第8話 女神の冒涜、そして鬼神の降臨

【導入:喧騒と慟哭、そして悪魔の微笑み】

 俺たちがカラオケボックスを飛び出した直後。

 けたたましいサイレンの音が、東京の夜を引き裂いていた。

 佐々木が潜む、超高級ホテルのスイートルーム。そのドアが、内側から爆破され、閃光弾の眩い光と轟音と共に、重装備の警官たちが一斉になだれ込む。

「動くな! 警察だ!」


 だが、部屋の主である佐々木は、一切抵抗する素振りを見せず、優雅にソファに座っていた。

 彼女は、突入してきた警官たちを一瞥すると、まるで芝居のセリフのように、ゆっくりと拍手をした。

「…私の想像以上に、あなたの『騎士』は、優秀だったようね、神谷圭佑」

 彼女は、あっさりと両手を差し出し、その身柄を拘束された。


 入れ替わるように、部屋に飛び込んできたのは、玲奈だった。

「莉愛ッ!!」

 彼女は、ベッドでぐったりと眠る妹の姿を見つけると、その傍らに崩れ落ち、亡骸のようなその体を、きつく、きつく抱きしめた。

「…いや…いやよ…! 目を開けて、莉愛…! 死んだら許さないから…!」

 これまで決して人前では見せなかった、ただの姉としての、剥き出しの慟哭が、部屋に虚しく響いた。

 その腕の中で、莉愛のスマホが淡く光り、ミューズのアバターが一瞬だけ現れては、悲しげに顔を歪め、『…救出方法は、現在、0.0012%の確率で、再計算中…』と呟いて消えた。


 ――時間は、少しだけ遡る。

 警察が突入する、まさにその直前の、密室でのことである。

 佐々木は、眠る莉愛のブラウスのボタンに、ゆっくりと指をかけた。

 だが、その瞬間、莉愛のスマホが自動的に起動し、AI【Muse】が警告を発する。

 ――警告。マスター・莉愛への、不必要な身体的接触を検知。性的暴行の危険性アリと判断》

 最終警告。5秒後に、位置情報を再送信します。5…4…3…》

「…チッ。あのAI…!」

 佐々木は忌々しげに舌打ちすると、それ以上の手出しを諦めた。その時、彼女のスマホが震える。画面に表示された名は『神宮寺』。

『…お前は用済みだ。せいぜい、彼の成長のための、良い肥やしになることだな』

 冷たい声と共に、一方的に通話が切れる。 佐々木は、自分もまた、捨て駒であったことを悟り、絶望と怒りに顔を歪めた。

 彼女は、ベッドで眠る莉愛の、完璧に整った制服の襟を、ほんの少しだけ、わざと、乱れさせた。

 そして、満足げに微笑むと、駆けつけてくるであろう警官たちを、静かに待ち受けたのだった。


 連行される佐々木が、すれ違いざま、玲奈の耳元で、嘲笑うように囁いた。

「…せいぜい気をつけることね。本当の悪魔は、あなたのすぐ側にいるかもしれないわよ?」

「ッ…!」玲奈は、その言葉の真意を測りかね、憎しみを込めて、去っていく佐々木の背中を睨みつけた。


 ――そして、時間は、再び現在に戻る。


 病院に緊急搬送され、手術室のランプが、絶望的な赤色を灯す。

 俺と今宮、そして駆けつけたメンバーたちは、何時間も、ただその光を見つめ続けた。

 やがて、手術室から出てきた医師が告げた言葉は、俺たちをさらなる絶望の底へと叩き落とした。

「…薬物の過剰摂取による、深刻な昏睡状態です。意識が戻るかどうかは…正直、五分五分です」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で、何かが、ぷつり、と切れた。

「…ふざけるなッ!!」

 俺は、医師の胸ぐらを掴み上げた。「五分五分だと!? あんた、それでも医者か! 金ならいくらでも払う! だから、絶対に、莉愛を助けてくれ…!」


「兄貴、やめてください!」

 今宮が、後ろから俺の体を羽交い締めにして、必死に引きはがす。「しっかりしてください! あんたが今、壊れたら、姫さんはどうなるんすか!」


 俺は、ただ、自らの無力さに、コンクリートの壁に額を打ち付けることしかできなかった。


【静:砕けた絆】

 それから、数時間後。

 タワーマンションの最上階、俺たちの新たな『城』は、重苦しい沈黙に支配されていた。

 ガランとしたリビングの中央。俺たちは、引越し用の段ボールを椅子代わりに、力なく座り込んでいた。床に置かれたピザの箱は、誰も手をつけないまま、ゆっくりと冷えていく。


「…ふざけるなよ」

 沈黙を破ったのは、アゲハだった。

 彼女は、持っていたエナジードリンクの缶を床に叩きつけ、ガシャン、と耳障りな音を立てた。

「あいつは、あたしたちの仲間だろ!? それを、こんな…! あの佐々木って女…あたしが、絶対に見つけ出して、ぶっ殺してやる…!」


 あんじゅやみちるも「そうだそうだ!」と続く。

 事務所は、一気に「莉愛のために、今すぐ物理的に報復すべし」という、主戦論に傾いた。

 だが、その熱狂を、たった一言で制したのは、キララだった。

「…ダメだよ」

 彼女は、静かに、しかしきっぱりと言い放った。

「私たちが行くべきじゃない。これは、圭佑くんの戦いだよ」

「キララ! 何言ってんだよ…!」

 詰め寄るアゲハに対し、キララは、涙を堪えながらも、まっすぐにアゲハを見つめ返した。

「だって、莉愛ちゃんは、きっと待ってるから。白馬に乗った、王子様が、助けに来てくれるのを。…違うかな?」


 その、あまりにも純粋で、しかし物語の本質を突いた言葉に、誰もが息をのんだ。

 だが、アゲハだけは、納得していなかった。

 彼女は、わなわなと拳を震わせると、信じられない言葉を、吐き捨てた。

「…ふざけんじゃねえ。圭佑に全部押し付けやがって。お前ら、それでもファミリーかよ!?」

 あんじゅが「アゲハちゃん、そんな言い方…」と止めに入るが、アゲハはそれを振り払う。


「あたしは、降りる。こんな、仲間を見捨てるようなチームには、もういられねえ」

「待て、アゲハ!」

 事務所を飛び出していこうとする彼女の腕を、俺が、掴んだ。

「行くな。お前の気持ちは、痛いほど分かる。だが、今は…」

「――離せッ!」

 アゲハは、その俺の腕を、荒々しく振り払った。

「…てめえが、一番分かってんだろ、圭佑。あたしは、『待つ』なんて、ガラじゃねえんだよ」

 そう言い放つと、彼女は今度こそ、制止するメンバーの声を振り切り、一人で、事務所のドアから出ていってしまった。


【動:父と子の再会】

 その時、俺のスマホが、けたたましいバイブ音で震えた。玲奈からだった。

『…圭佑くん。すぐに、病院に来てちょうだい。博士が、あなたを待っているわ』

「…博士? 親父のことか…?」

 その、感情を押し殺したような声で、俺は全てを察した。


「あとは頼む」

 俺は、残ったメンバーたちにそれだけを告げると、事務所を飛び出した。

 エレベーターのボタンを連打し、一階に着くと、エントランスを飛び出し、大通りで強引にタクシーを止める。

「〇〇総合病院まで! 急いでくれ! 人が、人が死ぬかもしれないんだ!」

 運転手の怪訝な顔も、気にならなかった。窓の外を流れていく夜景が、やけにゆっくりと、俺の焦りを煽っていく。


 病院に到着し、総合受付で莉愛の病室を聞き、息を切らしながら廊下を走る。

 案内されたのは、莉愛が眠る病室の隣にある、特別に用意された一室だった。

 そこには、玲奈と、そして、俺の父、神谷正人がいた。部屋の中央には、見たこともないような、物々しい機材がセットされている。

「…親父、何しに来たんだよ…」

「玲奈様に頼まれてな」

 父は、アタッシュケースを開くと、中からヘッドセット型の端末を取り出した。

「俺は、昔、天神グループでAIの研究をしていた。Museの原型を作ったのも、俺だ。だが、その力を恐れた当時の上司…神宮寺に、プロジェクトごと潰されたんだ」

 彼は続ける。「いいか、圭佑。これはゲームじゃない。精神世界は危険なんだ。だが、キューズが、きっとお前を案内してくれるはずだ」


 その時、アゲハから、俺のスマホに、一枚の写真だけが、無言で送りつけられてきた。

 そこに映っていたのは、この病院のサーバー管理室のプレートと、そのドアの前に立つ今宮の自撮りだった。


(…俺を守るために? そういうことかよ、あいつら…!)

 俺は、全てを悟った。俺の決意を固めるため、あえて「裏切り者」を演じた、アゲハの不器用な優しさ。そして、俺が「光」の戦いに集中できるように、自ら「闇」の門番となることを選んだ、今宮の覚悟。

 俺は、もう迷わなかった。

「…親父。そのヘッドセットを、貸してくれ」


【静:王の覚悟】

 病院の一室。

 莉愛は隣のベッドに横たわり、俺は、傍らの丸椅子に腰掛け、それぞれ頭にヘッドセット型の『Q's』を装着している。

「…おい、親父。心の準備くらい、させろよ!」

 俺の弱音に、隣で端末を操作する父は、ただ、静かに頷くだけだった。すぐ側では、玲奈や、駆けつけたメンバーたちが、祈るように、その光景を見守っている。


 カウントダウンがゼロになる直前、圭佑の耳元で、玲奈が震える声でこう囁いた。

「…必ず、二人で、生きて帰ってきてちょうだい。私の愛した男と、私の愛する妹を…同時に失う地獄だけは、私に見せないで…」

 その言葉と共に、玲奈は、俺の背中に、そっと、しかし力強く抱きついた。その震えが、俺に伝わってくる。

 その悲痛な祈りに、俺は、目を閉じたまま、静かに、しかしはっきりと答えた。

「…ああ。約束する」

「――王の帰還を、待ってろ」


『――システム、シンクロ開始。精神世界へのダイブまで、5、4、3、2、1…』

 無機質なカウントダウンと共に、俺の意識は、光の粒子となって、急速に崩壊していく。

 次なる戦いの舞台は、ネットでも、現実でもない。一人の少女の、閉ざされた「心」の中。

 俺は、彼女を救うため、絶望が渦巻く、精神の深海へと、ダイブした。


 ――だが、その時、俺の知らないところで、もう一つの戦いが始まろうとしていた。


【動:闇の騎士団】

 シーンカット

【場所】病院の、サーバー管理室


 けたたましいブレーキ音と共に、一台のタクシーが、病院の夜間通用口に乗り付けた。ドアから飛び出してきたのは、事務所を飛び出したアゲハだった。

 彼女が、目的のサーバー室のドアの前に立つと、中から、そっとドアが開いた。

 部屋の中から顔を覗かせたのは、今宮だった。彼は、すでに部屋の中央で胡座をかき、自らのノートパソコンを、無数のケーブルでサーバーラックに直結させて、モニターと睨めっこしていた。


「…兄貴は精神世界に行った。長い戦いなるぞ」

 今宮は、画面から一切目を離さずに、そう告げた。

 アゲハは、悔しそうに、唇を噛み締めた。「…本当に、これで良かったのかよ。あたしは、圭佑やみんなを裏切ったんだぞ…?」

 今宮:「ああ。だが、それでいいんだ。兄貴は『王子』として、光の世界で、姫を救う。だがな、アゲハ。どんな物語にも、『光』の届かねえ、汚ねえ場所がある」

 今宮は、静かに、しかし力強く続けた。「俺と、お前は、このサーバー室を死守する。黒幕が次に狙うとしたら、間違いなくここだからな。」

「俺は中で端末繋いで侵入者を見張る。…門番は、任せたぜ?」

「任せとけ!」


 その言葉に、アゲハの瞳に、再び強い光が宿った。

 彼女は、廊下の奥、エレベーターホールの方を睨みつけ、獰猛な笑みを浮かべた。

 そこからは、複数の足音が、明らかにこちらに向かってきている。


 アゲハは、フッと息を吐くと、まるでコンビニにでも行くような、気軽な口調で言った。

「…長くなりそうだな。自販機、行ってくる。何飲む?」

 今宮は、再びモニターに視線を戻し、キーボードを叩きながら、ぶっきらぼうに答えた。

「…缶コーヒー。ブラックで頼む」

「了解」

 アゲハは、そう短く答えると、迫り来る敵に向かって、指の関節をポキポキと鳴らしながら、ゆっくりと歩き出した。

「…はっ、言ってくれるじゃねえか。…上等だ。門番は、派手にやろうぜ」


 物語は、Kが「光」の戦いへと向かう、その裏側で、アゲハと今宮という、二人の「闇の騎士」による、もう一つの戦いが、静かに始まろうとしていることを示唆して、幕を閉じる。

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