こちらで生活していると、日本とかなり感覚の違う呑気さに戸惑うことが、しょっちゅうある。前日になっても、明日が休日になるのかならないのか分からない、というのだ。ある日が休日なのかどうか、日本だったらそんなこと1年前から分かっていなければならない。いや、カレンダー業者が印刷を始めるためには、2年前から明らかでなければ。ところが、ここコートジボワールでは前日の夜中まで、それが分からなかった。
今週の水曜日(9月8日)のことであった。イスラム教徒がこの1ヶ月の間続けてきた、年一回のラマダン(日中の絶食)期間が、今日明日にも終わる。ラマダンが終われば、翌日は「ラマダン明け」で、お祝いのお祈りをするために、休日となる。コートジボワールでは、キリスト教徒の祝日も、イスラム教徒の祝日も、分け隔てなく国民の休日にしている。だから、「ラマダン明け」の日も、国民の休日になるので、大使館も休みにする。
ところが、この「ラマダン明け」がいつになるのかは、前日に月を見なければ分からないという。つまり、新月から進んで、新たに月が光を照らし始めたら、ラマダン月が明けたということになる。その日に月の光が出始めるかは、夕暮れとともに、イスラム教の高僧たちが空を見上げて判断する。少しでも月の光が見えたら、ラマダンは終わり。見えなかったら、ラマダンをもう一日続けなければならない。
そんな、日食だって月食だって、正確に何月何日何時何分何秒から始まるとか予め分かる科学の時代に、高僧たちが当日の天を見上げて、見えたの見えないのと議論するとは、何という時代錯誤か。それに、イスラム教の都合というのだったら、メッカあたりで決めて、何日がラマダン明けだと宣言してくれればいいじゃないか。ところが、その土地、その土地で月の見え方が違うというのだろうか、それぞれの国の高僧たちが決めることになっている。だから、木曜日が休日になるかどうか、水曜日の夜に、コートジボワールの空を見上げてからしか分からないというわけなのだ。
さて私は、その水曜日の夜に、ある行事に呼ばれた。「識字率向上の夕食集会」というのだ。あるコートジボワールのNGOが主催者となっている。いつもどおり秘書に指示して調べたら、フランス語の読み書きの初歩を教える教本を、たくさん印刷して各地にただで配るという活動をしているNGOだ、と分かる。趣旨は識字率の向上ということで、たいへん結構なのだけれど、どうもその資金集めのための夕食集会ということだ。何となく商売くさいところもある。お金の絡む話には、なるべく近づかないほうが良い。
と思って、出席は控えようとして、案内をよく見たら、ジャネット・クドゥさんが、行事の「名付け親」になっているではないか。ジャネットさんは、全国職業訓練協会(AGEFOP)の事務局長である。私は、昨年5月に一緒にコートジボワールの各地の、職業訓練学校を視察してまわり、それ以来ジャネットさんと親しくなった。ジャネットさんの協会は、国内の青年層を相手に、職業訓練を進めて手に職をつけさせる、とても有意義な活動をしてきている。そして何より、彼女はバグボ大統領の唯一の実の妹なのだ。
他ならぬジャネットさんが、「名付け親」となっているくらいの行事ならば、これは私からも応援してあげなければ、というわけで、私は出席することにしたのである。ところが、主催者側から送られてきた、「夕食集会」の式次第を見ると、行事開始は夜9時。来賓の演説や、歌と踊りの演出などがあって、食事が出されるのは夜11時から。行事の終了は、日が変わって早朝零時半の予定となっている。これはあくまでも予定であって、これもいつも通り、1時間は遅れていくのだろう。やれやれ、疲れる仕事である。でも、おそらく翌日の木曜日は休日になる見込みだったから、まあ翌日朝寝坊すればいいのだ。
行事開始は9時となっていたので、9時半に市内ホテルの会場に到着した。案内された「夕食集会」の会場は、豪華に食器が並べられた円卓が何十卓も並ぶ大ホールである。ちゃんと30分遅れてきたのに、まだお客さんはまばらなので、しまったあと30分は遅れてくるべきだったか、と後悔する。外交団の方々のテーブルです、と案内された円卓には、数人しか座っておらず、しかも明らかに外交団の面々ではない。お客さんが揃うのを待ってとなると、開始はいつになることか、やれやれと思う。
しばらく待っても、お客さんが次々に到着する気配でもない。ところが、主賓のジャネットさんはすでに着席していて、その他初等教育省の高官、地元の市長など、賓客はもう揃っている。ジャネットさんは、私を見つけて、こちらまで歩いてきた。親しく挨拶し、近況などを聞いて、おしゃべりをする。間もなく、司会がマイクを取って、行事の開始を宣言した。私の到着後、ほどなく始まってくれたことは嬉しいにしても、並べられた何十という円卓には、まだお客さんが着席せず、あらかた空席なのに、大丈夫なのだろうか。
私の心配も構わず、演説が順に進む。最後に「名付け親」のジャネットさんも登壇して、識字率向上は開発のための大事な課題であること、貧困と闘うためには読み書き計算こそが武器であること、などを演説する。続いて、主催者のNGOの責任者が、正面の大画面を使って、今回の企画の骨子を説明する。
「読み書きの初歩を学ぶための教本を、これから印刷して、貧困の村々に無償で配ります。各企業・篤志家の皆さんには、寄付いただく冊数の教本の表紙に、お好みの色を使い、企業のロゴを入れるように手配いたします。さらに、テレビ放送の時間を買い取り、教本配布の現況を随時ご紹介していきます。その際に、ご参加企業名をスポットに入れます。」
という企画なので、これよりお集まりの皆様から、どんどんご参加を募ります、と説明が終わった。一冊1500フラン(300円)の経費で、最低一千冊から受け付けます、ということである。音楽で盛り上げようとするけれど、何分にも観客が疎らで体裁が悪い。私が主催者というわけではなく、気にしなければいいとはいえ、出席していて気恥ずかしくなる。テレビカメラは、会場内を撮影し、正面の大画面に映し出す。私も、日本大使のご臨席を得ています、と紹介され、画面に大写しになる。
「○○銀行です。百万冊買い上げます。」
声が上がった。これは大口の参加だ。この銀行は、初めから決まっている主要スポンサーなのだろう。それが証拠に、司会がこれは嬉しいニュースです、と盛り上げたあとに、正面の画面でその銀行の宣伝ビデオが流された。
「うちも、一万冊を買い上げます。」
別の企業も名乗りを上げた。歌や踊りが続くなかで、何社かから声がかかるけれど、目標として掲げられた2百万冊には、まだまだ程遠い。
私は一方で、大使館の同僚からの電話が気になる。すでに日が暮れたときに一度電話があって、見えるはずの月が見えなかったらしい、という連絡が入っていた。それで、あと数時間待って、夜中の11時になって、イスラム教の高層たちが協議し、明日を「ラマダン明け」にするかどうか最終判断を下すという。
司会が、盛り上がらない中を無理して盛り上げつつ、篤志家のおばさんが、「私も千冊」と小さく声を上げたのを、大いに取り上げたりしている。私は、ジャネットさんに、そんな外交団用のテーブルに一人でいないで、こっちに来なさいよ、と誘われ、主賓席に交じって食事をすることにした。私は、ジャネットさんといろいろ世間話をしながら、それなりに出てきた意義があると思っているのであるが、まあ可哀相なのは主催者だろうか。
しかし、お粗末なのは、その主催者の根回しだ。これだけの「夕食集会」を開催するのであれば、単に案内状を配るだけでなく、きちんと席が埋まるように事前準備しなければ。そして、「寄付」のほうもきちんと根回しして、「やらせ」でいいから「夕食集会」で景気よく次々と声がかかるようにしておかなければ。日本の感覚だと、そういう根回しなしに人を集めるなど、ありえない。
そう思っていたところに、大使館の同僚から電話がかかってきた。
「結局、月は見えませんということで、ラマダンはもう一日続きます。つまり明日は休日にはなりません。大使、ちゃんと出勤してください。」
時計を見るともう夜11時を回っている。やれやれ、私はこんな時間にまだホテルの会場にいて、やっと夕食に手をつけている。明日は朝寝坊すればいい、という目論見も外れた。
明日が休日かどうかわからなくても平気。成功の見通しが無いまま大きな行事を進めても平気。ジャネットさんも、こんな根回しの悪い行事の「名付け親」に担がれて、気まずい思いをしているのか、と思うとそうでもなく、平気そうだ。だから、私も平気でいることにした。ただ、午前零時をまわってやっと出てきたデザートに手をつけながら、やれやれ明日は起床できるだろうか、と気が重いだけである。
今週の水曜日(9月8日)のことであった。イスラム教徒がこの1ヶ月の間続けてきた、年一回のラマダン(日中の絶食)期間が、今日明日にも終わる。ラマダンが終われば、翌日は「ラマダン明け」で、お祝いのお祈りをするために、休日となる。コートジボワールでは、キリスト教徒の祝日も、イスラム教徒の祝日も、分け隔てなく国民の休日にしている。だから、「ラマダン明け」の日も、国民の休日になるので、大使館も休みにする。
ところが、この「ラマダン明け」がいつになるのかは、前日に月を見なければ分からないという。つまり、新月から進んで、新たに月が光を照らし始めたら、ラマダン月が明けたということになる。その日に月の光が出始めるかは、夕暮れとともに、イスラム教の高僧たちが空を見上げて判断する。少しでも月の光が見えたら、ラマダンは終わり。見えなかったら、ラマダンをもう一日続けなければならない。
そんな、日食だって月食だって、正確に何月何日何時何分何秒から始まるとか予め分かる科学の時代に、高僧たちが当日の天を見上げて、見えたの見えないのと議論するとは、何という時代錯誤か。それに、イスラム教の都合というのだったら、メッカあたりで決めて、何日がラマダン明けだと宣言してくれればいいじゃないか。ところが、その土地、その土地で月の見え方が違うというのだろうか、それぞれの国の高僧たちが決めることになっている。だから、木曜日が休日になるかどうか、水曜日の夜に、コートジボワールの空を見上げてからしか分からないというわけなのだ。
さて私は、その水曜日の夜に、ある行事に呼ばれた。「識字率向上の夕食集会」というのだ。あるコートジボワールのNGOが主催者となっている。いつもどおり秘書に指示して調べたら、フランス語の読み書きの初歩を教える教本を、たくさん印刷して各地にただで配るという活動をしているNGOだ、と分かる。趣旨は識字率の向上ということで、たいへん結構なのだけれど、どうもその資金集めのための夕食集会ということだ。何となく商売くさいところもある。お金の絡む話には、なるべく近づかないほうが良い。
と思って、出席は控えようとして、案内をよく見たら、ジャネット・クドゥさんが、行事の「名付け親」になっているではないか。ジャネットさんは、全国職業訓練協会(AGEFOP)の事務局長である。私は、昨年5月に一緒にコートジボワールの各地の、職業訓練学校を視察してまわり、それ以来ジャネットさんと親しくなった。ジャネットさんの協会は、国内の青年層を相手に、職業訓練を進めて手に職をつけさせる、とても有意義な活動をしてきている。そして何より、彼女はバグボ大統領の唯一の実の妹なのだ。
他ならぬジャネットさんが、「名付け親」となっているくらいの行事ならば、これは私からも応援してあげなければ、というわけで、私は出席することにしたのである。ところが、主催者側から送られてきた、「夕食集会」の式次第を見ると、行事開始は夜9時。来賓の演説や、歌と踊りの演出などがあって、食事が出されるのは夜11時から。行事の終了は、日が変わって早朝零時半の予定となっている。これはあくまでも予定であって、これもいつも通り、1時間は遅れていくのだろう。やれやれ、疲れる仕事である。でも、おそらく翌日の木曜日は休日になる見込みだったから、まあ翌日朝寝坊すればいいのだ。
行事開始は9時となっていたので、9時半に市内ホテルの会場に到着した。案内された「夕食集会」の会場は、豪華に食器が並べられた円卓が何十卓も並ぶ大ホールである。ちゃんと30分遅れてきたのに、まだお客さんはまばらなので、しまったあと30分は遅れてくるべきだったか、と後悔する。外交団の方々のテーブルです、と案内された円卓には、数人しか座っておらず、しかも明らかに外交団の面々ではない。お客さんが揃うのを待ってとなると、開始はいつになることか、やれやれと思う。
しばらく待っても、お客さんが次々に到着する気配でもない。ところが、主賓のジャネットさんはすでに着席していて、その他初等教育省の高官、地元の市長など、賓客はもう揃っている。ジャネットさんは、私を見つけて、こちらまで歩いてきた。親しく挨拶し、近況などを聞いて、おしゃべりをする。間もなく、司会がマイクを取って、行事の開始を宣言した。私の到着後、ほどなく始まってくれたことは嬉しいにしても、並べられた何十という円卓には、まだお客さんが着席せず、あらかた空席なのに、大丈夫なのだろうか。
私の心配も構わず、演説が順に進む。最後に「名付け親」のジャネットさんも登壇して、識字率向上は開発のための大事な課題であること、貧困と闘うためには読み書き計算こそが武器であること、などを演説する。続いて、主催者のNGOの責任者が、正面の大画面を使って、今回の企画の骨子を説明する。
「読み書きの初歩を学ぶための教本を、これから印刷して、貧困の村々に無償で配ります。各企業・篤志家の皆さんには、寄付いただく冊数の教本の表紙に、お好みの色を使い、企業のロゴを入れるように手配いたします。さらに、テレビ放送の時間を買い取り、教本配布の現況を随時ご紹介していきます。その際に、ご参加企業名をスポットに入れます。」
という企画なので、これよりお集まりの皆様から、どんどんご参加を募ります、と説明が終わった。一冊1500フラン(300円)の経費で、最低一千冊から受け付けます、ということである。音楽で盛り上げようとするけれど、何分にも観客が疎らで体裁が悪い。私が主催者というわけではなく、気にしなければいいとはいえ、出席していて気恥ずかしくなる。テレビカメラは、会場内を撮影し、正面の大画面に映し出す。私も、日本大使のご臨席を得ています、と紹介され、画面に大写しになる。
「○○銀行です。百万冊買い上げます。」
声が上がった。これは大口の参加だ。この銀行は、初めから決まっている主要スポンサーなのだろう。それが証拠に、司会がこれは嬉しいニュースです、と盛り上げたあとに、正面の画面でその銀行の宣伝ビデオが流された。
「うちも、一万冊を買い上げます。」
別の企業も名乗りを上げた。歌や踊りが続くなかで、何社かから声がかかるけれど、目標として掲げられた2百万冊には、まだまだ程遠い。
私は一方で、大使館の同僚からの電話が気になる。すでに日が暮れたときに一度電話があって、見えるはずの月が見えなかったらしい、という連絡が入っていた。それで、あと数時間待って、夜中の11時になって、イスラム教の高層たちが協議し、明日を「ラマダン明け」にするかどうか最終判断を下すという。
司会が、盛り上がらない中を無理して盛り上げつつ、篤志家のおばさんが、「私も千冊」と小さく声を上げたのを、大いに取り上げたりしている。私は、ジャネットさんに、そんな外交団用のテーブルに一人でいないで、こっちに来なさいよ、と誘われ、主賓席に交じって食事をすることにした。私は、ジャネットさんといろいろ世間話をしながら、それなりに出てきた意義があると思っているのであるが、まあ可哀相なのは主催者だろうか。
しかし、お粗末なのは、その主催者の根回しだ。これだけの「夕食集会」を開催するのであれば、単に案内状を配るだけでなく、きちんと席が埋まるように事前準備しなければ。そして、「寄付」のほうもきちんと根回しして、「やらせ」でいいから「夕食集会」で景気よく次々と声がかかるようにしておかなければ。日本の感覚だと、そういう根回しなしに人を集めるなど、ありえない。
そう思っていたところに、大使館の同僚から電話がかかってきた。
「結局、月は見えませんということで、ラマダンはもう一日続きます。つまり明日は休日にはなりません。大使、ちゃんと出勤してください。」
時計を見るともう夜11時を回っている。やれやれ、私はこんな時間にまだホテルの会場にいて、やっと夕食に手をつけている。明日は朝寝坊すればいい、という目論見も外れた。
明日が休日かどうかわからなくても平気。成功の見通しが無いまま大きな行事を進めても平気。ジャネットさんも、こんな根回しの悪い行事の「名付け親」に担がれて、気まずい思いをしているのか、と思うとそうでもなく、平気そうだ。だから、私も平気でいることにした。ただ、午前零時をまわってやっと出てきたデザートに手をつけながら、やれやれ明日は起床できるだろうか、と気が重いだけである。
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