『フランダースの犬』(1872)
の1891年版の挿絵
剣士でもある同志の医師と
名作時代劇や心に残る映像
やアニメ作品について話を
していて、その中で『フラ
ンダースの犬』が出て来た。
私は1872年に書かれた児童
文学の『フランダースの犬』
の原作は読んでいない。
だが、1975年1月の中2の時
からTV放送されたアニメの
『フランダースの犬』はずっ
と観ていた。
1975年12月の中3の年の瀬
に放送された最終回のパト
ラッシュとネロの最期は衝
撃が大きすぎた。
受験間際だったが、元来勉
強などは高校受験も大学受
験でも殆どしていないので、
時間を割いて傾注させて凝
視するようにTV画面を観て
いた。
高校の受験勉強をしない私
がやっていたのは、バカか
という程の文学や評論の膨
大な読書と映画作品を観ま
くる事だった。
中学1年から中原中也の影響
でかなりダダイズムに傾倒し
ていたが、やがてそれはアル
チュール・ランボーにドは
まり状況を生み出し、フラ
ンス文学の井戸に落ちたと
同時にカミュとサルトルに
出会う事により実存主義へ
と一気に自己の思潮が傾い
た。中学の時だ。
やがて高校に進学後すぐに
福永武彦に衝撃を受け、キ
リスト教と実存主義の狭間
で苦悩する事に頭が埋め尽
くされるようになったのが
高校時代の丸3年間だった。
ガッコの勉強などはしない。
全くしない。とにかく、ひ
たすら読み、読みまくり、
読み続ける事しかしなかっ
た。サルのらっきょ剥きの
ように(あれ、嘘でしょ?)。
物理的にそれに時間を割く
のだから、受験勉強などは
時間が勿体なくてしない。
高校受験の時も大学受験の
時も。ただ、厳密には受験
では多少は受験用勉強もし
た。3週間程集中して。
国立一期大学(学士会に属
するような旧制帝大系)に
現役で合格する人たちが不
思議でならなかった。よく
5教科も満遍なく卒なくこ
なして受験クリアの受験学
力と基礎学力を維持する事
ができるなぁ、と。自分の
時間を割いて。暇なのか?
と。
しかし、難関試験を突破す
るその手法というかテクノ
ロジーの体得というか、そ
こに向かえる継続力が不思
議でならなかった。
まあ、学術は術であるので、
その術を会得体得すれば、
たぶん難なくこなせるのだ
ろう。私には縁遠い事のよ
うに思えていたし、事実
そうだった。文士たちとい
うヤクザな種族の世界を知
ると、通常勉学などはしな
くなる。中原中也やランボ
オが全くそうであったよう
に。
理由は一つ。勉学などして
いる時間は無駄であり、人
が書いた物を読みふける事
に物理的時間を費やしたい
からだ。
高校の時はバイクに乗って
る時も、実際には読書しな
がら乗りたい位だったが、
バイクは運転操縦の実体が
他の事柄とは別格別物別種
の次元違いで、「これは悪魔
の乗り物だ」と真剣に感じた。
人を捕らえて決して離さない
異次元の乗り物。人を魔界
のプリズナーにしてしまう
乗り物がモーターサイクル
だ。「悪魔の釣り」であるフ
ライフィッシングに似ている。
かく言うてめえがどんだけ書
き物読みのバカかというと、
東京から広島県に引越す前に
すでに都度読後書籍文庫冊子
等々の活字の本型の物体は広
島県に高校時に転住した親の
家に送って倉庫にぶち込んで
もらってはいたが、引っ越し
の時の今でいう総重量22トン
の大型箱バンウイング車に満
載されていたのは家財道具な
どは知れていて、車両の中は
段ボール詰めにした書籍類が
ぎっちぎちだった。ほぼ10
トン車にもう詰めませんと
いうまで書籍詰め段ボールで
満載。専門引っ越し業者の
人が呆れ驚いていた。こう
いうパターンは初めてだと。
都度広島の倉庫に送っていて
もそんな塩梅だった。
本というか文字の虫。
それは、典型的なバカであり
バカの典型だ。
釣りバカと同じく異様なバカ。
テレビアニメの『フランダ
ースの犬』。
泣いただよな、あれは。
もう元服でしょうよという
中3になるのに、とことん
泣いた。
この世に神なんていないの
ではと思えるほどに悲しす
ぎた。
だが、神は信じる信じない
とかの存在ではない。
山がそこにあるように、人
間が感知しようがしまいが
あるのはあるのであり、い
るのはいる。いるかいない
かという次元で人間が脳内
で否定しても、この宇宙の
始まりは人間などには説明
も真実の理解も解明もでき
ない。
ただ、私は知っている。
神は相当に気まぐれであり、
かなり非情である事を。
だが、真実の心による祈り
は通じる事も知っている。
それは人の命の行方につい
てのいくつもの実体験から。
本当の奇跡というそちらの
ほうが信じられない事がい
くつも起きる。現実に。
通常の医療の常識では考え
られないような事も。
ただ、神はかなり意地悪で
もあるし、すぐに人間など
は見放す。やがてほぼ全て
を滅ぼそうともしている。
そして、神はあらゆる全て
を漏らす事なく観ている。
たまに大昔に野外での相撲
に負けたのも、あれは手の
内のうちだろう。
だが、人間は神を試しては
いけない。そのような権利
は人間には与えられていな
い。
ただ、全能である筈の神に
も敵はいる。
それは悪魔だ。
そして、悪魔は人の姿をし
て他の人々を欺罔しながら
も人の世の中に今も巣くっ
て、ひたひたと足音を忍ば
せている。