大統領選挙のための「確定版」選挙人名簿を仕上げるためには、「暫定版」への「異議申立て」を処理して、これらの係争案件についての司法判断を得なければならない。さて、この「異議申立て」が、どのくらいあったのかについて、8月20日に選挙管理委員会が公表した。
それによると、次の通りの件数である。
(1)再登録の申請:18,449件(「暫定版」に名前がないので、改めて名簿への登録を求めるもの)
(2)登録修正の申請:20,009件
(3)登録抹消の申請:30,293件(「暫定版」に名前があるけれど、この人はコートジボワール人ではないという申立て)
つまり、合計68,751件の申立てについて、審査しなければならないということである。
これはたいへん大きな数字のようにも思えるけれど、「暫定版」名簿全体の登録者数(5,776,784名)に比べたら、わずか1%強の数でしかない。コートジボワール人でないのに、何かの間違いか作為で、コートジボワール人だと登録されている疑いのある人がいる、と問題になっている。この発表によれば、そういう人々(登録抹消申請の対象者)は、3万人ほどを数えるだけであり、全体のわずか200分の1しかいなかった。コートジボワールでは、国に住む4人に1人は「外国人」である、と言われている。その割合から考えると、疑いのある人が0.5%しか出なかったということは上出来も上出来、有権者登録の作業がかなり正確に行われたのだ、ということになる。
それでも、3万人である。この一人一人にとっては、裁判所において、登録が有効と判断されてコートジボワール人と扱われるか、あるいは貴方はコートジボワール人だと言えないと判定されるかは、大きな問題である。その判定は、投票権だけの問題ではなく、土地所有権などの国民としての法律上の権利、社会保障の受給、旅券の発給などに、すべてかかってくるからである。だから、「登録抹消」という判定が出たら、その人はおおいに憤慨する。多人数が憤慨すれば、それは騒動になる。
さて、ブアケでの「兵員の集合」式典にアビジャンから出席しようという人たちは、私も含めて皆いっしょに国連機に乗って出発する段取りであった。ところが、ブアケ飛行場の天候がすぐれず、アビジャン空港で2時間待たされた。待合室には、首相の名代で出席するコネ司法相も、一緒にいたわけである。2時間の間、待ち時間の話題は、大統領選挙の話だ。コネ司法相は、「異議申立て」の審査を担当する裁判所を統括している、司法判断の総責任者である。これは願ってもない機会だ。さっそく、「異議申立て」について話を聞いておこう。
そう思って、私はコネ司法相に質問する。コートジボワールでは、外国人の移民が、もうずいぶん前から入ってきて、農業や経済活動に従事しているわけですよね。その人たちの子供や孫の世代になっている。もう自分はコートジボワール人だと思っている人もいるでしょう。そういう背景がある中で、誰を国民、誰を外国人とより分けるというのは、困難なのではないですか。
「いや、コートジボワールでは、外国人か国民かの区別は、そんなに難しいことではないです。国籍法により、父親か母親がコートジボワール人であれば、子供はコートジボワール人となります。」
コートジボワールは、いわゆる「血統主義(droit du sang)」をとっており、親の国籍に従って子供に国籍を与える。これは日本も同じである。これに対して、その国の中で生まれた子供にはその国の国籍を与えるというのが、「出生地主義(droit du sol)」である。フランスなどは、こちらの方式である。それで、コートジボワールが「血統主義」であることくらいは、私も知っているので、わざわざ司法相を煩わせることはない。私の質問は、そういう趣旨ではない。私は続けて、司法相に突っ込む。
つまりですね、農村などにいる人は、たとえ両親が外国人、たとえばブルキナファソからの移民労働者であったとしても、自身は子供としてコートジボワールに生まれて育ち、ブルキナファソなど行ったこともないような人がたくさんいるでしょう。そういう人々には、自分がブルキナファソ人だという意識が、無いのではないですか。それで、お前はブルキナファソ人ではないか、だからコートジボワールの国籍は与えられない、と判定されたら、どうすればいいのですか。たとえば旅券なども、どこからも得られない。つまり「登録抹消」の判定は、多くの「無国籍者」を作ることになるのではないですか。それは良くないでしょう。
「だから、コートジボワールの各地に、ブルキナファソやマリの領事館が置かれているのです。領事館では、自国民の身分関係の行政事務を行っています。両親がブルキナファソ人である人は、近くの町のブルキナファソ領事館に行けば、手続きを経て、旅券などの発給も受けることができるはずです。まあ、西アフリカ経済共同体(ECOWAS)加盟国の間では、それぞれの国民に旅券なしで行き来を認めていますから、旅券は必要ないですけれどね。」
私はもう一段突っ込む。
両親が明らかにブルキナファソ人であると、はっきり分かる人は、それでいいでしょう。でも、自分の両親がどちらの国籍なのかさえ、はっきりしていない人も多いでしょう。それで、コートジボワールの国籍を得るためには両親の国籍を証明して見せろ、と言われても、それはとても困難だという人もかなりいると思うのですけれど。かと言って、ブルキナファソ国籍も得られない。やはり、無国籍者を作ってしまうことになると思うんですけれどね。
そうしたら、コネ司法相は降参、降参という顔をして、私に言った。
「まあ、そこは難しい問題があるのです。国籍の証明が困難というより、はっきり言って混乱があります。というのは、1960年の独立に際して、国籍法もフランスからそのまま借用して、「出生地主義」を採用したのです。これには、いろいろ問題が生じたので、1972年に国籍法を改正して、「血統主義」に転じました。だから、この12年の間にコートジボワールで生まれた人は、皆コートジボワール国籍を持っている、という帰結になる。でも、当時はそれほど国籍に頓着していなかったから、その人々が必ずしも行政上の手続きを経て、きちんとコートジボワール人になっているということでもない。これを、ウエドラオゴ問題、と呼んでいます。」
ウエドラオゴとは、モシ族の典型的な名前であり、つまりブルキナファソにしか無い名前である。
「つまり、ウエドラオゴという名前の人が、自分は1960年代生まれだから、コートジボワール人だ、と申請してきたら、やはり認定せざるを得ないだろうという問題です。でも、とても違和感があるわけです。とにかく「登録抹消」の申し立てでは、明らかにコートジボワール人ではない、という人々について、司法判断で選挙人名簿から抹消するという方針です。でもそこで、法律的な議論に主観的な、あるいは政治的な判断が入ってくると、混乱が起きるのです。つまり保守的な裁判官だと、ウエドラオゴは駄目だとなる。」
実際に、ディボという町で、地方裁判所の裁判官が、多数の登録抹消に応じたために、抹消された人々が騒動を起こす事態も生じている。とにもかくにも、そういう微妙な判断が必要な人々がいるといっても、せいぜい3万人、つまり有権者全体の200分の1を越えないくらいの人数の人々の話である。その問題がきれいに解決しないからといって、578万人全体が大統領選挙に行くことが妨げられるというのは、ちょっと平衡を欠いているのではないか。そういう議論を、コネ司法相にした。
「それはそうですね。つまり、3万人の人々の、身分についての懸念を、いかに救済するかということですね。」
コネ司法相はそう言う。選挙人名簿への登録とは別に、つまり今回は投票はできないけれど、それとは別に選挙後にきちんと身分の検討をするという保証があれば、3万人の人々も納得するだろう。
「それは政治決断を必要とする政策ですね。しかし、そもそも今まで行われてきた身分認定の情報が、新政権ができた後どう引き継がれるのかの根本さえ、まだはっきりしていないのが現実ですよ。」
コートジボワールで、国籍の問題がきれいに片付くまで、というのは、「百年河清を俟つ」ような話かもしれない。それを乗り越えるには、やはり政治決断だ。大統領選挙に何としても向かうぞ、という意欲があってこそ、そういう政治決断ができる。でも、そういう意欲がなければ、やはり国籍の問題は、選挙人名簿の成否を通じて、大統領選挙の実施を危うくする問題として残ってしまうのである。
それによると、次の通りの件数である。
(1)再登録の申請:18,449件(「暫定版」に名前がないので、改めて名簿への登録を求めるもの)
(2)登録修正の申請:20,009件
(3)登録抹消の申請:30,293件(「暫定版」に名前があるけれど、この人はコートジボワール人ではないという申立て)
つまり、合計68,751件の申立てについて、審査しなければならないということである。
これはたいへん大きな数字のようにも思えるけれど、「暫定版」名簿全体の登録者数(5,776,784名)に比べたら、わずか1%強の数でしかない。コートジボワール人でないのに、何かの間違いか作為で、コートジボワール人だと登録されている疑いのある人がいる、と問題になっている。この発表によれば、そういう人々(登録抹消申請の対象者)は、3万人ほどを数えるだけであり、全体のわずか200分の1しかいなかった。コートジボワールでは、国に住む4人に1人は「外国人」である、と言われている。その割合から考えると、疑いのある人が0.5%しか出なかったということは上出来も上出来、有権者登録の作業がかなり正確に行われたのだ、ということになる。
それでも、3万人である。この一人一人にとっては、裁判所において、登録が有効と判断されてコートジボワール人と扱われるか、あるいは貴方はコートジボワール人だと言えないと判定されるかは、大きな問題である。その判定は、投票権だけの問題ではなく、土地所有権などの国民としての法律上の権利、社会保障の受給、旅券の発給などに、すべてかかってくるからである。だから、「登録抹消」という判定が出たら、その人はおおいに憤慨する。多人数が憤慨すれば、それは騒動になる。
さて、ブアケでの「兵員の集合」式典にアビジャンから出席しようという人たちは、私も含めて皆いっしょに国連機に乗って出発する段取りであった。ところが、ブアケ飛行場の天候がすぐれず、アビジャン空港で2時間待たされた。待合室には、首相の名代で出席するコネ司法相も、一緒にいたわけである。2時間の間、待ち時間の話題は、大統領選挙の話だ。コネ司法相は、「異議申立て」の審査を担当する裁判所を統括している、司法判断の総責任者である。これは願ってもない機会だ。さっそく、「異議申立て」について話を聞いておこう。
そう思って、私はコネ司法相に質問する。コートジボワールでは、外国人の移民が、もうずいぶん前から入ってきて、農業や経済活動に従事しているわけですよね。その人たちの子供や孫の世代になっている。もう自分はコートジボワール人だと思っている人もいるでしょう。そういう背景がある中で、誰を国民、誰を外国人とより分けるというのは、困難なのではないですか。
「いや、コートジボワールでは、外国人か国民かの区別は、そんなに難しいことではないです。国籍法により、父親か母親がコートジボワール人であれば、子供はコートジボワール人となります。」
コートジボワールは、いわゆる「血統主義(droit du sang)」をとっており、親の国籍に従って子供に国籍を与える。これは日本も同じである。これに対して、その国の中で生まれた子供にはその国の国籍を与えるというのが、「出生地主義(droit du sol)」である。フランスなどは、こちらの方式である。それで、コートジボワールが「血統主義」であることくらいは、私も知っているので、わざわざ司法相を煩わせることはない。私の質問は、そういう趣旨ではない。私は続けて、司法相に突っ込む。
つまりですね、農村などにいる人は、たとえ両親が外国人、たとえばブルキナファソからの移民労働者であったとしても、自身は子供としてコートジボワールに生まれて育ち、ブルキナファソなど行ったこともないような人がたくさんいるでしょう。そういう人々には、自分がブルキナファソ人だという意識が、無いのではないですか。それで、お前はブルキナファソ人ではないか、だからコートジボワールの国籍は与えられない、と判定されたら、どうすればいいのですか。たとえば旅券なども、どこからも得られない。つまり「登録抹消」の判定は、多くの「無国籍者」を作ることになるのではないですか。それは良くないでしょう。
「だから、コートジボワールの各地に、ブルキナファソやマリの領事館が置かれているのです。領事館では、自国民の身分関係の行政事務を行っています。両親がブルキナファソ人である人は、近くの町のブルキナファソ領事館に行けば、手続きを経て、旅券などの発給も受けることができるはずです。まあ、西アフリカ経済共同体(ECOWAS)加盟国の間では、それぞれの国民に旅券なしで行き来を認めていますから、旅券は必要ないですけれどね。」
私はもう一段突っ込む。
両親が明らかにブルキナファソ人であると、はっきり分かる人は、それでいいでしょう。でも、自分の両親がどちらの国籍なのかさえ、はっきりしていない人も多いでしょう。それで、コートジボワールの国籍を得るためには両親の国籍を証明して見せろ、と言われても、それはとても困難だという人もかなりいると思うのですけれど。かと言って、ブルキナファソ国籍も得られない。やはり、無国籍者を作ってしまうことになると思うんですけれどね。
そうしたら、コネ司法相は降参、降参という顔をして、私に言った。
「まあ、そこは難しい問題があるのです。国籍の証明が困難というより、はっきり言って混乱があります。というのは、1960年の独立に際して、国籍法もフランスからそのまま借用して、「出生地主義」を採用したのです。これには、いろいろ問題が生じたので、1972年に国籍法を改正して、「血統主義」に転じました。だから、この12年の間にコートジボワールで生まれた人は、皆コートジボワール国籍を持っている、という帰結になる。でも、当時はそれほど国籍に頓着していなかったから、その人々が必ずしも行政上の手続きを経て、きちんとコートジボワール人になっているということでもない。これを、ウエドラオゴ問題、と呼んでいます。」
ウエドラオゴとは、モシ族の典型的な名前であり、つまりブルキナファソにしか無い名前である。
「つまり、ウエドラオゴという名前の人が、自分は1960年代生まれだから、コートジボワール人だ、と申請してきたら、やはり認定せざるを得ないだろうという問題です。でも、とても違和感があるわけです。とにかく「登録抹消」の申し立てでは、明らかにコートジボワール人ではない、という人々について、司法判断で選挙人名簿から抹消するという方針です。でもそこで、法律的な議論に主観的な、あるいは政治的な判断が入ってくると、混乱が起きるのです。つまり保守的な裁判官だと、ウエドラオゴは駄目だとなる。」
実際に、ディボという町で、地方裁判所の裁判官が、多数の登録抹消に応じたために、抹消された人々が騒動を起こす事態も生じている。とにもかくにも、そういう微妙な判断が必要な人々がいるといっても、せいぜい3万人、つまり有権者全体の200分の1を越えないくらいの人数の人々の話である。その問題がきれいに解決しないからといって、578万人全体が大統領選挙に行くことが妨げられるというのは、ちょっと平衡を欠いているのではないか。そういう議論を、コネ司法相にした。
「それはそうですね。つまり、3万人の人々の、身分についての懸念を、いかに救済するかということですね。」
コネ司法相はそう言う。選挙人名簿への登録とは別に、つまり今回は投票はできないけれど、それとは別に選挙後にきちんと身分の検討をするという保証があれば、3万人の人々も納得するだろう。
「それは政治決断を必要とする政策ですね。しかし、そもそも今まで行われてきた身分認定の情報が、新政権ができた後どう引き継がれるのかの根本さえ、まだはっきりしていないのが現実ですよ。」
コートジボワールで、国籍の問題がきれいに片付くまで、というのは、「百年河清を俟つ」ような話かもしれない。それを乗り越えるには、やはり政治決断だ。大統領選挙に何としても向かうぞ、という意欲があってこそ、そういう政治決断ができる。でも、そういう意欲がなければ、やはり国籍の問題は、選挙人名簿の成否を通じて、大統領選挙の実施を危うくする問題として残ってしまうのである。
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