「稲作サロン」を開くので、出席してほしい。前に、稲作農家の集会が大統領府で行われたときに、私に声を掛けてきた団体がある。「稲作サロン」というのは何ですか。
「稲作農家のお祭りですよ。稲作に関係する政府機関や私企業が、展示をします。そして稲作農家が近隣地域から集まって、稲作についての情報交換をし、そのための研究会も開催します。毎年回を重ね、今回は12回目です。」
その団体、「ドゥベイ」というNGOが主催し、全国各地から稲作農家の組合が参加し、毎年大いに盛り上がるという。日本は稲作の開発に熱心な国というだけでなく、今年から農業省を通じた本格的な協力をはじめたので、日本の協力が生産力向上に成果を出している様子なども、来てくれれば見ていただける。だから今年の「稲作サロン」には、ぜひ日本大使に出席をしてほしい。そういうことだったので、私は快諾した。
それで私は、予定されていたとおり、先週の木曜・金曜日に、「稲作サロン」が行われるガニョアに、出かけようとしていたのである。そうしたら、直前になって、連絡がきた。
「開催を少し後にずらして、土曜・日曜日にすることにしたいのですけれど、大使の都合はよろしいでしょうか。」
週末であるから、私の手帳には特に予定は入っていない。でも、どうしてずらすのですか。
「木曜日に、バグボ大統領が選挙運動のためにガニョアを訪れる、ということに急遽決まったのです。そうすると、「稲作サロン」に来てくれる予定だった、県知事から県議会議長から、みんなそっちに行かなければならない。町や村の人々も、大統領の演説を聞きに出かけてしまいます。だから、「稲作サロン」を開いても、十分人が集まらない。それなので、土・日曜にしたいのです。」
そういうことなら、分った。選挙戦の悪影響を避けようというのだ。それで、土曜日の早朝から、250キロ離れたガニョアに向けて、車を飛ばした。
投票まで1週間を残すばかりとなったこの時期である。大統領選挙の選挙活動は、地方ではどんなふうに行われているのだろうか。それを観察することにも、けっこう興味があったのである。2ヶ所ほど稲田の様子を見学した後、ガニョアの町に入った。そうしたら、さすがバグボ大統領の出身の地域である。あちらこちらに、バグボ大統領の横断幕や看板が掲げられ、ポスターが貼られている。バグボ大統領一色かと思ったら、そうでもない。ウワタラ候補のポスターや立て看板も、けっこうたくさん立っている。
「ガニョアは、バグボ大統領のお膝元と思われていますけれども、それは農村部の話であって、街の中にはむしろ、ウワタラ候補を支持する北部からの移民の人々や、ジュラの人々(ムスリムの小売商人)の方が多いのです。それが証拠に、2001年の県議会選挙では、ウワタラ候補の「共和連合」が第一党になりました。昨日は、「共和連合」の支持者が、街中を練り歩いたのです。彼らは、タクシーの運転手とか商売人とかが多いですからね、皆が車や単車に乗って、警笛を鳴らしながら、それは喧しかった。」
「稲作サロン」の関係者の説明どおり、けっこう賑やかに選挙運動が繰り広げられている。
さて、ガニョアの街に到着して、「稲作サロン」の会場に入った。ちょうど開かれていた研究会に顔を出して、出席者の人々と挨拶をした。そのまま、広場にいくつか並んでいる、稲作関係のブースに案内され、説明を聞いた。「国家稲作計画(PNR)」や「国立農業研究所(ANADER)」などの政府機関・公社だけでなく、肥料・殺虫剤メーカー、食品加工企業、農業機械の輸入会社、さらには収穫した米を入れる袋の製造会社、気象観測の機器を販売する会社、などが出展していて、けっこう興味深い。
惜しむらくは、せっかくこれだけの展示をしているのに、見に来ている人がとても少なくて寂しい。やはり選挙に人出を奪われた影響があるのだろうか。さて、その日の夜は、歌と踊りで賑やかに夕食会を開くのだ、と言われていたので、私はいったんホテルに入り、そこで夕食会への迎えがくるのを待った。ところが夜8時に迎えの人が来て、申し訳なさそうに言う。
「盛大な夕食会を準備していたのですけれど、町の偉役たちが誰も来られなくなって、規模を縮小せざるを得ません。というのは、明日、ベディエ候補がこの町を訪れることが、さきほど急遽決まったのです。」
何とまあ、せっかくバグボ大統領の訪問とぶつかることを避けて、わざわざ週末に開催日をずらしたのに、こんどはベディエ候補の選挙活動とぶつかってしまった。不運なことだけれど、時期が時期だけに仕方が無い。私はけっきょく、NGOの内輪の人々だけでの夕食に参加した。表の大通りでは、たくさんの車が旗を掲げ、警笛を続けざまに鳴らしながら走っている。きっと、明日ベディエ元大統領が来ると聞いて、民主党の支持者たちが、景気付けに繰り出しているのだ。
一夜明けて、翌朝10時から行われるはずの、「稲作サロン」の式典は、結局12時を過ぎてからやっと始まった。式典に来る予定の周辺の稲作農家の人々が到着するのを、ぎりぎりまで待ったけれども、結局来られなかった、という。村々のバスやトラックが、みんなベディエ元大統領の演説会への動員に駆り出されてしまい、会場に来るための足がなくなってしまったのだ。「稲作サロン」の会場には、テントがたくさん張ってあるのに、それぞれのテントには2列くらいしか人が座っていない。
主催者「ドゥベイ」の責任者が、私に申し訳なさそうに言う。
「毎年、こんなものじゃないんですけどね。もっともっと、人が来て、大盛況なのです。せっかく大使に来てもらったのに、ほんとうに残念です。」
私は選挙のせいであれば、それは仕方がないでしょう、と言った。そういうことなら、ここはひとつ、疎らな参加者を相手に、私が式典を盛り上げてやろうと考えた。
私は、演説に呼ばれた壇上で、用意してきた原稿を横に置いた。日本の稲作への協力の歴史の説明は、この際もういいのだ。私は原稿なしに、日本も米のご飯を主食にしている話、日本も終戦後は貧しかったけれど働いて豊かになった話、アフリカでは女性が運営管理に優れているので、女性に信頼し投資をしなければならないという話、コートジボワールが1970年の大阪万博で白亜のパビリオンを建てた話。とにかく、これまでコートジボワールの人たちにして喜ばれた話を、次々に繰り出して、お話しした。
もう私の演説は、30分を越えているかもしれない。でもいいのである。どうせ、県知事とか、県議会議長とか、そういう偉い人々は来なくなったので、彼らの演説の時間があいた。踊りや太鼓を奏でる人々も、ベディエ候補のほうに行ってしまったから、そういう余興もない。私が全部、式典の時間を使っても構わないのだ。そして、話をするごとに、やんやの拍手喝さいが来たので、もう私はワンマンショーの舞台にいる気分である。
演説の最後に、選挙の話をした。
「このたび、選挙運動に人出を奪われて、「稲作サロン」が寂しくなったことは残念としても、選挙運動が盛り上がっていることは、私にはたいへん嬉しいことです。来週日曜日の投票が、沢山の有権者の参加を得て、円滑に衝突なく行われれば、これはコートジボワールにとって大きな誇りとなります。そして、この国の民主主義の成功は、アフリカにとって大きな希望となるのです。」
そしてこう付け加えた。
「選挙運動と重なって、多くの人々が選挙運動のほうに行きました。それでも、この「稲作サロン」のほうに、私の話を聞きに、これだけの人々が来てくれたのは、たいへん嬉しいことです。日本は稲作農家とともにあります。そして、コートジボワールの未来は、稲作農家の手にあります。」
演説を終えたところで、人々は大いに拍手をくれて、喜んでくれた。主催者の人が、私に抱きついて感謝した。そういうわけで、私はお座敷をみごとに勤め上げたというわけである。また来年も来ますからね、とそう言って、私は「稲作サロン」会場を後にした。 ガニョアの町に掲げられた、バグボ大統領の横断幕
他の候補者も看板を立てている。
左はウワタラ候補、右はベディエ候補 お米娘たちが登場
「稲作サロン」の展示ブース
肥料や殺虫剤を展示
「国家稲計画」の展示(稲の品種)
中国製の農耕機械を展示している企業
お米料理の品評会
これは、マンコノ地方の料理で「ウェレウェレ」という米の饅頭。 これは、スブレ地方の料理で、「ガドレ」。
椰子(ガ)の木の芯(ドレ)で作ったソース こちらはブルキナファソからの出展で、「トー」という米の饅頭
同じくブルキナの、米で作った飲み物「ゾムコム」
ご当地ガニョア地方の米料理、「ブロブロサカ」
ご飯のお焦げは、最もおいしい部分なので、夫に食べさせる。 参加者で食べて、どれがおいしいか品評する。
稲穂の乾燥をする、簡易倉の展示
下で料理をして、その煙で上段の稲穂を乾燥させる。
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