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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

制度に対する信頼

2010-09-25 | Weblog
私は、日本経済における「家計」の姿について、説明を進める。

「さて、そうした勤労意欲を支えていたものは、何であったでしょうか。ここに、日本の成長の秘訣があります。私は、これはまさに、「家計」が、経済の主体として堅実な役割を果たしてきたところにある、と考えます。マクロ経済学でいう、「家計」・「企業」・「政府」の3つの主体のうち、「家計」は消費、貯蓄、労働力提供、そして納税の機能を担っています。「家計」がこれらの機能を堅実に果たしてこそ、国民経済は円滑に循環し、経済成長を達成することができるわけです。」

「まず、日本では戦後の改革、つまり財閥解体と、農地改革が行われ、富豪や大地主は財産や土地を取り上げられました。また、日本の相続税は高率(最大50%)で、相続だけしていると、およそ3代目には財産は消滅する。つまり自ら働かなければ財産は維持できない、というのが日本の原則なのです。こうして均質な「家計」が作られ、一般消費財のための安定した市場になりました。大多数の人間が、同じ消費性向で、家電製品などの消費に向かいました。企業も、消費者の選好を絞って、商品開発を進めることができました。」

「次に日本の「家計」が提供した労働力は、高い教育水準にありました。日本では、教育に対する信頼があり、教育さえあれば、社会的に高い地位につけ、安定した生活が送れると誰もが考えています。各家庭は、多くのものを犠牲にしてでも、子弟の教育を優先させます。その結果、能力の高い雇用が形成されたのです。さらに、日本の「家計」の貯蓄率は、各国比較でも相当高かったのです。各家庭とも、銀行口座にこつこつとお金をため、教育や住宅購入などの将来の出費に備えました。銀行は、こうして集まった貯蓄を、企業への投資に回し、企業はさらに成長する機会を与えられました。」

「そして日本の「家計」は、堅実に納税を行いました。給与所得は、「源泉徴収」の制度により確実に捕捉されました。日本の消費税は5%であり、欧州で15%以上、コートジボワールで20%という付加価値税の率に比べれば、たいへん低い。日本では、税収に占める所得税の割合が、各国比較で高いのです。政府は、こうした給与所得者からの安定的な税収を得て、堅実な予算編成を行いました。日本の国土建設の骨格は、堅実な税収によって支えられていたといえます。」

おおかた、このような分析を開陳した。経済学の専門家からは、雑駁な議論にご批判もあろう。ただ、私はコートジボワールの経済を見ていて、消費者が均質ではなく、まとまりがないという弱点があるな、と感じている。一般の人々(低所得者)の経済活動と、一部の高額所得者の経済活動とが、まったく二つに分化している。だから、日本の消費者の均質性は、こちらの人にはとても新鮮に映るだろうと考えたのである。

「このように、日本では、堅実で均質な「家計」が、質の高い勤勉な労働力を提供し、均質な消費市場を確保し、高い貯蓄性向により企業投資を促進し、堅実な納税によって政府の運営を円滑にしたわけです。それが高度成長を可能にする、前提条件となったと考えます。」
このように議論をまとめてから、私は今日の講演で一番述べたい論点に移った。
「私の見るところでは、これらの背景に2つの社会倫理が存在したと考えます。それは、第一に「制度に対する信頼」。そして第二に、「国民共通の目標」です。」

そして、まず、「制度に対する信頼」について説明した。
「人々が子弟の教育に投資するのは、教育制度と、教育が将来につながるという見通しに対する、確固とした信頼があるからです。高い貯蓄率というのは、銀行制度に対する信頼があるからです。日本の人々は、銀行が計算をごまかしたり、ましてや倒産して貯金が持ち逃げされるといったことを、想像だにしない。そして、税金を着実に払ってきたのは、行政によって公正なかたちで公的目的のために使われる税金である、という信頼があったからです。」

ちょっと、日本の制度について褒めすぎである。でもいいのだ。日本の長所として私が紹介することが、聞いている人々にとっての判断の材料になることを、私は期待している。それでいて、私は決して、コートジボワールはこういう点が問題だ、と批判はしていない。

「私が考えるところでは、この「制度に対する信頼」は、次のような認識に支えられています。
(1)法治主義:法律や行政規則が定めることは、文言上明確であり、それが間違いなく実施に移されること。
(2)官僚の公正・中立性:法の執行を担う官僚機構は、一個人からの圧力や、政治的な圧力に屈することなく、行政サービスを公正・中立に提供すること。
(3)警察・司法の規律:警察は不正に対して正しく目を光らせて、社会正義のよりどころとなっている。汚職などの悪事は必ずや摘発されて、裁判にて裁かれること。」
私は決して、コートジボワールの批判をしていない。

「このような中で、贈収賄や公金横領などは、人々に最も嫌悪されました。公的役職につく政治家、公務員にとり、汚職の疑いがかかることは、直ちに社会的地位を失うことにつながります。警察や裁判官が買収される、ましてや、役所の窓口が、行政サービスの提供において市民に賄賂を要求するというようなことは、日本の行政制度ではありえません。権力の座にある政治家や、その政治家に連なる企業などが、公権力や国家の諸制度を乱用して、私腹を肥やすということが明るみに出れば、必ずや大きな醜聞となります。多くの場合、その政治家や企業の社会的生命が葬られてきました。」
私は決して、コートジボワールの批判をしていない。

「そうした公的制度への信頼に支えられ、政府は私的セクターの進むべき道を、積極的に指導し、日本の産業もこれに従って、転換を図ってきました。日本では、はじめからトヨタ、ソニーが中心だったのではありません。最初は繊維産業と玩具などの軽工業、その次に、鉄鋼、造船などの重工業、そして自動車産業が育ち、次いで集積回路などのハイテク産業が発展したのです。このような産業構造の変化は、政府の指導と、てこ入れによって実現してきました。通商産業省は、まだ芽を出したばかりの弱い体質の産業分野でも、将来有望であればこれに公的資金を付け、技術開発を進めさせて、競争力を付けさせました。同じ分野の企業どうしを、互いに競争するのではなく、共同開発計画に呼び込んで協力させました。そして、長期的投資には、銀行が共同して融資を行いました。日本の経済発展の裏には、官民の信頼感に基づいた、官民一体の努力があったわけです。」

コートジボワールの経済発展に、一番大きな足かせになっていると感じるのは、人々が社会の仕組みに対して、まるで信頼を置いていないことである。政府も、行政も、銀行も、警察も、裁判所も、社会保障も、何も信頼していない。だから、皆で力を合わせる、社会の総合力を発揮する、ということに、なかなかならない。ここが、日本と大きく違うところだ、と私は感じている。でも、今日の講演では、そういう風にはコートジボワールの批判はしていない。

(続く)

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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制度に対する信頼 (こっちゃん)
2010-09-25 17:11:54
ダカールの国際機関で働く者です。
制度に対する信頼というのは本当におっしゃるとおりだと思います。ぜひ大使のご意見が多くの人に広まってアフリカの政財界を刺激できるとすばらしいと思います。
「Jeune Afrique」など影響力のある雑誌に投稿されてはいかがでしょう?
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