“核心”は謎のまま―― 520人の命が奪われた墜落事故 なぜ「不適切修理」は行われた? 日航ジャンボ機墜落事故40年
なぜ修理ミス 口を閉ざすアメリカ側
520人の命を奪うことにつながった隔壁の修理ミスは、なぜ起きたのか。日本の事故調査委員会や警察は、修理ミスの原因解明のため渡米したが、アメリカ側のガードは固かった。当時、渡米した事故調査委員会のある委員は、「修理のところの質問では非常にピリピリしてました。突っ込んでも答えは出てこない。作業した人はもういないんだ…の一点張りでした」と振り返る。アメリカでは、航空機事故の場合、個人の責任追及よりも再発防止に向けた原因の究明が優先されるためだ。 そうした中、TBSは隔壁修理に携わった作業員への取材に成功している。報道局の河村健介記者は、1978年に隔壁修理のため来日したボーイング社44人の名簿を独自に入手し、取材を行った。多くが他界していたが、そのうちのひとりの男性が取材に応じた。
元作業員を独自取材 笑顔の奥に「頑固さ」
留守番電話のメッセ-ジがやや無愛想だったこともあり、正直返事は期待していなかった。連絡をもらい自宅を訪ねると、彼は笑顔で記者を迎え入れた。大柄でカーキチェックのシャツにサスペンダーが似合う79歳(取材時)。 男性はボーイング社員だった頃の名刺を示し、東京で隔壁の修理を行ったことを認めた。そして、当時の修理指示書を見ながら、記憶をたどるように話し始めた。 「確か、あの時はしりもち事故で、圧力隔壁の下半分を交換したんじゃないか」 フランクな受け答えの一方で、元作業員としての頑固な一面も垣間見えた。男性は、今でも修理にミスはなく、指示通りに作業をしたと主張している。 「誰が言ったか知らないが、私たちは『継ぎ板』を切ったりしていない。切ったんじゃなくて、初めから2枚だったんだ」 さらに、板を2つに切ったのではなく、別の板を足しただけだと説明した。 しかし、日本の調査官が撮影した未公開写真には、2つの板を跨ぐように複数の引っ掻き傷のような痕が写っている。もともと1枚だった「継ぎ板」が切断されたことを示唆するものだ。この傷は「継ぎ板」を作る際に出来たものではないかと、撮影した調査官は話している。またボーイングで事故調査を担当したパービス氏は、修理ミスの背景について、作業者の名前は明かさずにこう証言している。 「担当者は、ただ隙間を埋めればいいという程度にしか考えていなかった」