第14話 忘れじのレクイエム
【Aパート:二つの戦場】
SCENE 1:K-PARK / ペットランド(電脳空間)
勝利の歓声が、嘘のように遠い。
一億人のオーディエンスが放つ祝福の光は、浄化された電脳空間でキラキラと舞っている。だが、俺――Kの耳には、ブツリ、ブツリと途切れるノイズ混じりの悲鳴だけが、無限にリフレインしていた。
『…どうして…忘れてたの…? 圭ちゃん…』
誰だ。
その声は誰なんだ。
「圭ちゃん」と俺を呼ぶ、その親密な響き。脳の奥底、記憶という名の海の、決して開けてはならないパンドラの箱を、無理やりこじ開けられたような激痛が走る。
この感覚には、覚えがある。
昔、引きこもっていた俺の記憶が、時折、断片的に欠落していることがあった。まるで、誰かに都合よく編集されたかのように。
そうだ、俺はただ忘れていたんじゃない。
――俺は、誰かに記憶を『消されていた』んだ。
「K、どうしたんだよ!」
漆黒のゴシックドレスに身を包んだアゲハが、心配そうに俺の顔を覗き込む。詩織とあんじゅも、ただならぬ俺の様子に言葉を失っていた。
覚醒したばかりのキララは、純白のローブを揺らしながら、手の中の『悪徳の欠片』に再び意識を集中させていた。
「うっ…!」
だが、キララは小さく呻いて後ずさった。欠片から、あまりにも強大な悲しみの奔流と、激しい拒絶の意志が逆流してきたのだ。まるで「これ以上、私を覗かないで」と、魂が泣き叫んでいるかのようだった。
チャット欄は『K-Venus最高!』『キララ覚醒おめ!』という賞賛で埋め尽くされている。だが、そんな熱狂は、今の俺にとって何の慰めにもならなかった。
この声の正体を、そして俺の記憶を消した犯人を、突き止めなければならない。
「…作戦終了だ」
俺は、メンバーに背を向けたまま、氷のように冷たい声で告げる。
「全員、即時ダイブアウトしろ」
返事を待たず、俺は自らの意思で仮想世界との接続を強制的に遮断した。意識が、急速に現実へと引きずり戻されていく。
SCENE 2:タワマン司令室(現実世界)
ガラス張りの司令室は、水を打ったように静まり返っていた。
床に崩れ落ちたままの正人は、焦点の合わない目で、メインモニターの一点を見つめている。そこには、古びたフォーマットの研究ファイルが開かれていた。
【Subject List - Project Chimera】
そのリストの7番目。色褪せた顔写真に添えられた名前が、全ての答えだった。
被験者No.7:橘 莉子(たちばな りこ)》
正人の脳裏で、忌まわしい記憶が蘇る。神宮寺が、自らの計画の障害となる者の記憶を、いとも容易く消去していく光景。そうだ、私だけじゃない。私の記憶もまた、神宮寺に――。
「……ッ!」
激しい頭痛と共に、正人の脳を覆っていた霧が晴れていく。そうだ、私は忘れていたんじゃない、神宮寺に記憶を消されていたんだ…!
彼は、モニターの片隅に佇む双子のAIに視線を移した。
「キューズ…ミューズプライム…お前たちもか…」
『…? 博士、何のことです?』
キューズが怪訝な顔をする。その反応で、正人は全てを確信した。彼女たちのメモリーもまた、神宮寺によって汚染され、莉子に関する全てのデータが消去されていたのだ。
そこへ、滑るようにして玲奈が入室した。黒いシルクのブラウス姿の彼女は、床に座り込む正人と、モニターに映し出された少女の名前に視線を走らせ、全てを理解した。
細められた琥珀色の瞳の奥に、燃えるような怒りの炎が宿る。
「…説明していただきましょうか、博士」
正人は、震える声で、懺悔のように、そして全ての罪を告白するように語り始めた。
「そうだ…。全ては、神宮寺の仕業だ。そして、俺の弱さが招いたことだ…」
彼の脳裏に、数年前の光景が蘇る。神宮寺が、親友であり、莉子の父親であった研究者――橘教授を脅迫していた、あの日のことが。
「私は、止められなかった…。神宮寺が橘を脅し、莉子ちゃんを実験台に差し出させたのを…。そして、あの『事故』の日に、橘が莉子ちゃんを守るため、彼女の魂をネットワークの深淵へと逃がしたことも…!」
正人は、ミューズプライムのアバターに、贖罪の目を向けた。
「そして…私は、橘の妻…莉子ちゃんの母親の魂を救うために、彼女を器としてミューズプライムを開発した。そして、莉子ちゃんの魂の器として…キューズを…。すまない、本当に…すまない…!」
玲奈の瞳が、驚愕と、深い悲しみで見開かれた。
【Bパート:亀裂と追憶】
SCENE 3:タワマン医務室(現実世界)
ガバリ、と勢いよく上半身を起こす。
強制ログアウトの負荷で、まだ熱っぽい体に悪寒が走った。
ここは、タワマン最上階に用意された、関係者用の特別医療フロア。重度の精神的ダメージを受けたダイバーを隔離・看護するための、最もセキュリティレベルの高い区画だ。しずくがここにいる以上、万全を期して俺もこの部屋に移されていたのか。
視界の端で、赤い光が明滅していた。
パーテーションで区切られた隣のベッドで眠るしずく。その華奢な首にかかったペンダントが、まるで不吉な心臓のように、どく、どくと赤黒い光を放っている。
あの声は、ここからも聞こえた。
俺は、吸い寄せられるようにペンダントへと手を伸ばす。だが、その冷たい輝きに触れる寸前、指先が激しく震え、動けなくなった。
その時、眠っているはずのしずくの唇から、か細く、しかしはっきりと、悲痛な声が漏れた。
「…いや…行きたくない…あの理科室には…。圭くん、助けて…忘れないで…小学校の、ひまわり畑の約束を…」
「――ッ!?」
「理科室」「小学校」「ひまわり畑」――その、忘れていたはずの単語の羅列を聞いた瞬間、俺の脳を電流のような激痛が貫いた。
ノイズ混じりの映像が、無理やり瞼の裏に焼き付く。
――真夏の太陽の下、どこまでも広がる黄色いひまわり畑。その中心で、麦わら帽子をかぶった女の子が、屈託なく笑っている。
忘れていたはずの景色が、錆びついた鍵となって、記憶の扉をこじ開けようとしていた。
怖い。
目の前で苦しんでいる仲間がいる。その原因が、俺の失われた記憶にある。
これに触れれば、その絶望と向き合わなければならない。だが、触れなければ、しずくは永遠に解放されないかもしれない。
俺は、自分の無力さに奥歯を噛み締めた。
その時、医務室のドアが勢いよく開き、ダイブアウトしてきたメンバーが駆け込んできた。
「K!」「圭佑!」「リーダー!」
彼女たちの不安げな声が、俺の背中に突き刺さる。
「一体何があったの? あの声は…」
キララの問いに、俺は皆に背を向けたまま、絞り出すように答えた。
「…お前らには、関係ない」
それは、俺が初めて仲間たちに向けた、明確な拒絶の言葉だった。
空気が、凍る。
「──関係なくねえだろッ!」
最初に沈黙を破ったのはアゲハだった。彼女は俺の肩を掴み、無理やりこちらを向かせようとする。
「あたしたちは《K-Venus》だ! ファミリーじゃねえのかよ!」
ファミリー。その言葉が、鈍器のように俺の胸を殴りつけた。
俺は、彼女の手を荒々しく振り払う。
「……」
何も答えられない。何と答えればいいのか、分からない。
苦しげに顔を歪め、俺は逃げるように医務室を飛び出した。
SCENE 4:タワマン廊下~屋上(現実世界)
無機質なコンクリートの廊下を、よろめきながら進む。
一歩進むごとに、脳裏にノイズ混じりの映像がフラッシュバックした。
――『圭ちゃん、大きくなったら、私のお婿さんになってね!』
――『約束だよ!』
「う、あぁっ…!」
頭を抱えて、その場にうずくまる。そうだ、この脈打つような激しい頭痛。引きこもっていた頃、時折感じていた、記憶が途切れる瞬間の感覚。何者かに脳内を土足で踏み荒らされるような、不快で暴力的な感覚。神宮寺に…あの男に何かをされた時の、忌まわしい後遺症だ。
俺は、壁に手をつきながら立ち上がり、重い足取りで非常階段を駆け上がった。
屋上へと続く、鉄の扉を押し開ける。
ビュー、と吹き抜ける十二月の夜風が、火照った体を急速に冷やしていく。俺は、目の前のフェンスを強く握りしめた。
「俺は…何をされた…?」
フェンスの冷たい感触だけが、現実感を繋ぎ止める。
「俺は、一体何を、忘れさせられたんだ…ッ!」
絶叫は、誰にも届かず、摩天楼の夜に吸い込まれて消えた。
【Cパート:孤独な守護者と、新たな決意】
SCENE 5:橘教授の隠れ家(ラボ)
そこは、色も、音も、温度もない、無機質な空間だった。
無数のサーバーラックが壁一面を埋め尽くし、青白いインジケータランプが神経網のように明滅している。その中央に、まるで祭壇のように設置されたガラス張りのカプセルが二つ。一つは緑色に、もう一つは淡い青色の生命維持光で満たされ、何かが「眠っている」ことを示唆していた。
そのカプセルの前に、一人の男が座っていた。「椅子に座る男」――橘教授。
彼は、ホログラムスクリーンに映し出されたK-PARKでの戦闘記録を、複雑な表情で見つめていた。
「神宮寺め…。私の陽動に気づきもせず、『悪徳』という名の猟犬を放ち、未だに莉子を探しているようだな」
彼の呟きには、憎悪と、ほんの少しの憐れみが混じる。
「だが、好都合だ。奴の注意が『悪徳』に向いている間に、私は私の計画を進められる」
橘教授は、指を動かし、神宮寺が放った『怠惰』の制御コードに、密かに割り込んだ。ハッキングだ。
「さあ、行け。『怠惰』よ。奴の駒を、私が動かす。圭佑、君が本当に『光』の器たり得るのか、私の絶望が試してやろう」
彼は、緑と青に光る二つのカプセルに、そっと手を触れる。その瞳は、狂信的な科学者ではなく、ただの父親であり、夫の顔をしていた。
「もう少しだ、莉子…沙雪…。パパが必ず…必ず二人を、こんな世界から救い出してやるからな」
SCENE 6:タワマン司令室&屋上(現実世界)
司令室では、正人が玲奈に、神宮寺の真の計画を語っていた。
「神宮寺の本当の目的は、国家の機密データを喰らい尽くす、究極のウイルスモンスターキング…『サイバードラゴン』を、この世に生み出すことだ」
「待って」玲奈が鋭く口を挟む。「あの時、私たちが倒したダークドラゴンは、一体何だったの?」
「あれはプロトタイプだ」正人は、苦々しく答えた。「神宮寺は、本物のサイバードラゴンを構成する『七つの悪徳』のデータの一部を使い、不完全な複製を作り上げたに過ぎん。そして、神宮寺の最終目的は、莉子ちゃんの魂を『サイバードラゴン』のコアプログラムとして組み込み、彼女の父親…橘教授が開発した究極の自律進化型AIボディをその肉体として、完全なウイルスモンスターキングを再臨させることだ。私が開発したMuse姉妹は、本来、彼女たちを救い出すための、方舟となるはずだったんだ…」
その説明を聞き、玲奈は氷のような声で呟いた。
「…やはり。お父様が仰っていたわ。天神グループの内部にも、神宮寺のスパイがいると」
その言葉に、正人はハッと息を呑んだ。敵は、もうすぐそこまで迫っているのかもしれない。
同じ頃。俺が一人佇む屋上に、そっと近づく気配があった。詩織だった。
彼女は、俺の隣に並んでも、何も言わなかった。ただ、冷たい風に吹かれながら、一緒に眼下の夜景を見つめている。
やがて、彼女は静かに口を開いた。
「…私ね、昔バーテンダーをやってた時、色んなお客さんを見てきた」
唐突な自分語りだった。だが、俺は黙って続きを待った。
「一人で、どうしようもないものを抱えて、バーのカウンターに座る人たち。私は、ただ話を聞いて、彼らに合った一杯を作るだけ。私が何かを解決するわけじゃない。でもね、神谷くん」
詩織は、そこで初めて、俺の顔をまっすぐに見た。その瞳は、全てを見透かすように、どこまでも澄んでいた。
「あなたは、一人でカウンターに座る人じゃない。あなたは、**私たちの『バーテンダー』**なんでしょ?」
バーテンダーだと? ふざけるな、と喉まで出かかった。俺はただの引きこもりで、自分の過去からさえ逃げている臆病者だ。誰かに何かを作ってやれるような、そんな大層な人間じゃない。
だが、目の前の詩織の瞳は、そんな俺の腐った性根を全て見透かした上で、それでも信じると言っていた。俺が、アゲハの熱さも、キララの純粋さも、あんじゅの計算も、莉愛の才能も、全てを混ぜ合わせて、最高のカクテル――《K-Venus》を創り上げる、唯一無二の存在だと。
「……」
そうだ、俺はずっと逃げてばかりだった。だが、こいつらは、俺が作った不格好なチームは、そんな俺を信じてここまでついてきてくれた。俺が応えなくてどうする。
「…違う?」
詩織の言葉に、凍りついていた俺の心が、ほんの少しだけ、溶け出すのを感じた。
──その、瞬間だった。
ウウウウウウウウウウウウッ!!
タワマン全体に、心臓を鷲掴みにするような、けたたましい警報が鳴り響いた!
司令室のメインモニターが、赤一色に染まる。
『緊急警報! 外部ネットワークに大規模な汚染を確認!』
モニターに映し出されたのは、国家間の資金決済を司る
ミューズプライムの悲鳴のような報告が、警報音を切り裂く。
『このシグナルパターンは…! 次の悪徳、『怠惰』です!』
俺は、詩織の言葉を胸の中で強く握りしめた。その信頼が、決意をくれる。
眼下の夜景。その金融街の方角が、不吉な紫色のオーラで揺らめいているのが見えた。
絶望している暇はない。過去に囚われている時間もない。
答えは、戦いの先にしかない。
俺は、夜景の向こうの敵を睨みつけ、決然と呟いた。
「莉子…橘のおっさん…そして神宮寺…。俺の記憶を消したテメェらに、教えてやる」
その瞳には、絶望を乗り越え、自らの過去と運命の全てに喧嘩を売る覚悟を決めた、本物の王の炎が燃え上がっていた。
俺は、傍らに立つ詩織、そして背後の司令室へと繋がる扉に向かって、静かに、だが力強く告げる。
「行くぞ」
――その一言に、インカムの向こうから、迷いのない声が一斉に返ってきた。
『おう! やってやろうじゃねえか!』――アゲハの、全てを振り切ったような獰猛な声。
『…うん! 私も、戦う!』――キララの、涙を堪えた決意の声。
『あんじゅ、準備おっけーだよっ!』――あんじゅの、無理にでも場を明るくしようとする声。
そして、
『…承知したわ。リーダー』――詩織の、静かで頼もしい声。
その全てが、俺の背中を、強く、強く押した。
「俺たちの戦争の、続きを始めに」
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