独立記念日(8月7日)の直前に、どうにも間に合わせのように、慌しく大統領選挙の投票日が決められた。それだけに、「10月31日」というその期日についても、当初は、またどうせ実現できず、延期されるだろうという、醒めた見方が多かった。これまで、何度も何度も、選挙日程が決まっては反古にされたあとである。誰もが「狼少年」になっていても、これは仕方がない。
しかし、私はこのたびは、おおぜいの「狼少年」たちの中にあって、8月のはじめから、「今度はこれまでと違う。選挙は行われるぞ」と言い続けている。それには理由がある。
そもそも、「2010年10月31日」という日付に魔法がある。バグボ大統領が大統領に当選したのが、2000年の10月。そして、大統領の任期は5年であるから、2005年の10月に大統領選挙を行わなければならないはずだった。それが、国内の紛争で行えず、そしてさらにちょうど5年が経った。つまり、さらに大統領の1任期分の時日が経った。
憲法では、「大統領の任期が切れる年の10月の最後の日曜日」に選挙を行う、と規定している。「2010年10月31日」というのは、もし5年前にちゃんと大統領選挙が行われていたとしても、いずれにしても、憲法に従ってふたたび大統領選挙が行われるはずだった日付なのである。
だから、この日に大統領選挙ができれば、コートジボワールの国政にはいろいろ紆余曲折はあったけれど、ここで憲法の正軌道にふたたび戻るのだ、と言えるようになる。そういう、日付が持つ意味は重要だ。歴史上の必然というか、宿命といったような意味を、人々はこの日付に感じている。実際に、私がこちらに来て以来、多くの人がこの日付を、念頭に置いていたように感じている。
そういう宿命のようなものに導かれているのだろうか。9月に入って、これまで大統領選挙の実施にとって、最大の障害であった「選挙人名簿」が仕上がった。誰が投票でき、誰にはできないのか。つまりは誰がコートジボワール国民と認定されるべきなのかをめぐって、政治勢力の間で激しい争いがあった。そこで、一人一人の身分認定について、厳密な登録と審査の作業を、慎重に重ね、さらに「異議申し立て」の手続きを、じっくり時間をかけて行った。その結果、もうどの政治勢力にとっても、文句の出しようがないところまで行きついた。
そして、バグボ大統領、ソロ首相、ベディエ元大統領、ウワタラ元首相の4指導者が、「確定版の選挙人名簿」について、同意した(9月6日)。「確定版の選挙人名簿」は、9月9日の閣議を経て公布され、大統領選挙は最後の難関を突破した。もう大統領選挙に行かないわけにはいかなくなった。これまでは、選挙には行けないという判断があったとしても、それには一応の理由があった。しかし、「確定版の選挙人名簿」が公布された以上は、選挙を阻む理由はもう見いだせない。もう流れは抵抗できないくらいの力で動き始めている。私はそれを肌で感じている。いよいよ、大統領選挙が現実のものとなる。
さて、私はこのコートジボワールにやってきて、先週でちょうど2年になった。着任した当時において、3ヶ月後の11月末には大統領選挙が行われるはずだったのである。それが延期され、再び決まった選挙日程が、またまた延期され、結局2年の間、大統領選挙をずっと待ち続けることになった。
だからこそ、ここでついに選挙が実施されるとなれば、私にとっては2年間の喉のつかえが取れるような話である。何としても今回は、大統領選挙まで辿りついて、新しい二国間関係に進めるようにしたい。ここはただ待っていてもいけない。日本の大使として、できるところがあれば、何でも力を出して、是非とも選挙実現にこぎつけたい。選挙にこぎつけるためには、どこに障害が残っているのか。
私は、情報収集のために、さっそく国連(UNOCI)に、チョイ国連事務総長代表を訪ねた。チョイ代表は、私に言う。
「選挙人名簿が確定版として完成したのは、大きな前進です。選挙への活力が、これで一気に取り戻されました。選挙が、ほんとうに10月31日に行われるかは、国連が選挙を行うわけではなく、コートジボワール政府次第なので、国連として確約はできないです。それでも、国連としては、選挙を行うために必要な輸送などの足腰の支援、安全で平穏な選挙の実現、そして選挙結果が正当であるという認定、そうしたところに梃入れをしていく必要があると考えています。」
そう、あと残るのは、選挙を全国で実施するだけの、物理的な態勢が整えられるかという問題である。これから選挙公報、投票用紙、そういったものを印刷し、投票箱などといっしょに全国の投票所に運搬しなければならない。そして、各投票所では、何人かずつの選挙要員を採用し、正しく公正な投票事務をこなさなければならない。透明性が確保され、政治的に偏重のない投票というのは、どうやって確保したらいいのか。彼ら選挙要員には、周到な研修を受けさせて、間違いのないようにしなければならない。
「それから、北部の南部への統合、とくに北部の武装解除が、まだ障害になり得ます。「兵士の集合」が完了したという建前で物事が進んでいます。しかし、実態はそんなに完璧ではなく、ただ兵舎が建設され、給食の用意ができた、という程度のものです。兵士はほんとうには集合できていない。国庫の統合、つまり北部の財政の統合なども、まったくおざなりなものです。選挙実施を好ましく思わない人々が、まだ北部の連中はちゃんと対応していないじゃないか、と言いだす可能性がある。」
チョイ代表は続ける。
「日本は、すでに投票箱の供与をはじめ、とても良い支援を行ってきています。コートジボワールの人々からも、国際社会からも、日本の支援にはたいへん高い評価があります。そして、これで選挙が実施されるとなれば、ぜひとも日本から選挙監視団を送り込んでほしいと考えます。選挙の結果を、国民に納得させるには、国際社会からもできるだけ多くの選挙監視団が来て、選挙の公正さを裏書きしてもらう必要があるのです。」
選挙監視団派遣は、日本にとって重要な課題である。コートジボワールの選挙が公明正大に行われ、民主主義が正しく実現したのかに、日本としても重大な関心があることを、内外に示す必要がある。日本が目指している国際社会での役割は、単に資金や資材を供与することだけにあるのではない。人員を送り込んで、世界の秩序の担い手として働く用意があることを示す必要がある。それが、「顔の見える貢献」の意味である。だから、私としては何としても、本国から選挙監視団にきてほしいと考えている。
今度こそは選挙がある。選挙が行われて「危機脱出」が果たせる。チョイ代表の話を聞きながら、私には少しひらめくことがあった。投票箱を供与したのは、たいへん目立って得したのである。ここでもう一つ頑張って、コートジボワールの政治危機の解決に、日本が決定的な貢献を果たした、という歴史を記すことができるのではないか。もうあと一押し、のその一押しを日本が打ち出すのである。
資機材の各投票所への輸送、選挙事務の要員の展開、といったところに、そのもう一押しの機会がありそうである。チョイ代表の執務室を後にしながら、私は次の手をどう打つべきかを考え始めていた。
しかし、私はこのたびは、おおぜいの「狼少年」たちの中にあって、8月のはじめから、「今度はこれまでと違う。選挙は行われるぞ」と言い続けている。それには理由がある。
そもそも、「2010年10月31日」という日付に魔法がある。バグボ大統領が大統領に当選したのが、2000年の10月。そして、大統領の任期は5年であるから、2005年の10月に大統領選挙を行わなければならないはずだった。それが、国内の紛争で行えず、そしてさらにちょうど5年が経った。つまり、さらに大統領の1任期分の時日が経った。
憲法では、「大統領の任期が切れる年の10月の最後の日曜日」に選挙を行う、と規定している。「2010年10月31日」というのは、もし5年前にちゃんと大統領選挙が行われていたとしても、いずれにしても、憲法に従ってふたたび大統領選挙が行われるはずだった日付なのである。
だから、この日に大統領選挙ができれば、コートジボワールの国政にはいろいろ紆余曲折はあったけれど、ここで憲法の正軌道にふたたび戻るのだ、と言えるようになる。そういう、日付が持つ意味は重要だ。歴史上の必然というか、宿命といったような意味を、人々はこの日付に感じている。実際に、私がこちらに来て以来、多くの人がこの日付を、念頭に置いていたように感じている。
そういう宿命のようなものに導かれているのだろうか。9月に入って、これまで大統領選挙の実施にとって、最大の障害であった「選挙人名簿」が仕上がった。誰が投票でき、誰にはできないのか。つまりは誰がコートジボワール国民と認定されるべきなのかをめぐって、政治勢力の間で激しい争いがあった。そこで、一人一人の身分認定について、厳密な登録と審査の作業を、慎重に重ね、さらに「異議申し立て」の手続きを、じっくり時間をかけて行った。その結果、もうどの政治勢力にとっても、文句の出しようがないところまで行きついた。
そして、バグボ大統領、ソロ首相、ベディエ元大統領、ウワタラ元首相の4指導者が、「確定版の選挙人名簿」について、同意した(9月6日)。「確定版の選挙人名簿」は、9月9日の閣議を経て公布され、大統領選挙は最後の難関を突破した。もう大統領選挙に行かないわけにはいかなくなった。これまでは、選挙には行けないという判断があったとしても、それには一応の理由があった。しかし、「確定版の選挙人名簿」が公布された以上は、選挙を阻む理由はもう見いだせない。もう流れは抵抗できないくらいの力で動き始めている。私はそれを肌で感じている。いよいよ、大統領選挙が現実のものとなる。
さて、私はこのコートジボワールにやってきて、先週でちょうど2年になった。着任した当時において、3ヶ月後の11月末には大統領選挙が行われるはずだったのである。それが延期され、再び決まった選挙日程が、またまた延期され、結局2年の間、大統領選挙をずっと待ち続けることになった。
だからこそ、ここでついに選挙が実施されるとなれば、私にとっては2年間の喉のつかえが取れるような話である。何としても今回は、大統領選挙まで辿りついて、新しい二国間関係に進めるようにしたい。ここはただ待っていてもいけない。日本の大使として、できるところがあれば、何でも力を出して、是非とも選挙実現にこぎつけたい。選挙にこぎつけるためには、どこに障害が残っているのか。
私は、情報収集のために、さっそく国連(UNOCI)に、チョイ国連事務総長代表を訪ねた。チョイ代表は、私に言う。
「選挙人名簿が確定版として完成したのは、大きな前進です。選挙への活力が、これで一気に取り戻されました。選挙が、ほんとうに10月31日に行われるかは、国連が選挙を行うわけではなく、コートジボワール政府次第なので、国連として確約はできないです。それでも、国連としては、選挙を行うために必要な輸送などの足腰の支援、安全で平穏な選挙の実現、そして選挙結果が正当であるという認定、そうしたところに梃入れをしていく必要があると考えています。」
そう、あと残るのは、選挙を全国で実施するだけの、物理的な態勢が整えられるかという問題である。これから選挙公報、投票用紙、そういったものを印刷し、投票箱などといっしょに全国の投票所に運搬しなければならない。そして、各投票所では、何人かずつの選挙要員を採用し、正しく公正な投票事務をこなさなければならない。透明性が確保され、政治的に偏重のない投票というのは、どうやって確保したらいいのか。彼ら選挙要員には、周到な研修を受けさせて、間違いのないようにしなければならない。
「それから、北部の南部への統合、とくに北部の武装解除が、まだ障害になり得ます。「兵士の集合」が完了したという建前で物事が進んでいます。しかし、実態はそんなに完璧ではなく、ただ兵舎が建設され、給食の用意ができた、という程度のものです。兵士はほんとうには集合できていない。国庫の統合、つまり北部の財政の統合なども、まったくおざなりなものです。選挙実施を好ましく思わない人々が、まだ北部の連中はちゃんと対応していないじゃないか、と言いだす可能性がある。」
チョイ代表は続ける。
「日本は、すでに投票箱の供与をはじめ、とても良い支援を行ってきています。コートジボワールの人々からも、国際社会からも、日本の支援にはたいへん高い評価があります。そして、これで選挙が実施されるとなれば、ぜひとも日本から選挙監視団を送り込んでほしいと考えます。選挙の結果を、国民に納得させるには、国際社会からもできるだけ多くの選挙監視団が来て、選挙の公正さを裏書きしてもらう必要があるのです。」
選挙監視団派遣は、日本にとって重要な課題である。コートジボワールの選挙が公明正大に行われ、民主主義が正しく実現したのかに、日本としても重大な関心があることを、内外に示す必要がある。日本が目指している国際社会での役割は、単に資金や資材を供与することだけにあるのではない。人員を送り込んで、世界の秩序の担い手として働く用意があることを示す必要がある。それが、「顔の見える貢献」の意味である。だから、私としては何としても、本国から選挙監視団にきてほしいと考えている。
今度こそは選挙がある。選挙が行われて「危機脱出」が果たせる。チョイ代表の話を聞きながら、私には少しひらめくことがあった。投票箱を供与したのは、たいへん目立って得したのである。ここでもう一つ頑張って、コートジボワールの政治危機の解決に、日本が決定的な貢献を果たした、という歴史を記すことができるのではないか。もうあと一押し、のその一押しを日本が打ち出すのである。
資機材の各投票所への輸送、選挙事務の要員の展開、といったところに、そのもう一押しの機会がありそうである。チョイ代表の執務室を後にしながら、私は次の手をどう打つべきかを考え始めていた。
コートジボワールのバイヤーと交渉していたのですが、「価格はOKだが、選挙が終わるまで不安定だから、選挙が無事終わったら注文しよう」と言われました。そんなに混乱するの?とびっくりです。選挙が無事に行われますように。