっているんですよ(クソリプ)」ということを言いたいのでこれを書いています。
しかしそのような文化ではない為、その意見を言うことで出世が阻まれるので、日本ではみんなこの話を切り出せません。(もしエンジニアにもわかる例えで書けば、組み込み系処理のリリース後に特定の終了ボタンをつけ忘れて異常事態を回避できなくなるバグを見つけたときの絶望を感じるシステム設計がこれです)
残念なことに人権を建前上は保障している日本や一部のアメリカや韓国でも、法治国家というよりは民主主義を全力で押しており、司法の方が社会的経済的に追い詰められて、実質はこの結婚と社会的名誉による支配を頼っています。
これは関連性を示す学術的根拠はありませんが、筆者の日本に住んでいる肌間と偏見だけで言いますと、「あまり面白くないし庶民もそれほど好きではないのに、なんで彼らに大量の給料が払われているのかよくわからない大人数の役者や芸人が沢山出るエンタメ大国」は大体何か悪いことをしていることが多いです。人道問題に言及する芸能人が多いですが「何でその人は些細なことでも傷ついただけで擁護するのに、同じ立場の○○はまるで救わないのだろう、もっと他にすべきことがあるのではないか」と思われる発言をする人が多いことが特徴です。
■文系は格好悪いという風潮
とても残念なことに、日本では経済や実利などが「かっこういいこと」とされ、反対に、感情論や詩文や正義や道徳や社会や哲学などは「ダサくてセックスができない能力が低い役立たずのヒモテやること」というイメージがあります。おかげで言いたいことがある人は意見を言える人になるために必死に性的であるふりをさせられます。そして、その様子を揶揄い見下すことで意見を封じます。美男美女なら庇われてしまうことも多いので何か悪評をつけてから自殺させるか、それでも死ななければ隠れて殺します。
「民衆は下手に政治に興味を持たない方が良い、無駄な争いが産まれる」というのが戦後の日本の風潮でした。私もそう教わったので歴史はそこそこに科学しか真剣には学んでません。
ここまでいくらか欧米諸国が過去、あるいは現在で犯した問題も上げましたが、究極的に異なるのはここだと思います。(※欧米諸国でひとくくりにする私が悪いのですが、欧米諸国も国によっては国民が政治に関心がない地域があるようです。その地域は日本のように芸術やエンタメが強い地域に多いように思っています。)
私は本稿を書くにあたって、NHKで放送される『100de名著』と呼ばれる番組で見た『大衆の反逆』(オルテガ・イ・ガセット著)や『アメリカのデモクラシー』(アレクシ・ド・トクヴィル著)『哲学する民主主義――伝統と改革の市民的構造』『孤独なボウリング――米国コミュニティの崩壊と再生』(ロバート・パットナム著)『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』(マックス・ウェーバー著)などを読んだ人の話を聞いてようやく他の知識人全員が気が付いたことを何となく把握し、これはみんなに知らせた方が良いと考えて他の人に話しています。私もS3政策とかいうやつのお陰で見事に絵画とゲーム地獄にハマった相当のバカなのですが、たぶん私でさえ私の周りにいる人に比べるとそこそこ本を読んでいる方です。そのくらい日本人にはアホが多いのです。wikiを読んでいたらドイツでは『大衆の反逆』はベストセラーになったそうなので、「ドイツの人は自立心があって偉いなあ…(´ω`)」と思います。日本だと「意識たけえw何者でもない癖に貴族のつもりかよエリートぶりやがってこの出しゃばり」と言われて自立心がある人さえ手に取らなさそうです。日本ではエリートが嫌いな人が一定数います。
本を読まないというか、それが意味のないことだという「口より手を動かす方が偉い」という文化が生み出した結果なのかもしれません。
■『口より手を動かせ!』手段が目的になることがもはや美学
私が絵なんか描けるような裕福で暇を持て余せる女性という立場だからようやくこれらの本を読むことができます。多くの手だけを動かすように要求された労働者は恐らく疲れて眠っていると思います。男性がもし働かずに本などを読んでいたらそれは怠け者なのです。
海外ではきっと思慮と理解力と勇気のある良い司祭や牧師や教師になったことでしょう。…海外のコンテンツを見る限りそのような人が貶められることも多いようですが、しかしある種の文学の中にはその中の良い働きも書いています。彼らは必ずしも文化人や知識階級ではないかもしれません。しかし海外そういう本が庶民にも売れるわけです。一方で日本で売れる書物は漫画が多く話題に取り残されないように漫画やゲームやアニメの消費に忙しいわけです。仕事で疲弊しながら半分眠りつつアニメを見ます。きっと日本人は本が売れてもあまり嬉しくないのでしょう。
結局それは仕事が好きだという偽善の為です。彼らは偽善で仕事をしなければならないのですが、役に立つ仕事だと疲れるので楽な仕事を求めます。漫画を読みたいというより漫画を書く仕事が欲しいのです。新しく漫画を書かないと楽で楽しくて人気者になる仕事が増えてくれないので、古い本は邪魔なのかもしれませんね。
下手に文系科目の知識(哲学や社会学など)を伸ばしても、経営者にはうるさがられてしまいますし、日本では社会的に見下されやすい立場になってしまいます。それに、この国の実力や実績のある人にうっすら嫌われ、出世も阻まれてしまい、日本ではいいことは少しもありません。(※これを読んでいる人が笑いながら「警察官が向いている」と言っていましたので、文系知識が豊富な人は警察官になるといいかも知れません)
日本では哲学や社会学だけでも馬鹿にされるのに、宗教、ことに一神教と呼ばれている、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の話などもってのほかです。
下手をすると、内心では倫理道徳や哲学や歴史が好きな人ほど、自分を否定するように他の学者を否定するのです。「高所得を持つ俺ですら諦めたのだからお前如きはもっと諦めろ」と言っているようで、嫌になります。本を書くには貧乏にならざるを得ないからです。彼らは自信を失っているので、同じように思想が好きな人間を見下しあうのです。悲しいことですが気持ちはわかります。思想で食ってはいけないだろうからこそ私は努力して絵をかいてプログラミングを学んだのです。まず手による成果がなければだれも私の話を聞かないからです。何か話せるようになるためにデッサンを学ばねばなりません。何人の私より実力のある人の正しい意見が一時期の利益や怠惰によって歪められ、日本の成長を阻み、危機管理を失い、機会を損失させたことでしょうか。
私は絵をかく暇がありましたが彼らは絵をかく暇もなく必死に向いていない仕事をさせられました。彼らのことを思うと無念です。私ではなく、きっと、本当は、もっとずっとこの件について勉強している彼らが話すべきでした。絵を描いていたので私にはまだ知識が足りません。しかし彼らは貧しいという理由で見下されています。それはもったいないことです。
■東アジアで失われ続けた”信頼”という恩恵
話は変わりますが、各国で、株のようなシステムが発生した年代をご存じでしょうか。ユダヤ人たちが紀元前~2世紀ころ、(※手形などは8世紀ころ)、イスラム国が9世紀ころ、中国が15世紀ころ、西洋が16世紀ころ、日韓は西洋化したあたりに株のシステムを採用しています。
株も紙幣も手形も非常に便利であり、経済や生産を円滑にする効果があります。しかし日本人が見下してやまない「神を恐れつつ同胞を信じる」という性質があってようやく成立できるのでしょう。
何故なら不信感があることによって、前項で説目した通り、結婚や差別階級の労働や生産や非常に強力な武器や兵力や忠実な何かや堅牢な金庫などによってその信頼を保たねばならず、信頼を保つことに対して「知恵も労力も人員も総動員しなければならない」という状態になるからです。
韓非子は始皇帝もライバルの学者も認める程に非常に頭の良い合理的な人ですが、性悪説による統治はコストがかかり過ぎてしまうという欠点があります。(※しかし周囲に強い民族が多く水源の問題で争いが絶えない地域では騙しあいも横行したでしょうから、性善説で統治をしたとしたらきっと、神が救わない限りは滅んでしまう事でしょう。その為「人智の範囲ではこれは仕方がなかった」と思います。中国思想は確かに神がもしおられなければこうするしかなかったという統治であるように思います)
そして信頼を担保するコストがあまりにも高すぎる故に、経済が滞り、科学的な発展があるとその堅牢な何かが予期せずに破壊されたりするため禁止せざるを得ず、原始的な生活から進化することがなくなってしまうのです。
そういえばこれは余談ですが、牧師さんも「信頼」ということについて面白い話をしていたのを思い出します。
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牧師さんは教会に来て説教をするなり「今日、この教会に来た時に、椅子を確認した方はいますか?」と聞くのです。
みんな意図はわかりませんが首を横に振ります。
「あるいは電車が大きく遅れるかもしれないと思って心配した人はいるでしょうか」とも聞きました。
日本で電車が遅れることはまずないのでこれも皆首を振ります。
牧師さんは「信じるって、こういうことを言うんだと思うんですね。このように信仰とは、盲信的に「私は信じます!」と自分に言い聞かせるように信じるようなものではないのです。
聖書には、「信じます!信仰のない私を御救いください」と「信じていないことを素直に祈った」人がいます。…面白い祈りですよね。
私たちは信仰一つとっても神様に祈らなければ与えられないのです。…
(この後別の話をしていましたが、私の記憶からなくなってしまいました。確かに我々は起こりうるリスクを把握しきれていないのに無根拠に生きているなと思わされました)
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(※間違っていたらすみません)
そういえば、我々は普段意識せず、「今日は地震が起きる可能性は絶対ない」とか「人間に寄生するロイコクロリディウムのような生き物の存在に急に寄生されないし、水道やコンビニの食事に毒が入っていない」と思い込むようなことは良くあります。全力でそれに対策したら個人では厳しいものがありますし、気にしたらノイローゼになりそうです。「共食いすると異常プリオンが出る」とか今更見つかった「オベリスク 」の存在などを考えると、「未知のものが多すぎてどうしようもない、寧ろなんで俺は今まで生きていたのだ。奇跡かよ。むしろ俺とはなんなんだ」と感じます。私はもう神に白旗を振りたい。
しかし、人々は自分の知能の限界を想像しなかったのです。
彼らは、恐らくは、実害があって気にするべきこと、つまり、「手を変え品を変えて秩序を破壊する悪党や犠牲者の報復の無限の可能性」を信じました。今でこそ平和な世の中になりましたが、確かに昔の中国であれば、もしそちらのリスクを考えなければ、恐らく死んでいたと思います。
のんびりと「もし天が落ちたらどうしよう」などと考えている暇はなかっでしょう。それは杞憂と呼ばれて馬鹿にされたことだと思います。
もし、先進国の高度な教育の現場であれば、子供がそれを話し次第、「斬新な発想であり、科学のはじまりであって、良い質問だ」と言って好奇心を褒められ、嬉しそうに学者たちが現代物理学や学者たちの思考の道筋などを子供にもわかりやすく教えてくれるかもしれませんが、
当時は杞憂と呼ばれて一笑に付されました。
(※現代でも場合によっては喜ばれないこともあります。確かに使いようによっては破壊や混乱を招く危険な能力でもあるからです。)
実際、魅力的な立地に住んだり、強力な武器や好ましい商品や人材を生産したり、気に入らない法を制定する王族を殺したいだとか、都を欲しいと感じる悪党の数の方が多かったのでしょう。どこから何が飛んでくるかわかったものではありません。先に殺してしまって恨みを買って死にかねないです。四面楚歌です。
この異邦人にとっては愚かな『信頼』こそ、
我々が神を知らない人類の最高峰の知識で争っているのを横目に、強力な社会システムや科学的な知識や法解釈を育てたあの輝かしく強く知恵深い歴史の中心地にいる『聖書』を授かり神を恐れだした民族たちの恩恵の一つなのです。
これによって我々はたくさんの犠牲から解放され、経済的にも利便性が上がります。海外では就業先の宗教を気にする労働者が多いのも頷けます。信頼されるためにいちいち「風俗に連れていかれ弱みを握られバカのふりをするまで無言の圧力をかけられる続けるような企業」だったらたまったものではありません。これが嫌で日本男性は自殺してしまう人がいます。
■優しく忠実な日本人がこうなった理由
このような手法がとられるのもある種の日本で責任のある人の民主主義に対する絶望が感じ取れます。
「いつまでもアホのままで漫然と生きて、ゲームや漫画しかしていない」
「自分だけ真面目でバカみたいだ、彼らは我々のすることに文句しか言わない」「やはり戦中の日本のようにもどして真面目に働く人材を作るしかないのではないか?」
「一部の男性を昔通り虐めあげて働かせたが、他の自由な国民は彼らの作る利益でコンテンツ制作ばかりやりたがる。下手に危険な仕事をさせるとうわの空で危なっかしい。一体、いつになったら民衆の力でこの世界はよくなっていくのだろう」
「何かみんながやりたい仕事をさせる時は、やはり戦中の古き良き日本を取り戻すしかないのだ。醜い男に美女をあてがう手法を使うしかない。従業員を見るに、彼等は自由など身にあまり、従っていたいのではないか。本当は自由なんて望んではいないのではないか。自由にしろと言っても皆押しなべて同じ金髪でルーズソックスの不良になるだけである。まるでそういう義務のようだ。しかも中途半端な偽善者で、なるべく楽な道を選ぼうとする」
しかしそのうち、不運にも奴隷化された人たちに我々は同情し始めました。
「学歴がないのは単に育成環境が悪いだけではないか?」すると学歴によって差別することもいかず、奴隷がいなくなってしまったのです。みんな勉強しなくてもホワイトな仕事ができる声優や絵の仕事を望んでいます。そうでないと「努力しなかったから底辺職をやっている」と思われるからです。
日本人は何故か「奴隷」というものは悪いものだ、人権侵害だと教わっていました。
しかし子供たちは知りませんでした。自分がその仕事に向いていないことを。そして労働者たちも知りませんでした自分が考える仕事に向いていなかったことを。しかしその話をすることは優生論的であり、貴族的な高慢な意見のように教わっていたので、誰も指摘できません。日本では努力によって人は平等だと誤解され続けています。
なお奴隷は実は聖書では権利が保障されていたりしますので、今日における労働者みたいな扱いなのではと考える人もいます。そもそも従いたい人間に関して言えば考えるという面倒な価値観で自分が劣等性になることを喜んでいないのかも知れません。
しかし、あまりこの話をすると日本では怒られるのでこの辺にしましょう。彼らにとって考える仕事とはエリートのする仕事、勉強ができない我々は、たとえ優れた集中力や親切心や丁寧さや飽きないで根気強く仕事をすることや体力があり車を運転するのに向いている空間把握力があるだとか、様々な能力があったにしても、劣等性だと思い込んでしまったのです。
結果彼らにとって考えるエリートの仕事はエンタメで遊ぶ仕事になってきてしまいました。もういったん凝り固まった価値観を変えるのは困難です。「君が得意な仕事はこれだよ!」と教えるとまるで御家断絶されて気に沿わぬ相手と結婚させられそうになったか何か結核のような感染症の病気が見つかった時の患者のように泣き叫んで「自分はそうではない!もっと努力するからそんな酷いことは言わないでくれ」と言い張るかもしれません。あるいは懇願を通り越して、自暴自棄になって「この優生論者が!私の仕事を奪うな!努力は平等なんだ!努力の才能こそ最高の才能なんだ!」と言って死に物狂いで攻撃的に振る舞うかもしれません。我々はなんと残酷な単一価値で子供たちを評価してしまったのでしょうか。彼らは彼らでよい才能を持っていたのにです。
日本の民主主義は、まるでダモクレスの剣に気が付かない庶民のようです。憲法12条を忘れて参政権という玉座にいることを忘れて遊び惚けています。
それもそのはずで多くの人は政治に向いていないのです。
こうしてみんながエンタメをつくって何者かになろうとする国となりました。日本も韓国のように少子化しそうです。日本の場合ははっきり言って世界に比べると見劣りする素朴さがあります。また美女や売春婦たちも自分たちで独立してお金を稼ごうとしたので、今まで必死に働いていた醜い男性のお嫁さんが来ないのでモチベーションも失われてきました。
醜くて会社の言いなりで家弁慶の日本男性を愛し続けるには日本女性は自由で我儘になり過ぎたのです。こうして誰も働きたくなくなり、
日本人は仕事を外国人に依頼することになりました。
歴史を振り返るとこの後このような国はあまりいい結果にならないので、私はこのような提案をします。
天才僕「我々は結婚を餌に働くべきではなく、自主的な善意を推奨するべきでは?
それが出来たら苦労はしないと言われるかもしれませんが、
いいえ、そもそも憲法12条を見るとそれは既に推奨されているのです。
日本人は「自助」という内閣の発言を怒っていましたが、憲法12条を見る限り自助どころか国民はそもそも他人も助けねばならないので、限りなく内閣の譲歩と言えます。そもそも日本人は法を学ばないのです。
あるいは、現実的には、「そもそももっと自分たちの違いを理解しあって、単一の価値観だけで乱暴に評価をするのをやめたらどうか。もっと地域性を持って集まって、お互いの向いていることややってほしいことを相談できる場所があった方がいいのではないか」とも思います。
これはアメリカの場合は教会が果たしてきました。民主主義の成功はこのような地域性が働いている、教会やボーリングなどの集まりで話し合うことで民主的にリーダーを支えることができるのではないかという学説があります。日本はこの地域性を失ってしまったがゆえに単一の能力や学歴だけで他の才能を図って自分たちの地域を自分たちになりに居心地よく運営する方法を失ってしまったように思います。
実のところ、人権の根拠は聖書にあり、キング牧師も「聖書に書いてある」として奴隷を解放していたのです。また聖書にはお互いの違いを生かすような話もあるのです。例えば「'目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 '(コリントの信徒への手紙一 12:21)という聖書箇所があります。他の話も人々が円滑に過ごすにはとてもよい栄養たっぷりの逸話が沢山あるのでいつか紹介したいのですが、大人がこのようなものを読みながら集まって近況を話したり祈りあったりするのは社会にとっても良い働きを促したのでしょう。
というよりは、本来は他の国の憲法も教会が聖書を元に交わしている契約ですので、日本の憲法も他の国と結んだ契約ですので結局は根元に聖書があるのです。本来は政教分離ということは不可能です。
私はホッブスのリヴァイアサンを読んでみたのですが、個人的にはキリスト教が最も憲法12条を全うするのにふさわしいと思っています。というのも、罪を犯さないということは、生きることであって、逆を言えば自他を巻き込んでいつか大事にしたかったかもしれない誰かが酷い目に遭って自他が惨めに死んでも良くそれを恨んだ者たちに執拗に地獄で苦しめられても良いというのであれば、罪を犯してもいいともいえるのです。これは、神が一方的に嫌がらせのために定めた掟などではなく、生きて…死を避けるために鍛えられながらも幸いを受け継ぐべく、自分や自分が愛する人が死なない方法が書いているからです。仏教が自分の悟りを求めるものだとすると、キリスト教は全体とのつながりを書いているとも言えます。
彼等は毎週土日に法の考え方や生き方を聖書から学ぶので法律を生涯学習しているのですが、日本人は義務教育と大学を卒業後、あの凄まじく複雑な法律や生き方の躓きに対するアドバイスを聞き逃し続けながら暮らしています。その解説だけで図書館が出来そうな量であり、これは生涯学習する必要があるでしょう。
このように、日本では世界と比べるとあまりにも法を学んでおりません。ほとんどの日本人の大人は高学歴でも憲法12条を意識して生活していません。本を読むのが苦手な人には難しいことでしょうから、誰か有識者を用意して難しい日常の判断をその人に仰ぐようにした方がいいのではないかと思います。
日本の生涯学習の少なさは教育の現場ではよく指摘されていることです。
我々の未来のためにできることとは、学ぶことです。…いいえ、学ぶのが苦手な人は学ばなくても信頼して自分の得意なところをお互い分け合うことです。それはこのクソ長い文章を読むタイプの我々アホどもが学ぶべきことでしょう。彼らはそもそもそれを読んでいません。頼りのある何かに従って幸いを得たいのです。我々が学ぶべきことは我々以外はそんなに学びたくないということです。具体的に何をしたらいいか教え、やってもらい、感謝すればよいのです。そして彼らがそれを感謝しないことを不安に思うかもしれません。彼らはいつも通り過ごしたいだけで、変な課題や思い付きを行う我々が邪魔だと思っているのかも知れませんからね。実際そうでしょう。全体のことなど気にもかけないで半径2mくらいの人間関係にしか興味のないバカにとっては、我々アホの提案はただの負担です。しかし、神はそれを感謝させます。そしてほとんどの文学にも社会学にもキリスト教の良い影響がみられることを私は知っています。なぜか日本ではキリスト教徒になることは非推奨なのですが皆さんもまずキリスト教徒になってみることをお勧めします。
檀家の方も、別にお寺でキリスト教を学んでも良いでしょう。阿弥陀如来と似ていることに気が付いてキリスト教になった人もいます。
むしろ、仕事と収益ができるので、こちらの方針に変更するのはいかがでしょうか。神道に関しても八百万の神の長が増えるだけです。他の神々は神によってあるべき場所に帰えって本来の役割を果たす天使に戻るだけなのです。袈裟を着て神に使える、それで良いではないですか。
キリスト教は何も意地悪に儲けを減らす宗教ではないのです。
むしろ本当に必要なものをすべて与えてくださる神との交わりなのです。
「そんなこと言ったって、どうせ願いなんて叶わねえんだろ」という方は以下のnoteも合わせてお読みください。
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