さて、日本の経済活動の背後に、国民の「制度への信頼」があることを説明した。それとともに、私は日本の高度成長の原動力として、「国民共通の目標」があったことを挙げることにした。
「1960年、当時の池田総理大臣が「所得倍増計画」を打ち出しました。10年間に、国民所得を倍増させるという目標です。国民はこの言葉に希望を持って、よしこの目標を胸に働こう。お父さんもお母さんも、身を粉にして働いたのです。人々が、生産活動に勢力を注いだので、1960年代の日本経済は年平均10%を越える成長率を示しました。そのため、「10年間」も待たず、わずか数年で「所得倍増」の目標は達成され、さらに弾みのついた経済成長は、そのまま止まることなく、日本を世界第二の経済大国まで押し上げていきました。」
少し単純化が過ぎるだろうか。私が思うに、日本人の性向として、自分たちの所属する社会が何を求めているか、どういう方向に進もうとしているのかを、見極めたがるところがある。だから、人々は「日本はどこへ行く」と問いかけたり、「期待される人間像」が何であるかを追求しようとする。そういう問題提起は、こちらでも、ヨーロッパなどでも見かけない、日本特有である。一方で、社会で方向性さえ打ち出されると、日本国民は一丸となって突き進むことになる。
そういう日本社会の文明論はさておき、コートジボワールの経済人たちに私が問いかけたかったのは、政治指導者の役割である。ここでは、大統領選挙を控えるこの時期になっても、政治指導者たちが、どういう国をつくりたいと考えているのかについて国民に訴えることがない。あるのは、個別の案件についての約束ばかりである。それでは国民の心は奮わない。私には歯痒い気持ちがあるが、コートジボワールの政治家たちを批判することは良くない。だから、日本の例を多少美化して、手本として描いて見せた。
手本は日本だけでは、まだ足りない。
「今、経済発展にむかっている国は、政治家が強い指導力を発揮して、国民に進んでいくべき道を示しました。例えば、マレーシアは、国民所得一人当たり7200ドル。堂々とした中進国となっている。しかし、以前は貧しいアジアの一国でした。そこに、マハティールという政治家が現れました。彼は1981年に首相になるや、「ルック・イースト政策」を打ち出し、日本や韓国の社会規範や倫理に学ぶべきだ、と訴えました。彼の産業振興政策の結果、高度成長が始まり、1988年からは10年連続で、ほぼ10%の成長率を記録するという、たいへんな経済成長を達成したわけです。」
中国もそうなのだ、と私は説明する。今や世界に冠たる経済大国も、毛沢東の時代以前には、飢饉さえ起こる貧しい国であった。ところが、1978年に小平が登場、「改革開放路線」を打ち出し、国の制度を信頼して、自主独立で働くように訴えた。その結果、中国の国民は、表の経済で働き始め、1978年以降、国民の貯蓄率は、驚くべき急勾配で増加する。隠されていたお金が表に出て来て、国内の金融制度に回された。そして、その貯蓄は投資を生んで、高度成長を記録し始めた。
アフリカにだって例がある。ルワンダは、1994年の大虐殺で国内が荒廃したけれど、カガメ現大統領は経済再建に強い指導力を発揮している。2004年以降は平均7%という着実な成長を記録し、彼が大統領になった2000年以降の10年間に、国民所得は1.7倍に伸びている。そして、彼は最近、「ルワンダ2020」という計画を発表した。この計画は、2020年までにルワンダを中進国にする、という目標を掲げている。
そうした例を紹介した後、私は、さて今こそコートジボワールの番である、と述べる。
「まもなく大統領選挙が行われます。しかし、本当に大事なのは、大統領選挙そのものではありません。選挙を終えた後に何をするのかが大切です。選挙の後、コートジボワールの人々による国家再建の努力には、日本は力を惜しまないつもりです。」
私は原稿から目を離して、少し間をおいた。
「あの、少しばかりまた、個人的な話をさせてください。私は、大阪という町の出身です。40年前の1970年、私が12歳の時に、その生地の大阪で万博が開催されました。もう、子供の私にはたいへんな興奮でした。何度も会場を訪れて、世界各国のパビリオンを見て回りました。その中で、象牙の形をした白亜のパビリオンを、今でも覚えています。コートジボワールのパビリオンでした。アフリカ諸国の中では珍しく、単独で出展していたのです。アフリカの立派な国なんだなあ、という印象を、子供心に覚えました。」
私は、コートジボワールが、大統領選挙をやり上げて、過去10年の危機にけじめをつけ、再びあの時代と同じく、西アフリカの基軸国として経済発展をすることを期待している、と述べた。そして、日本の国家再建と経済成長の例が、ふたたび皆さんの参考になるようであれば、大変喜ばしい、と結んだ。
私の講演を区切りに、開会の部は終わり、コーヒーブレイクにはいる。私のところに、年配の紳士が駆け寄るようにしてやってきた。
「大使、お話に感無量です。大阪万博の話ですよ。私は当時、社会に出たばかりだった。母国が日本の万博に出展して、白亜のパビリオンを建てた。自分の国が、たいへん誇らしかった。そのことを今日の今日まで、すっかり忘れていた。大使のお話が、その気持ちを甦らせてくれた。そう、あの当時、コートジボワールは、アフリカの偉大な国だったのです。」
そうでしたか、と私。独立して10周年だった当時のコートジボワールは、西アフリカにあって素晴らしい発展を見せていた。その頃、この国で若手世代にいた人々は、自信を持って国家建設に取り組んでいたに違いない。その自信を、ここ数十年の停滞と紛争で、すっかり失ってしまった。白亜のパビリオンの話が、人々に忘れた自信を思い起こさせるのだとすれば、これからもせいぜい話題に使っていこう。
<新聞記事>
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