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金欠無職から覚醒!「妻と子を守るため最高の領主になってみせる」栄華を掴んだニート武将とは

山内琉夢歴史プレゼンター
前田利家像

前田利家は、織田信長や豊臣秀吉に仕えた槍の名手です。

ひとたび戦場に出陣すれば「槍の又左衛門」と恐れらるほどの実力者でしたが、彼の晩年の相棒は槍ではなく「そろばん」でした。

一時期は無職になり、金欠に喘ぐ日々を送ったともいわれる前田利家。

今回は、そんな前田利家が加賀百万石と称賛される最高の領主に返り咲くまでを紹介します。

似たもの同士と没落

黄金の織田信長像(岐阜県岐阜市)
黄金の織田信長像(岐阜県岐阜市)

前田利家にとって最初の主君は織田信長でした。

織田信長といえば「うつけもの(バカモノ)」の異名で知らる人物ですが、実は前田利家も同じうつけものとして有名です。

異様な格好をするのが好きで、誰かれ構わず喧嘩を吹っかけるのが彼の日常。そんな喧嘩三昧の前田利家がひとたび戦場に出陣すると、次々に敵が薙ぎ倒されていきます。周囲の人々は、長槍を振り回すその姿から「槍の又左衛門」と恐れました。

その実力は主君の織田信長も認めるほどでしたが、とある事件で信長の溺愛する家臣を斬り殺してしまい、前田利家は織田家を追放されてしまいます。

織田家から追放された前田利家のもとに残ったのは妻のまつだけ。

仕事も金も名誉も家臣も全てが前田利家のもとを去りました。

しかし、前田利家はこのどん底から這い上がり、加賀百万石と称賛される最高の領主へと返り咲くのです。

最強の帰還!前田利家の復職

前田利家像と前田まつ像
前田利家像と前田まつ像

織田家を追い出されたあと、前田利家はしばらく貯金で自由気ままな生活を謳歌しました。しかし、貯金はすぐに底を尽きます。

妻も子もいた前田利家は焦りを感じ、復職を果たすため、さまざまな方法で織田信長に忠誠を示しました。

無断で織田軍の足軽として戦場に出陣したのもそのひとつです。

そして「桶狭間の戦い」で敵の首級を討ち取り、「森部の戦い」でも数々の功績を叩き出しました。

度重なる前田利家の復職アピールに観念した織田信長は、彼の再雇用を決断。以降、前田利家は織田信長に更なる忠誠を誓い、織田家の繁栄・領地拡大に大きく貢献したのです

まさに、最強の帰還といえるでしょう。

その後も、前田利家は織田信長と共に数々の戦場を駆け抜けました。

信長の死後は豊臣秀吉に忠誠を示し、豊臣五大老として「加賀、越前、能登」の三国を支配するに至っています。

これは「加賀百万石」を築く上で強固な基盤になり得ました。

また、一度ビンボーを経験している前田利家はお金に困りたくない一心から領内の財政を自ら徹底管理。当時は未発覚の横領事件も多数発生していたと考えられていますが、前田利家が領主自ら財政を管理することで「見えない支出」を含めた無駄な出費を最小限にとどめることができたのです。

この成果もあり、前田利家の治めた加賀国は百万石もの大国にまで発展できたといわれています。

前田利家生誕の地碑
前田利家生誕の地碑

愛知県名古屋市は、前田利家が生まれた場所です。

同県同市には「前田利家・前田まつ像」のほか、前田利家生誕の地碑などがあります。

気になった方は足を運んでみてください。

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ありがとうございます。
歴史プレゼンター

歴史ライターとしての活動経験を持ち、今までに32都府県の歴史スポットを巡ってきました。実際に現地へ行くのが難しい方に向けて、取材した歴史スポットについて紹介します。また、歴史に興味をもったことがなかった方にも楽しんでいただけるよう、歴史偉人の意外な一面や好きな食事・おやつの紹介など、ワクワクするような内容をお届したいです。

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