日本の民謡演奏家による2日目のコンサートが、「日・コートジボワール関係50周年記念」のコンサートになったのには、経緯がある。わが大使館の文化担当官が、ある日、韓国大使館の文化行事に招待されて行ってみた。韓国は文化交流に熱心に取り組んでいて、ソウルからオペラ歌手を何人も派遣し、声楽のコンサートを開催したのである。
韓国大使館は、そのコンサートを、「コートジボワール独立50周年記念」の行事と位置付けていた。そこで、文化担当官にははっとひらめくものがあった。そこに来ていた、独立50周年記念行事委員会の人と、その場で話をした。日本も、伝統音楽のコンサートを開催する予定があるのです。日本のコンサートも、記念行事にできるでしょうか。
「もちろん、歓迎します。」
というのが答えである。文化担当官は、すぐに私に連絡して来た。私は、1日目のコンサートを、「平和と未来へのコンサート」と名付け、国連との共催にしたところまでで、ひとまず安堵していた。ところが、よく考えたら、今年は独立50周年であった。コートジボワール側が記念行事に認定できるというなら、そうしてもらって、もう一枚箔をつけよう。ただちに、行事委員会に認定を申し込んだ。
箔なら一枚だけでなく、とことん付けるのだ。「独立50周年」ということは、独立直後に国家承認した日本としては、「日・コートジボワール関係50周年」ではないか。それなら、「両国関係50周年の記念コンサート」だ。だから両国に関係の深い人を、主賓に決めることにしよう。その主賓とは、カク・ジェルベ外相だ。なぜなら、カク・ジェルベ外相は1960年代に若き外交官として日本に赴任し、在京大使館を開設した人である。
私は文化担当官といっしょに、外務省にカク・ジェルベ外相を訪ねた。国際機関などへの日本の立候補に支持要請をしたり、サッカー世界杯への支持要請をしたり、と一連の外交活動を行ったあと、外相にお願いする。
「11月8日に、民謡のコンサートを行うのですけれど、両国関係50周年記念、と銘打つので、ぜひ貴外相に主賓として挨拶をいただきたいのです。」
カク・ジェルベ外相は、二つ返事で引き受けてくれた。
そして、このコンサートをどこで開催するか。大使公邸の敷地を使って開催しよう。「両国関係50周年」というからには、日本大使が皆さんをお客さんとして招待するのである。公邸で行ってもおかしくはない。こちらのコンサートは、一般公開ではなく、閣僚や政府関係者、外交団の大使連中、日本との関係が深いコートジボワールの人々を選んで呼ぼう。招待状を刷って、各方面に配送した。
公邸の芝生の庭に、大きな仮設舞台を建設することになった。前日、一日がかりで鉄骨が組まれて、大きな舞台ができあがった。日の丸と、コートジボワール国旗がたくさん並べられた。そうして、準備が万端整った。いよいよ、当日(11月8日)を迎える。
カク・ジェルベ外相は、約束どおり、ご夫人を連れて来てくれた。他には、アカ保健相、シディキ・コナテ観光相が来てくれている。招待への反応もよくて、全部で254人のお客さんが来てくれ、大入りになった。芝生の庭で、木々をライトアップし、舞台にはまだぼんやりとしか照明が入っていないけれど、すでに不思議な空間が出来あがっている。
独立50周年記念委員会委員長の、キプレ駐仏大使が挨拶。そして、私が壇上に立った。
「両国の長い友好の歴史があります。それに加えて、ここ数年のコートジボワールの苦境に、日本が真の友人として、支援を提供できたことを嬉しく思います。」
そして、私は大統領選挙の実現のために、全部で55億フラン(11億円)を提供したのだ、と説明する。大きな拍手が沸き起こる。
「ああ、また日本大使は、日本の支援を自慢している、とお思いでしょう。」
と、ちょっとくだけた調子にして、
「でも、私が言いたいのは、日本政府も国民も、この金額をコートジボワールの国民のために使うことに、何らの躊躇がなかったということです。それはなぜか。コートジボワールが苦しい時にこそ、しっかり支援をしようという、真の友人としての心からです。それだけではない。コートジボワールの国民のために出したお金は、決して無駄にならないと、信じていたからです。日本の人々は、コートジボワールの国民を信頼していたからです。そして、このたび素晴らしい選挙が実現しました。皆さんは日本の信頼に答えてくれた。」
ふたたび大きな拍手が来た。
カク・ジェルベ外相の挨拶になった。
「私と私の妻は、1960年代に日本で外交官生活を送りました。仕事も面白かったですが、日本の豊かな文化に魅了され、未だに強い思い出になっています。」
外相がそう演説を始めると、傍らの外相夫人が私に言う。
「そう、うちの娘はね、日本で生まれた最初のコートジボワール人なのですよ。」
外相は続ける。
「日本。この何千年と続く文化と、最新の文化が融合した国。伝統と現代をみごとに調和させたこの国の、音楽という文化を、今夜は堪能できるのです。私と妻は、能舞台の音楽に魅了されました。三味線や、琴といった楽器のリズムと旋律に、表現の豊かさを感じました。音楽の中の静寂さえも、味わうべきものでした。「音楽は静寂とともに始まり、静寂に終わる」とは至言です。音楽は語らず、感得させる。ある指揮者が言った、「音楽は耳への香水である。」そして、日本が、その伝統音楽の演奏により、コートジボワールの独立50周年をお祝いしてくれるということは、何よりの友好の印なのです。」
「今さきほど、日本大使は選挙への支援について語られました。しかし、日本の支援はすでに多くの分野にわたっているのです。」
外相はそう述べてから、日本の最近の協力を列挙する。UNICEFを通じた伝染病対策13億フラン、技術研修で訪日したコートジボワールの行政官60人(2007-8年)、平和構築の軍民転換活動に15億7千万フラン、そしてバンコの森の保全計画など環境保護事業、等々。コートジボワール政府を代表して、日本政府と日本国民に感謝の念を伝えてほしい。カク・ジェルベ外相は、そう言って挨拶を終えた。
民謡の演奏が始まった。1日目の「平和と未来へのコンサート」とほぼ同じ演目である。和太鼓の乱れ打ち、尺八の幽玄幻想、津軽三味線の掛け合いなど、盛りだくさんの演目が続く。途中、根本麻耶さんによる、片言フランス語を交えた紹介と、和楽器の説明、着物の説明などの解説がはいる。
1日目との違いは、今夜はネクタイを締めている人が多いこと。つまり、政府関係者や各界の首脳、大使連中など、年配で偉い人が多いのだ。一緒に手拍子はしないだろう、と思っていたら、手拍子どころか皆が一緒に声をあげて歌いだした。そして、地元コートジボワールの民俗音楽演奏家たちの楽団「ヤコマン(Yakomin)」が登場。はじめは、「ヤコマン」だけでコートジボワール国歌「ラビジャネーズ」をアレンジした曲を披露した。
そして、その舞台に、わが民謡演奏家たちが加わった。いよいよ、日本とコートジボワールの両方の民俗・伝統音楽の合同演奏だ。まず、「ヤコマン」側がコートジボワールのリズムと旋律の曲を演奏し、そこに次第に尺八、三味線が加わっていく。太鼓は、ここのタムタム奏者のリズムに、和太鼓が調子を合わせた。見事に息があっている。全員で大合奏となった。
次は、日本側が旋律を提供する。椿正範さんが歌いだしたのは、「ソーラン節」である。それも激しいアップテンポで賑やかだ。和太鼓が連打される。
「ソーラン、ソーラン」
椿さんが歌うと、観客も続く。
「ソーラン、ソーラン」
「どっこいしょ、どっこいしょ」
椿さんが歌うと、観客も続く。
「どっこいしょ、どっこいしょ」
そして、「ヤコマン」が、アフリカの楽器でこれを追い始めた。笛、そしてバラフォン(木琴)、タムタム(太鼓)と続き、時々、椿さんが「ソーラン、ソーラン」、観客が「ソーラン、ソーラン」、椿さんが「どっこいしょ、どっこいしょ」、観客が「どっこいしょ、どっこいしょ」。
日本の民謡とコートジボワールの民族音楽が、三味線とバラフォンが、和太鼓とタムタムが、尺八と笛が、そして観客の歌声と手拍子が、全部融合した。日本とコートジボワールの友情が、しっかりと肩組みをしているかのようだ。星も出て抜けるような夜の空に、みんなで歌うソーラン節が響きわたった。 公邸の庭に、仮設舞台をつくる。
「両国関係50周年」の看板
たくさん来てくれたお客さん
カク・ジェルベ外相が挨拶する。
津軽三味線の競演がはじまる。
根本麻耶さん(左)と椿正範さん(右) 幻想の舞台
二人で太鼓を叩きあう。
山田貴之さん(左:打楽器)と田川智文(右:和太鼓)さん 佃康史さんが、尺八を解説する。
根本麻耶さんが民謡を歌って聞かせる。
「ヤコマン」登場
両国音楽団が、ソーラン節を合奏する。
11月10日付「友愛朝報」
「日本とコートジボワールが、平和の調べを合わせる。」 11月10日付「新覚醒」紙
「日本の楽器が、聴衆を魅了」
11月11日付「われらが道」紙
「日・コートジボワール文化交流
日本大使:日本は大統領選挙に55億フランを供与」
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尺八の佃こうし君とは何度かご一緒させていただいた関係で佃君のブログからお邪魔させて頂きました。
ありがとうございました。
黒田月水