“核心”は謎のまま―― 520人の命が奪われた墜落事故 なぜ「不適切修理」は行われた? 日航ジャンボ機墜落事故40年
事故の7年前に損傷していた「ある部分」
事故調査の焦点は「構造的な問題」へと移っていった。 123便の残骸は、御巣鷹の尾根だけでなく、相模湾の海上でも見つかっている。爆発音とともに、機体後部の垂直尾翼の一部が脱落していたのだ。海上で回収された残骸には、尾翼をつなぐ釘穴の内側から油圧システムの油が「黒いシミ」となって外側へ噴き出した痕跡があった。アメリカ側は、尾翼の内側から何らかの「力」が加わらなければ起こらない現象だと見ていた。
その「力」の正体を突き止めるべく、アメリカの調査チームが注目したのが、墜落した123便の過去の修理記録だった。事故の7年前、123便の機体は大阪空港で後部を地面に打ち付ける「しりもち事故」を起こし、機体後部の「ある部分」を損傷していた。
その部分とは「圧力隔壁」と呼ばれ、気圧の低い機体後部から客室を守るお椀型の壁だ。この圧力隔壁の修理を製造メーカーのボーイングが行うことになった。
修理指示書では、壊れた隔壁の下半分を新品と交換し、上と下の隔壁の間に1枚の「継ぎ板」を挟んで繋ぎ止めることになっていた。
1枚の「継ぎ板」を使った修理は「よくあることだ」と日米の調査官は言う。しかし、実際の修理では、この「継ぎ板」が2つに切断されて使われていた。1枚の継ぎ板を使った修理と比べて、隔壁をつなぎとめる幅が短い。加圧された客室側からの力に耐えるには、明らかな強度不足だったのだ。
「不適切修理」涙を流した技術者も
FAAから日航ジャンボ機墜落の調査に派遣されたトム・スイフト氏は、東京・赤坂のアメリカ大使館にいた。金属の亀裂が専門の彼は、不適切な修理が航空機に与える影響を分析していた。隔壁の修理が不適切だった場合、航空機は何回まで飛び続けられるかという「仮説」を立て、隔壁の耐久性を試算した。
その結果、隔壁の修理から墜落までの推定飛行回数は約1万3000回。これに対し、123便の修理から事故までの実際の飛行回数は1万2184回だった。2つの値は極めて近かった。この試算結果は、隔壁の不適切な修理が墜落事故の原因である可能性を強く示唆するものだった。NTSBのシュリード氏は、この事実をアメリカ大使館に集まったボーイングの技術者たちに説明した。その時の様子についてシュリード氏は「彼らは、かなり落胆していました。実際、何か起きたのかを悟った時、涙を流す者もいました」と語っている。