与えられたものを愛する力。
母の愛は無条件じゃない。子供の愛こそ無条件。無条件に愛されているのは親の方。母の愛は無条件という聖母神話が女性たちを苦しめている。愛せなくてもいい。ぶん殴りたくなってもいい。ベランダから突き落としたくなってもいい。自分にとって都合のいいように動いて欲しいと望むのは普通。それがうまくいかなくてイライラしたり、こんなに悩むのは自分だけかもと思うのも普通。全然おかしいことじゃない。おかしいことじゃないことを「おかしい」と思うからおかしくなる。
東京在住の女性S様から「他に好きな人ができたから別れたいと彼氏から振られた娘が整形をしたいと言うようになった。精神的におかしくなり、毎日毎日死にたいと泣き、病院に連れて行こうとしても途中で暴れたり倒れてしまう。二人きりになると『なんでこんな顔で産んだんだ』『私を産んだお前が悪い』と責められる。娘を助けたい。だけど、このままだと私もおかしくなってしまいそうだから、話を聞いて欲しい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。身も蓋もないことを言うと、母親に子供を助ける力はない。二人きりになるのは最悪だ。外部の力を借りよう。
強制的に何かを変えることは、本質を破壊する。私たちは無条件の愛を持って生まれてくる。無条件の愛は、家庭や学校で強制的に破壊される。生まれて来た時点で運がいい。誰もが強運の持ち主だ。それが、世間的な善し悪しの物差しで測られて、理想を押し付けられて、自分ではない形に矯正される。本質が破壊されると、運気が下がる。本来の姿が、最も運気が高い。整形は運気を下げる。一重まぶたは、意思の強さや感覚の鋭さに繋がる。二重まぶたは、意思の弱さや感覚の鈍さに繋がる。それを「二重の方がかわいいから」と整形すると、表層的にはうまくいくが、深層的にはおかしくなる。スラムダンクの流川楓が、桜木花道みたいに陽気に生きようとすることと同じだ。
強制的に何かを変えようとすると、反動が来る。押し付けられてきたものがデカいほど、反動もデカい。娘を助けたいと思うなら、自分の無力さを認めること。誰かの力を借りることを「娘を見捨てること」とか「母親の責任を放棄すること」と思わないこと。恥ずかしいこととして、自分が置かれている状況や子供が置かれている状況を隠そうとしないこと。隠すと壊れる。隠すと崩れる。本来の姿が、最も運気が高い。世間的には悪いと言われている部分も、その人が本領を発揮するためにはなくてはならない必要なエッセンスである場合が多い。それを取り除くと、問題は消え去るが、本質も消え去る。その人の必然が消え去る。
強制的に何かを変えても、悪い方向にしか変わらない。運が悪いと思うのは、何かを強制的に変えられたから。何を変えられたのか。顔か。心か。形は変えられても、魂は変わらない。運命は変わらない。自分の運命を愛する。それが「与えられたものを愛する力」になる。与えられたものを憎み、自分以外の誰かになろうと努力をする限り、苦しみは続く。強制的に何かを変えても、悪い方向にしか変わらない。本来の姿が、最も運気が高い。本来を出すことが運勢向上の肝であり、腎である。肝臓や腎臓が弱ると、意思が弱くなり、不安感に襲われて、疑い深くなり、恐怖心に支配をされた、嫌味な人間になる。足りないから苦しいのではなく、取り過ぎているから苦しくなる。暴飲暴食をやめよう。あらゆる出来事をひっくるめて、自分の運命を愛する。生を肯定する。死ぬまで生きる。生きて生きて生き切って死ぬ。自分を肯定して、人生を肯定して、運命を肯定しようとする姿勢が、与えられたものを愛する力になる。
おおまかな予定
8月9日(土)静岡県熱海市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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