『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の文庫版が、四谷くんのデカい通学リュックの底でぐちゃぐちゃになっていたのは大学2、3回生のころでしょうか。


アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・K・ディック
早川書房
2012-08-01


私は、この本が原作である映画『ブレード・ランナー』しか見てませんし、「見た」とみんなに言わない方がいいほど内容を覚えていません。(なんか雨は降ってました。)


『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』というタイトル、かっこいいですよね。なんやかんや気になりますよね。

何が良いって、疑問形なところですよね。

『アンドロイドは電気羊の夢を見る』でも十分かっこいいところへさして、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という疑問形・・・。


浮世離れした内容が疑問形で提示されると、「えっ」となります。


尋ねる人と尋ねられる人との間で、前提を共有できる現象が発生しているのか、発生していないのか確かめるときに使うことが多い疑問形。「~か?」を末尾につければ何でも疑問形にはなりますが、自然な内容の文章になるかどうかは狭き門です。


「この猫は腹が減っているのか」という文章は、私たちにとって「猫は腹が減る」のは起こる可能性があると言えるので、自然な風に聞こえます。「減ってるよ/減ってない」でさらりと答えてしまいです。

しかし、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は、そもそも「アンドロイド」が縁遠いし、「電気羊」も身近じゃないし、それを組み合わせた「アンドロイドは電気羊の夢を見る」なんて、前提をすぐには共有できない突飛なものです。それを疑問形にした「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に対しては、「ん?」が口をついて出てきちゃいます。「見るよ/見ないよ」と答えるのはややレプリカントみあります。


だいぶ前に書いた、「なぜ今〇〇なのか?」という本のタイトルのすっ飛ばし感にも通じるところがあります。別に今流行ってるとは思ってないことについて「なぜ今〇〇なのか?」と言われると、「えっ何その問い・・・?」となるのと似てませんか。




同じようなことは否定形でも起こります。


否定形も、前提として違和感のないものがあるのかないのか、ONなのかOFFなのかを確かめるわけです。「アンドロイドは電気羊の夢を見ない」と急に言われても・・・。(「ダイヤモンドは砕けない」「ブギーポップは笑わない」は、あるべきものが「~ない」という特徴を言ってるので、そんなに違和感はないように思います。)

普段考えたことがないようなものをわざわざ取り立てて「~ない」というのは、日常でやりません。

「私の富士額から雄のひよこの匂いはしません。」こんなことを言い出したらキリがありません。雌のひよこの匂いもしません。「そうではない」ことなんていくらでもあるからです。というか私は富士額じゃありません。

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こう常々考えていたのですが、最近、もう一つの形を見つけました。



この前、街裏ぴんくさんの単独ライブで「川下り」というネタを見ました。

福岡・柳川の川下りで、ほかとは異なる船頭がいたので怖いもの見たさについていくと、船頭が三艘のどんこ舟を前に迷いだして、一艘ずつ端を足でつついていくと次々に木っ端みじんになっていき、不安になった街裏ぴんくさんが船頭に尋ねるシーンがあるのですが、


(6:30あたり)

街裏ぴんく「どんこ舟の消去法大丈夫ですかね?」
船頭「どんこ舟の消去法大丈夫」

オウム返ししましてね

この一連の流れがめちゃくちゃ好きです。

ヤバい疑問文のオウム返しのヤバさ・・・
疑問文の内容をちゃんと理解してるのか気がかりだし、
わかってたとしてもオウム返しはエグい・・・


疑問形・否定形・オウム返し、マイポエジー3種盛りの完成です。