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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

平和と未来への演奏会

2010-11-06 | Weblog

正直に言って、たいへん心配したのである。夜中にいろいろ考え始めて、寝られなくなる日もあった。国際交流基金の文化事業として、日本から太鼓や三味線の演奏家たちを、コートジボワールにまで派遣できる、ということだったので、私は最初には大いに喜んだ。このように本格的な日本文化の紹介事業を行えるような機会は、このアフリカの西の果てにはまずなかなか、訪れることはないであろう。ぜひ任せてください。盛大な音楽会を催して見せます。私は意気込んだ。

事業の日取りは、11月の最初の週ということであった。日本の演奏家たちは、コートジボワールの他に、ガボン、カメルーンと巡回するので、アビジャンで演奏できる日取りは全体の日程の中で決まっていった。11月の初旬ならば、ひとまず雨期は終わっているし、それでも気温もそこまで高くはなっていない。ちょうどいいじゃないか、と考えて、受け入れ日程を組んだ。

ところが、その後、大統領選挙を10月31日に行う、ということが決まった。演奏会を予定している時期の、ちょうど1週間前の投票である。投票の前後には大きな混乱があり得る。演奏会を行う時期にまで、その影響が続くという可能性について、考慮に入れていかなければならなくなった。アビジャンの日程を他の国の日程と入れ替えることには、たいへん困難があったし、どのみち入れ替えても11月中のどこかだ。決選投票にもつれ込むことは明らかだったから、選挙の影響を逃れることはできない。

でも、当初は、どうせまた、10月31日も延期されるだろう、というのが大方の見方だった。これまで何度も延期されてきたし、10月31日というのも、8月の独立50周年記念日の直前で、いかにも取り繕うように決まった日取りであったから、真剣に守られるとは思えなかった。9月の半ばになっても、おそらく延期されると思われていた。選挙の準備が全然整っていなかったからだ。少なくとも、1~2週間は投票日が後ろにずれる。そうすれば、投票は演奏会の後になるので、何の心配もない。

皮肉にも、延期されそうになった投票日を救ったのは、日本である。日本と欧州連合(EU)が、選挙管理委員会に梃入れをした。選挙物資の輸送、選挙係員の研修、周知・広報活動、簡易投票所の建設、そうした全然できていなかった準備上の問題について、日本とEUが、選挙管理委員会を資金協力の面で支えた。その結果、準備の問題は克服され、投票が10月31日に行われることが、相当明らかになってきた。

そこで、私も大使館員も、おおいに悩んだ。もしケニアやジンバブエで見られたように、投票後、国中が大混乱になるということがあるかもしれない。公演まで1週間の間があいているとしても、混乱が続けば、演奏会を直前に中止しなければならなくなる、あるいは開催しても誰も来なくなる、というような事態が想定されるだろう。いや、もっと悪くすれば、空港や道路が閉鎖されたりして、演奏家たちが動けなくなるなどという事態が起こりはしないか。

それでは、この時期コートジボワールでの演奏会は残念ながら諦めたほうがいい、と東京に伝えて、安全策を取ることにしようか。あらゆる危険を避けることにして、何もしなければ、成功も無いけれど失敗も無いからだ。しかし私は考えた。日本とコートジボワールの間での、せっかくの貴重な文化交流の機会を、ふいにしてしまうことになる。もう演奏家のほうもしっかりと準備を進め、そして私たち大使館や主催団体の側も、ずいぶんと段取りを重ねている。それを全部、無駄にするのか。それほどの犠牲と、危険の大きさとを、よく量りにかけなければならない。

私は考えた。10年ぶりの、しかも内戦を経た後の選挙であるから、それなりの混乱があることは覚悟しなければならない。しかし、10月31日の投票は、いずれにしても第一回目である。つまり、最初の投票でいずれかの候補者が、一発で当選を決めるということにはならないだろう、という見通しである。10月31日の投票は、いわば準決勝戦だ。緊張と熱気は、決勝戦となる決選投票よりは、ずっと少ないと見積もられる。コートジボワールの国内も落ち着いていて、特に危険の到来を感じさせる様子はない。それでも、投票が終わった後に、事態が急転直下に悪化して、暴動が起こるとか、交通が遮断されるとか、そういう面倒な話に絶対にならないという保証は無い。私は心配し続けていた。

悩んでいると、名案が浮かぶものだ。ある日、はっと思い当たった。これはいい考えだ。善は急げと、私はただちにチョイ国連(UNOCI)代表に電話をかけた。
「チョイ代表、ひとつ相談があるのです。日本大使館は、11月の初旬に大きな演奏会を企画していましてね。ちょうど第一回の投票日の後なものですから、この演奏会を、国連との共催にしたいのです。」

そして、と私は言葉を継いだ。
「国連との共催にして、「平和と未来への演奏会」と命名したいのです。そこで、私と一緒に、コートジボワール国民への平和と未来へのメッセージを出しませんか。」
チョイ代表は、面白い、その話には乗った、と二つ返事であった。

演奏会には、日の丸とともに国連旗もはためくことになった。これで何か異常事態が生じても国連の支援が受けられる、という計算から出した提案であった。チョイ代表に受け入れてもらえ、私はとりあえず安堵をした。

さて、選挙運動も円滑に過ぎ、投票日が無事に過ぎたところで、私は、演奏会がこの時期に開催されることの意味を、ひしひしと感じ始めた。この演奏会は、まさに「平和と未来への演奏会」という題名のもとに、そして選挙の実現に力を注いできた国連と日本が主催して、行われるべきものになっていた。10年待たれた選挙を、コートジボワールの人々は、国民総出の素晴らしい投票で飾った。民主主義が明らかに一歩進んだ。それだけでなく、大統領を自分たちの手で選ぶのだ、という意欲を、国民が一致団結して表明したのである。

この時期に、日本の音楽家たちがはるばる来訪して、人々の前で演奏をする。それは単なる偶然だろうか。音楽を通して、コートジボワールの人々への祝意を、彼らの民主主義への賛辞を伝える。この機会にこそ、日本だからできることである。そう理解したので、私は記者会見を開いた。私は、日本から、「ニヤマ・カンテ」というアフリカ音楽のグループと、太鼓や尺八、三味線の民謡楽団が来訪する、そしてこれは、コートジボワールの危機からの脱出を、一緒に祝うという趣旨なのだ、と説明した。この説明は、テレビニュースに出ただけでなく、翌日の新聞にも、大きく取り上げられた。

そして11月5日夜、音楽院の特設ステージで、「ニヤマ・カンテ」の演奏とともに、一連の祝福の音楽会が始まった。世の中では、投票後の高揚も一段落し、人々は平静に戻っている。私は心から、演奏会を断らなくて良かったと思った。むしろ、この演奏会はきわめて適切な時期に企画されたということになる。強烈な音楽とともに、日本の国民の連帯を、コートジボワールの人々に、強く印象付けるはずだ。

 「平和と未来への演奏会」ポスター

 11月3日付「友愛朝報」
「両国友好関係の道筋の上に」

11月3日付「新覚醒」紙


11月3日付「夕刊情報」紙
「皆さんは、皆さんの子供や孫のために、投票したのだ。」


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