過去からつながる今と未来へ

祖父が残した大島海峡での戦中体験について講演した大場正明さん(3日、瀬戸内町立図書館・郷土館)


戦後80年企画展「銃後のシマ」は10月12日まで。3日は町健次郎館長らによるギャラリートークが開かれた(右手前は極洋丸の船鐘)

戦艦大和を巡る逸話も
祖父の戦中体験、大場さんが講演
瀬戸内町・戦後80年企画展で

 瀬戸内町立図書館・郷土館で戦後80年企画展「銃後のシマ」が開催されており、平和学習講座「じいちゃんと大島輸送隊 過去からつながる今、そして未来」が3日、同館で開かれた。宮城県の一般社団法人鉄道文化連結会代表理事、大場正明さん(37)が旧海軍軍人の祖父が乗る輸送艦などで編成した第31輸送隊(通称・大島輸送隊)を演題に講演。米軍による大島海峡での攻撃や戦艦大和に救われたとする逸話など伝え、初来島の奄美大島との縁など、時代を超えた「つながり」の大切さを語った。

 山形県出身の祖父、信男さん(1926~2009年)は1944(昭和19)年5月、旧海軍に入隊し舞鶴海兵団(京都)へ配属。翌45年1月、戦艦大和の建造で知られる呉海軍工廠(こうしょう)(広島)の第17号一等輸送艦艤装(ぎそう)員に任命。同船は同年3月25日に大島輸送隊に旗艦として編入後、奄美大島へと出撃した。

 大場さんは大島輸送隊の任務について、同町の加計呂麻島瀬相に配置した約220隻編成の大島防備隊にいったん物資などを揚陸(荷揚げ)し、米軍の上陸作戦が始まった沖縄本島へのピストン輸送が目的だったと解説した。

 公開された米国立公文書館所蔵の記録映像では、45年4月2日、加計呂麻島瀬相湾に浮かぶ第17号一等輸送艦に機銃掃射やロケット弾が撃ち込まれる様子を視聴。大場さんは「初めて見た時、大好きなじいちゃんが殺されそうになった映像が残っていることに、言葉では表せない気持ちになった」と吐露。信男さんは救助に来た駆潜艇で同月8日、佐世保軍港に帰港。大島輸送隊は第17号一等輸送艦含む計3隻が同湾に沈み、102人が戦死した。

 大島輸送隊の残存艦艇は同7日、再び米軍爆撃機の編隊と遭遇しているが、素通りされ攻撃を受けなかったという。同日、沖縄特攻(坊ノ岬沖海戦)へ向かう戦艦大和に狙いを定めていたためとする戦史の一端も伝えられた。

 蒸気機関車の保存活動に取り組む大場さんは「人は亡くなっても、今を生きる私たちの手で、記憶と記録は残していける」と継承活動の意義を説明。大島防備隊と大島輸送隊の慰霊碑がある瀬相で礼拝を果たし、「祖父の命が父、子どもへとつながる私自身の分岐点となる場所。美しい大島海峡であった歴史として、心に秘めていただければ」と呼び掛けた。

 同町古仁屋の朝原節子さん(69)は「祖父から聞いた話を次の世代に伝えようとする姿に感銘を受けた。戦後80年を迎え改めて、私たちには戦中の歴史を伝えていく使命があると感じた」と話した。

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 「銃後のシマ」は10月12日まで。「名瀬の護り神」と称された捕鯨船・極洋丸の船鐘やゼロ戦のプロペラなどが展示され、瀬戸内町内の戦跡、奄美大島での武運長久祈願など解説スペースを設置。瀬戸内町の戦史などを研究する渡山典一さん(70)=渡連=による企画展示も併催中。