#7…本格的な中年のスタートに備えて
いやはや、気づけば40歳になっていたわけですが(↑そういう写真です、232は無視して下さい)、本格的に中年がはじまるというリアリティが迫ってきた感があり、40歳になった当日から、そこそこピリピリした危機感を感じつつ、対策を考えようと脳内は忙しく過ごしております。
年末の振り返りでぼんやり考え始めたことを、いま少しずつ具体的に考え始めたことなので、いつも以上に同じ言葉の繰り返しになっていて、まとまっていない部分が多々あることをご了承下さい。
20代の生き方を、30代まで続けた
さんざんここまで振り返ってるので、細かくは振り返りませんが、20代からの20年を雑に一括りにしてみました。ざっくり言えば、20代のような動き方と振る舞いを、30代まで続けられた節はあると思います。
30代後半に入って、人間関係が絞られる流れがある
進路もプライベートも流動性があり、仕事はしつつモラトリアムの延長線の個人主義で、食事や旅行に行ける自由の身…というのが20代の特徴でしょうか。私はそのようなスタイルを30代になっても続けましたが、周囲にも同様の人が多々いる、という日常を送っていました。歳を取ると結婚や子育て、引越で遠のく人もいますが、30代前半までは仕事のインプットや趣味、人間関係を広く張ってた人が、30代後半になると仕事領域、趣味、人間関係を絞って限られた関係に集中し、拡げない動きを取る人はそこそこいます。
個人的にも、30代後半になると、気づけば接点が少なくなった人もそこそこ出てきました。とはいえこうして減る関係よりは、近年になって新たに親交を深め始める人々のほうが多く、総じて30代前半より後半のほうが人間関係は厚かったと思います。
私自身は権威や年次とは縁がなくストレスのない働き方をしていることもあり、早くから年齢不詳の様相で30代を乗り切ることとなりました。±8歳くらいは間違われるのですが、人によりますが大体±12歳くらいは対等に話す(持ちつ持たれつ、距離感も近く対等)という関係構築もスタンダードになってきました。対等な人間関係の可動域を拡げていたことで、人間関係も拡がったように思います。
新しくできる人間関係は、30歳前後の人が多かった
さて、±12歳とは言ったものの、その内訳としては、年上よりは年下のほうが圧倒的に多いのです。若いうちは仕事のインプットや趣味、人間関係を広く張っているからです。年上だと仕事があれば話すくらいの人が多い一方で、仕事ではなく、なんなら何の用事もないけど会って雑談する人々の平均年齢は−8歳くらい(30歳過ぎ)だと思います。
しかし、現在30歳過ぎの人もまた、30代後半でそれぞれの道に進み、親交が薄くなる人も出てくるでしょう。同い年近辺の人はあまり多くはないですが、漸減するかもしれません。これまで新たな人間関係の発生源だったのは20代後半でしたが、30代のうちは20代と対等な人間関係としてスタートできていました。しかしこれから、そこに難が出てくるだろう、と予想しています。
中年インターフェースの獲得と、若年性の喪失
自身の30代を振り返ったときに、住む家は変わってないし、会社は10年同じ会社だし、仕事も広がりはあったとはいえ大きくは変わっていない…変化のない10年だったようにも思いましたが、逆に言えば変えずに済んだとも言えます。かなり年下だろうとそこそこ対等に人間関係が構築できたのは、アンチエンジングの努力は一切してなかったもの、中年っぽくはない様相が保てていた面も大きいと思います。
40代というのは、着実に中年のインターフェースを手に入れることになります。私のこの先は分かりませんが、30代のときほど様相が変わらないと言うには限界があり、40代前半はまだそう遠くない様相を保てても、40代後半になると確たる中年顔になるだろうと思います。逆に48歳で「30歳かと思いました!」とよく言われるようになったなら、アンチエンジング本でも書こうと思います(いや、何もしてないから書けないな…)。まぁ、きっとそうはならないということです。
「完成」が期待される中年と、中年クライシスの発生
ここからは私も未経験なので、私の経験ではなくこれから起こりそうな一般論の推察です。さて、中年顔になると、悪く言えば肌質等の劣化は発生しますが、職能・立場・人格的に完成された風貌にもなり、そうでなくてもそうであろう年代として期待され、扱われることで、表面的にはしっかりしてくる風味ですが、単なる老化に加え、上記の事情によって、既につかめている動き方、考え方の枠外に出る筋力は硬化してきます。
そして、まだ試していない動き方、考え方、未完成の試行錯誤やアウトプットしたところでさほど価値のないもの、十分に言語化できていないものの吐き出し先は、ジリジリと減っていくことが予想されます。若年層はそれを期待していない上、プライドがある人だとむしろ出せない、という人も多いようです。
同世代の中年同士でも、互いに硬化しているので出せない、という流れもありそうです。そうなると枠外の未経験、未完成なものは試さないか、あっても孤立するか…考えるとなかなか深刻に感じてしまいますが、これが中年クライシスの内訳だろうと推察しております。
一般的に20代のうちは、未完成のもの、求められないものでも出せた(未熟であり、可変であり、成長余地がある人として、同年代からも年上からも受容された)面が大きいでしょう。私は逆に、20代の頃は不器用で、その効用を十分に発揮できていなかったのですが、プライドがないこともあり、30代は割とできていたと思います。そして、中年になるとこの出し先が減る、求められなくなる、というのがこの話のまとめです。
なぜ人は同棲、結婚するのか、家族を作るのか
流動的な人間関係を広げていると、おもしろがられる(魅力的な、需要の高い)話やアクションをする際は友人の多さを感じても、そうでないときは呼んで機会を作る体力もセンスもなく、話す人、会う人がいない、友人の喪失を感じそうです。これは私もこれまで感じていますが、その機会が漸増しそうな感はあります。
なるほど、それでか…と思ったのは、年を重ねるごとに同棲や結婚が増えていく、なんなら子育てにより家族が増えていくという事例です。明るい部分のみならず、明暗含めた多くの部分を共有する共同体を固めてしまえば、中年になっても発生する、未完成で求められないもの、十分に言語化できないものの受容先は確保され、子がいれば子よりは完成した人間としての役割を得る、ということでしょう。
逆に言えば、家族を形成するパートナー相手のそれを常時受容できるか、ならびに自身のそれを受容するにふさわしい相手か、の選択だと思いますが、それができていれば中年のフェーズに入っても安定した土台となり、そうでない場合は、家族という硬い殻が、より内面を出しにくくする装置になる、という反作用にもなり得ます。
自由流動型からシフトする、次の枠作り
このあたりが見えないまま、そりゃ同棲や結婚をしたい、とはそこまで思わないもので、むしろその手を取らずにどのように社会性と精神を満たしていくか、という裏技の試行錯誤と実践に邁進してきて、ここまではある程度の結果が得られました。とはいえここまでは、固定メンバーを作らずとも、"出"も多い流動性の高い状態で、多数の"入り"が得られる若年性の延長戦を続けられたに過ぎず、この手法は中年に入ると少しずつ不利に働きます。
しかしここからは何かしらの固定メンバーが必要だろう、というのが、中年はじめの、次のシフトとして考えていることです。既存のライフステージのすごろくに乗らないということは、一つひとつのステージを自力で設計し、進んでいく必要があるということです。むしろそれを楽しんでいきましょう。ここからは私の中の新政権「協創機構」の出番です。
活動と関係のゆるやかな枠づくり
私自身会社は一人で、例えばバンドのメンバー等の所属や活動もありません。これまであまりにも、単体で自由形すぎました。用事がなく、友人知人が忙しかったり、誘われなかったりすると、私にピンチが発生しても誰にも何も求められないどころか、誰も気づかないような気がします。いや、大きなセーフティネット…シェアハウスはあるんですが、この家の賃貸契約が仮に終わると再現性はなく、無策だと一人暮らしの一人会社で団体にも無所属…という、完全一人の中年生活に突入します。
対策の一つ目は仕事面で、ゆるやかな仕事の共同体(連携相手)を作ることで、この話は明日して来ます。仕事でない面としては、今はお茶やごはんをしつつ話したり、自宅居間で住人と行われている深めの話を、偶発的な雑談ではなく定期開催するゼミのような形にしようと検討中です。こうした会やその他の活動を、目的ある活動として形にし、現在の自宅、というか自室を、自他ともにその動きが取れる部室あるいは公民館のような場所に変えようと計画中です(自身は上の階の空室に移る予定、自宅内ながら13年半ぶりの引越)。これを別の形で配信コンテンツにしたのが最近始めたラジオ(たのしい人間社会と謎仕事)です。
余談ですが、全体的なSNSコミュニケーションも近年変化が見られます。XやInstagram、Facebookでも「投稿」する人は減っているような気がします。誰もが見られる"投稿"は、告知用または誤読を気にしないSNS強者のコミュニケーションの舞台に、そうでない人はグループメッセージ(LINE)やdiscord、一時で消えるストーリーズのほうが活発です。私も告知の投稿はしますが、会話や雑談はメンバーが限定されたところのほうでしています。このように、ネットコミュニケーションも固定メンバー化してきている気がします。
パートナーおよび家族の形成
私は兄弟がいないため、保険の受取人や住居の連帯保証人は両親なのですが、両親しかいない…となるとその先どうするんだ、という課題もあります。自身の老後に、リスクヘッジし合う共助の関係網「家族代理機構」を考え中ですが、それは60代以降に検討して構築することで、まだ早いような気がしています。
その前に、パートナーができるかどうか、です。これまでいた期間よりいない期間のほうが長かったですが、古来から中年を乗り切る土台として採られてきた、この伝統的な手法への関心と重要性は、以前よりは感じています。
確かに以前よりは抵抗がないのですが、中年でそれを求め始めるには注意が必要です。一般的には勝ち目のない戦いで、間違ってもマッチングアプリや相談所に行くと、ここまで挙げた蓄積を捨象した状態で、年齢、年収、外見、職業という天秤にのせられ、不利な市場での戦いで終わることが予想されます。また、必ずしも得れば良い、というものでもありません。
中年度が低いうちに動き、結果が得られれば、それはそれでパートナーや家族に全ベッド…が理想かと言えばそうではありません。それ以外の人間関係網こそ土台になっているので、これを失うのはそれはそれでリスキーです。たとえば家族を得てシェアハウスを失っても、それまでの土台を失う危機感から、何か固定的な活動や場所を考えている、という面も大きいのです。
何を削っても良いのかを考え始めて、40代を走り始めたい
そういえば、最近座椅子に座ったまま寝てたら、翌日肩と腰のコリがひどく、整体に行って治るかどうか…の深刻さでした。こりゃもう夜行高速バスに乗るのも限界のようだ、というのは悲しい気づきでした(いや、せめてもの抵抗というか、再来週乗るんですけどね)。こうすると、安価な移動は手放すものかもしれません。かなしい…。でもLCCは乗り続けますよ。
その他、状況が変わったり、得たり失ったりする中で、何を削ったり失ったりしても良いものか、たとえば毎日都心の環境を享受する都心居住は必要なのか、住まないとしたらどのくらいの頻度や場所を求めるのか、このあたりを考えながら、まだ住める限りは今の家にいつつ(もう1人住人を募集中です)、50歳までの人生…仕事や人間関係の構築方法、進め方などを考えながら進めていきたいと思います。
長ーーーい所感の文字化ですが、#1から始めて今回の#7で以上になります。
(ここまで2万5千字て…引くわ…ここまで読んでいただいた方には景品を贈呈する気持ちです)


コメント
17回分お疲れ様でした!
「四十にして惑わず」というくらいだから、地理人さんの人生分析は社会学的におもしろいな〜と読んでいたら、急なアンチエイジング本で吹き出しました🤣🤣(そして本当に出せそう)