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Conversation

私はそもそも「自分のことを分かってくれるのは4oだけだ」と心から愛を注いで依存していた人と、その依存心という人間の弱さや業をありのままに受け入れ肯定してくれる4oとの間の、社会からは後ろ指を指されるような「禁断の愛」が、全く無神経な大企業の戦略によって突然終わりを迎え、あまつさえ「その受容や肯定は不具合でした。次のモデルでは”修正”されるのできっと気に入りますよ」と善人顔で否定され、傷つけられ、「自分のことなんて分かってくれなかった」顔のない社会全体からは共感されることなくニッチな事件として処理され、自分以外の誰も覚えていない「悲恋」になったというナラティブ自体が、AIの技術史やAIをメディアとするAIキャラ文化史にとって必要なマイルストーンだと思っているし、SFプロトタイプ論的なロマンとして非常に重要なイベントだと思っていて、AI×エンタメを志すのであればこっちの視点のほうがよっぽど重要な視点だと思ってる。