アティエコワ村に行ったときの、話の続きである。モネ・ブ画伯は、私を連れて村を案内しながら言う。
「大使にお説教してもらって、ちょっとはやる気になったかなあ。この村の若者ですよ。働けばいろいろなことが、いくらでもできる村のはずなのに、何もやろうとしない。一日中、いい年をした男たちが、村の中をぶらぶらしている。椰子酒を飲みながら、何人も集まって時間をつぶしている。」
村は、アビジャンの市街から車で走って1時間ほど。しかも、その道中はずっと舗装道路という立地である。何かアビジャンの人々が好むような、野菜とか果物とか気の利いた作物を畑で作って売りに行けば、確かにいい稼ぎになるはずだ。そう私が提案すると、画伯はまったくそのとおり、と言う。
「しかし、この村人たちの感覚では、畑に入って働くのは、ブルキナ人の仕事だということになるのです。そもそも、彼らにとって農業といったら、椰子畑やパイナップル畑を「所有」し「管理」することであって、その畑に入って農作業することではない。」
この村の近くには、ブルキナ人の移民だけで出来た、別の村がある。その村の村人たちは、この辺りの農園に通って、農作業をして稼いでいる。農作業というのは、あの移民たちの生業であって、自分たちのやることではない。
「私もここに来て以来、手本を示してやろうと思って、妻と相談し、村の近くに土地を確保して、トウモロコシ畑を作ったのです。そして、妻が毎日、畑の世話をしに自分で通っていたら、村人から私は言われた。奥さんを畑に働きに出すなんて、お前はなんて薄情な夫なんだ、って。」
それでも、一人の若者が、自分は画伯の言う通り、働いてみたいと言い出した。そこで画伯は、資金を出して鶏小屋を作ってやった。画伯はその鶏小屋に私を案内してくれた。小屋の中には、たくさんの鶏が歩き回っている。その若者が、得意そうに2匹の鶏を掲げて、私に進呈してくれた。どうかい、鶏の商売は、と私は聞く。良い調子です、鶏はボヌア(Bonoua)の町まで持っていくと、すぐにいい値で売れますよ。若者は答える。
それでも、村の若者たちは彼を見習おうとするわけではない。
「何というのか、汗を流して働くということに、軽侮の気持ちさえあるようなのです。貧しくても、働くよりはましだ、ということです。」
それでは発展はないですねえ、と私も同意する。それでも、日本という国にあこがれがあるから、その日本では皆働いて豊かになったという、私の話はきっと効き目があったはずだ、と画伯は言ってくれる。
さて、画伯のアトリエに戻って、中を案内してもらった。アトリエといっても小さな普通の部屋で、絵具とか画材が散らかっている。画伯は、ちょっと準備するから待って、と言って奥にはいり、しばらくしたら汚れた服に着替えて出てきた。画家の作業服である。
いよいよモネ・ブ画伯の、特殊描法を見せてもらうことになる。画伯は、頭にも白い被り物ををした後、目の前の板の上で、絵具と何やら液体とを丁寧に混合して、練り始めた。外で村の人々が、音楽を掛けていたのを、おいちょっと、神経に障るから止めるように言ってくれと頼んだ。音楽は止まった。でも、それだけでは神経集中には足りないらしく、おい呼んできてくれ、といって連れてこられたのが楽士である。胡弓のような楽器を、びよーんと鳴らす。これで、雰囲気が整った。
画伯のキャンバスは、壁に懸かっている。しばらく白いキャンバスに向かって、じっと仁王立ちしていたと思ったら、先ほど練り上げて、溶けたチョコレートのようになった絵具を、ブラシの先に付け、むふん、と鼻息とともにブラシを振りおろした。ブラシは、キャンバスに触れてはいない。でも、ブラシの先から飛沫が飛んだようである。キャンバスが薄らと汚れる。画伯は、むふん、むふん、と続けて、ブラシを袈裟がけに、ぶんぶん振り回した。その度に、キャンバスに影が付いていく。
胡弓がびよーんと鳴り続ける中で、画伯のむふん、むふんが続く。何か修行の道場にいるようだ。しばらくして、霧の中から現れ出て来るように、キャンバスに何やら形が浮き出してきた。一人の男が、膝を抱えて蹲っている。
モネ・ブ画伯は、筆を休めて私に説明する。
「これが私の筆法です。誰に教わったのでもない、私が開発した描き方です。あるときに、裸体画に取り組んでいて、どうにもうまく描けない。いらいらして、絵筆を振り回したら、絵具の油滴が絵に飛んで行った。それが、じつに良い具合の陰を作ったので、私はこれだと気がついたのです。垂直な壁に掛けたキャンバスに、飛沫を飛ばします。でも、見てください。飛沫は弾丸のようにキャンバスに刺さり、下に垂れない。これは私だけにできる技です。」
「絵とは不思議なもので、私の中にある思いが、描く絵の中に浮かび上がってきます。絵とはそういうものです。レンブラントの絵には、レンブラントの想念が現れ、ゴッホの絵には、ゴッホの想念が現れている。レンブラントやゴッホの絵を真似て描こうとしても、この想念だけはどうしても出てこない。他の誰にも、この部分は真似できないのです。」
私も常々、絵画の芸術というのは、商業的なデザイン画とどこが違うのだろう、と訝ることがあった。その解答は、モネ・ブ画伯のこの「想念」あたりにあるのかもしれない。
さて、モネ・ブ画伯は、ここアティエコワ村に建てたこのアトリエに、他の画家たちを集めて、芸術活動を振興している。今日も、何人かの画家たちが来て、庭で絵筆をふるっていた。まるで、フランスのバルビゾン村みたいなものだ。
「空気はいいし、自然は豊かで美しいし、人々は柔和で親切だし、この村ではただ生活するだけで気持ちが落ち着いて、創作活動に専念できます。」
モネ・ブ画伯がそう私に言う。それを聞いて私は、そんな村なのだから、住んでいる人々が、何もあくせく働こうなどと思わないのは、むしろ自然じゃないかな、と思ったのである。 歓迎日本大使、と書かれた前で挨拶する、モネ・ブ画伯。
モネ・ブ画伯
集会に集まった女性たち
鶏小屋が建てられた。
鶏小屋の中に、たくさんの鶏がいる。
モネ・ブ画伯のアトリエで、ここに今から描きます。
白いキャンバスに、絵筆を振り下ろす。
絵の姿が現れてくる。
画家の想念が絵に現れてくるのだ、とモネ・ブ画伯。
だいぶん絵が仕上がってきた。
完成した絵
他の画家たちも、一緒に描いている。
貧しくても平和な村の様子
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